行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

われを 整う

2010年06月11日 | 禅の心
治水師は 流れを治め

矢作りは 矢を矯め直し

木工は 木を正すごと

よき人は われを整う

(法句経145)



禅とは何か。

心を整えることにあると思います。

私たちは日々の生活の中で、小さなことに怒ったり、

小さな欲に心を大きく動かされたりします。

悩みがあり、欲があり、感情があるのが人間というものですが、

それらをなくすのではなく、整えて、整理してみることが大切なのです。

カッとなったら、一呼吸置いてみて、怒りを鎮める。

食事のあと、まだ食べ足りないと思ったら、一呼吸置いてみて、健康のことを考えてみる。

衝動買いしそうになったら、一呼吸置いて、財布と相談してみる。

つねに、心を整えることが大切なのです。

日の光 月の光

2010年06月08日 | 禅の心
世の中には、太陽のように明るくギラギラした光も必要なら、

月の光のように、やさしく包み込む光も必要なのです。

人には、社交的な人、独りを好む人。

外向的な人、内向的な人、

賑やかな人、もの静かな人

など、いろいろな人がいて、うまく調和しているのです。

明るく、快活なだけがいいわけではない、

静かにいつも落ち着いている人も必要なのです。


道教では、陰陽が調和している状態が、好ましい状態であると考えています。

実際に、私たちや、まわりの全てのものをつくっている原子は、

電子と陽子という、陰と陽が調和して成り立っています。

そして、陰イオンと陽イオンが調和して物質をつくり、

酸化されるもの、還元されるものが調和して、私たちの体の化学反応はスムーズに進行して生きているのです。

世の中、いろいろな人がいて、うまくいくものなのです。

因果一如

2010年06月04日 | 禅の心
世の中には、誠実で陰徳を積んでいる人なのにそれが報われなかったり、他人を傷つけたりいじめたりしている人に何も咎(とが)めがないなど、理不尽なことが多いものです。「善因善果」(良い事をすれば良い結果が生ずる)「悪因悪果」(悪い事をすれば悪い結果が生ずる)とは言いますが、現実にはそのようにならないものです。
道元禅師は
大凡(おおよそ)因果の道理 歴然として私なし。造悪の者は墜ち、修善の者はのぼる。

悪をつくりながら悪に非ずと思い、悪の報あるべからずと邪思惟するに依りて、悪の報を感得せざるには非ず。
悪い事をしても悪い結果にならないのは因果律が成り立たないのではなく、悪い事をしている事自体が悪い結果、すなはち因果一如とはこのことなのです。
蓮の花は花が開くと同時に蜂の巣のような実が出て来ます。つまり花という原因が実という結果と同時に現れています。同様に良い事をしているという事実そのものがいい結果なのです。

自分の行った良い行い悪い行いは時間というビデオテープに刻みこまれていきます。因果一如とは言っても、悪いことばかりしていればいつか悪い結果を生むものです。

照顧脚下

2010年06月01日 | 禅の心
難しい言葉では、「看脚下」とか「照顧脚下」と言っています。

 人間、忙しくなったり、心が乱れてくると、一つ一つの動作が雑になってきます。心の乱れが字の乱れになって表れたり、言葉の乱れになったりするものです。急いでいるあまり、履き物を乱して脱ぐこともままあります。
 心が乱れると、動作が乱れるのなら、動作を正せば、心をただすことになるのかもしれません。忙しいときほど、一つ一つの動作を正確に行えば、心が落ち着いてくるものです。
  さらに言えば、照顧脚下、看脚下は、人の悪いところばかりに目をやるのではなく、自分自身を厳しく見つめましょうという意味もあります。特に現代人に欠けていることなのでしょう。