行雲流水

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宗教は教育の根本

2010年06月22日 | 禅の心
山田無文老師は、愛知県のご出身で臨済宗妙心寺派管長と花園大学学長を歴任されました。老師が亡くなられたのは、昭和63年のことでした。昭和という時代の終わりとともにこの世を去った巨星だったと思います。

私が思うところでは、朝比奈宗源老師、大森曹玄老師など鎌倉や東京の老師は厳しく、父性的な禅風であるのに対して、山田無文老師、柴山全慶老師など、京都で過ごされることの多かった老師は、穏和で、母性的な禅風であったと思います。

無文老師がよく言っておられたことは、宗教は教育の根本でなければならないということでした。今の教育には宗教がないことを嘆いておられたような気がします。
そもそも、道徳は、権力者が民衆を支配しやすくするためのもので、時として変わっていきます。しかし宗教は永遠不変の真理なのです。
人のものを盗んではいけない、人を殺してはいけないというのは道徳です。人のものを盗ることができない、人を殺すことができないというのが宗教です。
ただ、今の日本には宗教がないのが現実です。
宗教のないところに現代日本の悲劇があるのかもしれません。


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1 コメント

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Unknown (Unknown)
2010-06-22 07:34:55
‡零的確定原理‡

【哲】0的確定論

『或質的な面が物理的に確定する場合の確定要素は【0】である。』

 【0特性】
◇絶対性
『拡がりが無い,』

◇不可分性
『分けられない,』

◇識物性
『存在の1の認識が可能, 即ち考えるもとの全てが【0】より生ずる, 但し質的な変化に対し絶対保存できない,』

◇変化性
『物による逆の確定が不可能な変化 (可能性の確立), 即ち存在の【1】を超越して変化する。』

 【0特性】が真理であるならば, 時間平面的な視野は物的ではなく, 質的に変化していることになる。その根據が【0∞1】, 有限的無限性を有する物による質の確定が不可能であること, そもそも確定する質が何かを知り得ない以上, 物理的確定論は絶対的ではなく類似事的な確定であること, である。

 零的確定論では, 一つの時間平面が, 拡がり無き【時の間(はざま)】に確定していると考える。同様に空間を捉え, 【空の間】に空間を置き, 絶対的変化を与える【質】を流し込む。つまり時間平面は, この表裏不可分の裏側の【絶対無】により0的に確定されることになる。

△無は有を含む。


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