普通に考えれば、仏の住む清浄な仏界には行きにくく、道徳もなく怒りと愚痴と欲望であふれ返っている魔界の方が行きやすそうです。
しかし、魔界入り難しというのです。この言葉にはいろいろな解釈ができると思うのですが、人間の心の乱れた世界で、それに染まらず、しかも心の乱れた人々を正しく導いて行くことは簡単ではないということです。逆に、みな正しい行いをして心の清らかな人ばかりいるところに行って暮らすのは容易です。
現在、若い人の人口は減少しているのに、大学の数は増えていき、ほぼ大学全入の時代になったと言われています。私もいろいろな大学の様子を見に行かせていただく機会が多いのですが、学生さんたちが真面目に学問に取り組んでおられるところもあれば、逆に荒れ果てた大学もあります。講義中だというのにやかましく騒いでいたり、教官を取り囲んで暴言を吐いている学生もいます。
まさに前者は仏界で後者は魔界です。大学に限らず、小学校から高校までもそうでしょう。荒れた教育現場で若者を正しく導いて行くには教師としての相当な力量がいるのです。教育現場だけでなく、大人の社会にしてもそうです。しかし、学校の先生や僧職者は、魔界に入っていって人々を正しく導いていくことも大切なのです。
しかし、魔界入り難しというのです。この言葉にはいろいろな解釈ができると思うのですが、人間の心の乱れた世界で、それに染まらず、しかも心の乱れた人々を正しく導いて行くことは簡単ではないということです。逆に、みな正しい行いをして心の清らかな人ばかりいるところに行って暮らすのは容易です。
現在、若い人の人口は減少しているのに、大学の数は増えていき、ほぼ大学全入の時代になったと言われています。私もいろいろな大学の様子を見に行かせていただく機会が多いのですが、学生さんたちが真面目に学問に取り組んでおられるところもあれば、逆に荒れ果てた大学もあります。講義中だというのにやかましく騒いでいたり、教官を取り囲んで暴言を吐いている学生もいます。
まさに前者は仏界で後者は魔界です。大学に限らず、小学校から高校までもそうでしょう。荒れた教育現場で若者を正しく導いて行くには教師としての相当な力量がいるのです。教育現場だけでなく、大人の社会にしてもそうです。しかし、学校の先生や僧職者は、魔界に入っていって人々を正しく導いていくことも大切なのです。