野々池周辺散策

野々池貯水池周辺をウォーキングしながら気がついた事や思い出した事柄をメモします。

七段花(ヒチダンカ)

2012-06-10 06:55:19 | 
 「 今年も咲いた、庭のヒチダンカ」

昨年、お茶の先生から「これはヒチダンカです」と教えて貰ってから、この時期になると気になって毎日眺めている。

庭にあった数種類の紫陽花を整理し、現在あるのは3種類だけ。このヒチダンカがメインの紫陽花となった。
冬枯れした先端の茎をうまく選定しておくと、初夏に花が咲く。
近所の西洋紫陽花に比べたら、少し早めに花が咲くようだ。 

良く見ると、一本の株から出る花の色は淡い青色が基本だが、薄紅、濃紫、藍色そして白色等に変化する。
名の由来は、萼片が七段に重なるというところからきているとあるが、とても七段に重なっているとは思えない。
それでも、朝日がさして上下の萼片に陰が出来始めると、花弁がより浮かび上がって際立たせるから面白い。
毎日、朝起きるとヒチダンカを見に行くが、飽きることがない。
ぼってりとした大型で豪華な西洋紫陽花とは違い、小さな星がきらめくように咲くヒチダンカは、
ことなく気品のある清楚な佇まいをみせる。気にいっている花の一つだ。

「ヒチダンカ(七段花)は、1950年代に発見されるまで、幻の紫陽花と呼ばれていた。
ドイツ人医師シーボルトが著した「FLORA JAPONICA: 日本植物誌」の中に、他の17種類のあじさいと共に紹介されていたが、
実物の所在がわからなかった。 ところが、約130年後の昭和34年に神戸市立六甲山小学校の職員が、
六甲ケーブルの沿線で発見し採取した。
その後、ヒチダンカは神戸市立森林植物園などでさし木にされて増やされ、各地で植えられるようになった。」

現在、発見された株から挿し木によって増やされた苗が全国各地に広がり、今では幻ではなくなってしまったようだ。
















写真の駅」の紫陽花の項を拝見すると、華やかな西洋紫陽花に混じってヒチダンカを取上げている写真家も多い事に気付いた。
好みの対象が多様化しつつあるのかな。



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須磨離宮公園 ー 春のローズ・フェスティバル

2012-06-08 06:36:39 | 
少し遅いかなとも思いながら、6月5日、須磨離宮公園のローズ・フェスティバルを見に行った。

昨年は5月21日に出かけたが、土曜と言う事もあって近くの女子大生も参加したイベントや外国カメラマンによる撮影会も開催されて賑やかだった。
しかも快晴、少し暑かったが薔薇の香りの強烈なイメージが残っている。

今年は訪問時期が少し悪かったかもしれない。
一番花が散り始めて選定が始まった時期にぶつかってしまったようだ。二番花が咲くのは、まだ先のようで蕾もあまり見えない。
離宮公園の案内には6月中旬まで薔薇イベントが計画されていたので、まだ大丈夫と思っていたのだが、昨年の記憶との落差があるのは否めない。

それでも、公園内に入ると、同好会の集まりだと思うがハーモニカ合同練習会や写生会に参加している人も多かった。
土日に比べ比較的落ち着いて薔薇見物できたので、じっくりと気にいった薔薇を撮ってきた。
曇り空だったこともあってか、薔薇の良いところを引き出せずじまいだったのが残念。










































***********************************



「テイカカズラ」・・・だと思う。
離宮公園噴水周りの薔薇見物からの帰り道、デカイ石灯籠のそばで、大木に絡まった「テイカカズラ」の花が満開。
花は白から黄色味、直径3cmほどでスクリューのように捻じれて咲いて、辺り一面甘い香りが漂っていた。



2011年の状況:
「春の離宮公園 ローズフェスティバル (その1)」
「春の離宮公園 ローズフェスティバル (その2)」 
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2枚の写真

2012-06-06 06:50:05 | 二輪事業

★先日のfacebookに、和田 将宏さんが投稿していた一枚の写真がこれ。
 「'70年 23・24才の写真だよ~
  125ccと混合レースで総合2位だったよ~ タイムの記録は??
  ツナギはまだ黒一色  おわん型ヘルメットにゴーグル。担当して頂いたメカニックは的野さんで~す 」

和田 将宏さんの隣で、キャブのPSかID調整(多分)している#2ゼッケンがカワサキの的野さん。

          

★もう一枚は、元カワサキワークライダーの立脇選手の facebook にあった、FB仲間の堀内雅史さんが投稿したとある写真。

  USモトクロスワークスチームの日本テスト時の写真と思うが、K.ハワートン(上段の金髪)、J.ワード(下段中央で帽子)、上段左端が立脇選手。
  下段の女性とワードの間がカワサキモトクロスの的野さんでテストの纏め役。
      

両方に写っている「的野さん」。
モトクロスを担当する前はロード担当だとは知らなかったのだが、ある時、「的野さんは鈴鹿サーキットのタイム記録保持者」と教えてもらった。
だからロードレースに縁が深い事は当たり前のことだが、モトクロス担当の印象が強い。

モトクロスの車体実験責任者でサス担当でもあった。
カワサキKXのサスペンションが市場から長く好評価を受け続けていたのは、的野グループの功績がある。
「ユニトラックを装備したワークスマシンが実戦に投入されると、一大センセーションを巻き起こし、'80年代初頭から始まるKXシリーズ台頭の急先鋒となった。
 量産車としては'80年に量産KXに適用されて以来、'86年には、今日の原型となるボトムリンク式のユニトラックがデビューし、
 リンク方式を改良しながら現行タイプへと進化していった」 とは「kawasaki DIRT CHRONICLES」の一節だが、この中心にいたのが的野さん。

’80年代以降、エンジンの開発とサスペンションを中心とする車体開発の融合がKXのプログレッシブ改良の両輪だった。
日本のサス担当と米国開発担当ライダーだった、M.プレストンやM.フィッシャー達が量産移行手前まで仕様決定のテストを執念深く繰り返した。
結果、雑誌社の好評価も相まって、KXの販売台数も飛躍的に伸びた時代。

「エンジンのトラクションをRサスで叩き出す」、エンジン性能をサスペンションが引き出す事も多く、開発組織が上手く回転していた。
勿論、KXのエンジンは時代に先駆けた新機構を順次採用し高い評価を受けていたが、同時にサスペンションも市場から高い評価を得ていた。
カワサキは、的野さんを中心にサスペンション専門家を育成し確保していたので、サスペンション仕様を生産会社に一任することは一切なく、
カワサキの固有技術としてサス開発技術を開発部内に蓄積出来ていた。

ある時、サス専門会社の新事業部長が挨拶に各社を訪問され、意見を聞かれることがあった。
他の二輪メーカーはサス担当会社への要求事項を多く出したらしいが、カワサキはしなかった。
理由は簡単。そのメーカーを高く評価していたから、そのままの意見を述べただけ。
当時は、サスペンション、電装、気化器等の主部品メーカーを取り込んだ、「チームカワサキ」を構成していた。
「チームカワサキ」がレース体制支援から量産に至る開発を共同分担していたので、互いのコミュニケーションも上手く機能していた。
つまり、チームカワサキに対してのロイヤリティが極めて高かった時代だった。


当時、カワサキモトクロス最大の競争相手はホンダだが、部品メーカーも同様にホンダ系列企業と熾烈な競争に晒されていたので、互いの利害が一致したこともあって、
サーキットでもカワサキのレースジャケットを着用し、チームカワサキの一員として、カワサキを勝たせるための競争だった。
だから、新規技術はカワサキチームに持ちこまれレースに供与され、他社が使いたくとも2、3年待たされた事もあったと聞く。


ある時、サスの競合メーカーからの全面的支援体制の申し入れがあったが、的野さん等の回答はNO。
理由は簡単で、「カワサキの競争相手と組んでいる部品メーカとは組まない」と非常にシンプルな理由だった。
レースや量産開発という目的を通じて、強い信頼関係を築いていた。
勿論、コスト意識も互いに共通認識があったのでやり易かった事も事実。


遠い昔の話なので今では冗談まがいに話せるが、当時は勝つために必死だった。
どのような体制にしたら、勝てるかを真剣に考えていた。


ところで、的野さんは堅実なゴルフをされるのでスコアも纏まり感心するほど上手いのだが、それは仕事への打ち込みと良く似ている。
性格は変わらないのだ。

     



★話は変るが、上記写真にある、スズキから移籍してきたK.ハワートンからも貴重な意見を得ることができた。
 K.ハワートンの仕事は当時のUSワークスライダーの指導とマシン開発へのアドバイスが主契約だったと思う。
 ある時を境に、特に大きな仕様変更もしていないのに、日本に伝わってくるのはマシンの悪い面ばかりが強調されてくる。
 不思議に思っていたが、ハワートンがテスト来日した際に理由が判明した。

 ハワートンの答えはこうだ。
 「KXマシンは何も基本的に悪い事はないし、他社と十分な競合力がある」「あえて挙げる改良点はこれだけ・・・」と非常に明快。
 その旨を伝えたFAXが在るはず(後から出てきたが)とのこと。

 互いに目を見て面談するコミュニケーションの重要さを認識した。正しい事実を正しく伝達し組織の風通しを改善させるかの重要性の再認識。
 常に情報の共有化を優先した行動を取った米軍に比べ、そこに蔓延する空気だけを優先した旧日本軍のような組織、その差異が勝つための阻害点だった事を、
 ハワートンの来日が気付かせてくれた。ウソのような話であるが、時として陥り易い要素でもある。


★面白い時代であったことは確かだと思うし、良い時代を過ごさせてもらった事を二枚の写真から思い出した。 
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庭の花 (5月編)

2012-06-04 06:10:20 | 
庭の花。
5月に庭に咲いていた花を撮った。
殆どが宿根だから暖かくなると勝手に芽が出て花を咲かすものばかり。
庭の隅っことかの定位置(つまり、邪魔にならない場所)に収まっている。

昨年咲いて、今年咲かなかった花は「スズラン」と「クレマチス」のふたつ。
ちゃんと葉を付けて成長するのだが、肝心の花を付けなかった。
スズランの定位置近くに、薔薇を移植した際、踏んづけて成長を邪魔したのかな。













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球磨地方のツクシイバラ

2012-06-02 06:26:01 | 
人吉から「ツクシイバラ」の便りが舞い込んだ。
女房の里、熊本人吉の錦町球磨川沿いでは、現在、ツクシイバラが満開だそうだ。

錦町の球磨川河川敷などに群生しているバラの原種「ツクシイバラ」は保全種に指定され採取はできないとのことだが、
子供の頃は、球磨川河畔がピンクに染まり、辺り一面は甘いバラの香りに包まれて、気にすることなく取っていたそうだ。

人吉新聞のネット記事(5/29):
「ツクシイバラは、5月下旬から6月上旬にかけて、薄いピンクのかれんな花を咲かせる野生種のバラ。「北のハナマス 南のツクシイバラ」と称され、
 人類の遺産として後世に伝えるべきバラ(ヘリテージローズ)の一つに認定されている。
 世界バラ会連合の行事の一環として、3年に1回のペースで世界各地で開かれる同会議は、日本では昨年開催予定だったが、東日本大震災の影響で順延となっていた。
 ツクシイバラは、同会議のポスターに採用され、研究家たちは日本の魅力あふれるバラを一目見ようと自生地の視察を決めた。
 アメリカやカナダ、オーストラリアなど5カ国の研究家一行は、ツアー客と共に同日午前中に鹿児島空港に到着。そのまま郡市入りし、自生地を視察。
 研究家たちはバスから降りるとすぐにツクシイバラが咲く株に向かい、匂いをかいだり写真を撮るなどして興味深く観察していた。」

                            (錦町HPよりの写真)









「ツクシイバラの会」のネット情報によると、
 「ツクシイバラはツクシサクラバラともいわれ、野生種の野バラです。普通のノイバラと比較してみるといくつかの違いがあります。
  まず、花が大輪です。ノイバラの花は径2~3cmですが、ツクシイバラは径3~4cmもあります。
  また、花柄に著しい腺毛があるのが特徴です。色についてあげれば、ノイバラはふつう白一色ですが、
  ツクシイバラは何色もあり、濃いピンク、薄いピンク、白など「花変わり」を楽しめます。」


また、球磨焼酎と人吉の温泉水に、ツクシイバラの香りの成分を分析し再現して造ったリキュール酒が開発されたり、
球磨川河川敷内のツクシイバラの群生を見ながらのサイクリングや野外コンサート等も開催されたとある。

真竹の筍取りも真っ最中、これから、岩魚釣り、鮎釣りとたのしい季節が球磨川や近くの川辺川に訪れる。


 
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