「ハリウッド版 ゴジラ」
まさしくゴジラであった。どの角度から見ても我々が親しんだゴジラの顔、姿が出てきた。
怪獣ムートーとの怪獣大決戦で盛り上がり、人類を救って傷つき倒れたゴジラは再び立ち上がり静かに海に潜り去っていく。ゴジラがうす青白い放射熱線を吐き怪獣ムートーをやっつける場面やムートーを前に咆哮する場面、このシーンはワクワクするほど興奮物だった。面白い映画を久し振りに観た。
あらすじは特に演出に凝た場面もなく、至ってシンプル。放射能を食らう怪獣ムートーが日本や米国の都市を破壊しつづける。核エネルギーを喰って成長する怪獣ムートーは日本で核エネルギーを吸収すると、もう一匹いる雌のムートーを求めて米国へ。そこへゴジラが登場する。3匹の怪獣を当時に殺してしまおうと米軍は画策するが、怪獣ムートーを退治できるのはゴジラだけと日本人研究者は言う。米軍は3匹を攻撃するが殺せない。 そうこうしている間に、ゴジラは咆哮しながら2匹のムートーと戦い、苦戦しながらも最後はゴジラの口から放射熱線を浴びせて怪獣ムートーを殺し、また悲しそうな咆哮を吐く。と同時に疲れ果て傷ついたゴジラも倒れる。死んだかと思われたゴジラはやおら立ち上がり、海に向かい、ただただ静かに去っていく。
この映画では、ビキニ沖の水爆実験は、実はゴジラを殺すために米軍が当時使用した兵器だと設定してある。しかし水爆でもゴジラは殺せなかった。で、主役はゴジラかと思っていると、そうではなく怪獣ムートーが映画の主役のように暴れまくり、都市を破壊しまくる。日本の研究所機関がひた隠した存在は、放射能汚染と関係があるかもしれないゴジラではないかとの思わせぶりだったが、そうではなかった。研究機関がひた隠しした、その怪獣は核をエネルギーとするムートーで、もう一匹いるムートーを呼びせるために電波信号を発信していた。
「ゴジラの巨大さが出ていたシーン」
で、ゴジラはその存在も能力も全く説明がないまま、昔の核実験はゴジラを殺害するための手段だったと言う説明意外に、ゴジラと放射能との関係は全くない。核エネルギーを吸収する怪獣ムートーが出現すると、無条件に戦うために登場したのがゴジラ。なんのためにゴジラが突然出現したのか理解できないまま、ゴジラと2匹のムートーが戦い始め都市が破壊される。巨大怪獣の出現を阻止し、地球上の覇者は自分だと誇示するためだけにゴジラは出現し、ゴジラには何の思想背景もないように見えた。
と言うのは、6日の神戸新聞社説に、「ゴジラ60年が問いかけるもの」として、「ハリウッドのゴジラは核の脅威に対する人類への警笛を受け継いでいる」とか「海底で眠っていた恐竜が水爆実験よって目覚め、日本を奪う。口から吐く放射熱線で破壊され、焼け野原となった東京を人々が逃げ惑うシーン、 平和と原水爆反対のメッセージが明確に示された作品だ。所謂反核運動を訴えたもの」とか「ゴジラが生まれた1954年に自衛隊が発足し、ゴジラから得られた 教訓とは「逆コース」を歩んでいる」と解説があった。・・・ えっ 何のこと?と思った。この社説とハリウッドのゴジラの関係を暫く考えてみたが、どんな関係があるのだろうか。社説の意味するところを全く理解できなかった。数億年前から(化石として発見)怪獣ムートーは存在し、人間が原子力を利用するはるか以前の恐竜時代から核エネルギーを吸収して生きていた。それがフィリピンの山奥から突然目覚め核エネルギーを求め、日本や米国を彷徨う。すると何のために出てきたのかゴジラが突然出現し、怪獣ムートーと戦う。ゴジラは苦戦しながらもやっと勝ち、歓喜する人間達をしり目に再び海に戻るゴジラ。ゴジラは放射能とは全く関係なく、突然現われて結果的に人類を助ける。
ただそれだけの映画だったように思えたのだが。
まさしくゴジラであった。どの角度から見ても我々が親しんだゴジラの顔、姿が出てきた。
怪獣ムートーとの怪獣大決戦で盛り上がり、人類を救って傷つき倒れたゴジラは再び立ち上がり静かに海に潜り去っていく。ゴジラがうす青白い放射熱線を吐き怪獣ムートーをやっつける場面やムートーを前に咆哮する場面、このシーンはワクワクするほど興奮物だった。面白い映画を久し振りに観た。
あらすじは特に演出に凝た場面もなく、至ってシンプル。放射能を食らう怪獣ムートーが日本や米国の都市を破壊しつづける。核エネルギーを喰って成長する怪獣ムートーは日本で核エネルギーを吸収すると、もう一匹いる雌のムートーを求めて米国へ。そこへゴジラが登場する。3匹の怪獣を当時に殺してしまおうと米軍は画策するが、怪獣ムートーを退治できるのはゴジラだけと日本人研究者は言う。米軍は3匹を攻撃するが殺せない。 そうこうしている間に、ゴジラは咆哮しながら2匹のムートーと戦い、苦戦しながらも最後はゴジラの口から放射熱線を浴びせて怪獣ムートーを殺し、また悲しそうな咆哮を吐く。と同時に疲れ果て傷ついたゴジラも倒れる。死んだかと思われたゴジラはやおら立ち上がり、海に向かい、ただただ静かに去っていく。
この映画では、ビキニ沖の水爆実験は、実はゴジラを殺すために米軍が当時使用した兵器だと設定してある。しかし水爆でもゴジラは殺せなかった。で、主役はゴジラかと思っていると、そうではなく怪獣ムートーが映画の主役のように暴れまくり、都市を破壊しまくる。日本の研究所機関がひた隠した存在は、放射能汚染と関係があるかもしれないゴジラではないかとの思わせぶりだったが、そうではなかった。研究機関がひた隠しした、その怪獣は核をエネルギーとするムートーで、もう一匹いるムートーを呼びせるために電波信号を発信していた。
「ゴジラの巨大さが出ていたシーン」
で、ゴジラはその存在も能力も全く説明がないまま、昔の核実験はゴジラを殺害するための手段だったと言う説明意外に、ゴジラと放射能との関係は全くない。核エネルギーを吸収する怪獣ムートーが出現すると、無条件に戦うために登場したのがゴジラ。なんのためにゴジラが突然出現したのか理解できないまま、ゴジラと2匹のムートーが戦い始め都市が破壊される。巨大怪獣の出現を阻止し、地球上の覇者は自分だと誇示するためだけにゴジラは出現し、ゴジラには何の思想背景もないように見えた。
と言うのは、6日の神戸新聞社説に、「ゴジラ60年が問いかけるもの」として、「ハリウッドのゴジラは核の脅威に対する人類への警笛を受け継いでいる」とか「海底で眠っていた恐竜が水爆実験よって目覚め、日本を奪う。口から吐く放射熱線で破壊され、焼け野原となった東京を人々が逃げ惑うシーン、 平和と原水爆反対のメッセージが明確に示された作品だ。所謂反核運動を訴えたもの」とか「ゴジラが生まれた1954年に自衛隊が発足し、ゴジラから得られた 教訓とは「逆コース」を歩んでいる」と解説があった。・・・ えっ 何のこと?と思った。この社説とハリウッドのゴジラの関係を暫く考えてみたが、どんな関係があるのだろうか。社説の意味するところを全く理解できなかった。数億年前から(化石として発見)怪獣ムートーは存在し、人間が原子力を利用するはるか以前の恐竜時代から核エネルギーを吸収して生きていた。それがフィリピンの山奥から突然目覚め核エネルギーを求め、日本や米国を彷徨う。すると何のために出てきたのかゴジラが突然出現し、怪獣ムートーと戦う。ゴジラは苦戦しながらもやっと勝ち、歓喜する人間達をしり目に再び海に戻るゴジラ。ゴジラは放射能とは全く関係なく、突然現われて結果的に人類を助ける。
ただそれだけの映画だったように思えたのだが。