野々池周辺散策

野々池貯水池周辺をウォーキングしながら気がついた事や思い出した事柄をメモします。

へぇー!、そうだったのか

2014-10-25 07:04:30 | その他
     「LED 光の三原色」

今年のノーベル物理学賞は日本人3名、天野浩名古屋大教授、赤崎勇名城大教授、米カリフォルニア大中村修二教授の3氏が受領することになった。
赤崎教授と天野教授は名古屋大の師弟コンビでもあり、名大の研究実績評価がかなり高くなっていると報道がある一方、
アメリカ国籍を取得しアメリカ在住の中村教授の評価や話題は、今一つ良い捉え方に報道されていないように聞こえてくる。
しかも中村教授のノーベル賞記者会見で、口を酸っぱくして日本企業や裁判制の悪口に終始していたとの報道もあり、総じて日本では芳しくない。

中村教授と言えば、彼が徳島県に拠点を置く日亜化学の研究員として働いたときの功績に対する報酬、金銭的不満を裁判で争った事案が有名だが、
当時、この裁判を新聞紙上で読んで何となく府に落ちないものがあった。
青色LED量産化の成果報酬をめぐる、会社側と中村氏との争いは「404特許」として知られ、地裁は中村氏の貢献度を50%として発明の相当対価を604億円と認定し、
日亜化学に対し約200億円の支払いを命じる判決を下した。 結局8億円で和解することになった有名な特許裁判だ。
企業の一従業員である、研究者の成果報酬を50%とすると、今後、企業は研究開発による利益の50%を社員に取られる事を考慮しておく必要となる。
こんな事がまかり通るのであれば、成果が出るまでの確率と投資額を考慮すると、どの企業も新規の研究に躊躇するのではないかと、当時思っていた。
企業は企業ニーズで研究に資金を出し、しかも多くの失敗の犠牲の上に成り立った成果に、研究者に対し貢献度の50%を与えるべし、と言うのは正解だろうか。
しかも、色々読んでいると、日亜化学の青色LEDの成果は、どうも中村研究員一人だけの成果ではなさそうだともあるから、疑問が残る。

特許権は会社に帰属するのが一般的で、中村研究員の貢献度を2万円か8億円かは会社の裁量によるはずで、思い通りの成果報酬を得たいのであれば、
ベンチャービジネスとして起業すれば良い話。 企業ニーズで出した資金で、成功が約束されていない研究に、成功したから50%を貰う権利があるとする
地裁の判断には一瞬戸惑ってしまう。
よく引き合いに出される米国ベンチャー企業では、発明に関する権利は専ら会社に帰属し、発明者に対価など払らわないとされている。

404特許が話題となっていた当時から、青色LEDと日亜化学そして中村研究員の話は知っていたので、今回のノーベル物理学賞には正直ビックリした。
で、普通、ノーベル賞と言えば、受賞者は幼年期からを含め称賛されて報道されるのが一般的だが、今回の一部受賞者については批判的な意見が多いようだ。
例えば、下記のようなブログコメントを読むと、なおさら「へぇー!、そうだったのか」と思ってしまった。

★「日本人3人のノーベル物理学賞、シカゴじゃシラけているぜ! 」:米国在住の日本人研究者の意見。
「カリフォルニアでのN氏の受賞会見・・・彼が下手な英語で勤めていた会社が発明特許を独占したことや、莫大な利益を会社にもたらした自分の発明に数万円の報奨金だけしか
 貰っていない不公平さを興奮しなから話していた。それに彼が渡米後にその会社から企業秘密漏えいの疑いで提訴されたこともAnger(怒り)という言葉を使って
 日本企業の酷さを身振り手振りで力説していた。 (略)
 私の同僚達は1000歩譲って、彼の話しが本当だとしても、ノーベル賞受賞のキッカケになる研究の機会を与えてくれた日本企業に対するAnger(怒り/恨み)が研究のエネルギーになっているなど
 と言う、ふざけた内容を世界中の人々が観ているノーベル賞の受賞会見で発言するのはノーベル賞受賞者を汚すような品格のない行為であると皆は口を揃えて言う。
 ノーベル賞を受賞するような科学者は人種を問わず、世界中の子供達が憧れるものであり、ああいう日本人を自分達の子供が真似したら将来にとんでもない世の中になってしまうと言うのだ。
 あんな恨みを人前で言うノーベル賞受賞者を今まで観たことがないと同僚達は言う」
「功績は青色発光ダイオードの原料である窒化ガリウムを量産化できる製造方法を開発したことであるが、
 それはN氏ではなく、彼の部下が発見・開発したものである。」・・・等など。

★「ノーベル賞を受賞した中村修二さんと日亜化学、いったいどちらの言い分が正しいのか?元日亜社員のつぶやき
「中村さんの「すべて自分でやった」という趣旨の主張には多くの人が反論します。実際に青色LEDを実現するには無数の致命的な課題があったのですが、
 その解決策を提案し実現したのは中村さんの周りにいる若いエンジニア達でした。彼らが「こんなアイディアを試してみたい」というと、中村さんはきまって
 「そんなもん無理に決まっとる、アホか!」とケチョンケチョンに言い返したそうです。それでも実際にやってみると著しい効果があった。
 そういう結果を中村さんがデータだけ取って逐一論文にし、特許にし、すべて自分の成果にしてしまったんだ、と。」・・・等など。

★「ノーベル物理学賞・中村修二が日本の科学界から総スカン状態
「「そもそも中村氏は日亜化学に在籍中、アメリカのフロリダ大学に1年間社費で留学させてもらっています。当時のフロリダ大学には世界中から名だたる秀才が集まっていました。
 当時、中村氏はどの研究室でも相手にされませんでした。著書の中では『私は博士号を持っていないから研究者として見てもらえなかった』みたいなことを書いていますが、
 あちらは実力があればそういう差別はしません」」
「つまり当時は箸にも棒にもかからなかったということです。そんな発展途上の研究者を日亜化学は大切に育てたんです。そういったことはいっさい恩に感じない人なんです。
 こういう人間性が嫌われて日本の研究機関からは総スカンの状態です。同時受賞の赤崎教授もかなり嫌っているようですよ」・・・。
コメント
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