しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

紙芝居屋

2023年11月03日 | 失われた仕事

 

茂平の観音堂の前に、紙芝居のおじさんが来ていた。
料金は5円か10円だった。
お金をわたすと棒がついた飴玉をくれた。
それをねぶりなら、おじさんが話す紙芝居を見ていた。

見物人は10人前後で、繁盛している様子はなかった。
紙芝居は、物語の途中で終わり
「つづきは次に来たときに」
で終わりだった。

紙芝居のおじさんは、話し方がとても上手で、
特に顔の表情がおもしろかった。
紙芝居よりも、おじさんの顔を見ている方がおもしろかった。

紙芝居屋さんは特に興味もないし、見てみたい気もなかった。
たぶん、代金が安いので親が金をくれたのだろう。
興味がないと言うのは、
「紙芝居」は小学生が見るものではない、と自分では思っていた。
あれは、小学生になる前の園児や幼児が見るものと思っていた。
実際、保育園では先生(保母さん)のする紙芝居は大きな楽しみだった。
しかし、小学生になって紙芝居に縁はまったくなくなっていた、
どうして?なんで?
小学生が紙芝居を見るのだろう?
今になっても不思議な思いだ。

 

 

・・・

「失われゆく仕事の図鑑」  永井良和他 グラフィック社 2020年発行

紙芝居屋


紙芝居屋さんになるには、
まず自転車を用意する。
紙芝居協会というようなところから、絵と道具を借りる。
道具とは、
拍子木もしくは太鼓。
それから紙芝居用舞台。木製が多い。
それからお菓子の問屋さんでアメちゃんを用意する。
これでほぼ完成。

多くは数話でお話が成立する。
毎回同じ場所へやってきては、いいところで「次回へ」つなぐ。

先行投資の要らない紙芝居屋は、とっつきやすい商売だったという。

・・・


「昭和の仕事」  澤宮優 弦書房 2010年発行

紙芝居屋

紙芝居は、昭和5年から始まったという。
一人で出来るので、
テキヤの手にわたり、縁日、祭礼で子供相手に演じられるようになった。
街頭の紙芝居は昭和35年頃まであったが、
テレビにとって代わられ消滅の道を辿った。


・・・

 

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