しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

醤油屋さんの倉庫

2023年11月08日 | 無くなったもの(笠岡市)

場所・岡山県笠岡市吉田 
無くなった日・2023年11月初め
撮影日・2014.6.14 

 

「醤油屋さんの倉庫」と呼ばれていた倉庫が、今月突然のように消えていた。

すぐ前を旧・井笠鉄道が通り、その線路跡は現在県道笠岡・美星線となり、日常よく通っていた。

存在感のある倉庫だった。

 

 

「醤油屋さんの倉庫」は映画にも登場している。

大映映画「花の講道館」で、当時日本一の美人と言われた山本富士子が、汽車で東京へ旅立つ長谷川一夫を泣きながら見送る娘役だった。

 

この付近を山本富士子が歩き、

山本富士子と、「醤油屋さんの倉庫」と、蒸気機関車が映画に登場している。

 

 

吉田の名所がまた一つ消えた。

 

 

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デパートの屋上遊園地

2023年11月08日 | 失われた仕事

福山の天満屋が、木造から白い四階建ての近代ビルに替わり「スワン」と呼ばれた。
その屋上には福山駅からも、屋上に何か遊具のような、楽しそうな施設が見えていた。

しかし農村育ちの管理人にとっては、
遊具と言えば学校にあるブランコやギッタンバッタンしか知らなかったし、使ったこともなかった。
とても天満屋の屋上で遊ぶという発想も願いもなかった。

高校卒業の春、福山市の高校へ通う友と福山に遊びに行くと、
”いつも普通”といった感じで、天満屋の屋上に行った。
友は食堂に入り「オムライス」を注文した。
その時、自分も真似をして「オムライス」と言った。
それが生まれて初めて食べる「オムライス」だった。
食堂のガラス窓から、すぐ前にメリーゴーランドなどが見えていた。

・・・・

当時全国の百貨店の、ほぼすべてに屋上遊園地はあったと思える。
今は減って2023年10月現在、5店舗だそうだ。
現在屋上遊園地どころか、百貨店そのものが長い冬の時代が続いている。

 

・・・

「失われゆく仕事の図鑑」 永井良和 グラフィック社 2020年発行

屋上遊園

デパートの屋上に設置された娯楽空間は、
百貨店がそれまでの木造の建物から高層ビルに建て直された時に生まれた。
はじめは、
そこから眺めを楽しむことじたいが娯楽だった。
それ以前は、山や丘のような自然の高地に登るしかなかった。
百貨店は出入り自由、
入場料はとられない、屋上に行くのも自由、
楽しんで帰っても金はかからない。
大食堂で食事をしたりすれば、経営者の思うつぼ。
そこをねらって、
屋上には草花、遊具、観覧車、コースター、豆電車もあった。

・・・


「失われゆく娯楽の図鑑」  藤木TDC グラフィック社 2022年発行

屋上遊園地


昭和40年代、子どもたちはデパートで遊んだ。
ゴーカートに乗って遊びまくった場所は、今や跡形もなくなっている。

デパートに必ず存在し、
観覧車やゴンドラ、ゴーカート、ミニ電車などで大いに遊んだ。
百貨店の売り上げ減と、消防法改正で屋上の半分を避難場所にする、
ことなどで絶滅に拍車をかけた。

・・・

朝日新聞Web 2023.11.7

百貨店の「屋上遊園地」が各地で姿を消しつつある。朝日新聞の調べでは、
今も営業をしているのは、松坂屋高槻店、松坂屋名古屋店、大和香林坊店(金沢市)、いよてつ高島屋(松山市)、浜屋百貨店(長崎市)の五店舗。

・・・

 

 

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機関士

2023年11月08日 | 失われた仕事

城見小学生の時は、交通事故=踏切事故で、(つまり自動車事故はなかった。車がないので)
校長先生の校庭での全員朝礼でも、ほぼ毎回踏切注意を言っていたような気がする。

茂平の子どもは学校へ行くときと、帰るときと、最低でも二度踏切をわたる。
当然のことだが、踏切小屋も遮断機も信号も、何もない。
勿論のことだが、父兄や緑のおばさんのような大人の付き添いもない。
踏切に立っていると、巨大な機関車が轟音と蒸気と煙を吐いて通るのは怖いほどだった。
母もたまに「アメリカ屋の前の踏切を渡るのは気をつけにゃあいけん」と経験談を言っていた。

その怖い踏切では、機関車の機関手と機関助手が見えた。
凄いスピードで通り過ぎるが、近いので顔が見えた。
機関手も機関助手も顔から汗が噴き出ていた。
機関助手は、前と後ろに顔がピストンしていた。
後ろを向いてスコップに石炭を入れ、前を向いて釜に投げ入れる。絶え間なくの繰り返し。

機関車の人と話すことはないが、非常に身近な存在の職業だった。
山陽本線の大門駅~笠岡駅間の蒸気機関車は、中学2年生の頃に突然消滅した。
蒸気機関車からジーゼル車に変った。それから1年するかししないうちに電化された。

 

・・・


「失われゆく仕事の図鑑」  永井良和他 グラフィック社 2020年発行

ボイラーに石炭を投げ込む係を機関助士という。
そして蒸気の力でシリンダーを動かして車輪を回転させる。
蒸気の力をたくみにコントロールしながら機関車を操縦するのが機関士である。
機関士・機関助士はかなりの重労働だった。
ボイラーの高温と、シリンダーの振動という過酷な環境のなかで、
ひたすら蒸気のコントロールに神経を使い続けなければならない。

機関士は重い石炭をシャベルですくって火室内にまんべんなく投げ込む作業を何度も何度も繰り返す。
更に上司にあたる機関士から指導や叱責にも耐えなければならなかったという。

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「昭和の消えた仕事図鑑」  澤宮優  原書房 2016年発行

蒸気機関車(機関士・機関助士)

トンネル
命がけの走行
トンネルを通過するのに5分ほどかかることがある。
そのため密室状態の坑内で煤煙を吸い、
機関士・機関助士ともに意識を失う事故があった。
また亡くなった機関士の肺をみると、
煤煙を吸い過ぎて真っ黒になっていたというのもしばしばだった。

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