しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

機関士

2023年11月08日 | 失われた仕事

城見小学生の時は、交通事故=踏切事故で、(つまり自動車事故はなかった。車がないので)
校長先生の校庭での全員朝礼でも、ほぼ毎回踏切注意を言っていたような気がする。

茂平の子どもは学校へ行くときと、帰るときと、最低でも二度踏切をわたる。
当然のことだが、踏切小屋も遮断機も信号も、何もない。
勿論のことだが、父兄や緑のおばさんのような大人の付き添いもない。
踏切に立っていると、巨大な機関車が轟音と蒸気と煙を吐いて通るのは怖いほどだった。
母もたまに「アメリカ屋の前の踏切を渡るのは気をつけにゃあいけん」と経験談を言っていた。

その怖い踏切では、機関車の機関手と機関助手が見えた。
凄いスピードで通り過ぎるが、近いので顔が見えた。
機関手も機関助手も顔から汗が噴き出ていた。
機関助手は、前と後ろに顔がピストンしていた。
後ろを向いてスコップに石炭を入れ、前を向いて釜に投げ入れる。絶え間なくの繰り返し。

機関車の人と話すことはないが、非常に身近な存在の職業だった。
山陽本線の大門駅~笠岡駅間の蒸気機関車は、中学2年生の頃に突然消滅した。
蒸気機関車からジーゼル車に変った。それから1年するかししないうちに電化された。

 

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「失われゆく仕事の図鑑」  永井良和他 グラフィック社 2020年発行

ボイラーに石炭を投げ込む係を機関助士という。
そして蒸気の力でシリンダーを動かして車輪を回転させる。
蒸気の力をたくみにコントロールしながら機関車を操縦するのが機関士である。
機関士・機関助士はかなりの重労働だった。
ボイラーの高温と、シリンダーの振動という過酷な環境のなかで、
ひたすら蒸気のコントロールに神経を使い続けなければならない。

機関士は重い石炭をシャベルですくって火室内にまんべんなく投げ込む作業を何度も何度も繰り返す。
更に上司にあたる機関士から指導や叱責にも耐えなければならなかったという。

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「昭和の消えた仕事図鑑」  澤宮優  原書房 2016年発行

蒸気機関車(機関士・機関助士)

トンネル
命がけの走行
トンネルを通過するのに5分ほどかかることがある。
そのため密室状態の坑内で煤煙を吸い、
機関士・機関助士ともに意識を失う事故があった。
また亡くなった機関士の肺をみると、
煤煙を吸い過ぎて真っ黒になっていたというのもしばしばだった。

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1 コメント

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Unknown (れお)
2023-11-18 10:33:35
懐かしい

祖父が国鉄、保線区で、笠岡駅にも勤務していた様な
知り合いに笠岡駅の助役をしていた人もいました
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