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しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

「産めよ殖やせよ」の赤ちゃん

2014年12月17日 | 昭和16年~19年
「産めよ殖やせよ」は「生めよ増やせよ」と同じ意味だが、その主たる目的は“未来の兵士”の増強を目指していた。

昭和16年、
小学生は小国民と名を変え銃後に位置し、
さらにその後に予備・小国民として多産の人口政策が政府閣議で決定された。
10人以上産めば表彰された。


生れた赤ちゃんは食糧難と重なり、病気で死んでいった。
赤ちゃんが育つと、その時には日本に兵士は必要なかった。



(母の話)

裏のiさんの妹は半年もせんうちに死んだ。
それですぐ妹のmちゃんを産んだ。

sくんの妹は乳を貰いに来ていた。sくんがいつも連れて。
sくんの妹は一歳になるか、ならんかで死んだ。
おばさんは(長女ひろこを見る度に)「うちのも、ひろちゃんと同じおおきさになっとったのに。」と、ずっとようた。
浜のmちゃん方には(mちゃんのお祖母ちゃんが)車を引いて桑田まで押して連れて行きょうた。
が、死んでしもうた。
ひろ子の同級生はようけい死んだ。

(父の話)
医者へ連れていっても、ええ薬がなかったんじゃ。

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