しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

星島二郎

2024年02月11日 | 銅像の人

場所・岡山県倉敷市下津井吹上


星島二郎先生は岡山県内有数の大庄屋に生まれ、
東京帝大を卒業後法曹界はいり、その後政治家へ転じた。

戦前~戦中~戦後、およそ46年間衆議院議員を努めた。
その間、
昭和17年の”翼賛選挙”を非推薦で当選した。
昭和26年の”サンフランシス条約”で、日本の独立に立ち会った。
昭和33年に”衆議院議長”に就任した。
その風貌は”賢人”そのものだった。(風格ある顔写真の選挙ポスターが人気で、盗難するニュースもあった)

 

「ライシャワーの日本史」  エドウィン・O・ライシャワー 文芸春秋  1986年発行


1951年9月8日、平和条約がサンフランシスコで調印された。

48ヶ国が対日平和条約に署名したが、
日本に隣する二つの大国、中華人民共和国とソ連は、これに参加しなかった。
中国に次ぐ多数の人口をかかえるインドもまた、講和会議に欠席した。


平和条約によって、日本はこれらの地域の領土権をすべて放棄した。 
したがって平和条約は、日本の領土が本州、九州、四国、北海道の主要四島と、これに付属する島嶼に限られることを追認したことになる。
しかし平和条約は、どこの国の帰属とすべきか、それを特定しなかった。

また、いくつかの基本的な問題についても、明記しなかった。
たとえば賠償問題だが、 論議のないままに、あいまいな状態で残された。
朝鮮戦争が勃発してアメリカ地上軍の大部分が日本から朝鮮半島に移動した結果、
七万五千人の警察予備隊が創設された。
これはいわば、陸軍の卵のような性格のものであった。 

 

 

撮影日・2024.1.31

 

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