芭蕉は新潟県、富山県を歩き、やっと門弟の多い加賀百万石の城下町金沢に着いた。
届いた知らせは、楽しみにしていた一笑の訃報だった。
去年の冬に若死にしていた。
芭蕉は塚が動くほどに泣いた。
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「日本の古典11松尾芭蕉」 山本健吉 世界文化社 1975年発行
金沢には一笑を中心にして、蕉門のグループがまだ見ぬ師の来訪を首を長くして待っていた。
あまり芭蕉に心を寄せる者のいないみちのくや越路の長旅の後に、
そのような加賀衆に会うことは、芭蕉にとってもこの旅の楽しみの一つであった。
芭蕉が、いかに、一笑との対面を心に抱きながら、歳月を経てきたかがわかる。
一笑への愛情は数年にわたって持続され、昴まってきたもので、その金沢に折角たどりついてみれば、
もはや一笑は影も形もないのである。
この句にはその悲しみが激しく表出されている。
塚も鳴動してわが慟哭の声に応えよ、といっているのだ。
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旅の場所・石川県金沢市
旅の日・2015年3月10日
書名・奥の細道
原作者・松尾芭蕉
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「超訳芭蕉百句」 嵐山光三郎 筑摩書房 2022年発行
塚も動け我泣声は秋の風
金沢入りした芭蕉のもとへは前田家の息のかかった俳諧師が集まってきた。
さっそく竹雀 (旅館・宮竹屋)と一笑 (茶屋)へ連絡すると、一笑は七ヵ月前三十六歳で没していた。
じつのところ、芭蕉は事前に一笑が没したことを知らされていた。
金沢に寄ったのは一笑の追善が第一の目的だった。
芭蕉を迎えて、一笑の追善会が墓のある願念寺で催された。
江戸時代の連衆は追悼して大声をあげて泣く。
塚も鳴動して、私の慟哭の声は秋風となって吹きめぐる......。
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