しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

「奥の細道」一家に遊女もねたり萩と月  (新潟県市振)

2024年09月02日 | 旅と文学(奥の細道)

新潟県糸魚川の駅前から歩いて、通りを日本海に向かうと左手に北アルプスの北端が見えた。
北アルプスは急角度で日本海に飛び込むように終了する。
その崖下が「親知らず」「子知らず」「犬戻り」「駒返し」で、白波が狭い渚を洗っている。
すごい光景だ。


越後と越中の国境、市振の町には糸魚川駅から市振駅まで鉄道(旧北陸本線)で行った。
トンネルの合間から何度もチラリと日本海が見える。
その海岸線の「恐怖」を車窓からもじゅうぶん感じられた。


市振駅から芭蕉や遊女が泊った町に向かって歩いていると、
交通が発達した現代でさえ、遠いところに来たなあと思った。

 

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「日本の古典11松尾芭蕉」 山本健吉 世界文化社 1975年発行

市振(いちぶり)

今日は親不知・子不知・犬戻り・駒越しなどという北国一の難所を越えて疲れたので、
枕を引き寄せて早く寝ると、 一間隔てて表の部屋に、二人ばかりらしい若い女の声が聞えてくる。
年老いた男の声も交って物語するのを聞いていると、二人の女は越後の国新潟というところの遊女であった。
伊勢参宮をしようとして、この関まで男が送って来て、明日は男を故郷へかえすので、返す文をしたため、
とりとめない伝言などをもしてやるところであった。

翌朝出立のとき、われわれに向って、「行方も分らぬ旅路の憂さ、あまり不安で悲しうございますので、
見えがくれにも御跡を慕って参りたいと存じます。
坊さまのお情で、広大な慈悲心をお恵み下さって、
どうか私どもにも仏道に入る縁を結ばせて下さいませ」と言って、油を落した。 
「お気の毒とは存ずるが、われわれは所々で滞在することが多い。
ただ人の行く方向に向って行きなされ。神様の加護でかならず無事に着けましょうぞ」
と言い捨てて立ち出でたが、あわれさの気持がしばらくは止まないのであった。

一家に遊女も寝たり萩と月

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旅の場所・新潟県糸魚川市青海町市振
旅の日・2020年1月29日   
書名・奥の細道
原作者・松尾芭蕉

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「奥の細道の旅」 講談社 1989年発行

今日は親しらず子しらず・犬もどり・駒返しなど云ふ北国一の難所を越えてつかれ侍れば、
枕引きよせて寐たるに、一間隔てて面の方に、若き女の声二人ばかりときこゆ。
年老いたるおのこの声も交り物語するをきけば、
越後の国新潟と云ふ所の成りし、伊勢参宮するとて、此の関までおのこの送りて、
あすは古郷にかへす文したためて、はかなき言伝などしやる也。

「白浪のよする汀に身をはふらかし、あまのこの世をあさましう下りて、定めなき契、
日々の業因、いかにつたなし」と、物云ふをきく寐入りて、あした旅立つに、我にむかひて、
「行衛しらぬ旅路のうさ、あまり覚束なう悲しく侍れば、見えがくれにも御跡をしたひ侍らん。
衣の上の御情に、大慈のめぐみをたれて結縁せさえ給え」と泪を落す。
不便の事には侍れども、
「我々は所々所にてとまる方おほし。
只人の行くにまかせて行くべし。
神明の加護かならず恙がなかるべし」と云捨てて出でつつ、哀さしばらくやまざりけらし。

一家に遊女もねたり萩と月

曽良にかたれば、書きとどめ侍る。

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(桔梗屋跡)

 

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「超訳芭蕉百句」 嵐山光三郎  筑摩書房 2022年発行

 

一家に遊女もねたり萩と月

芭蕉が市振の宿に泊まると、隣の部屋に二人連れの遊女がいた。
伊勢参りをするため、 新潟からきた遊女であった。
翌朝、遊女から「見え隠れしながら後をついて行きたい」と涙を流して頼まれた。
しかし、「われらは風まかせの旅である」と断り、「神様のご加護で無事に行けるだろう」とはげました。

同じ旅の宿に遊女と泊まりあわせると、庭さきに萩が咲き、月光がさしていた。
ここで読者は、「やや! 遊女が出てきた」とガゼン目をみはることになる。
『ほそ道』には、いくつもの仕掛けがあり、
前半の日光に対して後半の月光(月山)、
松島に対して象潟、という陰陽の対比がある。
『ほそ道』の前半に「かさねという名の少女」が出てくる。
那須の黒羽で「かさね」という少女に会った。聞きなれない名であるが、
撫子の花弁をかさねといった。
那須では撫子、市振では萩の花。

萩の花を遊女にみたて、月光を世捨て人である自分に見たて、
芭蕉が遊女たちと泊まりあわせているが「萩と月」なのだ。
寂しい町であっても、色っぽいつやが漂い、これもフィクションである。

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「奥の細道」の解説書には、例外がないほどに、
この遊女たちとの一夜は作り話であると書かれている。
その解説は必要があるのだろうか?

紀行文「奥の細道」は江戸を発つときからして、
”鳥啼 魚の目は泪”とありもしないことを書いている。
道中で人との出会いを場所や時間を入りまぜ、脚色した話があっていいし、
それでこそ名作と思う。

多くの芭蕉学者が、「ウソの話です」とわざわざなぜ言うのだろう?

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コメント
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