しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

「奥の細道」わせの香や分入右は有磯海  (富山県那古の浦)

2024年09月04日 | 旅と文学(奥の細道)

市振を発った芭蕉は加賀百万石の城下町金沢に向かった。
越中の黒部川、庄川、小部川を渡ると加賀が近くなった。
そこに、万葉集の歌枕”有磯海”がある。
源義経一行の、雨宿り伝説の残る「有磯海」を訪れた。

 

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旅の場所・富山県雨晴海岸    
旅の日・2015年8月1日                 
書名・奥の細道
原作者・松尾芭蕉

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「奥の細道の旅」 講談社 1989年発行

わせの香や分入右は有磯海


歌枕担籠は『万葉集』以来藤の花の名所であるから、
藤の花咲く「春ならずとも初秋の哀とふべきものを」と執心を燃やした芭蕉であるが、
結局は諦めざるを得なかった。 
その心残りを託したのがこの一句で、七月十 四日(陽暦八月二十八日)のことである。
今や加賀の国にはいろうとしているが、この黄金の穂波の遥か彼方には行くことを断念した有磯海が 青々と広がり、白波が打ち寄せていることだろう、の意。

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「超訳芭蕉百句」 嵐山光三郎  筑摩書房 2022年発行

わせの香や分入右は有磯海 

富山県高岡から広い早稲田の平香がする岸に分け入り、倶利伽羅峠をめざした。
峠から右手を見ると、はるか彼方に有磯海が望見された。
高岡から倶利伽羅峠へむかう海岸を雨晴海岸という。
海峡ごしに雪の立山が連なって見える。
雲に海の色が反射し、青い影となっている。この海が有磯海だ。
佐渡の荒海とはちがって、おだやかな海である。
その有磯海へむかう高揚感があふれている。
日本海は芭蕉の目前で、その様相をさまざまに変化させて、それにつられて芭蕉の心も揺れ動く。
曾良は「翁、気色勝らず 暑さ極めて甚だし」(『旅日記』)と書いている。
あんまり暑いので芭蕉さんの体調はすぐれない。
この日の行程は九里半(三八キロ)であった。
金沢はもう目の前である。
ここまできたら、さきを急ごうと腹をきめて、旧北国街道を南下し 倶利伽羅峠を越えた。 
標高二七七メートルの倶利伽羅峠は源平合戦の古戦場で、木曾義仲が平家の大軍を破ったところである。
芭蕉は義仲が好きで墓は故郷の伊賀上野でなく大津の義仲寺にある。

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