しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

陸軍桟橋(宇品港)

2021年02月16日 | 「戦争遺跡」を訪ねる

場所・広島県広島市南区宇品海岸
訪問日・2016年11月2日   
 

宇品港。







港にある凱旋記念碑。

ここから外地へ出兵し、凱旋帰国をする。

「宇品凱旋館建設記念碑」。








宇品線。
明治から終戦まで、ほぼ軍用の路線。戦後は旅客、その後廃線した。








「陸軍桟橋」
ここから輸送船に乗って外地へ出発。



父も昭和13年、宇品から出兵し、14年末に宇品へ帰国した。
父の足跡も残る桟橋。

 

 

陸軍桟橋記念歌碑
1998年(平成十年)十二月

石積の突堤が沖に向かっていた。
広島市民はそれを陸軍桟橋と呼んだ。
そうして日清戦争から太平洋戦争にかけて、
兵らはその突堤から沖に待つ輸送船に乗り移り、
遠い大陸と島の戦場に送り出されるのが例となっていた。
彼らの多くが戦死し、再びこの突堤には戻らなかった。
わたしたちは平和のために、
ここに陸軍桟橋があったことの記憶を受け継がなければならない。
・・・


「広島県の歴史」 岸田裕史著 山川出版社 2012年発行

昭和6年(1931)9月、満州事変がおこり、以後15年にわたる戦争の発端となった。
11月広島の宇品は増援軍の乗船場として利用され、
12月には第5師団の一部が天津・北平(北京)方面の警備に出動した。
この時、第41聯隊(福山)は、市民が提灯行列で門出を祝った。宇品港出発に際しては、
1.000隻の船が歓送し、宇品付近には13万人の人出がみられた。
こうした、宇品港・広島駅での歓送迎は、事変後から翌年10月まで462回にも達している。






暁橋(めがね橋)。
橋の名称は陸軍暁部隊が建設したことから。





そらも みなとも よははれて
つきに かずます ふねのかげ
はしけの かよい にぎやかに
よせくる なみも こがねなり

童謡「みなと」は、めがね橋から見た宇品を歌っているそうだ。
橋は戦後、観光地の元宇品と本土を繋いでいる。



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