しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

常磐ハワイアンセンターで、桜田淳子ショーを見ていたら

2020年05月23日 | 昭和51年~64年
常磐ハワイアンセンターで、桜田淳子ショーを見ていたら

常磐ハワイアンセンターは大きな温泉施設で、毎日がレジャー客で人気があった。
管理人も会員になっていて、(年会費を払えば何度でも入れた)
家族でよく行っていた。

常磐ハワイアンセンターには芸能ショーがあり、一流の歌手も出演していた。
ある日、当時人気・・・今でも一定の年齢層に人気・・の桜田淳子ショーがあった。

会場に行くと、いつもと違って超満員。
立ち見でショーを見ることになった。
その時、妻と2歳の長女の三人だった。

ステージに現れた桜田淳子はかわいいステージ衣装で、踊って歌った。
残念ながら後方で見ているので、お顔までははっきりと見えなかった。
歌とおしゃべりのショーだったが、
話す内容が子供向けで、おしゃべりは物足りなかった。

長女は大人の脚しか見えないので、可愛そうで肩車にした。
最初はステージを見て反応がよかったが、
いつの間にか動く様子が無くなった。
妻に言うと、
「寝ている!」
管理人の頭を枕にして、べったりの姿勢で寝ていた。


人気スター桜田淳子は、結婚が原因で芸能界から消えてしまった。
原因はどうあれ出なくなったので、いつまでも若くて可愛いままのイメージが残っている。


・・・・・・


特急ひたちで、往年の大歌手・霧島昇と付人を見た


東京への出張は特急ひたちで往復していた。
出張手当はグリーン車が出ていた。
復路のみグリーン車に乗って、往路のグリーン料金をこずかい銭にしていた。

ある時の出張帰り、上野駅午後6:00発のひたちグリーン車に乗ると,霧島昇がいた。
霧島以上に年配と見える男性の付き人が相席していた。
そのグリーン車には、いつものように、合わせても5~6人程度の乗客だった。

しかも管理人の一列前の隣列だったので、二人の様子と会話がよく見え、よく聞こえた。

列車は水戸駅を過ぎた。
水戸駅を過ぎると乗客の乗り降りは、降りるだけになっていく。
つまり車内はいっそう静かになり、自分が降りる駅に着くのを待つだけの状態となってゆく。
その時に、
霧島昇は突然言った、
「駅弁がほしい」。
その瞬間、
付き人は席を立ち、前方に向かって走り出した。
そして次に、そのまま後方に走り去った。
・・・・・そして霧島の席まで戻り、なにやら言った。
探したり当たったり努力したが、結局駅弁は買えなかったという報告であろう。
霧島は強い口調で、しかるようで、納得をした。


普通であれば、時間的に無理かなと思うであろう。
しかし両者は本気モードで弁当を求めた。

両者が冷静に話していれば、管理人も”無理であること”をおしてもよかったのだが、
とても、そんな雰囲気ではなかった。
芸能人の実態を垣間見たような、そして残念な気持になった。
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