しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

「たで船」

2020年01月17日 | 暮らし
「たで船」


茂平港には20数隻の漁船がいた。そのすべてが木造船で、プラスチックの船が登場する前に漁師も漁港も消滅した。

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下記、「寄島町史・第二集」平成三年寄島町役場発行 より転記
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木造船

底引漁船はFRPを素材として建造されるようになり昭和49年第一号が誕生した。
その後、漁船のFRPは急速に進んだ。

元来、木造船は十年の寿命というのが定説である。
船底部分から腐食が進み、やがて浮揚力が減少するとともに、浸水防止が不可能になるから、少しでも船を長持ちさせるため、いわゆる「たで船」という作業を欠かすことができなかった。

この作業は、まず、
満潮時に「りん木」と呼ぶ角材、もしくは丸材を前後に一本ずつ船底に挿入して固定する。
「りん木」によって、船が下駄をはいた状態になり、地面から30cmほど持ち上がる。引き潮に合わせて船の上棚、かじきを洗い、フジツボ、カキなどの付着生物をくわでかき落とす。
完全に潮が引いてから船底の下一面に、除虫菊の茎や麦わら、または乾燥した雑草を敷いて火を放つ。
火熱によって船体の除湿と、船底に巣食う虫を殺すのが目的である。
そのあと、かじきへペンキを塗り、次の満潮を待って「りん木」をはずす。

木造船の保全には漁業者の大きな労苦が払われていたのである。
FRP船では「たで船」の労力は軽減された。

しかし、
焼却処分時の有毒ガス、
放置されたまま、が問題化されている。



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