しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

「父の野戦日記」⑮凱旋

2023年05月13日 | 盧溝橋事件と歩兵10連隊(台児荘~漢口)

「歩兵第十聯隊史」 歩兵第十聯隊史刊行会 昭和49年発行

師団は8月11日復員下令に接し、
第百十師団と警備を交代、
聯隊は9月下旬にかけて石家荘付近に集結、
9月28・29両日にわたって石家荘駅で乗車。
京漢、津浦を経て10月3,4日青島着。
10月6日から8日にかけて日洋丸ほか3隻の輸送船で故国への凱旋の途につき、
10月8日から14日にかけて宇品港上陸、
熱狂的歓呼の声に迎えられて、即日それぞれなつかしの屯営に帰着し、
10月17日岡山市公会堂に於いて事変間聯隊戦没者の合同慰霊祭を執行ののち、
10月20日第一次召集解除、25日平時編成歩兵第十聯隊が編成せられ、
引続き毛利末広大佐が新歩兵第十聯隊長に任じ、ここに全く復員を完結した。

 

・・・

【父の野戦日誌】

開封にて


夜汽車にて昔の大都・開封に着いた。
雄大なる建築物も、昔をしのぶ如く天を覆う。
無数の小塔が建つ。

民家からは煙がたち、吾等朝食をとる。
一帯は、塩田を見る。

本日は吾が八幡神社の祭りだ。

車中にて
昭和14年(1939)10月1日

・・・

【父の野戦日誌】

青島にて


建ち並ぶ西洋建築。
大国租界は青き緑風。
実に風景明媚な所だ。街道の緑樹は秋風になびき、戦地の跡も何物も認めず、ただ内地のような感じがした。

自動車にて病院へ行く。内地以上に設備は完備されている。
国防婦人会、学校生徒のかいがいしい奉仕の姿に、病者たちも嬉々として全快におもむいていくだろう。

海岸に出る。○○艦の勇姿、青島湾を圧している。頼もしき限りなし。
日章旗等軍旗が海上にたなびき、躍進日本の姿が目に映ずる。わが国の威力が輝いているようだ。

米国兵の水兵の姿、じつにはでやか。ちょうど芝居に出る水兵のようだ。
その姿は輝き、人形のような感じがした。

大道を闊歩する外国人の姿、緑の街路樹に立ち並ぶ洋風の家に
一層の精気を増す。

薫り高き良き眺め、保養地としては第一番だろう。実に美しい。

初めて見る、また最後の眺めかもしれない。明日は出発の日だ。今宵が支邦大陸での最後の夜だ。
今は消灯のラッパが響いている。友も床につく。電灯も消える。

上陸以来一年六ヶ月。
過ぎた戦場の思い出が夢のようにほとばしる。
昭和14年(1939)10月7日夜九時三十分。

・・・

(父の話)2001年9月2日

チンタオはけっこうなとこじゃ。それじゃけい書いとるんじゃった。なんやかんや完備されとった。

・・・・

【父の野戦日誌】

 

青島にて・その2


国際良港都市、青島港をながめつつ船は海上をすべる。
鴎の群れが飛ぶ。

艦上の水蒸気も海の彼方へ消えた。
港湾の出入りの船はみな我が国だ。外国の船は○○艦のみ。

昭和14年(1939)10月8日午後二時

・・・

【父の野戦日誌】

支邦大陸よさらば

昨年五月、勇躍支邦大陸の戦線に参加。
火を噴く徐州殲滅戦に参加、

炎熱の戦闘に、討伐に。
黄河決戦、濁流と戦い
雨天になやまされつつ
信用攻撃、大別の剣さな山を越え漢口攻略戦。

悪風をつく平和の為に、日本平和の新秩序建設の為に、東洋永遠の平和の為に。
一億一心。軍務まい進。


今日は○○艦に乗り、青島港を出港しつつある。
岸壁に立ち並ぶ兵、日章旗を眺めつつ、轟々と音は三度鳴る。
エンジンの音と共にいついしか自分は甲板上に立つ。
遥か去らんとする青島を、いや支邦大陸を眺めていた。

青き瓦、煙突。広壮な建物くっきりと天に聳えて、保養地青島は一層はなやか。
船はは静かにブイを離れた。

小型の日章旗が人の波を跡にする。
おお、支邦大陸よいざさらば。

昭和14年(1939)10月8日

・・・

【父の野戦日誌】

青島沖

船は進む海上の彼方へ彼方へ。
湾内に浮かぶ艦船も過ぎ、波を蹴る。

東方の青い半島には高き砲台が湾上を睨んでいるのが見える。高き日章旗が森林の中に聳えている。

青島を次第に遠のく。船は一路目的地へ、目的地へ。青き海上をすべって行く。
南風顔をなぜながら、希望に輝く若人達よ元気に。

昭和14年(1939)10月8日

・・・

【父の野戦日誌】

六時三十分。全く大陸の姿は見えない。
黄海

薄き船上のもや、水平線の彼方より丸き太陽が出る。
船は突き進む。明日は玄海灘であろう。

海上に浮かぶクラゲ・魚群が目に入る。
船は一路東へ、東へと進む。
実に平静な波だ。
10月9日朝八時。黄海海上にて。

・・・

【父の野戦日誌】

斎州島沖

洋上の彼方へ彼方へと白波を蹴り進む。
小さきうねり、船もかすかに動く。

水平線の彼方に島が目に映ずる。
朝鮮島だろう。

水魚がはなつ黒き海、清き漣のしぶき。

戦友の十八番の浪花節を聞く。
対馬沖を通過する

松だ。松だ。なつかしい。
家・丘の姿もなつかしい。見事だ。
青き山、白き灯台。
内地へ近づきつつあるのだ。


船は一路関門へ、関門へとつづく。

昭和14年(1939)10月10日 午後三時30分。対馬沖にて。

・・・

【父の野戦日誌】

万歳の声


あくれば11日夜。
故郷の島が見える。思わず拍手喝采。

日本の工業地帯だけあり数十本の煙突が高く突出して見える。実にめざまじい様子の感がした。
九州北部の工業都市、夜も黒鉛を吐く。

12日。
船はいよいよ関門海峡通過だ。
陸地より”万歳、バンザイ”の連呼の声。
しかし、うなだれつつ感謝するのみだ。
船は次第に通過して内海へと進む。

内海の白帆の漁船も何処へかすべっている。
本日は内海で夜を明かすのだ。

昭和14年10月12日

・・・

広島市宇品(六管桟橋=陸軍桟橋)

・・・

 

【父の野戦日誌】

宇品へ上陸

 

九時三十分より検問実施。
内地の土地。

重き足を引きずり、一歩一歩歩くとき、しみじみ戦友のことが思われる。亡き戦友のことが実に寂しい。
亡き戦友の事を思い感慨無量。さみしい限りなし。・凱旋に一目・・・・


作戦の為の一時帰還だろう。
しかし内地の土はなつかしい。

10月13日一時三十分。

いよいよ本邦の土を踏んだのだ。
午前八時、れんぱ船に乗る。
乗船して陸地に向かう。
一歩なつかしの土を踏みしめる。
実に感無量のものがある。

一歩一歩大地を踏みしめて宇品へ上陸、兵舎へ向かう。
間道は、女生徒・婦人会・格団体から歓呼して迎えられ。

しかし、として、ただただうなだれつつ答えるのみ。
何のしゃべることも、感激の涙もでない。

実にくやしい、口にはつくりえない感じだ。
ああ我は凱旋日だ、帰還だ、一時帰還だ。


昭和14年10月13日午前9時。

・・・

(宇品港の「陸軍桟橋記念歌碑」)

・・・

(父の話)2001年9月2日

「宇品からは船に変わりに外地出征する人がいた。それで一時帰還じゃろうと、思うとった。」

・・・・

(歌碑の裏面の説明文)

陸軍桟橋記念歌碑
1998年(平成十年)十二月

石積の突堤が沖に向かっていた。
広島市民はそれを陸軍桟橋と呼んだ。
そうして日清戦争から太平洋戦争にかけて、
兵らはその突堤から沖に待つ輸送船に乗り移り、
遠い大陸と島の戦場に送り出されるのが例となっていた。
彼らの多くが戦死し、再びこの突堤には戻らなかった。
わたしたちは平和のために、
ここに陸軍桟橋があったことの記憶を受け継がなければならない。

・・・

 

世界平和のため、2023年5月19日~22日”G7広島サミット”が開催される。

「陸軍桟橋」から、G7の会場「グランドプリンスホテル広島」を見る。

 

撮影日・2016.11.2 

・・・

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1 コメント

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失礼いたしました。 (oko)
2023-05-14 19:42:55
お父さまは復員されたのですね。
お父さまの野戦日記を拝見させて頂いておりますが、貴重な記録に驚いております。
いいね・応援・続き希望にチェックをしてしまいましたが戸惑っております。
「いいね」他チェックはできないと思っております。
失礼いたしました。

私は1939年6月に呉海軍病院で出生したものですから拝見させて頂きました。
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