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しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

「夢の万能薬」ペニシリン

2022年03月20日 | 昭和21年~25年
注射=ペニシリン、とも感じるほど、ペニシリンは名を馳せていた。
昭和20年代、30年代、「病気で注射した」と言えばペニシリンしかイメージできなかった。

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「昭和二万日の全記録6」 講談社  1990年発行

人命を救ったペニシリン

昭和20年9月、アメリカから大量のペニシリンが空輸されてきた。
同年暮れ、幣原喜重郎首相が肺炎にかかった。
GHQの軍医長が駆けつけてペニシリンを射った。
その効果は強力だった。
それまで、ペニシリンは庶民の手に届かない高価で貴重な薬であり、闇で一本一万円したこともある。
GHQの指導で森永薬品や東洋レーヨンで製造。
ペニシリンは、肺炎、中耳炎、破傷風、結膜炎、性病など
細菌性の病気に効き、副作用もほとんどない「夢の万能薬」といわれた。
昭和21年に3.930円していたものが昭和23年には513円まで下がった。
昭和25年の朝鮮戦争時には、既に米軍に買い上られるほどの生産国になっていた。

「昭和二万日の全記録6」 講談社  1990年発行





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「今は昔のこんなこと」  佐藤愛子 文春文庫  2007年発行

時は流れて昭和20年。
日本は戦争に敗れ、欧米の文化がどっと流れ込んできた。
その中にペニシリンという抗生物質の新薬があり、
それはイギリスの首相だったチャーチルの肺炎も治療したというので一躍名が轟いた薬である。
当時は肺炎は死につながる重病だったのだ。
今まで心配しいしい買春していた男たちは気も晴々と遊里へ赴くようになった。
もう淋病なども怖くはない。
ペニシリン注射一本で忽ち快癒するのである。



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「天声人語」  
昭和21(1946)年 2・15

アメリカではドイツの技師たちを招聘して、必要な研究と生産とに協力せしめ、
大戦前からナチスの異分子の多くを大西洋を渡らせしめた結果、
アメリカの国力を引き上げることにどれだけ役立ったか計り知れない。
アインシュタインもトマス・マンもその例であり、
ペニシリンもアトム爆弾もかくしてアメリカで完成せられるに至ったのである。

米英華ソを知る人々、知らんとする人々を恒に白眼視し、スパイ扱いして来た日本は、もっと真剣に世界を知る努力を急がねばなるまい。



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