しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

朝顔の咲かない夏

2022年05月07日 | 昭和21年~25年
子どもの頃の夏休み、どこの家にも朝顔とヒマワリは咲いていた。
花が終わると種をとり、それを翌年咲かせていた。それが毎年つづいていた。

しかし朝顔の咲かない夏があった。
昭和20年頃から24年頃までだろうか。





季節感の回復  昭和21年5.12  天声人語

日本の新緑や花の美しいのに、今さらながら目をみはるのである。
つやつやしい柿若葉や欅、栗など木々の新芽、スクスクと伸びている麦の青さ、
それに山吹やつつじなど、初夏の山河は美しい。
目に青葉の句もおのずと口にのぼる。初がつおの方はまだ実感に至らぬが。

花や緑も何年かぶりに接する心地がする。
平和になって季節感をとりもどしたのである。
五月といえば、去年の今頃はB29の絨毯爆撃がいよいよ烈しく、家を焼かれ、肉親と離れ、花や緑を賞するどころではなかった。

本土決戦で敵を殲滅するとか、一億玉砕で国体を護持するとか、
あのまま続けていたら、コロネット作戦、オリンピック作戦をまたずとも、
原子爆弾で国も山河も亡びつくしたに相違ない。


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朝顔  昭和21年8.26  天声人語

朝顔は清潔可憐な花である。
その朝顔がこの夏,都鄙(とひ)をとわずどこの庭先にも見られなかった。
この花が姿を消したのは、食糧事情が窮迫し家庭菜園がはやりだしてからである。
朝顔のみならず、草花という草花が、われわれの庭から追放されてしまった。

日本人が花を愛さなくなったからではない。
花を愛する余裕が物心両面ともになくなったのである。
咲く花は、食える実の生る花ばかりである。
南瓜、茄子、胡瓜は、空地という空地に花盛りだった。
生きるか死ぬかのせっぱつまった心境で、咲かせた花である。

しかし南瓜の花も案外いい香りをもっているのを発見した。
武者小路実篤氏は好んで芋の絵を描くが、
自分で作ってみると、
じゃが芋や南瓜のたたずまいにも、驚嘆に値する美を見出すのである。



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