しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

木山捷平

2023年02月24日 | 昭和21年~25年

近くに住むおば(父の妹)と、木山捷平は共通部分がある。

戦時中に満州に行き、戦後の満州で生死をさまよったこと。

 

・・・・


「木山捷平の世界」 定金恒次 岡山文庫  平成4年発行

渡満
昭和19年12月28日満州国の首都新京へ着任。
日本国内よりははるかに自由気ままな新天地での生活を味わう。
翌、昭和20年8月12日現地召集を受けて即日入隊。
その後、昭和21年7月14日引き揚げの途に着くまでの約一年間、
生死の間をさまよいながら難民生活を続ける。
文字通り極限状態の生活であった。
みさお夫人によれば、捷平は
「敗戦後の長春での一年間の生活は、百年を生きたほどの苦しみに耐えた。」
と語ったという。

飢えて死に 凍えて死なん日もあらん されど我は人は殺さじ

 

 

帰国
昭和21年8月23日
引揚船から佐世保に上陸した捷平は、翌日夜郷里笠岡にたどり着く。
みさお夫人は次のように記している。
笠岡駅の出口で私は降りて出る人を待った。
リュックを背負った真っ黒い顔の小男が、ゆっくり降りて㑏ち止まっていた。
それが捷平であった。
「お帰りなさい」
「飯はあるか、酒はあるか」
これが出迎えた妻への第一声であった。
駅前の宿屋に一泊の約束をしておいた、玄関へ入った。
「酒をどしどしたのむぜ」
といいながら握り飯を食べた。
佐世保を出てからまだ飯を食べていないことを私に告げた。

・・・

おばは逃げまどう中、一子を亡くした。
生きて笠岡に帰ってきたが、
「それからがまた、たいへんじゃった」と話した。

捷平さんが言う、”満州での一年間の生活は、百年を生きたほど”
で、おばの年齢をいうと、
もうすぐ、おばは200歳になる。

 

撮影日・2023.2.20

 

 

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