しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

倉敷で労研饅頭(ろうまん)が蘇る

2023年04月21日 | 令和元年~

明日・明後日、G7労働雇用相会合が倉敷の「倉敷アイビースクエア」で開催される。


それに合わせ、岡山木村屋が倉敷ほか岡山県下で「労研饅頭」を復活販売するそうだ。
ろうまん誕生の地、倉敷で復活はよろこばしい。

 

(ろうまん・松山市)

 

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「倉敷市史6・資料編」

大原孫三郎が労働理想主義を具体化するため「倉敷労働科学研究所」を設立した。

大正14年、
集団栄養を取り上げ、紡績労働者の所要カロリー決定による給食炊事の献立改善に寄与した。労研饅頭の開発もこの研究の産物であった。
労研饅頭は主食代用品としての栄養価値がきわめて高く、日本人に親しみのある一種の「蒸しパン」で蛋白質・脂質・含水炭素が高かった。

昭和6年、
時局匡救事業(じきょくきょうきゅうじぎょう)の一環として労研饅頭普及運動が始まった。
食糧問題解決の国家事業として指定組合を通じて行われた。

昭和11年時の指定組合員は、北海道から九州まで24市2郡3町に及んでいた。
岡山県内では倉敷市・岡山市・津山市・林野町・和気郡・笠岡町に指定組合員がいた。

倉敷市で開発された労研饅頭(ろうまん)は、愛媛県松山市でも普及し今日まで製造販売を続けている。

 

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母の話・2015.1.1

ローマン

(井原高等女学校の前にある)コマツ屋ようた。

そこへ買いに行きょうた。一袋へ四つ入とった、5円しょうた。
安ぃんじゃ、あの頃の5円はやしぃ。
弁当を持っていかんもんがエットおろう、そうゆうもんが皆、あれを買うて食びょうた。
蒸しパンのようなもんじゃ。中へ黒い豆がへぇとるだけじゃ。
昼になれば急ぇで買いにいきょうた、よう売りょうた。
「早ぉ行かにゃあのうなる」ゆうて言ぉた。
学校の中でも、だいしょう売りょうたかもわかんらんなあ。

興譲館の下でも、「よう売れる」ゆうてようた。
豆はところどころに入ぇて、味はええようにしてあった。

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(愛媛県松山市大街道・たけうち 2019.4.2)

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