しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

招魂社及忠魂碑

2019年01月09日 | 昭和元年~10年

「小田郡史・下巻」 昭和16年小田郡教育会編纂より転記する。

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招魂社及忠魂碑

維新以後国事に斃れたる烈士の霊を慰めん為、日清戦役後本群連合にて、笠岡町威徳寺付近天神社境内に忠魂碑を建設し、北進事変後第二忠魂碑を建設せしが、日露戦役後之を改めて招魂社造営の議を決し、廃棄したる昭忠碑は有志者の奉仕により古城山頭に移転し、其跡に社殿を造営して、日清戦役以後各戦役忠死者の霊を合祀し、茲に本郡招魂社を見るに至れり。然るに昭位置は狭隘にして不便なるを以って、後之を古城山に移転し以って今日に至れり。

各町村多くは忠魂碑を建設し例祭を行ひて忠霊を慰むるの方法を講ぜり。
其建設の年月左の如し。
(城見村はなし)※一部抜粋する
金浦町 大正11年5月10日
陶山村 昭和3年11月
大井村 昭和4年5月
笠岡町 明治29年12月(日進役) 明治34年10月(北清役)

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