戦前も旅芸人一座は茂平に来ていたと父は話していた。
戦後も「ごらく場」が無くなるまで芝居の見世物が来ていた。
4~5人程度の一座で、人情ものの芝居をしていたような記憶がある。
歌や浪曲はしていなかった。芝居だけの一座。
当時、茂平青年団が演芸会を行うことがあり、
青年団は無料で、旅芸人は有料だったので、どうしても無料を見ることの方が多かった。
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姉の話・2002年1月6日
筵で囲った旅芸人
番屋の隣りの学校のところに来ていた。
芝居があるときは旅芸人のおじさんが着物を着て、茂平の土手を回って、「夜に芝居があるよ。」と知らせてあるいていた。
太鼓を叩いて。
その後ろを小さな子供がごそごそついて歩いていた。
おじいさんとおばあさんに連れられて、よう見に行っとった。
まわりに筵がぶら下げて、入口作って。
今日は少ないな、とか、多いな。と、思ってみていた。
「また来ます」と、帰っていきょうた。
学校の中で寝て2~3日生活して、たぶん番屋で食事の買い物して食べていたんだろう。
旅芸人はごらく場を撤去した昭和35年頃まで来ていた。年一回くらい。
姉の話・2002年1月6日
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