昭和35年、家を新築した。
麦藁屋根の古い家を壊す、その場所に瓦屋根の家を新築する。
大勢の茂平の人たちの手助けがあったが、
今になって思えば
最後の“村社会“を見たような気がする。
談・2000.6.25
家の新築
壊す
組(銅山)のもんが壊した。
村中の元気なもんが壊した。
壁の土は畑にもっていった。
大工と左官
棟梁、
左官(しゃかん)も茂平。
柱は(母の出所の)賀山で切って製材してもってかえった。
四角にして、トラックで。
大けぇ長いのは馬でひいて帰った
他の木は
(所有する)尾越の山の木を切って、
引くのは福山(の業者に)たのんで、大工はカンナで仕上ぎょうた。
若いもんがドロをあげ瓦をあげ、左官のてごをした。
瓦の計算も工事も左官がしょうた。
ドロはお宮の山土と堂面からとった。
屋根はお宮の、
壁は堂面のを使ぉた。
テゴをする人は
酒を飲ませてメシを食わすだけ。
大工と左官は日当。
建具屋は(棟梁でなく)ワシが頼みょうた。
≪それから10年ほど後の事》
庭は
隣のお姉さんの弟の“あらさん”がしてくれた。
あらさんが大けえ池の庭を造った。石を積んできて、堀をこしらえてた。
※昭和45年前後、日本の農家から庭(かど)が消えていった。その頃
家には電話、カラーテレビ、車が普及し生活様式は激変していた。