しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

家の新築

2016年07月26日 | 父の話


昭和35年、家を新築した。
麦藁屋根の古い家を壊す、その場所に瓦屋根の家を新築する。
大勢の茂平の人たちの手助けがあったが、
今になって思えば
最後の“村社会“を見たような気がする。


談・2000.6.25


家の新築

壊す
組(銅山)のもんが壊した。
村中の元気なもんが壊した。
壁の土は畑にもっていった。

大工と左官
棟梁、
左官(しゃかん)も茂平。

柱は(母の出所の)賀山で切って製材してもってかえった。
四角にして、トラックで。
大けぇ長いのは馬でひいて帰った

他の木は
(所有する)尾越の山の木を切って、

引くのは福山(の業者に)たのんで、大工はカンナで仕上ぎょうた。

若いもんがドロをあげ瓦をあげ、左官のてごをした。
瓦の計算も工事も左官がしょうた。

ドロはお宮の山土と堂面からとった。
屋根はお宮の、
壁は堂面のを使ぉた。

テゴをする人は
酒を飲ませてメシを食わすだけ。

大工と左官は日当。

建具屋は(棟梁でなく)ワシが頼みょうた。



≪それから10年ほど後の事》

庭は
隣のお姉さんの弟の“あらさん”がしてくれた。
あらさんが大けえ池の庭を造った。石を積んできて、堀をこしらえてた。

※昭和45年前後、日本の農家から庭(かど)が消えていった。その頃
家には電話、カラーテレビ、車が普及し生活様式は激変していた。

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城見の漁業・農業

2016年07月26日 | 父の話
談・2000.6.25


漁師

(鋼管や笠岡湾干拓で)
漁師は百姓の専門になった。
(茂平の漁師は元から、漁業100%でなく半農半漁だった)

農地の少ない家もあったが、既に子供は(サラリーマンとして)勤みょうた。
それで食うに困る家はなかった。

漁業補償金で投機として吉浜などの土地を買うた人も何人かいた。
茂平では売ってくれる土地がない。

(漁家でない住民が採るものは)
ツブやアサリや大貝(おおがい)くらいじゃ。
シャコもちいとおった。



養蚕
茂平には・・・・なかった(戦前戦後)
大冝や用之江のものは作りょうた。



葉煙草
茂平はすくなかった。尾越のIさんが水落の方に畑をもっとった。



藺草
茂平はない(きっぱり)
用之江も大冝もない。



井戸
浅い深いの違いはあるがどの家にも井戸があった。
てっつぁん方の(近くの)井戸は共同井戸じゃ。



池の水抜き
池には世話係がおったんじゃ。
じいちゃん(管理人の祖父)は大池と尾越池の世話役をしょうた。
大池が主じゃ。
大池はおきの田まで。
尾越池はまあさんが主じゃ。

(田植えの後では)9月に要るので、それまでは抜かんようにしょうた。溜みょうた。
水がなければ穂がでんの。

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関東大震災、常夜灯の擬宝珠が落ちる

2016年07月26日 | 父の話

談・2000.10.30

関東大震災、常夜灯の擬宝珠が落ちる

大正12年、小学校へあがる時分じゃ。
ワシが六つ、七つ。覚えとる。
常夜灯(やとうさん)の擬宝珠がうちの庭に飛んできた。
まだ道が狭かった。
庭に落ちるほど揺れたんど。
(擬宝珠から下の部分は大丈夫だった)



ドイツの飛行船・ツェッペリン伯号

ツェッペリン伯号が日本に来たゆうのは(ニュースとして)知っとる。
日独親善でやってきた。



昭和天皇御大典

あったようだが・・・パンでももろうて戻ったんじゃろう?



エノケン・アチャコ

有名じゃった。



おこし

小学校の時、嫁入り前の裁縫をしょうるんは(高等科の女性のことか?)はいとらん。
(当然1~6年生の女子は、全員おこし)



双葉山69連勝

(69連勝でストップは)知らなかったが、軍に利用さりょうるのは感じとった。
※当時、父は野戦中。



極東軍事裁判

(国民はぎりぎりの生活で)無関心のようではあったが、
そうゆう、・・・大勢の死んだ人・・・がいるがゆうことは、(軍や政治家のトップに対して)いい感情をもっていなかった。
(※父の話は憤懣声になった)


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茂平の駄菓子屋

2016年07月26日 | 父の話

談・2000.10.30


茂平の駄菓子屋

浜にひとつあった、おばあさんがしとった。
かんさん方にあった。あきらさん方の東、下に降りたとこじゃ。
番屋。
鉄砲玉、芋ようかん、酒やこ売りょうた。



肉食

馬肉を自転車で売りにきょうた。ちいとしわい。
吉田からおっさんが時々売りにきょうた。
(肉は他に)うさぎを殺して食ようた。



家にある電化製品

ラジオと電球



郵便屋

今もいっしょじゃ。自転車に乗って配りょうた。



おやつ

芋や、豆。
コメをぱっちんはじかせたやつ、ぽんポン菓子。
芋が主。



子供の祭り

5銭から10銭ほど小遣をもらようた。
鉄砲玉や飴玉を買うて食ようた。
何ばあ買えんが、自分で買えるゆう気持ちのもんじゃ。
お粗末なもんでも買うて喜びょうた。
親が子供に小遣を出すゆうのは他に(祭り以外)なかった。



少年倶楽部

冒険だんきち、冒険が主じゃ。
親が買ぅてくりょうた。
ねだれて買ぅてもらようた。

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