しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

茂平の漁師の出荷

2016年07月12日 | 父の話
談・2000.6.24

茂平の漁師の出荷

毎朝海に出よぅた。網をあげに。
それで当番が伏越の市場へ持っていきょうた。
箱でちゃんと(個人別にわかるように)分けとる。
多い時は二隻、たいてい一隻じゃ。

(朝の仕事が終わると)
昼寝をしたり、網の修理・破れたのを縫い直し、畑仕事をしとった。

台風が来るとき
苫無の浜へ陸揚げしょうた。
みんなで綱でひっぱって



浜のりょうやん

りょうやんは漁漁組合の世話をやりょうた。
内海の守をしょうた。
内海へ魚がおろう、あれを捕る
こまい、伝馬、でだいしょう漁をしょうた。うなぎや魚をとりょうた。葦の番。
漁協から世話賃を貰ようた。
前は(昔は)
りょうやんの親父が茂平の魚をまとめて売りにいきょうた。あっちこっち持っていきょうた。



瀬戸の花嫁

(昭和30年、花嫁が神島から船で茂平の波止に着いた)

茂平から島へ嫁に行く、島から茂平に嫁に来る、
そゆうのは30年にいっぺんくらい。
島も神島までで、
白石、北木ゆうのはない。

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茂平、内海(うちうみ)のポンプ場

2016年07月12日 | 父の話
談・2000.6.24

「茂平改良区」(という組織があり)、けんきっつぁ
が責任者におった。
たーさんとまるしんの二人が管理して、
運転はまるしんがしょうた。

昔はポンプ場は無かった。
大潮の時は水が引いてしまうけど
小潮の時は海に水が出ょうらなんだ。
ほれでポンプ場を造った。

水門
水門の開け閉めは漁協がしょうた。
水門の板は荒神さんの松の大きな木を切って、引いて、水門の板をつくって乾燥して、ペンキを塗って、使ようた。
工事は城見村がした。

水門の開閉
日当は村からちいとばあ出しょうた。
堤防は国から補助がきょうた。

内海の洗い場
道具や野菜のドロを落としょうた。


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河豚(ふぐ)のドフ(はらわた)

2016年07月12日 | 父の話
談・2000.6.24

河豚の刺身を食べたらおいしいゆうて、ついでにハラワタ、どふじゃ、あれを食べた。
あれを炊いて食べた。汁が旨いんじゃ。
ハラワタでも悪いとこと、悪うないとこがあり。キモやこ食うちゃいけんゆうて棄ちょうた。
汁が美味いゆうて、余分に炊いたんじゃ。それで・・・当たったんじゃ。
よう焚いたんじゃけど、あたった。(ドフの量が多くて)

最初汁が旨ぅて、あんまり旨いんでもう一回炊いたらしい。
そしたら(家族みんな)あたった。
ひーちゃんも寝込んだ。
いちばんぼっこう食うたオヤジ(しずやん)に毒が多かった。

しずやんが死んだので(河豚を食べる注意の)宣伝にはなった。
それでみんな食わんようになった。
昔からあたることはありょうたが、ちょっと寝込めば治りょうた。


※この事があり、以降母は異常とも思えるくらい河豚汁に時間をかけて炊くようになった。

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