しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

城見の漁業・農業

2016年07月26日 | 父の話
談・2000.6.25


漁師

(鋼管や笠岡湾干拓で)
漁師は百姓の専門になった。
(茂平の漁師は元から、漁業100%でなく半農半漁だった)

農地の少ない家もあったが、既に子供は(サラリーマンとして)勤みょうた。
それで食うに困る家はなかった。

漁業補償金で投機として吉浜などの土地を買うた人も何人かいた。
茂平では売ってくれる土地がない。

(漁家でない住民が採るものは)
ツブやアサリや大貝(おおがい)くらいじゃ。
シャコもちいとおった。



養蚕
茂平には・・・・なかった(戦前戦後)
大冝や用之江のものは作りょうた。



葉煙草
茂平はすくなかった。尾越のIさんが水落の方に畑をもっとった。



藺草
茂平はない(きっぱり)
用之江も大冝もない。



井戸
浅い深いの違いはあるがどの家にも井戸があった。
てっつぁん方の(近くの)井戸は共同井戸じゃ。



池の水抜き
池には世話係がおったんじゃ。
じいちゃん(管理人の祖父)は大池と尾越池の世話役をしょうた。
大池が主じゃ。
大池はおきの田まで。
尾越池はまあさんが主じゃ。

(田植えの後では)9月に要るので、それまでは抜かんようにしょうた。溜みょうた。
水がなければ穂がでんの。

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