しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

城見漁業協同組合

2016年07月10日 | 父の話
談・2000.6.24

組合長はまあさんが長いことしとって、その後は“はなや“にしとった。
(漁協の建物・事務所は)組合長の自宅じゃった。
事務は専門でたーさんがしょうた。

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昭和32年の資料では組合員が32人、漁船が14。

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組合員は一軒に二人づつおったウチがある。
組合員を増やせゆうことがあったんで。

隣じゃあ、かーさんとお姐さん(かーさんの妻)が組合員になっとる。

本当の漁師のほかに、
漁師をしょうらん組合員が
とっさん
まーさん
漁業をせずに灘を管理しょうた。
せいで多ゅうなっとる。

(他にも)
昔は船をもって漁師をしょうたが今はしょうらなんだ“おか”がおった。
いわさん
しょうちゃん
等じゃ。

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蚤(ノミ)を捕る

2016年07月10日 | 暮らし
母の話・2001.1.1

ノミを捕る

(母は蚤捕りの名人と思えるほどノミを捕るのが上手かった)
ノミは今はおらんようになったけぇようなった。


履物

女学校はズックじゃ、それより前は・・・もう、おぼえとらん。


米と麦

5部と5部なら「おお麦飯」じゃ。
7と3なら食べられる。

米の飯

隣の野々浜の親類のおばさんが、
「だまされた思うて米の飯を焚いてみなされい
麦飯は2杯も3杯もメシを食べんと腹がふくれんけど
米の飯は一杯で腹が膨れ、結局その方が安ぅつきます」

ほんとうじゃった。
(桃やビワの)袋掛けにきてくりょうちゃった。
そのたびに思いだしょうた。


乗り物で行く遠足
旅行の時は汽車に乗って笠岡の城山に行きょうた。
遠足は
嫁要らずの観音さま。ちょうどええ距離で定番じゃった。
美星の方まで歩いていきょうたこともある。


賀山の摩利支天さま
戦時中には、あれに大勢参りょうた。
それで、拝む人が要るゆうて
あがりこぐちのよねやんゆう人が専属で拝むようになった。
戦争の神様じゃゆうて、
「元気に帰れますように」拝みょうた。
郷の方からも拝みにきょうた。

今は正月3日に棟上げをするようになった。

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祖母の束髪

2016年07月10日 | 暮らし

母の話・2001.1.1


祖母の束髪

(祖母の写真は髪が束髪だが?)
あれが流行りょうた。
賀山にも(母の母も)ああゆう髪形じゃった。
なんか中に紙でもいれとるんじゃろうな。


櫛や簪(かんざし)

使わんようになったらみなしてた。
ろくなもんは(持って)なかった。


どんぐりやバッタ

おいしいゆうが食べたことはないでぇ。佃煮にするようたが、したことはない。




こってぃを産んだんじゃあ金にならん、メスじゃないと。


茂平のやなべ

真田を組みょうた。
裸麦を早ように採るりょうた。雨が降ったけらいけんのじゃ。
うむし小屋はみんなかたにこしらえとった(一軒に一小屋)。
2~3年こしらえとった。
外で干して、(うむしたのを)長屋のうえにとらげておいた。
間の時に出して(真田を)こしらえとった。


戦後の女性の初めての選挙。

割にみんなよう行きょうた。(棄権しなかった)


青年学校の先生

師範は一部と二部があった、
一部は小学校の高等科か、女学校をでてからゆく。
やや貧しいウチの子が行く。
二部は中学や女学校の4年か5年で受ける。二部の方がちいと難しい。
だいたいが二部へ行く。
(青年学校の先生は)
青年学校がのうなったら中学の先生になった。

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昭和20年、茂平の赤痢

2016年07月10日 | 暮らし
母の話・2001.1.1

伝染病はおそろしいなあ思うた。

おばあさん(管理人の祖母)と利三郎じいさん(管理人の曽祖父)がなった。
(※祖母は治り、曽祖父は亡くなった)
役場の人が来て、石灰をもってきて家の下や便所へ粉を撒きに来た。
あの時きゃあ、そりゃあ怖かった。
(長女)ひろ子を背負うて、(隔離所まで)行きょうた。

おおぜい死んだけえなああの時は。
かずっさん方のむねさんゆうお爺さん、
観音堂の先生方の親、
隣のかあさんとおばあさんが二人行ったが治って戻ちゃつた。
いわさん方のおばあさんが行った。
いわだにのおばあさんも死んだ。

大冝にも流行って(長女の同級生の)kさんのお母さんも死んだ。

うちにや福山まで伝染(うつ)って、あいちゃんの妹が死んだ。
可哀想に、まだ女学校に行きょうる時じゃった。
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