しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

茂平の吉備焼

2016年06月25日 | 父の話

談・2003.10.4

茂平の吉備焼

茂平の山から土を取りょうた。取った後こすんじゃ。
今はこしらえたええドロ、すぐに使えるドロを送ってもらようる。買ようる。
窯を焚く木も茂平の木を取って使ようた。
昔は「皿山(さらやま)」ようたけど、ほんとに皿みたいなもんばっかし作りょうた。
正式には阿浜(あばはま)じゃ。


茂平の御神燈

銅山はどこどこ、ゆうて茂平中灯をつけることになっとる。
晩にお宮に参(めえ)る人のために。
八幡様のお祭りに参るために道を明るうしとります、参ってください。ゆうことで付けとる。
主な通りにつけとる。ローソク一本でヒラで分かれて灯をつきょうた。


茂平の祭りは10月1日から10月第一日曜に変わった。(城見はなぜ同一の日に統一しなかったのか?)

(強いて言えば)大冝と用之江は親類関係が少ない。
茂平と用之江、茂平と大冝は親類関係が多い。
ひてぃ(一日)になったら、お互いにこれまあ。


しめ縄

当番が編む。
銅山なら、みんなでてやりょうた。
大けえから、
藁をたくってあわせて
左官のときさんや、まあさんが指導してくりょうた。
したことがねえ人はわからん。
はずして裏を見て、(あたらしのができたら)焼きょうた。

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御船を海に

2016年06月25日 | 父の話
談・2003.10.5

御船を海に

(祭りの神輿を海に浮かべることはあったのか?)
あった。
西ノ谷が当番の時、波止から飛び込んで海の中をとおて苫無の松原まで行った。
帰りしなは上の道(土手)を歩いて戻った。
土手を守ってもらう意味で通る。
新川(を通るの)もそうじゃ。


八幡さんの土俵
(祭り等で相撲を取るのをみたことがないが?)
つかようならんだが、子供相撲で物をやりょうたりしたこともある。


茂平の屋号(の一部)

端(ハナ)
いんきょ
かんのんどう・・観音堂があるから
えべすんき・・戎っさん、銅山じゃあ先生、よそからはウチもじゃ
中(なか)
表(おもて)
後(うしろ)
前(まえ)
夜灯・・銅山の人がゆう(使う)だけじゃ。
太歳(ださあ)

よもと・・地名じゃ。


茂平の果物は福山へ

(なぜ福山へ出すのか)
笠岡へ出すと安うなる。買い手がおらん。
福山の方が市場がひろい。高う売れる。


番屋の隣の公会堂

昔は学校で、その後は
茂平の(全体の)公民館で使ようた。

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茂平大池の魚獲り

2016年06月25日 | 父の話

談・2003.9.14

茂平大池の魚獲り

大池、小池、尾越、・・・水田の池。
(池の掘り直しとかでなく)池干しは
乾燥した年には魚を捕る。
鮒(フナ)を焼いて天日で干し、汁のダシにしょうた。
(汁の)味がえかった。

昔は大池でも小池でも、池が干でしまようたら魚を捕りにいきょうた。大人も子供もはいって取りょうた。
鮒がおるばあじゃ。
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