茂平と国繁の間に水落の段々畑が広がっていた。
その畑は細い道をへいどら(ヘードラ)を天秤棒で担ぎながら登った。
集荷時(芋や除虫菊)は海辺に下り、農船で運搬して家に持って帰っていた。
母の話・2002.9.15
水尻の東側の海辺
満潮の時も、通れる道がついとった。
歩いて急の(上り)の道じゃった。毎日行きょうた。
麦や芋や薄荷を植えとった。
三反あった。
おひちに茶碗や箸や茶をいれて・・、大荷物じゃった。みな持っていきょうた。
かんちゃん、ゆきのりさん、やっさん、やとう、
こうきちゃん方、中や、端や、あきらさん方、にいや、道を通って。(細いが)にぎやかな道じゃった。
船に積んで、港に揚げて、車(タイヤ付きの大八車)に乗せて、そうやってもって帰りょうた。
薩摩芋でもええのが出きょうたから売りょうた。年末には芋と米を少し売って金(カネ)にしょうた。
そうでもせんとカネが入るもんはなかった。