『悟浄出世』-神知を有する魔物の巻-

 女禹のかつて識(し)っていた魔物は、上は星辰(せいしん)の運行から、下は微生物の生死に至るまで、深甚微妙な計算によって、既往のあらゆる出来事をさかのぼって知りうると共に、将来起こるべき全ての出来事をも推知することができるのであった。

 ところが、この魔物は大変不幸だった。というのは、この魔物がある時ふと、

――自分の予見しうる全世界の出来事が何故に(経過的ないかにしてでなく、根本的な何故に)そのごとく起こらねばならぬかということに想達し、その究極の理由が、彼の計算でもついに探し出せないことを見出したからである。

 ヒマワリは何故黄色いか。何故草は緑か。何故すべてがかく在るか――この疑問が、この神通力広大な魔物を苦しめ悩ませ、ついに惨めな死まで導いたのであった。

   ※     ※     ※
 いやあ、面白いですね。「わいからないことをわからんとしておく勇気」が持てなかった魔物の話……。
 さて、つぎに女禹が話した妖怪は、小さく見すぼらしい魔物の思い出……。しかしその魔物の一生は幸福だったといいます。どんな魔物だったのでしょう。
 それはまた次回のお楽しみ。

   ※     ※     ※
 今日は、ご詠歌のダブルヘッダー。思わず、昨日のラリーとトレーシーの話に熱が入って、時間が延長になってしまいます。そう言えば『悟浄出世』は、自閉症の彼らが今回の旅をして、坊さんやら、いろいろ人に出合っていく旅の映画『ロード・トゥ・うどん』(仮題)と似ています。
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『悟浄出世』-女禹の巻-

 悟浄はついに目指す女禹(じょ・う)のもとに着いた。

 女禹は一件きわめて平凡な仙人で、むしろ迂愚(うぐ)とさえ見えた。悟浄が来ても、彼を使うわけでもなく、教えるわけでもなかった。
 ほんの時たま、独り言のようにつぶやくのだが、声が低くて聞き取れなかった。
「賢者は他人について知るよりも、愚者が己について知るほうが多いものゆえ、自分の病は自分で治さねばならぬ」とういのが、女禹から聞いた唯一の言葉だった。

 三カ月たって悟浄はあきらめて、暇乞いに師のもとへ行った。するとその時珍しくも女禹は悟浄に縷々として教えた。

「目が三つないからとて悲しむことの愚かさについて」
「爪や髪の伸長をも意志によって左右しようとしなければ気が済まない者の不幸について」
「酔うている者は車から堕ちても傷つかないことについて」
「しかし、一外に考えることが悪いとは言えないのであって、考えない者の幸福は、船酔いを知らぬ豚のようなものだが、ただ考えることについて考えることだけは禁物であるということについて」

  ※     ※     ※
 ここから、『悟浄出世』は、女禹の知っている妖怪たちの話に進みます。
毎回長くご紹介しすぎているので、ここからは、少々ぶつ切りにして進めます。
ということで、次回は、ある神知を有する魔物のこと。
  ※     ※     ※
 今日はショックでした。自閉症のラリーとトレイシーという二人のアメリカ人。
 一九九二年に、音声出力付きのキーボードとファシリテーター(付き添い兼通訳者)の力をかりれば、コミニケーションが取れることが判ったそうです。その伝達手段が発明されるまで、彼らの心の苦悩を思うと、いたまれません。
 実際に彼らと話してみると、私以上に感性が豊かで、理路整然とした思考で、私の言うことは100パーセント理解してくれて、それに暖かい心からわき出る言葉を返してくれます。彼らが指一本で打ち出す英語は、とてもきれいで、分かりやすく、そして詩的です。
 自閉症といっても、さまざまな症状があるでしょうが、少なくとも、彼らは私とまったく同じように、夢があり、悩みがあります。彼らの今回の映画を通した活動が、気自閉症ゆえに、社会や他人から「意志がない、感情もない」との大いなる誤解を溶かしてくれることを願ってやみません。
 若い友人がかつて、日本の自閉症の現状を語ってくれたことがありました。言葉で喋るという意志伝達手段がないために、施設で生活していること、その施設でレイプされていても告発できないことなど……。音声出力付き日本語キーボードって無いのだろうか、調べてみようと思います。
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『悟浄出世』-まちまちな賢人たちの巻-

 流紗河と紅水と黒水とか交わるあたりに庵を結んでいるという女禹(じょ・う)までの道のりは遠い。悟浄は、そこにたどり着く間の賢者という賢者に教えを乞おうと、水底を移動している。

「『我』とは何ですか?」
 この質問に対して、ある賢者はこう言った。
「先ず吠えてみろ。ブウと啼くようならお前は豚じゃ。ギャアと鳴くようならお前はガチョウじゃ」

 他の賢者はこう教えた。
「自己とはなんぞやとむりに言い表そうとさえしなければ、自己を知るのは比較的困難なことではない。眼は一切を見るが、みずからを見ることができない。我とは所詮、我の知る能(あた)わざるものだ」

 別の賢者は説いた。
「我はいつも我だ。我の現在の意識の生ずる以前の、無限の時を通じて我といっていたものがあった。それは誰も今は意識していないが、それがつまり今の我になったのだ。現在の我の意識が滅びたのちの無限の時を通じて、また、我というものがあるだろう」

 つぎのように言った男もあった。
「一つの継続した我とはなんだ?それは記憶の影の堆積だよ。記憶の喪失ということが、俺たちの毎日していることとの全部だ。忘れてしまっていることを忘れてしまっているゆえ、いろんなこが新しくかんじられるんだが、実は、あれは俺たちが何もかも徹底的に忘れちまうからのことなんだ。――中略――それらのほんのわずか一分の、おぼろげな複製があとに残るにすぎないんだ。だから、悟浄よ、現在の瞬間てやつは、なんと、たいしたものじゃないか」

 賢人たちの徳所はあまりにもまちまちで、悟浄はまったく何を信じていいやら解(わか)らなかった。

  ※  ※   ※

 さていよいよ、目指す女禹のもとへ。旅に出てから五年の歳月が流れています。次回は、この時点での悟浄の心の内をご紹介します。

 今日(5月19日)の密蔵院は、ご詠歌の先生たちの自主練習兼布教研修が10時~15時30分まで。私はその後、息子がお世話になっていた大学の父母会の総会に向けての役員会並びに歓送迎会で巣鴨⇒池袋。これで私もお役御免となります。
 明日は、アメリカCBSのドキュメンタリー映画の撮影が丸一日かけて本堂で行なわれます。出演者の自閉症のアーティスト二人とスタッフ10名。二人の質問に私が答えることになりますので、ブログの更新が一日送れるかもしれません。『悟浄出世』を楽しみにしている方、申し訳ございません。┏〇”┓。
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『悟浄出世』-斑衣厥婆(はんいけつば)の巻-

 斑衣厥婆(はんいけつば)は、既に500余歳を経ている女怪。肌のしなやかさは少しも処女と異なることなく、そのなまめかしい姿態は鉄石の心をも溶かすと言われていた。肉欲の楽しみを極めることをもって唯一の生活信条としていたこの老女怪は、自宅の裏庭にたくさんの部屋を並べ、容姿端麗な若者を集めてこれを満たし、その楽しみに耽(ふけ)るために、交友を断ち、昼をもって夜に継ぎ、三カ月に一度しか外に顔を出さないのである。

 悟浄の訪ねたのはちょうどこの三カ月に一度の時だった。
 道を求める者と聞いて、女怪は悟浄に言った。物憂い疲れの翳(かげ)を美しい顔のどこかに見せながら……。

――この道ですよ。この道ですよ。聖賢の教えも仙哲の修行も、つまりはこうした無上法悦の瞬間を持続させることにその目的があるのですよ。
この世に生まれることは、大変な困難なこと、その上、死は呆れるほど速やかに襲いかかってくるのです。遇(あ)いがたき生をもって、及びやすき死を待っている私たちとして、いったい、この道のほかに何を考えることができるでしょう。ああ、あのしびれるような歓喜!常に新しいあの陶酔!――

 さらに、斑衣厥婆(はんいけつば)は言います。

――悟浄が醜いから本当のことを言うが、後ろの部屋では毎年百人の若い男が疲れのために死んでいく。それも喜んで、満足して、と。

 そして、最後に斑衣厥婆(はんいけつば)はこうつけ加えます。
「徳とはね、楽しむことのできる能力のことですよ」

 醜いがゆえに、毎年死んでいく百人の仲間に加わらないで済んだことを感謝しつつ、悟浄はなおも旅を続けます。

  ※  ※  ※
「徳とは楽しむことのできる能力」……なるほど。
 大辞林によると【徳】の第一の意味は[修養によって得た、自らを高め、他を感化する精神的能力]とあります。この場合の「他を感化する」が、どの範囲までなのかは大いに問題になるところ。極端に限定された中だけで通じる「徳」では、それは徳とは呼べないのではないかと思うのですが……。

 多くの怪しげな宗教団体が、斑衣厥婆的ハレンチ儀式の要素をもっているのは、このような、言葉の意味のすり替えが行なわれているからなのでしょう。『悟浄出世』の中島敦、アッパレであります。

 さて、この物語、訪ねるべき聖の所へ行く前に、悟浄の「我とはなんですか?」という質問に、沢山の賢者がこたえる場面へと続きます。こりゃ面白いです。
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『悟浄出世』-状況設定-

 このブログは、ここのところ、西遊記で三蔵法師が紗悟浄と出会う前までの悟浄の物語――『悟浄出世』をダイジェストでご紹介しています。その頃の悟浄が、頭でっかちな私にあまりにも似ているからです。
 そこで、ここで一度、悟浄が巡っている流紗河に住む妖怪たち(一万三千匹?人?)の状況について触れておきます。

 この河の中にも、人間世界の文字の発明のことは伝わっていたのですが、彼ら妖怪たちの間では、文字を軽蔑する習慣がありました。生きている智恵が、そんな文字などという死物で書き留められるわけがない、絵にならまだしも描けるだろうが。それは煙をその形のままに手でとらえようとするにも似た愚かさであると、一般的に信じられていたのです。

 文字を知ることは、彼ら妖怪にとって、生命力衰退の兆候(しるし)としてしりぞけられました。悟浄が日ごろ憂鬱なのも、悟浄が文字を解するために違いないと思われていたのです。

 このように、妖怪たちの間では、文字は尊ばれなかったのですが、思想が軽んじられていたわけではありません。一万三千と言われる怪物の中には哲学者も少なくありませんでした。ただ、彼らの語彙ははなはだ単純だったので、最もむずかしい大問題が、最も無邪気な言葉をもって考えられていました。

 そしてまた、彼らは、いずれも自己の性向、世界観に固執(こしゅう)していて、他との討論の結果、より高い結論に達するなどということを知りません。他人の考えの道筋を辿るには、あまりにも自己の特徴が著しく伸長しすぎていたのです。

 それゆえ、流紗河の水底では、何百かの世界観や形而上学が、けっして他と融合することなく、あるいは穏やかな絶望の歓喜をもって、あるものは底抜けの明るさをもって、あるものは願望(ねがい)はあれど希望(のぞみ)なきため息をもって、揺れ動く無数の藻草のようにゆらゆらとさだまりなく動いていたのです。

『悟浄出世』の筆者、中島敦は上記の状況設定を、物語の初めの頃にしてくれています。今回は、私がかなり現代文に訳しましたが、原文はもっと格調高い筆致。
それにしても、この状況設定は、流紗河にあらず、私たちのもっている心のあり方をデフォルメ(強調)して、それを見事に川底に住む妖怪たちの姿として重ねています。
「願望(ねがい)はあれども、希望(のぞみ)無きなきため息」――そんなため息を吐く人をどれほど見てきたことでしょう。そして、私自身がどれほど吐いてきたでしょう……。

……ということで、次回は話を『悟浄出世』のイヤラシイ女妖怪の場へと戻します。
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『悟浄出世』-蒲衣子の弟子の巻-

 蒲衣子(ほいし)の弟子の中に、一人、異常に美しい少年がいた。師も朋輩もこの少年を愛した。素直で、純粋で、この少年の心は疑うことを知らないのである。

 ただあまりにも美しく、あまりにかぼそくて、まるで何か貴い気体ででもできているようで、それがみんなに不安なものを感じさせていた。少年は、暇さえあれば、白い石の上に淡飴色の蜂蜜を垂らして、それでヒルガオの花を画いていた。
 
 悟浄がこの庵室を去る4、5日前のこと、少年は朝、庵(いおり)を出たっきりもどって来なかった。彼と一緒に出て行った一人の弟子は不思議な報告をした。
――自分が油断をしているひまに、少年はひょいと水に溶けてしまったのだ、自分は確かにそれを見た、と。
 他の弟子たちはそんなばかなことがと笑ったが、師の蒲衣子(ほいし)はまじめそうにそれをうなべった。(※うなづくの意か?名取注)
――そうかもしれぬ。あの児(こ)ならそんなことも起こるかもしれぬ、しまりに純粋だったから、と。

 悟浄は、自分を取って食おうとした鯰の妖怪のたくましさと、水に溶け去った少年の美しさを、並べてかんがえながら、蒲衣子のもとを辞した。

※「白い石の上に、淡い飴色の蜂蜜で春顔の絵を描く」少年……。この表現こそ、まるで絵みたいですねぇ。こういう情景描写を普段の生活の中でも、せめて一週間に一度くらいはしてみたいと思いました。

 さて、次に悟浄が訪れるのは、すでに五百余才の妖艶淫靡(ようえんいんび)な斑衣厥婆(はんいけつば)という女怪。かなり淫靡な話の展開になります。品行方正な方々からひんしゅくを買いそうですが、これもまた生き物の一側面としてご了承ください。

 今日は今週七回目のご詠歌(かなり異常です)。会場は千葉県幕張。それを終えて、6月に『お布施で困ったことありませんか、その2』という一般向けのセミナーの会場下見でお茶の水の明治大学へ。明日の法事の準備は長男がやってくれるので、こんなことができるのだなと、つくづく思います。合掌・合掌。
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『悟浄出世』-蒲衣子(ほいし)の巻-

 蒲衣子(ほいし)の庵室は、変わった道場です。わずか4、5人の弟子しかいませんが、全員自然の秘密の鍵の探究者、というより陶酔者たち。彼らの勤めるのは、ただ、自然を観て、しみじみとその美しい調和の中に透過することでした。
 
 ある弟子が悟浄に言います。
――まず感じることです。感覚を、最も美しく賢く洗練することです。自然美の直接の感受から離れた思考などは、灰色の夢です。心を深く澄ませてごらんなさい。雲、空、風、雪、うす碧(あお)い氷、紅藻の揺れ、夜水中でこまかくきらめく珪藻類の光、オウムガイの螺旋、紫水晶の結晶、ざくろ石の紅、螢石の青。なんと美しくそれらが自然の秘密を語っているように見えることでしょう。――彼の言うことは、まるで詩人の言葉のようです。

 別の弟子が言います。
――それだのに、自然の暗号文字を解くのも今一歩というところで、突然、幸福な予感は消え去り、私どもは、またしても、美しいけれども冷たい自然の横顔を見なければならないのです。これも、私どもの感覚の鍛練が足りないからであり、心が深く潜んでいないからなのです。私どもはまだまだ努めなければなりません。やがては、師の言われるように『観ることが愛することであり、愛することが創造(つく)ることである』ような瞬間をもつことができるでしょうから――

 その間も、師の蒲衣子は、一言もしゃべらず、鮮やかな緑の孔雀石を手の上に載せて、深い歓びをたたえた穏やかな眼差しで、じっとそれを見つめています。
悟浄は、自分にとって場違いであると感じながらも、彼らの静かな幸福に惹かれて、一ヶ月ばかり滞在することになります。

 そして、悟浄がその庵を離れる4、5日前に不思議なことがおこります。が、それは次回にご紹介……。
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『悟浄出世』-無腸講公子の巻-

(悟浄が、)隣人愛の説教者として名高い無腸公子の講筵に列したときは、説教半ばにしてこの聖僧が突然飢えにかられて、自分の実の子(もっとも彼はカニの妖精ゆえ、一度に無数の子供を卵からかえすのだが)を、二、三人、むしゃむしゃ食べてしまったのを見て、仰天した。

 慈悲忍辱(じひにんにく)を説く聖者が、今、衆人環視の中で自分の子を捕らえて食った。そして、食い終わってから、その事実をも忘れたるがごとくに、ふたたび慈悲の説を述べはじめた。忘れたのではなくて、先刻の飢えを満たすための行為は、てんで彼の意識の飢えに上っていなかったに違いない。

 ――ここにこそ俺の学ぶべきところがあるかもしれないぞ、と悟浄はへんな理屈をつけて考えた。俺の生活のどこに、ああした本能的な没我的な瞬間があるか。彼は貴き訓(おしえ)を得たと思い、ひざまづいて拝んだ。いや、こんなふうにして、いちいち概念的な解釈をつけてみなければ済まないところに、俺の弱点があるのだ、と、彼は、もう一度思いなおした。教訓を、缶詰にしないで生のままに身につけること、そうだ、そうだ、と悟浄は今一遍、拝をしてから、うやうやしく立ち去った。

 皆さんの生活の中には、本能的な没我的瞬間がありますか?――などと言ってはいけないのだな。ぐははは。
「教訓を、缶詰にしないで生のままに身につけること」――私をはじめ、世のお坊さんたちにとって、肝に銘じるべき言葉でありましょう。
 ではまた次回。
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『悟浄出世』-蚯髭鮎子(きゅうぜんねんし)の巻-

 貪食と強力(ごうりき)とをもって聞こえる蚯髭鮎子(きゅうぜんねんし)を悟浄が訪れた時、色あくまで黒く、たくましげなこのなまずの妖怪は、その長い髭をしごきながら
「遠き慮(おもんばかり)のみすれば、必ず近き憂(うれ)いあり。達人は大観せぬものじゃ。」と教えた。

「たとえば、この魚じゃ」と鮎子(ねんし)は眼前を通り過ぎる一尾の鯉をつかみ捕ったかと思うと、それをムシャムシャかじりながら、説くのである。

「この魚がなぜ、わしの目の前を通り、そうして、わしの餌とならればならぬ因縁をもっているか、をつくづく考えてみることは、いかにも仙哲にふさわしき振る舞いじゃが、鯉を捉える前にそんなことをくどくどと考えておった日には、獲物は逃げて行くばっかりじゃ。-中略-鯉はなぜに鯉なりや、鯉と鮒(ふな)の相違についての形而上学的考察、等々の、ばかばかしく高尚な問題にひっかかって、いつも鯉を捕らえそこなう男じゃろう、お前は。お前の物憂げな眼の光が、それをはっきりと告げとるぞ。どうじゃ」

――悟浄はハッと思って首をあげた瞬間、妖怪の刃のような鋭い爪が、恐ろしい速さで悟浄の咽喉をかすめます。あわや喰われる寸前で、悟浄は強く水を蹴って、泥煙をたてて逃げ出しました。

悟浄は思います。--過酷な現実精神をかの獰猛(どうもう)な妖怪から、身をもって学んだのだ、と。――

 鮎子の最初の言葉「遠き慮りのみすれば、必ず近き憂いあり」はいい言葉ですね。思わず身の回りを見回してしまいます。そして、「ばかばかしくも高尚な問題」という表現もカラッとしていて好きです。

 さて、悟浄が次に行くのは、隣人愛の説教社として有名な無腸公子(むちょうこうし)の講演会。この講演会の席上、公子は唖然とするような行動にでますが、悟浄はそれをどう考えるか…。お楽しみに!

 今日の密蔵院は、『写仏の庭』13時~15時・19時~21時。
 私は残念ながら、会議他があるのでだ外出してしまいますが、誠実な話し方をする長男の清仁(せいじん・24才)がお相手申し上げます。┏〇"┓。
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『悟浄出世』-醜い乞食の巻-

 次に悟浄が出会うのは、醜い姿の乞食…。
 彼は悟浄のそばに寄ってきて言います。
――僣越(せんえつ)じゃな。わしを哀れみなさるとは。若い方よ。わしを可哀相なやつと思うのかな。どうやら、お前さんのほうがよほど可哀相に思えてならぬが。このような形にしたからとて、創造主をわしが怨んどるとでも思っていなさるのじゃろう。どうして、どうして。逆に創造主を讃(ほ)めとるくらいですわい。このような珍しい形にしてくれたと思うてな。これからも、どんなおもしろい格好になるやら、思えば楽しみのようでもある。――中略――わしは、無をもって首(かしら)とし、生をもって背とし、死をもって尻としとるわけじゃ。アハハハハ」

そ してまた、乞食は自らを、ものの形を越えて不生不死の境に入っているので水にも濡れず、火にも焼けず、寝て夢見ず、覚めて憂(うれ)いなき者と言います。そして、悟浄は……

 気味の悪い笑い声にギョッとしながらも、この乞食こそあるいは真人というものかもしれないと思うた。この言葉が本物だとすればたいしたものだ。しかし、この男の言葉や態度の中にどこか誇示的なものが感じられ、それが苦痛を忍んでむりに壮語しているのではないかと疑わせたし、それに、この男の醜さと膿の臭さとが悟浄に生理的な反発を与えた。

 が、悟浄は彼から、師匠のジヨウのことを聞きます。その師匠は、北の方2,800里。流紗河が赤水(せきすい)と墨水(ぼくすい)と落ち合うあたりに庵(いおり)を結んでいると……。

 ここから北を目指す悟浄。その途中で出会ったのは鯰(なまず)の妖怪。名を蚯髯鮎子(きゅうぜんねんし)。この鯰、ただ者ではない……。どうなる!悟浄の運命は如何に。

 深夜をまわって12日になったので、そそくさとアップ。今日は予定一杯の一日ゆえ。┏〇"┓。
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