『悟浄出世』-蚯髭鮎子(きゅうぜんねんし)の巻-

 貪食と強力(ごうりき)とをもって聞こえる蚯髭鮎子(きゅうぜんねんし)を悟浄が訪れた時、色あくまで黒く、たくましげなこのなまずの妖怪は、その長い髭をしごきながら
「遠き慮(おもんばかり)のみすれば、必ず近き憂(うれ)いあり。達人は大観せぬものじゃ。」と教えた。

「たとえば、この魚じゃ」と鮎子(ねんし)は眼前を通り過ぎる一尾の鯉をつかみ捕ったかと思うと、それをムシャムシャかじりながら、説くのである。

「この魚がなぜ、わしの目の前を通り、そうして、わしの餌とならればならぬ因縁をもっているか、をつくづく考えてみることは、いかにも仙哲にふさわしき振る舞いじゃが、鯉を捉える前にそんなことをくどくどと考えておった日には、獲物は逃げて行くばっかりじゃ。-中略-鯉はなぜに鯉なりや、鯉と鮒(ふな)の相違についての形而上学的考察、等々の、ばかばかしく高尚な問題にひっかかって、いつも鯉を捕らえそこなう男じゃろう、お前は。お前の物憂げな眼の光が、それをはっきりと告げとるぞ。どうじゃ」

――悟浄はハッと思って首をあげた瞬間、妖怪の刃のような鋭い爪が、恐ろしい速さで悟浄の咽喉をかすめます。あわや喰われる寸前で、悟浄は強く水を蹴って、泥煙をたてて逃げ出しました。

悟浄は思います。--過酷な現実精神をかの獰猛(どうもう)な妖怪から、身をもって学んだのだ、と。――

 鮎子の最初の言葉「遠き慮りのみすれば、必ず近き憂いあり」はいい言葉ですね。思わず身の回りを見回してしまいます。そして、「ばかばかしくも高尚な問題」という表現もカラッとしていて好きです。

 さて、悟浄が次に行くのは、隣人愛の説教社として有名な無腸公子(むちょうこうし)の講演会。この講演会の席上、公子は唖然とするような行動にでますが、悟浄はそれをどう考えるか…。お楽しみに!

 今日の密蔵院は、『写仏の庭』13時~15時・19時~21時。
 私は残念ながら、会議他があるのでだ外出してしまいますが、誠実な話し方をする長男の清仁(せいじん・24才)がお相手申し上げます。┏〇"┓。
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