『悟浄出世』-骨折り損をしない為の巻-

 悟浄が女兎(じょ・う)のもとを辞してのち、『悟浄出世』の筆者、中島敦は、この時点での悟浄の心理の方向性を説明してくれています。「教え」の難解さにちょっと疲れている読者への心配りでしょう。

――一つの選択が許される場合、一つの途が永遠の泥濘(でいねい)であり、他の途が険しくはなってもあるいは救われるかれしれぬとすれば、誰しも後の途を選ぶに決まっている。
 それだのになぜ躊躇していたのか。そこで、悟浄ははじめて、自分の考え方の中にあった卑しい功利的なものに気づいた。
 険しい途を選んで苦しみ抜いた揚げ句に、さて結局救われないとなったら取り返しがつかない損だ、という気持ちが知らず知らずの間に、自分の不決断に作用していたのだ。
 骨折り損を避けるために、骨はさして折れない代わりに決定的な損亡へしか導かない途に留まろうというのが、武将で愚かで卑しい俺の気持ちだったのだ。
女兎のもとに滞在している間に、悟浄の気持ちもしだいに一つの方向へ追い詰められてきた。

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筆者は更に悟浄の心理を力強い筆致で説明していきますが、それはまた次回のお楽しみ。なんだか、このあたりのクダリは、かつての、そして現在でも時々私の頭をかすめる気持ちを代弁しているかのようです。
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長男と一緒に拝むご法事も、多分10回を越えただろう。今日一緒に拝んでいて、「本尊さまは私一人で拝むより、この若き青年僧侶と二人で拝むほうが、喜んでいる」――そんな気がした。
今日の法話の備忘録――M家のご法事「余生なんて言うの、よせぃ」、Y家のご法事「般若心経と“風が吹けば桶屋が儲かる”」、そしてお世話になっているお寺の行事では「信州信濃の早太郎」の一席。
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