『悟浄出世』-時は人の作用(はたらき)の巻- 

 さて、いよいよ『悟浄出世』も一幕の終わりに近づきました。さすれば、はしょらずに、丁寧にやってみましょう。ィヨーッ、まってました。

 夢か現(うつつ)かの悟浄の前に姿をあらわしたのは、悟浄をいたく哀れんで、この頭でっかちなカッパの妖怪を救わんとする、観世音菩薩とその弟子の木叉恵岸(もくしゃえがん)。
 木叉恵岸が師の思いを代弁して悟浄に言います。

――身の程知らずの悟浄よ。よく聞きなさい。――中略――汝は思考によって救われるべきくもないがゆえに、これよりのちは、一切の思念を捨て、ただただ身を動かすことによってみずからを救うと心がけるがよい。
 時とは人の作用(はからき)の謂(いい)いじゃ。
 世界は、概観によるときは無言のごとくなれども、その細部に働きかけるときはじめて無限の意味を有(も)つものじゃ。
 悟浄よ。まずふさわしき場所に身を置き、ふさわしき働きに身を打ち込め。
 身の程知らずの『何故』は、向後(こうご)一切捨てるのじゃ。これをよそにして、汝の救いはないぞ。―――
――さて、この秋、玄奘法師とその二人の弟子が、唐の皇帝の命を受け、天日に真経をとらんと赴く。悟浄よ。汝も、玄奘に従(したご)うて西方に赴け。途は険しかろうが、よく疑わずして、ただ努めよ。
 弟子の一人に悟空なるものがある。無知無識にして、ただ、信じて疑わざるものじゃ。汝は特にこの者について学ぶところが多かろうぞ――

 悟浄が再び頭をあげた時、そこには何も見えなかった。彼は呆然と水底の月明かりの中に立ち尽くした。妙な気分である。
 ぼんやりとした頭の中で、彼は次のようなことをとりとめもなく考えていた。

……それは次回、最終回のお楽しみ。
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