『悟浄出世』-無腸講公子の巻-
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慈悲忍辱(じひにんにく)を説く聖者が、今、衆人環視の中で自分の子を捕らえて食った。そして、食い終わってから、その事実をも忘れたるがごとくに、ふたたび慈悲の説を述べはじめた。忘れたのではなくて、先刻の飢えを満たすための行為は、てんで彼の意識の飢えに上っていなかったに違いない。
――ここにこそ俺の学ぶべきところがあるかもしれないぞ、と悟浄はへんな理屈をつけて考えた。俺の生活のどこに、ああした本能的な没我的な瞬間があるか。彼は貴き訓(おしえ)を得たと思い、ひざまづいて拝んだ。いや、こんなふうにして、いちいち概念的な解釈をつけてみなければ済まないところに、俺の弱点があるのだ、と、彼は、もう一度思いなおした。教訓を、缶詰にしないで生のままに身につけること、そうだ、そうだ、と悟浄は今一遍、拝をしてから、うやうやしく立ち去った。
皆さんの生活の中には、本能的な没我的瞬間がありますか?――などと言ってはいけないのだな。ぐははは。
「教訓を、缶詰にしないで生のままに身につけること」――私をはじめ、世のお坊さんたちにとって、肝に銘じるべき言葉でありましょう。
ではまた次回。
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