『悟浄出世』-状況設定-

 このブログは、ここのところ、西遊記で三蔵法師が紗悟浄と出会う前までの悟浄の物語――『悟浄出世』をダイジェストでご紹介しています。その頃の悟浄が、頭でっかちな私にあまりにも似ているからです。
 そこで、ここで一度、悟浄が巡っている流紗河に住む妖怪たち(一万三千匹?人?)の状況について触れておきます。

 この河の中にも、人間世界の文字の発明のことは伝わっていたのですが、彼ら妖怪たちの間では、文字を軽蔑する習慣がありました。生きている智恵が、そんな文字などという死物で書き留められるわけがない、絵にならまだしも描けるだろうが。それは煙をその形のままに手でとらえようとするにも似た愚かさであると、一般的に信じられていたのです。

 文字を知ることは、彼ら妖怪にとって、生命力衰退の兆候(しるし)としてしりぞけられました。悟浄が日ごろ憂鬱なのも、悟浄が文字を解するために違いないと思われていたのです。

 このように、妖怪たちの間では、文字は尊ばれなかったのですが、思想が軽んじられていたわけではありません。一万三千と言われる怪物の中には哲学者も少なくありませんでした。ただ、彼らの語彙ははなはだ単純だったので、最もむずかしい大問題が、最も無邪気な言葉をもって考えられていました。

 そしてまた、彼らは、いずれも自己の性向、世界観に固執(こしゅう)していて、他との討論の結果、より高い結論に達するなどということを知りません。他人の考えの道筋を辿るには、あまりにも自己の特徴が著しく伸長しすぎていたのです。

 それゆえ、流紗河の水底では、何百かの世界観や形而上学が、けっして他と融合することなく、あるいは穏やかな絶望の歓喜をもって、あるものは底抜けの明るさをもって、あるものは願望(ねがい)はあれど希望(のぞみ)なきため息をもって、揺れ動く無数の藻草のようにゆらゆらとさだまりなく動いていたのです。

『悟浄出世』の筆者、中島敦は上記の状況設定を、物語の初めの頃にしてくれています。今回は、私がかなり現代文に訳しましたが、原文はもっと格調高い筆致。
それにしても、この状況設定は、流紗河にあらず、私たちのもっている心のあり方をデフォルメ(強調)して、それを見事に川底に住む妖怪たちの姿として重ねています。
「願望(ねがい)はあれども、希望(のぞみ)無きなきため息」――そんなため息を吐く人をどれほど見てきたことでしょう。そして、私自身がどれほど吐いてきたでしょう……。

……ということで、次回は話を『悟浄出世』のイヤラシイ女妖怪の場へと戻します。
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