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蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

病名は、ブログ病

2012-10-10 | ブログ

わたしは、ブログにとりかかる時刻が遅い。
出かける時間は、すでに決まっているのに、
とりかかるスタートが遅いので、いつも、あたふた、時間に追われることになる。

ゆっくり、出かける服を選んだことがない。
靴下も、探す時間がなくて、いつも、猛スピードで、そこらへんのものをつかんで履いていく。
食事をする時間もなくなる。
口にモノを放り込んだまま、あわてて、お風呂に入り、カラスの行水の後、さささっと歯磨き。
お風呂に入っている間に、手早く、着ていく服のプランを練る。
クロゼット前で変更になったりすると、時間の予定が狂う。
恐怖の秒読みタイムが待っているので、その事態は避けたい。

失った時間の代わりに、それを補填すべく、お金がかかる。
(タクシーや、電車の電鉄会社や路線変更で料金アップ)
お金で補いきれないほど、遅刻をしたことがないので、
自分でも、ここまでなら、時間を延ばせる、と、ぎりぎりのところまで使い切ってはいるものの、
スケジュールを変更しなくてはいけないほど、時間を使い切らない。
(どこかに、ぎりぎりの冷静さは保っている)

が、いつも、いつも、冷や汗だ。

先に、余裕のある時間帯に、ブログをアップするか、
あるいは、いっそアップしないでいれば、こんなに、時間に追いかけられることもないのに。

今朝は、久しぶりに、小説をアップしたりして、朝の貴重な時間を費やしてしまった。
さらに、個人的にメールをしたり、銀行口座をチェックしたり、印刷物で調べ物をしたり、
用事の電話をかけたり・・・
ブログのための時間が、どんどん削られていく。

そうやって、スタート時間がずれ込むブログだが、
時計を気にしつつ、さらさらと書く予定が、いつも、途中で、へんにノッてきてしまって、時間切れとなる。
でも、ブログを優先して、遅刻気味になる。
投稿後の見直しのあたりは、冷や汗を通り越して、脂汗になっている。
(見直しは、行きのバス内や、電車の中ということもある)

必死でバス停留所に全速力で走り、心臓が、ばくばくを通り越して、痛い。
昨日は、心臓病ではないかと、真剣に悩むぐらい、思いっきり走ったあと、バスの中で、心臓が痛かった。
「仕事でもないのに、たいしたブログでもないのに、そこまでして、ブログを書く必要があるのですか?」
と、純粋な澄んだ目を持つ人に、問われそうだ。

時間内に収まると、とてもラッキー、ありがたいのだが、
風まかせ、気分まかせ、キー指まかせ。

今朝は、書き始めから、すでに、腰が落ち着かず、時計ばかりを見ている。
こんな日もあるってことだ。

ブログ病に、とりつかれると、こういう目に遭う。

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いつも、へらへら笑い

2012-10-09 | わたし

重い腰をあげて、ごそごそ小説に取りかかっている。


なんか、田舎のブラック・コメディみたいになってきた。
わたしは、真面目風を装って、じつは、冗談丸出しで、お遊びで書いているんだけれど、
ひょっとして、真に受けられて、「この主人公は、バカだ」「ありえない」と、お怒りの感想を持たれるかも知れない。


わたしの悪いクセは、どんな重要な局面でも、つい、へらへら笑いをしてしまうことだ。
そして、自分が、ドジを踏んで、めちゃくちゃ笑われて、バカにされていても、これまた、へらへら笑いをしてしまう。
ぴしっと、口元を引き締めろ!!と、自分に言い聞かせたい。


が、これまた、ややこしいことに、わたしは、へらへら笑いをしているのに、
他人が見ると、真剣な面持ちをしているように受け取られる。
たいして悲しくなくても、ほんのちょっとした、些細なことでも、涙は、がんがん、どんどん出るし。
ナイーヴなこころの、一般的スタンダード平均ゾーンから、少しずれたところに、
わたしのこころのセンサー、羅針盤があるようだ。


ファッションも、然り。
週末ミニ・ジャーニーには、アニマル総柄の、ロングスカート風、シフォン風ひらひらロングパンツをはいていった。
長くて、ひらひらなので、旅行には不向き。
これまで、何度も裾を踏んで、つんのめった。
バスに乗り遅れそうになって、走ったときは、いつ、こけるか、ハラハラドキドキ。
階段では、常に裾をつまみ上げなくてはならないし、トイレは、悲惨。
観光地で和式トイレだったりすると、あの、ひらひらを床に着けないで、コトをなすのは、特殊技能がいる。

大阪のおばちゃんは、アニマルの中でも、特に豹柄が好きだ。
じつは、わたし、エプロン、スリッパも豹柄。(今は、違うけれど)
ごくごく普通の、わたしのような、地味でおとなしい、平凡そのものの、おばちゃんでさえ、豹柄。
なにわの動物園のおばちゃんエネルギーか。


秋の爽やかさと、豹柄は、ちょっとミスマッチ。
ミステリアスとまではいかないけれど、見かけ、中身、こころ、・・・コンセプトがバラバラな、わたしだ。


 


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真珠の耳飾の少女と、明石のタコ

2012-10-08 | お出かけ

土日、ミニ・ジャーニー、昨日は、淡路島の淡路城、伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)を回り、
淡路島もなかなか、立派な歴史の重みのある地なんだと、いまさらながら感心した。

お昼は、「いづも庵」という、うどん屋で、淡路特産の玉ねぎを堪能した。
低温で20分ほどゆっくり揚げた玉ねぎが1個まるまる丸ごと、どかーんとのっかった、玉ねぎ・つけ麺。
このお店、人気があって、45分待ちだった。
この目玉メニュー、玉ねぎが甘くて、とても美味。

店内で隣に座ったカップルは、牛丼セット(大きな丼の牛丼と、温うどんがセット)が先に運ばれ、
てっきり男の子からの注文かと思ったが、女の子のオーダーだった。
男の子は、玉ねぎつけ麺。
「おれ、もう、玉ねぎ、しばらく食べたくない」と、彼は言っていたが、
丼には、一滴のつゆも残さず、完食していた。
女の子も、すっかりきれいに、ビッグ牛丼と、うどんを平らげていた。
相撲部カップル?かも?と、立派な体格の二人。微笑ましい。


随時、インターネットで待ち時間をアップしているという、神戸市立博物館の、マウリッツハイス美術館展」。
夕方なら、待ち時間もそうかからないだろうと、パソコンでチェックしてみると、「40分待ち」ということだった。
で、帰路、途中、神戸、京橋I.Cで降り、三宮の駐車場に車を置いて、徒歩で、会場に向かった。

老若男女、けっこう、いっぱい。
この展覧会、スタートしたばかり、まだ1週間なのでかどうか知らないが、人気があるようだ。
超・有名作品「真珠の耳飾りの少女」は、貸し出しは、これが最後だとか。
見納めというわけか。
あとは、オランダ・バーグにあるマウリッツハイス美術館に出向かないと、見られないということになるようだ。

いつものごとく、オーディオ ガイドを借りたが、声の出演、スペシャルガイドは、武井咲だった。
まあまあまあ・・・どこにも、この人、ほんと、ひっぱりだこ。


小さい子供が、長蛇の列に並ばされて、かわいそうだった。
表情に、「不服」、「不満」、「不機嫌」、「イヤ」の気持ちを思いっきり、たたえて、気の毒だった。
あんな小さいと、見えるのは、ぞろぞろ並ぶ大人の腰ばかりではないだろうか。

特に、「真珠の耳飾りの少女」の展示された部屋は、一部屋まるまる、蛇状の、うねうね長い人の列。
「肩越しにご覧になりたい方は、そのまま列に並ばず、お進みください」という係員の説明だったが、
せっかく来たのだから、並んだ。
田舎モンは、こういうとき、がぜん、忍耐力をパワフルに発揮する。

ちっちゃな、真珠の耳飾の少女は、明るい強めの人工の照明を浴び、光のコントラストが際立って、
ますますキラキラ輝いていた。


「小さいうちからホンモノを見せておくのは、いいことよね」と、熟年のご婦人が仰っていたが、
わたしは、とても複雑な心境だった。
長時間、じっと待った後に、楽しいアトラクションが待っている、ディズニーランドならいざ知らず、
同情してあまりある。
あんなおチビに、なにがわかる?
・・・そういうリアクションのわたしは、やはりニセモノ育ちの、ニセモノ人間なんだろう。

旧居留地のエリアにある、神戸市立博物館。
帰りは、古い重厚な建物を利用した、ブランド・ショップの並ぶ旧居留地を歩いて、ぶらぶら。
ヴィトンのショーウインドウが、とても印象的で、思わず、カシャッとケータイとデジカメを向け、撮影。
田舎から出てきた、おのぼりさんは、いつも、カメラをスタンバイしている。
あたりかまわず、写真を撮る。


じつは、この美術館のごく近くにクライアント先があり、わたしは仕事で、2年ほど、定期的に足を運んでいたのだが、
神戸市立博物館の場所をしばしば、通行人に尋ねられたことがある。
「ここをこう行って、ああ行って」とお教えした人が、同じ場所をぐるぐる回って、
困っておられる風景にも何度か遭遇したことがある。
道行く別の人にも、尋ねておられたところも、目撃したこともある。
わたしは、自分が方向音痴なんだから、人に、道を教えてはいけない、と、深く深く、反省した次第だ。

↑このデザインは、明石海峡か鳴門の渦ぶくぶくと、明石のタコか?

そうかと思いきや、草間彌生(83)とルイ・ヴィトンがコラボレーションした新コレクション
「ルイ・ヴィトン ヤヨイ・クサマ」が今年7月、誕生したらしい。

へ~、知らなかった~。
街を歩くと、ネットを歩くより、強烈に目にダイレクトに、いろんな活きのいいものが飛び込んでくる。

 

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ぐるっと秋散歩

2012-10-07 | 

土日は、近場にミニ・ジャーニー。
さきほど帰ってきた。

行き先は、淡路島と神戸。
宿泊は、15室しかないホテル(元、旧財閥系企業の天然温泉付き保養施設)。
3連休の一日目、2日目とあって、あちこち、まあまあ人はいた。



ほんの近くなのに、まるでガイジンになったかのごとく、写真を撮りまくった。
いまさら、なにが珍しいんだ? わたし?
お城やら神社やら、大橋やら、ばちぱち、バシバシ。

(デジカメには、いっぱい、アホみたいに撮ったが、
ケータイでの写メールは、ここにアップしている、ほんの数枚だけ。
ピントが、あまい)



前に、アメリカから、隣接する市の交換留学生をホストファミリーとして預かった。
そのときに、連れて行ってあげた、歴史深いお寺や聖地の墓石やらを、
彼は、"Cool!!"と興奮しては、カメラに、ぱちぱち、おさめていた。
まさに、あんなかんじ。

わたしはガイジンとなって、日本のご近所を、新鮮な目で見た。
休日に、ちょっと出かけると、意外に楽しいということを発見。
いつもの見慣れた風景も、秋晴れのなか、大きく背伸びをしたり、深呼吸したり、
てくてく歩いたりして、秋の気持ちよさを満喫した。

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つかみそこねた、泡沫の夢・・・

2012-10-06 | 趣味

女性は、見かけの美しさが大事なのだろうか?

婚活をしている、経済的に自立している熟年女性のブログを見ると、
そういう男性が多いようだ。
特に、社会的にそこそこいっている、年収の高い男性が、女性の容姿重視の人が多いとか。

うちの夫は、気の毒だ。
これは、実感である。


わたしは、相手の男性が、よっぽど、ひどい容姿ではない限り、だいたいOKである。
障害物競争のハードルは、めちゃめちゃ低い。
(こういうと、ますます夫が気の毒である)


ダンス・パーティの時は、臭う人は、即、NG。
シャツが汗で、べとべとの人も、ほんの指先だけで、汚いものでもつかむかのようなかんじで踊る。
服装が、Tシャツだったりすると、こころの中では、NG。
この要素が、一人の人で、すべて、かぶっていたりする。
早く、パートナーチェンジしてくれないかなあと思う。
でも、ダンスが上手なら、それほど苦にはならない。(ただ、そんな人は、そういない)

会話をするのも、相手の顔がどんなにヘンで、鼻毛がちらとのぞき、歯茎が歯と同じぐら見えていても、
べつに構わない。
相手の容姿には、ほんとうに、こだわらなくなった。
というか、ある程度の年齢以上になると、容姿は衰える。
生物である以上、避けられない宿命だ。
あとは、外見を構うか、構わないか、の違い。

構う人は、ジムに行き、カラダを鍛え、オシャレなニオイの石鹸を使って汗を流し、身だしなみを整える。
少々、顔がデカかろうが、アタマに毛がなかろうが、本人の意気込みや行動で、充分、補っている。

と、アタマでは、自分で思っている・・・つもりだ・・・が。
実際のところ、なぜか、わたしは、若いイケメンには、理屈ぬきに弱い。
思考能力がゼロ状態で、ぴたっと止まってしまうほど、脳はフリーズする。

なので、全男性が、美しい若き女性を好きなことは、絶対に非難できない。


ちなみに、自分はどうかと言うと・・・

細い女性=いい女
と勘違いしている女性が、大半だと思うが、
年をとると、細いのは、みすぼらしくて、いけない。
病気っぽかったり、老けて見えたり。
ふくよかな豊満ボディのほうが、幸せのラインを形づくる。(と、わたしは、思う)

ダンス仲間の女性で、お腹周りが、ふくよかな女性がいる。
彼女は、食べることが大好きで、気にせず、食べてしまう、と言っていた。
食べる瞬間は、幸福感に満たされているが、あとで、現実に戻り、げんなりするらしい。
顔は美人。胸はGカップぐらいはあると思う、すごいグラマーさん。
背は高くなく、ウエスト周辺は、胸よりは小さいが、理想的なサイズから、やや、はずれている。
若いときは、さぞや男性の目を釘付けにし、ものすごく美しかっただろう。
明るく、たくましい、気さくな、いい感じの女性だ。
ダンス体型としては、ベストではないのが、惜しいところだ。

ダンス体型は、ある程度、背が高くて、手足が長いことが望ましいとされる。
背が低いと、目立たない。
目立って、なんぼ。


パーティに、新人さんが登場した。
すらりとした長身、身体が、しなやかで、よく動く。ダンスのセンスがあるようだ。
パーティは初めてだが、個人レッスンを受けているという。
伸びしろも、とても大きい。
そこそこ若く、ばっちり美人。

別人で、もうひとり、新人さんがいたが、彼女は、地味で目立たない。
年齢は、同じぐらいか?
この違いは、なんだろう?

新人の初々しさ、フレッシュ感は同じなのだが、違いは、
躍動感、今後への期待感かなあ・・・と思う。
ああいう、大勢の人でごった返す中では、自信なさげな、控えめな方よりも、
キラキラしている方が、断然いい。
目立ったモン勝ち。

で、もはや新人ではなくなった、自分を振り返り・・・
ため息が出た。
ただでさえ、自信のない、いじけ性質なわたしなのに・・・さらに、さらにさらに、自信を喪失した。
天性の容姿に恵まれ、見た目も美しく、ダンスの素質もある、そして自分より若い人。
こういう人が、彗星の如く目の前で、パーティ・デビューされると・・・
落ち込む。

最近、自分にハッパをかけようと気を取り直して、思い切ったドレスを購入して、張り切っていた矢先だった。
そのドレスも、わたしにしては冒険だったので、なかなか着てパーティに出ることができなかったが、
勇気を出して、恐る恐る着てみた。
そんな新しいドレスを着たわたしが、なんだか、とてもみすぼらしく感じた。
ドレスだけが、宙に浮いたような気になった。

フレッシュな新人さんは、ドレスといっても、ダンスウエアではない、普通のワンピースだった。
彼女は、ドレスの力など借りなくても、充分、本人自身の素材のよさが発揮できていた。
安っぽいドレスを着ている自分が恥ずかしくなった。


人には、人の素質、才能があり、自分には、自分の個性がある。
比較すると、自分が惨め過ぎるが、比較せずにはいられない、浅はかさ。
何年やっても、何回練習しても、飲み込みは遅く、身体も脳も、動きは悪く、
時ばかりが過ぎていき、年を取る。
端から、ひょいと、性能のいい新人が、すいすい追い越し、追い抜いていく。
メカと同じだ。
時代が進めば進むほど、高性能で、小さく、値段も安くなる。
古いメカは、本体も部品も製造中止になり、故障したらそれまで。
そっと、故障しないように、性能が悪いまま、不便な目をしつつ、大事に大事に使っていくしかない。

花が咲いてもいないのに、後輩に追い抜かれ、でも踏まれても枯れそうになっても引退もせず。

今朝、起きてみると、どかっと疲労感、脱力感に襲われた。
なんだか、一瞬、泡沫の大きな夢を見ていたかのようだ。

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遊ぼうよ、の誘惑

2012-10-05 | 日々のこと

書き始めたもの(=小説)を、一旦、途中までアップして、そのまま放置するなんて、女が、すたる。
なので、仕事でもないのに、それなりに、素人は頑張るのです。
途中で、息絶えたら、その時は、その時のこと。
道に転がった体は粉々になって、風でとばされ、宙に舞っていくことだろう。(映画のCGでよくあるシーン)
ドジヘマ失敗のひとつとして、苦々しく、こころに残ることだろう。
とかなんとか言って、すぐ、忘れることだろう。


ところで、まったく話は、ころっと変わって・・・

昨日は、「ジムさぼりたい病」に冒され、ぎりぎりまで病魔と闘った。
で、参加しているスタジオ エキソサイズ プログラムのスタートに間に合う時間のぎりぎりが過ぎ、
もう、アウトという時間になった。
その、サボリ病と闘っている間、サボリ側の応援者の顔として、ご近所のP女史の顔がちらついた。
彼女は、今年、仕事をやめ、「ヒマしてるよ~、遊んで~」というかんじのメールを最近、何通かもらった。

んで、遊んでもいいかなあ、などと、サボリ病、発症のきっかけを誘引していた。
そして、ぎりぎりを過ぎ、もうだめだ、ジムは無理、となったとき、
なぜか、急に、とりあえず、行こう!という気になった。

小雨が降っていた。
傘をさして、足早に歩き、行く道の途中、坂にさしかかかると、さらにどんどん足を早めた。
もう無理・・・なのに、とりあえず、行くだけ行ってみよう、と頑張った。
どうにかこうにか、たどり着き、へろへろになってスタジオにかけつけ、
インストラクター氏に、「行けます~?」と、半泣き顔で聞いてみると、
「まだ、大丈夫ですよ」と爽やかな笑顔とともに、快諾のお返事をいただいた。

ああ、よかった。

昨日は、カラダも軽く、いい調子だった。
先月、2回続けて休んだ(1回は、別件の用事、その次は、サボリ)後は、
エキソサイズやジム、水泳は、カラダがだるくて、きつかった。
サボリのツケは、カラダにくる。

なので、少々、しんどくても、敢行するほうがいい。

P女史、ごめんね、今度また、いつか、遊ぼうね。
(といっても、わたしは、なかなか、自宅周辺のご近所まわりを小まめに遊ぶヒマがない・・・)

 

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地にへばり付いて、一歩も動かない人

2012-10-04 | 日々のこと

重い

重い

重い・・・

重い腰を、無理やり、、がたがた、どすどすと動かして、
小説の続きを、トライしようとしている。


昨夜、深夜、パソコンに向かった。
入力しては、しーーん、ぼーーーっ、じーーーっと、モニター画面を見る。
ぼけーーーっと考える。
自分のアタマが、こんなに軽いものだとは思わなかった。
頭痛のモトさえ無い、真空パックみたいなアタマ。

動け!動け! 動け!と、アタマを蹴っ飛ばしても(→実際には足が届かないので無理がある)、
一向に、動く気配がない。
微動だにしない、物音ひとつしない。
まるで、自分のものではない、他人様のアタマのようだ。

どうでもいいことは、すらすら、なんでもかんでも出てくるのに、
小説ブログの編集画面になると、途端に、ぴたっと手が止まる。

これは、明らかに、嫌がっている。
脳からの、NOサイン。こころからの、NGサイン。
でも、ほったらかして、ずいぶん時間が経つので、嫌々、渋々、もたもた、キーを打った。

カチャッと、打っては、椅子から立って、冷蔵庫をごそごそ。
カチャッと、かすっては、ティーポットから、冷茶をとぽとぽ。
カチャっと、音を鳴らしては、室内をうろうろ。


自分は、いかに何も知らないかが、よくわかった。
そして、何に対しても興味を持っていないことを痛感した。
何にも精通していないし、世の中の何も見ていない。
ただただ、生きてきただけだ。

自分が20歳の頃は、どうだったの?
あの頃の風景は? 何に興味があったの?
何か、書くことがあるんじゃないの???
・・・何も、こころ動くものがない。
目は、どんより曇っている。

平坦なモノクロの道を歩いてきたのだろう。

自分の無知、無力さが、今頃になって、やっとわかった。


小説って、書きたいから書くものだと思っていたが、甘かった・・・
書きたくないのに、書かなければいけない・・・これは、へん、おかしいのだが、
わたしの場合、なぜだか、このケースに陥っている。


で、へぼっちい、どうにもこうにもならん、つまらん、おもしろくもなんともない、どうってことない、
続編を渋々、書き始めた。
(とりあえずは、アップせず、少しだけ書き溜める予定)
ほんと、これから、どうなるんだろう・・・

さっちゃん、という、小説の女主人公、
動いてほしいんだけど、地面にへばり付いて、頑固者で、どうにもなりゃあせん。
自立したいんだけど、方法がわからない。

あれは、わたしの分身かも知れない。

 

 

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笑う人、泣く人、怒る人、拗ねる人

2012-10-03 | 人生

自分のブログで、こころの叫び、ささやきを吐露したいところだが、
リアルな方々もお読みになるので、差しさわりがない部分だけをふるいにかけて、書くことになる。

だが、書いているうちに、そういうことはアタマからすっぽり抜け落ちてしまうこともある。
とは言っても、リアルな実生活、実在するブロガー本人の存在を誰一人知られていないブログとは、
おのずと趣は異なる。
実在のリアルな自分を知られていないブログは、嫌になったら、やめたらいいのだし、
ブログで知られたことを指摘されて、「あなた、あんなことしてたら、だめよ」とも言われないし。

ブログをやり直そうかと思ったこともある。
つい最近も、その思いに駆られた。
でも、わたしは、人生肯定派なので、自分のブログは、自分の人生の軌跡の一片であり、
閉じる必要はないと感じて、続行している。

自分の欠点や短所も、自分の一部である。
それも含めて、自分で責任をとらなければいけない。
「あなたのそこが、ダメ」「その欠点のせいで、大きなミスをした」「その配慮のなさで、迷惑をかけた」
それこそ、自分のせいである。
もっと深刻なのは、「あなたのせいで、家がつぶれた」「あなたのせいで、子供がつぶれた」
だけど、今のところ、小心者のわたしは、そこまで大きなヘマをやるには至っていない。


わたしの旅ブログは、ブロガー本人は、どこの誰ともわからないもので、
(とは言っても、身近な人には知られてしまったが・・・)
わかったとしても、主に旅の内容だから、人物や人生の否定も肯定もなく、
ただただ趣味の情報収集やら、ネタ提供やらに尽きる。


この年齢になると、思いのたけをありったけ、すべて、隅から隅まで、吐いて吐いて吐きまくりたい、
ということは、ない。
むしろ、そんなことをすると、胃が空っぽになって、カラカラして痛い。
吐露しないことのほうが多くたって、べつに消化不良になんぞ、ならない。
自浄作用が働くのか、自分の毒で、瀕死の状態に陥ることはない。

自分の病気とは、仲良く付き合っていかなければならない。
病気知らずであればあるほど、病気に弱い。
こころのバランスを保つには、積み重ねられた試行錯誤で、調整する。
空気穴を開けること。
自分も他人も、追い詰めないこと。

人間、追い詰められると、同じような行動、心理に陥るそうだ。
たずなを緩めたり、引き締めたり、ときには緊張を緩和したりして、空気の入れかえを行う。
だが、ココというときには、緊張を解かずに、一気に攻めて、コトを進めるということも大事。
そうやって、落とす、口説く、説得する、納得させる、思いを遂げる、成功を収める。

こういうコツは、成功した人には、共通するポイントだ。
成功するには、それぞれ、ノウハウ、やり方がある。
わたしは、エリートや成功者がキライではないのは、彼らには、脱落した人がしない、行動ルールを持っている。
それを聞いていると、なんだか、法則のようなものが、組み立てられている気がする。
逆に、失敗し続けていく人にも、法則があるようだ。

マインドと行動をうまく組み合わせ、脳とカラダが、協調し合っている。

ただし、コンピューターだけの行動というのも、ある。
これも、カラダを動かすと言ってもいいのだろうか?
決断→行動
というプロセスなら、クリックひとつだけでも、行動になるのかも。
クリックひとつで、先は、天国にも地獄にもなる。
思考力、決断力というものは、大事だが、
運やタイミング、勘、要領も、努力以外の要素ではあるものの、はずせない。

ビジネスや政治の世界は、奥が深すぎて、わたしごとき、なにも知らない人間が、あれこれ言っても、
なんの説得力もないが。
ビジネスだけではなく、多くのモノゴトに通じることかも知れない。

年を重ねた、よい人生を送ってきた人、幸せを手にした人には、その成功の鍵がぎゅっと詰まっている。
自分の参考になることも、いっぱいある。

ひがんだ人生を歩んでいる人よりも、明るい人生を歩んでいる人と接するほうが、絶対にいい。
不幸は不幸を呼び、不幸な人とばかり寄り集まり、さらに、どんどん不幸になり、考え方までも、マイナス志向になる。
幸せも、自分が呼び寄せる。
ぼーっとして、ただただ何もせず、幸せは、ありえないと思う。
やるべきこと、不幸を回避する手段は抜け目なく取りつつ、幸せの方向を向いて楽しく生きる。
幸せの陰には、努力が隠れている。
努力の割には、幸せになれない、と嘆く人もいるのだろうけれど。
それは、努力が足りないのか? 要領が悪いのか? 努力の仕方が間違っているのか?

なにが原因なのか、よくわからないけれど。

みなさん、ひとりひとり、顔が違うように、価値観、幸せ観も違うだろう。
自分が幸せで、回りも幸せなら、言うことなし・・・
だが、それがまた、難しい。

 

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夏過ぎて、秋めいて、冬を想う

2012-10-02 | 日々のこと

書きかけの小説、まったく、ちっとも、がんとして、動かない。
気に入ったアイデアが、出ない。
脳がストライキを起こしている。

書いては、ボツにし、また訂正しては、ボツにし。
いったい、わたしは、なにを書きたいのか?
なにを訴えたいのか?
主人公をどうしたいのか?
どう展開したいのか?

小説ブログのマイページ編集の欄に、ボツにした草稿が並ぶ。
小説って、難しい・・・というか・・・キライだ。

旅ブログは、一週間に一回程度、更新している。
まったくといっていいほど期待していないが、記事の内容によっては、閲覧数が増える場合もある。
ロングステイについて触れた最新記事では、少し動きがあった。
文章は、ほとんど力を入れていなくて、写真がメインだ。
この旅ブログは、枯れない程度に、水をやっている感がある。


で、重い重い、じつに重い腰をあげて、昨夜も、深夜であったが、パソコンに向かってみたが。。。。
やはり、書けない。さっちゃん小説。
ブラックホールに陥っているのか。
Help me!

わたしは、ちょっと、外野の意見を聞きすぎる傾向にある。
励まされたり、期待されたりすると、プレッシャーで、ますます、ダメになっていく。
このまま放置して、呆れられ、忘れられていくのだろうか。
あと少し、ほんの少しのエネルギー・チャージが必要なようだ。

自由にのびのび、枠なく、規制なく、でも、自分の決めた大きな枠の中で、手足を伸ばして動きたい。
が、それは、力を蓄えることにはならないようだ。
わたしは、やはり、攻められて動く、受身タイプ。

ダンスも、依存タイプで、自立するダンスを目指しているが、なかなか道は遠く、スランプ状態。
人のパワーを受けるのは得意だが、自分から発するエネルギーがない。
どんなものにも、性格や生き方が出る。

ちなみに、近々、マイレージが期限切れになるものがある。
有効にポイントを使うために、また飛ぶことを考えている。
それって、じつは、航空会社に飛ばされているだけなのだが。

また、今からパリかあ・・・
あんなに下調べに時間をとったパリ一人旅だったが、
(下調べもさることながら、うだうだ、どうしよう、行こうか行くまいか、と、延々悩んでいた時間がほとんど)
去年のことは、忘れてしまっているから、一からやり直しとなると、なんだか億劫になっている。
一年、一年、年を取るってことだ。

子供の頃の1日、1年と、年を取ってからの1日、1年は、長さがまったく違う。
子供の頃の1年は、人生のうちの80分の1でも、年を取ってからの年月は、残り人生の数分の1。
まだまだ後がある時間と、もう、後があまりない時間。
時間の重みが違う。
貴重であればあるほど、時間が過ぎるのが速い。


すっかり秋らしくなってきた。
あの暑い夏も、時期が来れば終わるのだ。
やがて来る寒い冬のことを憂う前に、この爽やかな時期を楽しまなければ・・・。


それはそうと、
小説・・・どうする?

 

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蝶ブログ更新、
家を出る前の30分の間に、ぴったり収まり、にっこり満足顔。


台風去って、せこくヘルシー

2012-10-01 | 日々のこと

うちの家に、台風は来なかった。

 

今朝から、物干し竿やら、ミニ物干し台やらを、えんやこらどっこいしょと、元に戻す。
ああ、泥がついている。
拭いて、きれいにして、元通り。
これで、いつものように、洗濯物が干せる。やれやれ。

 

昨夜は、台風も去ったということで、焼肉を食べに行こうかと、夫の提案。
下娘にも聞いてみたら、どっちでもいい、という。
わたしは、なんだか面倒になっていた。
冷蔵庫の中には、おっちゃんゲスト軍団用の野菜もまだ残っている。
焼肉は美味しいけれど、野菜はキャベツだけだしなあ。

 

なら、新米(2箇所から頂いている)を食べたほうがいい。
といいつつ、夜は、まだ、残っている、去年のお米を先に食べた。
・・・新米から先に食べるべきなのか?
残っている古い方から先に片付けていくと、永遠に新米が食べられないような気がするのだが、
(古いお米も、まだまだある)
新米を食べたり、去年のお米を食べたりして、交互に食べることにしよう。

 

ということで、せっかく夕食作りから解放されるチャンスを自ら放棄してしまった。
ああ、もったいない。せっかく、サボれたのに・・・。

最近のわたしは、お金の勘定、計算よりも、健康重視になっている。
外食に行かない→家計費削減→冷蔵庫の野菜を有効活用→カラダにいい野菜が摂取できる
いいこと尽くしではないか。
夕食は、名誉挽回。
夫に美味しいと言われた。(単純な好み)
ただし、手作りのものは、大根、ニンジン、セロリ、キュウリ、レタス、胡麻、昆布の和え物(サラダ)だけ。
つまり、切るだけ。
料理の腕前を評価されない、最たるメニューだ。
あとは、ひまつぶし、・・・いや、ひつまぶしと、お吸い物。
一膳目は、そのまま、二膳目は、海苔とワサビを添え、三膳目は、ダシをかけて。
三度美味しい、グリコのオマケみたいな、お得感。
これは、着替えて、お化粧し、髪を整えなおすよりも、すっと楽。

 

年を取ったのかなあ。。。。
健康第一。
というより、焼肉は、美味しいけれど、カロリーが高いし、身につくから。
この年になっても、まだ、見かけも気にしている。

 


こんな記事・・・
面白くもなんともない、平凡そのものの、単なる日常の暮らしの独り言で、
非常に、すみませんねえ・・・という気持ちです・・・はい。

 

 

 

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