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蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

影響を受けてます

2012-10-18 | 日々のこと

生活者と、芸術家の違い。
これは、相反するものである。

芸術家は、生活者になれない。
その逆も然り。

でも、家庭を持っている芸術家もいる。
学校の美術や音楽の教師をやって生活費を稼いで、リタイア後に本格的に芸術活動に打ち込む人もいる。
(しかし、芸術力が炸裂しているのは、やはり現役の頃。
仕事もしないといけないから、負のエネルギーも溜まるが、それを芸術パワーに昇華する。
だが、たいがい、実生活と芸術の同時進行、そんな器用なことは、難しい)

芸術家は、生活者としての視点を持ってはいけない、かも知れない。
芸術の世界と、アブナイ世界は、紙一重だったりもする。

生活者の視点を持ちつつ、芸術を愛する。
これって、なんだか高尚な、教養高そうな、知的でカッコイイのかも知れないが、
自分は、芸術を鑑賞する側で、発する側では、決してない。
そういう人でも、うんと、お金がある場合は、パトロンにでもなって、美術家やら音楽家やらを育てるとよろしいかと。
ちょっとだけ、お金がある場合は、美術館やコンサートに出かけたり、
お気に入りの絵画やCDを買ったり、
芸術パワーが少しだけ自分から、あふれ出た場合は、
休日に、アトリエと称する物置小部屋(納戸)で素人絵画を描いたり、
なにやら楽器を奏でたり、シンセサイザーをいじくったり、
もそもそ、ごそごそ、小説めいたものを書いてみたり。

そうやって、生活に潤いを与える。
低い賃金、劣悪な労働条件、ひどい政府、ダメなお役人、・・・そういったことも気にならず、こころを豊かにする。
これは、非常に結構な、文部科学省も絶賛するであろう、模範国民的・効果をもたらす。
これこそ「小市民」と、ひそかに、いえ、普通に、わたしは、そう、こころのなかで呼んでいる。
わたしこそ、小市民のステレオタイプではないかと自負している。
そのうち、文部科学省から、「一般・典型小市民部門」 模範国民栄誉賞が与えられるのではないかと、
ひそかに、授与式に着ていく服を物色中である。(→うそ)

ちなみに、今のこのノリは、つい最近、知った、ある仏ブロガーさんの影響を受けている。
わたしは、すぐ影響を受ける。
文体は、少々違うかも知れないが、ノリが、周波数、振動数が、似ている。
細かいことは、さておき、
(わたしは、読書嫌いのため、音で言葉を覚えているので、時々、文字にすると間違っている)
滑るような、スイングするような、音感に似た文体というか、韻とはちょっと違うんだろうけれど、
(そのへん、文学部じゃないんで、専門的には、語学、わかりません)
ピアノを弾く感覚で、文字を打つ。

文字ひとつひとつに、責任を持つ、という、言葉を言霊として重く扱う、文章の師匠ブロガーさんもおられるが、
わたしは、彼女の、その真摯な姿勢も、とても尊敬している。
そして、文章における師匠として仰いでいるが、
哀しいかな、わたしは、語彙も読書量も知識も少なく、ちょっと、いえ、おおいに軽い。
なにごとも、感性に頼るところが大きい。

へぼ小説もトライ中であるが、小説になると、とたんに、指がフリーズしてしまう。

なんにしても、いずれにしても、・・・やはり、プロは素晴らしい。
心から尊敬してやまない。
その才能には、こころから拍手を送りたい。
プロと、多くのファン、あとは、斜めねじれの卑屈なコメンティター。
これらで、成り立っている?


どんな分野であれ、知識を得て、体感して、さらに深まる・・・
わたしの場合は、知能部門が、少し劣るので、知識やら見識やらが欠落しているにもかかわらず、
いきなり体験、直行便となって、体当たりする傾向にある。
そして、ああ、痛かった、ああ、良かった、ああ、酸っぱかった、ああ、寒かった・・・
そういえば、誰かが、なんか、そんなこと、言ってたぞ・・・どこかで、こんな本を読んだとか、言ってたなあ・・・
映画の中で、主人公が、かつて読んだ本のなかのヒロインの台詞で、こんなこと言ってたなあ・・・
こんな、画面、・・・登場人物のアタマのなかで回顧される映像が映し出されていたなあ・・・

また聞きの、また聞き知識が蘇る。

つまり、自分で、ちゃんと直接、知識を得ていない、読んでいない。
コピーのコピーのコピー。

絵画も、ニセモノを何百回と見ていて、ホンモノにお目にかかると、
・・・・???、似てるなあ・・・今まで見てきたニセモノと、、、そっくりだ、
と、なる。
自分の感性や、モノを見る目自体、とても疑わしく、ホンモノを見極める目など、とても持っていない。
ホンモノを見た瞬間、今までのニセモノを、どこにしまえばいいのか、どう隠せばいいのか、
どうやって消せばいいのか・・・?
そのニセモノを土台に、今までの人生を積み上げてきたのに、どうする?
たんに、上書きするだけで、コトは済むのか?

(昔の王族や貴族の子供だったら、ホンモノばかりに囲まれて育ってただろうけれど)

頼りとなるのは、たんに、好きか嫌いか、ぐらいか。
キャビアやフォアグラよりも、ラードが好きなら、それで、いいのか?(カロリー、高すぎ)
本場の本格シェフの腕を振るった逸品より、カルビーのポテトチップスが好きなら、それで、いいのか?

・・・・
ちょっと、あるブロガーさんの、影響を受けて、ただでさえ文字数が多いのに、
どんどん、文字数が増えてきてしまっている。

影響を受けるのはいいのだが、質は問わず、ただただ、多いだけになりつつあるので、
今日は、このへんにしておきます。

 

と、いきなり、
もう誰もここまで読んでくださっていないだろう、最後になってしまいましたが・・・



昨日、中之島ウォーター・フロントを歩いていたら、
ぴーひゃらぴーひゃら、ドンスカ、ブラスバンドの演奏が聞こえた。
(写真中央、白い仮設テント部分で、演奏)



この界隈、NHK朝ドラの「純と愛」で、おなじみ、毎日、お目にかかっている風景。



こういうイベントをやっていた。
ウオーター・フロントで、ちょっと涼しげな秋。

ただし、自宅から出るときは、タクシーがつかまらす、20分間歩いて、ずぶぬれ。
靴も、靴下も、シャツも、バッグも、びっちゃびちゃ。
哀しい情けない、冷たい雨でした。

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