蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、花咲く時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

赤、勝て、白、勝て。どっちも、おいしいです。

2011-01-31 | グルメ

親戚から大量にいただいた、白菜攻め、キャベツ攻め、大根攻め、から1週間。

白菜1コとキャベツ2コは、ご近所さんに食べ助け、押しつけさせていただいたが、
まだまだ残る、野菜の大群。

何年ぶりだろうと思うぐらい久しぶりに、ロールキャベツをつくった。
そして大根満載のおでん。
さらに、お好み焼き。

昨夜のメニューは、上記の大根&キャベツ・シリーズ。
残念なことに、白菜がまったく消費されていない。

白菜は、ひょっとして鍋料理で、うちでも消費できるかも?と、考え、
やたら大きな白菜を2コも家に残しておいた。
(食べかけのが、半分ぐらいあるので、在庫2.5コ)
あと1コ、お引き取りいただいたらよかったかも、と、焦りつつ後悔。
がんばったものの、キャベツの在庫は、あと2.5コ。

こういう、菜っ葉ものばかりで、家族はうんざりだろうけれど、
わたしは、さらにまた、再度、ロールキャベツを作る気、満々。
生で放置されて萎びるか、せっせせっせ調理して、作り置きするか、
どっちにしても、果敢に挑まなければ。


という食糧事情、グルメとは程遠いのだが、フランス・ワインを赤・白2本プラス。
1本は、ブルゴーニュ地方のボジョレー・ヌーヴォ—、1本は、シャブリ、辛口白ワイン。

がぶがぶがぶ。
おフランスの香りをもっと楽しまないといけないのだが、
あら、甘くておいしいわ、と、ジュースっぽい感覚で飲んでしまった。

わたしが甘いと感じた白ワイン、辛口とラベルに書かれていた。
わたし、味、わかってないってこと、ですね。

昨日は、めずらしく夫はゴルフではなく仕事だったのだが、夕食時に、ワインをがぶ飲みした。
疲れもあって、そろそろ夫は、倒れこむ頃かな~と思っていたら、
やはり、気持ちよく酔って寝てしまった。

ケンカするヒマもなく、無事に夜は更けた。

やれやれ、よかった。

夫の目が覚めたら酔いざましに、と思い、ハッサクをひと袋ずつ皮をむいて、お皿に盛り、
わたしはお先に失礼、リビングをあとにした。

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ワインボトル、あっちで写したり、こっちで写したり。
ボトルたちが、あちこち、2本なかよく、歩き回るものですから・・・・

わたし、なにやってんでしょーね。

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凍てつく冬に、のんきな春の風

2011-01-30 | 

義母(=姑)と、わたしは、よくしゃべる。
ぺらぺらぺら、と、女中・年季奉公期間中でも、夜中まででも話しまくる。
実母とは、小さいころから、そんなに話してこなかったし、今も、それほど話さない。
なぜなんだろう?

実母は、仕事をしていて、やたら忙しく、
子供たち(=わたしたち)と、ゆっくりした時間を取ることはあまりなかったように思う。
姉は、わたしの知らないことをよく母と話していたようなので、
わたしが、ぼーーとしていて、話を聞き洩らしているか、興味がなかったか、
理解できなかっただけかも知れないが。

わたしが、出産のために実家に帰っていたとき、
リビングで、母と話したり、のんびり、くつろいでいたら、1時間も経つと母は、
「こんなことして遊んでたら、なんにもできない。用事、してこよう。」
と、仕事場に出かけてしまう。
くつろぐ時間は、ある程度の時間で十分で、それ以上の非生産的な時間を過ごさないタイプだ。

それにひきかえ、わたしは、いつまでも、ずっとずっと、ぼーーーっとできる。
これは、怠けものなのか? 
脳の血流が悪いのかも知れない。


学生時代、ちゃきちゃきした、活発で有能な友人がいた。
業界第一位の大手ゼネコンを志望し、受けたが、
女子学生は当時、ほとんど受からず、彼女も例にもれず落ちた。
自分の実力を正当に評価されていない、と、かなり悔しがって、落ち込んでいた。

わたしといっしょに居て、くつろいだあと、
「さあ、オアソビは、これぐらいにして。
いつまでもスローさんといたら、なんにもできなくて、ダメになってしまう。」
みたいなかんじで、とっとと、活動拠点に戻り、頑張っていた。

わたしは、相変わらず、ぼーーーーっとしている。
仕事場や、持ち場では、動きのトロイ、たんなる「イイひと」。
ひとには、適材適所があるっていうか・・・わたし、仕事の能力、かなり低いです。


で、話は、戻るが、
義母は、専業主婦ではあるが、
家政科という、いまは、なき、お嫁さん専門学校(=女子大)を卒業して
家庭運営の実践的なことも理論も、バリバリ。
家事は、まったく落ち度がなく、完璧だ。
もし、時代が違っていて、外で仕事をしていれば、有能な仕事人になっていたことだろう。

その義母と、子供が小さいころ、深夜までよくしゃべったわけだが、
彼女の話す内容は、自分の興味があること。(当たり前だ)

当時のわたしの年齢(30歳ぐらい)からすると、まったく興味がなくても、
どんどんしゃべる。
年金、健康、夫の定年、
そういった、いまのわたしなら興味のあることだが、
子供を産んだばかりのわたしには、まったく、ぴんと来なかった。

「退職すれば、ただのひと」。

このフレーズは、何度も聞いた。
役職がぴかりと輝く、社会的には、お偉いさんだった親戚の、
退職したあとの生活を見た、義母の感想だ。
義父は、70歳まで働いたので、
「ただのひと」になってからは、あまり長い時間を経ず、この世を去った。

年金。
夫の実家(=義母の嫁ぎ先)の隣町に嫁入りした、義母の姉の例をたとえに出したり、
半径数キロメートル範囲内の身近な人の例やら、あれこれ、
30歳のわたしには、「はあ、そうなんですか・・・」と、まったく、ぽけーーっ。

健康。
あれこれ、健康に関すること、ずらり。
わたしは、病気知らずで、健康だけが取り柄だったので、これまた、
「はあ・・そうなんですかあ」と、聞くのみ。

信仰、宗教、気学、四柱推命。
占いというふうにしか、わたしには映らなかった。
いまなら、風水みたいなもの?
この分野では、当時から、生活をも左右されるほど、わたしはかなり苦労した。

あとは、嫁姑といえば、これ。
ふたりをつなぐ、強力なライン。
親戚、イエ、実家、近所、その他、血筋がらみのこと。
これは、ふたりの共通点でもあるので、延々と続いた。
お互い、同じイエに嫁いだ身、外から入って、血をつなぐ役割にあった。
姑は、嫁であるわたしの一代先輩ではあるが、当時は姑にも、まだ姑がいたので、
中間管理職ではあるものの、お役目ポジションとしては、同じ。
(姑が嫁いだ当時は、姑の姑の姑がまだ健在だった。これも、わたしと同じ。)

軍国色たっぷりの時代に育った、戦前教育を受けた義母と、
高度成長期に育ったわたしとでは、
教育内容も、家庭環境も違うので、教育や家庭から受ける価値観や感覚は、まったく違うのだが、
ケンカになるということはなく、いつも義母は、こう言った。

「おばあちゃん(姑の姑)は、えらかったなあ。
わたし(姑)みたいな、わけのわからん青い嫁を、怒りもせずに、大事に育ててくれた。
いまになって、感謝するわ。」

口だけ、めいっぱいの青いわたしを見て、当時の自分と重なり、姑は、
姑の姑に感謝し、こんどは、育てる順番が回ってきたと感じたことだろう。


いつも思う。
義母は、北風政策ではなく、太陽政策だと。
でも、その春うららの楽園で育った息子は、マザコン夫になってしまったわけなので、
やはり、太陽だけではよくない。

ほんと、教育は、大事だ。

わたしも、のほほん、はるかぜさん、で、今日まで来てしまった。
春のまま、一生を終えられるひとなど、いない。

しかし、この、のほほん性格、変えられるのか?

まあ、とりあえず、明日から、頑張ろう。

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と、いつも、問題を先送り。


トップ画像は、結婚式の日、うちで撮った写真です。
なわけないですが、こんな写真ばっかり眺めて、ぼーーーっとしてます。

冬には冬の、春には春の、風が吹く、
てことで、今日はとりあえず、のんびりと。

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ちまちま、ちいさい。

2011-01-29 | 趣味

婚活のはなしは、どうも、首をつっこみすぎ、感情移入しすぎてしまうので、
冷静さを保てない傾向にある。

下方婚、上方婚を、男女それぞれが希望しないとしたら、と、今日も、表を書いて、
ずいぶん、お相手の範囲が拡がるなあ・・・と、あれこれ計算?していた。
わたし、かなりのヒマ人?


多くの悩み多き女性の駆け込み寺的役割を果たしている、ある方のブログに、
またまた、関係ない、自分本位のことを書きこんで、
「やれやれ、スローさんは、困った人、よほど遊び相手がいないんだな」
という印象を上書きしてきてしまった。

わたしとは、あまり接点もない、同性で年齢だけが近くて、
あとはまったく正反対のタイプかもしれない教祖様と、わたしとのやりとり、
(考え方や、生き方、性格は100%違うようだが、
教祖様は、辛抱強く、ひとりひとりにコメントを返してくださる)

しかしながら、どこまでの根暗なわたしは、
わたしへのコメントは肯定的な口調だったが、教祖様の他の人へのコメントのなかに、
どちらかというと、部分的にわたしを否定するニュアンスを発見する。

お互い、気を悪くしないように、失礼がないようにという配慮から、
ちょっと、礼儀的なコメントのやり取りにもなっている感がある。
ある時は、他の女性と同様に、教祖様に、苦しみを吐露して、一時、気が楽になるが、
ふつうの日常ネタでは、本音をぶつけられないようなコメントをやりとりして、なにが楽しいの?
と、自問自答。

ここで、ふと思う・・・
わたしのグチは、ちまちまと、メンド―で、しかも、どうでもいい内容で、まことにすみません。
なんて、ちいさいの。わたし。



さて、話が、ごろりとかわって・・・
昨日は、社交ダンスのレッスン日。
中級クラスもだんだん慣れてきて、いい調子。
クラスには、お上手な男性方が4人もおられるので、順番待ちなしで常に踊れる状態。

「スローさん、レッスンにも慣れたようで、だいぶん踊りやすくなったよ」
と、クラスの先輩男性に言っていただき、大感激。
永年やってこられても、踊りにくい人って、おられるそうだ。
相性もあるようだが、わたしは、クラゲのように、付き添うタイプ。

なので、ダンスがあまり出来ない人とは、踊れない。
わたしは、リードできないから。
(社交ダンスでは、もともとリードは、男性がするのが基本)
それと、こう言うと、地獄に落ちろと言われそうだが、
お上手じゃない人とは、極力、踊りたくない。
わたしは、自分の踊りがまだ確立できていない、とてもヘタな、赤チャンの段階なので、
相手のヘタさや、へんな癖が、敏感に伝染してしまいそうだから。

上手な人は、ほんとうに上手に踊らせてくれる。
その典型、最たるものが、先生だ。
プロは、それはそれは上手に、
ヘタな人を、まるで、夢のゴンドラに乗せてくれるかのように、踊らせてくださる。
踊らせてもらっているヘタな人は、自分のチカラで踊ったような気になるのだが、
実は、そうではない。

もうひとつの教室で、先一昨日、いつも教えてくださるアシスタント女史が、お休みだったので、
直接、先生がお相手してくださった。
いつも、先生は、別のことをしていて、レッスンをろくすっぽ、見てくださらないのだが、
つくづく、先生は、上手にヘタな人を踊らせてくれる、と、感じた。
さすが、先生は、雲の上の人であって、先生だけのことはある。

女性は、足型(ステップ)は、ほとんど覚えなくてもいい、と、よく耳にするが、
わたしは、自分を甘えさせて、努力しないことを正当化するために、
その教えをよく引っ張り出してくる。
ほんとうは、正しく知って、踊れるうえで、相手に合わせるのが正解。

ヘタな男性は、自分のリードがうまくないくせに、
そのリードを感じ取ってくれない女性のヘタさのせいにする。
そんな男性と何度も踊ったことがある。
その頃は、わたしもほとんど踊れない状態に近かったので、よくわからなかったが、
自分の力量を棚に上げて、相手を非難するなんて、サイテー。

たとえ、オアソビ、趣味の世界であっても、人間性がよく表れる。


さてさて、
あっちこっちのブログから帰ってきて、ほっと落ち着くかんじ。

ちょっとだけ、ちいさな声で言いますが、
いまのわたしには、
ちいさい日本を飛びだし、とある広~い国(米・中西部)にお住まいの、とある方、
細かいことをあれこれ言わなくても、おおきな枠で、でで~ん、と、たくましい
その方の生活力が、なぜなのか、わらないけれど、
落ち着きと、力を与えてくれる

 


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 大枠で、勝負。
こまかいことにこだわっていては、前に進みません。
ということですね。

 

画像は、苦しまぎれ第二弾。
ピンぼけ、旅のおみやげグッズ。
アルフォンス・ミュシャの絵柄のステンドグラス(買ったのは、プラハ)
プラハには、ミュシャ美術館があり、鑑賞しましたが、
ずいぶん、こじんまりしているなあという印象を受けました。




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婚活、うまくいくことをお祈りしています

2011-01-28 | 時事&世の中

今日は、ふらふらと、ブログ村を出歩いていた。
今、帰ってきたところ。
時間がないのに、どこをうろついている?
さあ、はやく、更新しなくっちゃ。

本日のわたしのエッセー・ランキングの人気記事のひとつ上に出ていたブログが目にとまった。

それのひとつ目の記事を読むと、最後に「To be continued」となっていて
リンク先に(無理やり)飛んで行かされると、「婚活」ジャンルのランキングになっていた。
そのブログは、エッセー以外に、婚活ジャンルに登録されているようだ。
(ひとのことはまったく言えないけれど、そのひとには悪意はないだろうけれど
意に反して飛ばされると、トリッキーなようで、ちょっと後味はよくなかったが・・・)

ずらり、ずらずらある婚活ブログ

で、そのランキングされているブロガ―さんが、ずらずら~~といるなかで、
IN数は少ないが、OUT数の多いひとのブログを見てみた。

そのひと、Mさんの記事に別の婚活女性、Iさんがコメントしていて、
貼り付けてあるURLから、Iさんのブログにまたまた飛んで行った。

そこに、(よせばいいのに)(あほみたいに)、わたしはコメントを寄せた。

あまり懇意でもない男性からメールで、質問攻めにあってイラつく、という記事だった。
次々に質問してくる男性。

男友達は、多い?
彼じゃない男友達と二人っきりでも会う?
きょうだいは、いる?
お兄さんの職業は、なに?

あきらかに、カノジョ候補、その先には、結婚相手候補を探していると思われる内容。
焦ってるって、かんじ。
もっと、時間をさいて、ゆっくり、自然な会話の中で、聞いていけばいいものを。

せっかちなのか、時間や手間暇が惜しいのか、手順がメンドーなのか、合理主義者なのか。
女性心理に無頓着なのか。

オトコのひと、なんだかかわいそう・・・

でも、こんなにぼろくそ言わなくても、いいじゃない、と、男性の肩も持つ、わたし。
人間関係、とくに、女性とのお付き合い経験が浅いのだろう。
よほど、モテモテの人は別として、
ひとは、失敗経験を積んで、徐々に学んでいく。
経験を積むにも、最初でつますいて、経験自体を積み損ねる。
失敗だと気付くとろこにたどり着く以前に、女性に入り口のところで嫌われて、
交際そのものすらスタートしない。

女性も、もっと、おおらかなこころに、なれないのかな?
(でも、あまり、おおらかになりすぎると、
うちの夫のような甘甘マザコン夫を修正・矯正できないままの、無能妻になってしまうけれど)

そのひと、Iさんのブログには、おそらく、わたしは、もう訪れないだろう。


Iさんは、もともとMさんのブログに、コメントをつけていたひとなのだが、
そのMさんに、わたしは、またまた(よせばいいのに)(あほみたいに)コメントをつけた。

アラフォー30歳半ば過ぎの、東京在住、学歴も年収も、まあよく、アソビまくったMさん。

アソビにも飽きて、そろそろ結婚を、ということで婚活中。
スミからスミまで、ブログを読んだわけではないので、よくわからないところもあるけれど、
学歴あたりは、わたしの勝手な想像。
だって、あれだけのことを男性に望んで言ってのける、ってことは、
それなりの学歴・能力があるに違いないと、確信している。(ですよね、Mさん)
(が、その割には、アソビのイメージが、わたしの描く学歴・能力のイメージと、ちょっと違うのだけど)

いやあ・・・それにしても、目が厳しい。
あれでは、ほとんどの男性は、彼女たちの基準をクリアーできない、と、なかば恐怖に映った。

学歴、経済力があるけれど、生真面目、勉学・仕事一筋のダサダサ君とかではなく、
よくアソビ、よく学べのコース。
男性で、条件が整って、なおかつステキな人は、とっくに結婚してるのが、現実。
結婚してないとすると、すこぶる理想が高いので、ちょっとやそっとの女性では合格点に達しないだろう。
接点のないところの「虚」を求めて、婚活しても、
実を結ぶのは、地面や土のないところに種をまいて、水をやるようなもの。
(水だけで育てる植物もあるけれど)

望むのは、自分より上のランク? 同じランク? 下のランク?

下方婚を求める上層男性(=上方婚を求める、上層以外の女性とすでに結婚)
同レベルを求める上層男性(=同レベルの上層女性とすでに結婚)

上方婚を求める上層女性(=日本にはいないので、世界のトップレベルの方と、どーぞ)
同レベルを求める上層女性(=男性は、下方婚、または同レベルの人とすでに結婚して、人数が激減)

(※上方婚=自分より上のランクのひととの結婚
  下方婚=自分より下のランクのひととの結婚)

男性が下方婚を、女性が、上方婚を好む限り、
上層男性・下層女性が一番、選べる範囲が広くて、
上層女性・下層男性が、一番、選べる範囲が狭い。

なので、女性が、下方婚を、男性が上方婚を望めば、マッチングの数は、激増するはず。
だけど、男性はよくても、女性が、どう思うか。
男性がよほど若くて、イケメンで、性格がよい、ぐらいのメリットがないと、
女性は、年がいっていて風采もあがらず、年収も自分より下で、という男性と結婚するかしらん。

ま、それはそれとして、多くの男女が頑張って努力している。

複合的、いろいろな見かた、複雑な心境です。

わたしは、母親の目になる。
しかも、娘の母親でもあり、息子の母親でもある。
子供たちは、自立して気がつくと、家庭生活自立ができていない夫が残った。
マザコン夫の嫁でもある。

わたしが、いまの彼女たちのような状態なら、ぜったいに、マザコン夫とは結婚しなかっただろう。
幸か不幸か、結婚したので、娘や息子たちが、この世に誕生した。

しかし、娘たちは、(アソビの傾向や嗜好は違うにしても)、Mさんとおなじように、
厳しい目で、男性を結婚相手として落第させていく。
いつまでも、いつまでも、そうし続けるとは思えないが(思いたくないが)、

彼女たちをつくりあげたのは、だれ?
結婚なんてしたくなかったけど、
そうしたくても、できなかった、母である、わたし?
結婚って、よくないよ、って、娘たちに無言で伝えているのだろうか。
それとも、世相、時代の風潮?

わたしができなかったことを堂々とできて、
わがままいっぱい言えていいなあ・・・と羨ましい半面、
イラついちゃうのは、なぜなんだろう?

ナニ様?

いえ、あなた様は、お偉い。おそらく。たぶん。
無理して結婚しなくても、いいんじゃないかって思う。
ある年齢に達すると、肉体的にだけでなく、いろんなことが、もう無理なんじゃないかって思う。

アカの他人だから、突き放しているようだけど、
これが、我が娘なら、もっともっと、あの手この手で、ある年齢になるまでになんとか、と、
アメとムチで、頑張って結婚をススメるだろう。

ひとりで生きていけるのなら、そっちもいいかも?なんて、思うけれど
とりあえずは、結婚して、子供を産んで、育てて、それから、また、考えたらどう?

なんて、自己中なの。わたし。


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世の中には、もっと違う立場や環境、考えで、婚活をしている人々も多くおられることでしょう。
ただし、あやしい結婚相談所もあり、まんまと騙されて、大金を棒に振った方もおられるようです。

日本人女性が嫌がるような条件の結婚生活を、
大金を払って、海外の女性に代わりにやってもらおう、なんて、
なんだか、人身売買みたいで、ぞっとします。

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あっち、こっち、そっち。どっち?

2011-01-27 | 華のスロー人

最近、ブログ村でのランキングの登録を、少し変えてみた。

「自分らしさ」をやめて、「エッセー」に、シフト。
「50代」は、そのまま。

新しく登録した「エッセー」は、なかなかランキングされないし、
ランキングされても、3ケタ台(100位~)みたいな
自分の人気記事を探すだけで疲れてしまいそうな順位が多かった。

「50代」は、登録数やアップ数が少ないこともあり、
毎日、ほとんど、なんらかのところに、ランキングされている。
ちょっとここのところ、やっとこさ、「エッセー部門」で、
さがしやすいところあたりの順位に顔を出すようになった。

「エッセー」は、「小説」ジャンルの中のひとつ。
「小説」は、「エッセー」の、親元みたいなもの。
その「小説」にも、ランキングされているのを発見して、とても嬉しかった。

こんなに苦労して(?)ランキングされた「エッセー部門」の記事なのに、
不思議なことに、「エッセー」の上位に入っても、「50代」には入らないことがある。

年代らしさや、年齢の特徴を色濃く表していない内容の場合、そうなるのか。

ブログ村では、「50代」は、「ライフスタイル」ジャンルの中に設定されている。
「自分らしさ」も、そう。
ごく稀に、親元である、「ライフスタイル」に、ランキングされていることもある。
お花とか、ごく普通の日常の暮らしを綴ったりすると、意外なランキングに、喜んだりする、わたし。

小説では、「BL」→ボーイズ・ラブ(Boys Love)
(日本における男性の同性愛を題材とした女性向けの小説)という分野があるようで、
この言葉、恥ずかしながら、はじめて知った。
あ、はじめてでもない。呼び名が変わるだけで、
そういえば、この分野、小さいころ、竹宮惠子さんのマンガとか、よく読んでいたっけ。

いまのところ、既存のお気に入り以外には、新たに、ひとさまのブログを読む余裕がないが、
連続の読み物になっていて、読者数は、とても多いようだ。


愚痴ったり、自慢したり、自虐したり、過小表現や、過大表現、誇張癖あり、など、
ひとさまに向かって、直接、言えないことを、わたしは、
ぶつぶつと、それこそ、ぶつぶつと、カチャカチャ キーボードを打ちながら、
誰か知らないひと(もの?)に向かって、言っている。

それを、ランキングするシステム。
そのシステムを喜びや励みとする、ブロガ―さんも多いようだ。
人間交差点。ブログ交差点。

幅の広い横断道路が、何方向からも延び、交わり合っている。
信号が赤の時は、向こうで待っているひとびとを遠くからぼんやり眺め、
青になると、いっせいに、ひとが歩きだす。

その、大勢のひとびとが、雑多にひしめき合うなかで、きょうも、自分の位置を確かめる。
ときには、近くにいるひとと、偶然、目があったり、
目を引くひとに、吸い寄せられたり、気が合う人を見つけたり、
ブログも、リアル社会とよく似ている。

ただし、わたしは、架空のものは、あまり好きではない。
実体のある、実際の生活や、人物が表れている、リアリティのあるブログが、お気に入り。

さて、今日も、おずおずと、ブログ交差点に顔を出します。


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今日は、こんなお料理です。
ちゃんとした材料と、時間がない、ついでに、アイデアもない、スピード・クッキング。
おいしいわけないけれど、わたしは、こんなのしか出来ません。

スローの、食べられないスクランブル料理。

トップ画像は、竹下惠子作品。
美しい色合いと、繊細な線が、とてもBL風味ですね。

 

 

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おいしくないです、生煮えは。

2011-01-26 | 華のスロー人

今日は、ひとさまのブログに、
わたしの根暗な、マイナーな面が、全面に出ている心情を吐露したコメントを寄せた。

そんな暗いコメント、寄せてほしくないだろうけれど、
みなさん、けっこう、ストレートに本音を暴露し合っておられるので、
ついつい、影響を受けて(魔がさして)書きこんでしまった。

自分のブログに書けばいいのに、
自分のブログが汚れるのはイヤ・・・みたいな感覚で
ひとさまのブログに書き残して、一目散に、自分のブログに逃げ帰って来た。

なんて、卑怯なの。わたし。

「あなたのブログはブルーで、読む気がしない」
と、ある時期、ある人(リアル人)に言われたことがある。
その頃は、ぐちぐちぐちぐちと、内面の憂鬱な面を吐き出していた。

自分は、すっきり。
読む人は、どよ~ん。

自分のブログを読んでくださる方に、わたしの知られたくない闇の部分。
(これだけ書き散らして、知られたくない部分がまだまだある?!)

そんなダ—ティな部分を、ひとさまのブログに書き残す、その神経って、なんだろう?

書いているうちに、自分の蝶ブログにアップしようか、とも考えた。
もうひとつある、(ほとんどアップしない)別サイトのブログにアップしようか、とも考えた。
(そっちは、お互い、リアルでは誰も知る人はないが、
そのブログには、この蝶ブログをリンクしている)
mixiもあるが、日記はリアル友(数人)にしか公開してないうえに、
この蝶ブログに書きはじめてからは、まったく書いていないし。


自分を知る人に、知られたくないコト、
それを、アカの他人さまには知ってほしいって、これ、なに?

じつは、わたし、殺人犯なんです・・・とか?
今日までの逃亡の経路をこまごまと書き記しています・・・とか?
いえ、殺人なんて・・・わたし、アリ一匹殺したことはありません。
うそです。ゴキブリなら、ありますが。


自分でもよくわからない。
ひとさまのブログにアップなんかせずに、どこにもアップしないで、
自分だけに、とどめておけばよいものを。

だれかに知ってほしい。
そのブロガ—さんの意見を聞いてみたい。

自分の認めなくないイヤな部分を、他人の意見を聞いても、なんにもならないと思う。
コメントしたことを少し後悔しているし、いまだに、もやもやしている。

「みんなおんなじですよ。
自分でも認めたくないようなイヤな部分は、誰にもありますよ。
言うか、言わないかだけですよ」、とでも、言ってほしいのだろうか。


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こんなブログに、なにを、気取ってる?
でも、小心者で、中途半端な(擬似)善人・スローは、生煮え状態。
煮え切らないまま、年を重ねる。

トップ画像は、「生煮え」で画像を探したが、いいのがないので、
ミニチュア・サイズの、旅のお土産グッズをパチリ、ピンぼけ、ぼけぼけ。
ミニ家具(上海)、ミニ人形(身長10センチ弱)(ベトナム)、ミニ茶器(飛騨高山)
コンセプトは、「ごちゃまぜ」「適当」。

 

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走って、すべって、ずっこけて。

2011-01-25 | 華のスロー人

長文はやめよう、と、反省したわたし。
あれから、ますます長文になっている。
反省は、いったい、なんのためにある?

思うに・・・ぱっと、ひと言で簡潔に、まとめる能力がないのか?
あ、わたし、書きながらまとめていこうとするからだ。


以前、会議では、よく進行役の人にこう言われた。

「スローさん、考えながら言わないで、考えてから発言してくださいね」

そのときと、まったくおなじ。

あるクライアントの会社で、意見を述べることがあった。
自分がなにを言いたいのかよくわからないまま、発言してしまって
長々しゃべっているのに、いっこうに結論にたどりつかない。

あら困ったわあ、と、皆さんの顔を見て見ると・・・うんざりした顔、顔、顔。
わたしサイドの人々は、あわて顔、困り顔。

同行していた営業のお方が、さすがに見るに見かねて、ご自分の意見をまじえて、
「スローさんは、こう、おっしゃりたいんじゃないでしょうか」と、助け舟を出してくださり、
ピンチを脱出したこともある。

冷や汗・・・
いや、たんなる恥知らず。

KYという言葉は、当時はなかったが、
まさしく、空気をまったく読まない、わたしのスローぶり。


女性たちのおしゃべりを聞いていても、なにが言いたいんだかよくわからない
延々と自分のことをしゃべっている。
オチとか、結論とか、まったくなし。
小学生の日記みたいに、あったことを時間軸や、インパクト軸、思いつき軸で
好きなように、しゃべっている。

ひとのはなしは、聞いていない。
順番が来るのを待っていて、自分の番になると、ぺらぺらぺら。べらべらべら。
まわりも、うなずいているけれど、まともに聞いているひとなんか、いないんじゃないかな。
うわさ話や、非難する話には、またまた饒舌。
時間があるひとは、いいなあ。

わたしのブログも、おなじ穴のむじな。

さて、きょうこそは、短く、終えよう。

そうすると、言いたいコトがなんなのだか、発見できないまま、まとまらないまま、
終わってしまう。

わたしは、考えないで走るタイプ。
だからゴールに到達するまえに、
ドブやらミゾやらに足を突っ込んだり、こけたり、壁に激突したり。

ああ、考えてから走ればよかった・・・と、いつも、あとで思う。
でも、いくら考えても、いっこうに考えがまとまらないので、
とりあえずは、走ってみるしか手がない。


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スローさん、考えてから書いてくださいね。

走らないで叱られたり、走って叱られたり。
いつも失敗。

それも、スローの人生。

 

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お鮨、好きだったはずなんだけど。

2011-01-24 | 

昨日は、夫側の親戚の法事が(地方で)あり、夫が出席した。
夫は、山のように、それこそほんとうに、山のように、色々いただいて帰って来た。

お昼のお膳のうち、カニをはじめ、手をつけなかった品々、
そして、それとは別に、ぎっしり、ずっしりのお鮨折詰、
10個も入っている、おおきな、あんこたっぷりのお饅頭、
お供え品のおすそわけの数々(和菓子、お蕎麦、バナナ、りんご、オレンジ、・・・多い、重い・・・)
梅干し1箱、さらに商品券。

それに加えて、
赤ちゃん1.5人分はありそうな重い大きい白菜を3つ、まるまる太ったキャベツは、なんと5つ、
大根(中サイズ)5本。

なんで、こんなにたくさん・・・

キムチでも漬けないと、消費しきれない。(漬け方、わからん・・・)
毎日、毎食、ロールキャベツ攻めにしても、お好み焼き攻めにしても、
ちょっとやそっとじゃ、食べきれない。

日持ちするように新聞紙でくるみながら、アタマのなかで、ぐるぐるハッパが宙を浮く。
食べ助けしていただくため、ヨイショヨイショと配り歩く先の人の顔が次々、浮かぶ。
あーー、めんどくさい。

玄関に放置してあるが、ものすごくスペースをぶんどっている。

今回は、夫が車で行くということを聞き、
法事が開かれた家の、若いお嫁さんの実家からも、わざわざ野菜を持ってきてもらったらしい。
ご苦労様です。そんなにまでしていただいて、たいへん、申し訳ないです。
多くの人の手がかかっている。
感謝しなければ。

ホシイものを、ホシイ分量、ホシイときに、ホシイ

ちなみに、わたしはいつも、キャベツは、半個、大根も半分、買うことが多い。
1個や1本、まるまる買うこともあるが、重いし、たいがいは半分。

そして、下娘Rは、和菓子はいっさい口にしない。
夫も、ほとんど食べない。
つまり、わたしひとりで10個まるまる食べることになる。
とりあえず、5個冷凍したが、冷凍庫には、いつのかわからない、和菓子が、ごろごろ。

そこへもってきて、昨夜は、夫の仕事関連の人のお父さんのお葬式があった。
仕事上、夫は役をしなければいけないそうで、たんなる出席者というわけにはいかなかったようだ。
法事に続き、喪服、大活躍。

が、そこでまた、お弁当を持ち帰って来た。
上記の食べ物の山に加えて、おおきな立派なお弁当。

わたしたちは、娘Rとすでに食事を終えていたので、
このお弁当、お鮨、カニは、夫ひとりの胃袋に納まることになる。

「このごろ小食になった」という夫。
とても食べきることなど、できやしません。
わたしもお手伝いしたが、途中でギブアップ。
あの、膨大な量に圧倒され、それで食欲が半減。

初めての、経験

お鮨が、また、今まで食べたことがないようなお味。
ごはん(シャリ)が、べちゃべちゃ。
どのお鮨も、みなそう。
わざと、ああいう調理法で作られているのだろうか。
べちゃべちゃのほうが、おかゆ一歩手前みたいで、あまり噛まなくていいとかで、好まれているのだろうか。

わたしは、食にはこだわりはないほうで、なんでも食べるほう。
しかし、あのお鮨には、まいった。

世界には、飢えて亡くなるひともいるというのに、こんなことを言っては、罰があたる。

けれど、「ホシイものを、ホシイ分量、ホシイときに、ホシイ」、なんて、
これは、ゼイタク者の望むことなのだろうか。


去年、夫の家で法事があったとき、
遠方から来られる人のことを考えて、
義母は、小さくて軽い、かたちばかりの高品質なお菓子に加え、「茶菓料」としてお金を封入した。
それは、食べたくもないモノをぎゅーぎゅーに押し込まれるよりも、
すっきりしていて、洗練されていると、わたしは感じた。
ごろごろ重い、食べるのにも困るような、やたら多くの食品を持って帰ってもらうのは、大変だろうという配慮だ。
(粗供養として、べつに、商品券を用意)


仏事って、たいへんですね。

故人たちを供養するために、お供え物をいっぱい供えるようだが、
生身の人間が、それをお下がりとして、いただくのが、この飽食の時代には、時代に合わない。
かといって、捨てるわけにはいかないし。

ろうそくだって、一晩中つけっぱなしにできるものも、できているし、(電燈のようなもの?)
宗教行事も、時代と共に、工夫が必要だ。

なんだか、仰々しい仏事は、仰々しければ仰々しいほど、前近代的であるように感じる。
あえて、逆を行くのが、ポスト・モダン?
敬虔な真摯な、純粋な信仰心で、執り行われている(と思いたい)が、形式だけにこだわっていることもあるだろう。

祀りごとは、お家を継承する義務の一環、みたいなかんじで、宗教心なんかない場合も多いだろう。
宗教心がないとすると、なんのために祀るのだろう?

理屈じゃないんだ、祀るべきなんだ、宗教心じゃないんだ、
絶対にやらなけらばいけない義務なんだ、こころは関係ないけれど、行事なんだ、
ここで、切ってしまってはいけない、避けては通れない、続けなければいけないんだ、
あれこれ、つべこべ言わずに、よけいなことは考えないで、なにがなんでもやらなければいけない、
やらなければ、後ろ指さされて、非難ごうごう、それなら、やったほうが、ましなんだ、
なんて、なかば強制されて、強迫観念に駆られて、今日まで来ているのかな。

いや、人生の選択肢があったか、なかったは別として、自分の与えられた使命として、
当たり前のこととして、案外、なんの疑問も苦痛も抱かずに、(あるいは、悩んだ挙句)
めんめんと受け継がれてきたのかも知れない。

それぞれの地域に、それぞれの感覚

今朝も、昨日のべちゃべちゃのお鮨を食べた。
シャリが、べちゃべちゃだけではなく、芯があるようにも思う。

この仕出し屋さん、店の大将(あるじ)が高齢で、
舌感覚やサジ加減がマヒし、閉店、間近なのかも知れない。
でなければ、こんなものを商品として出すわけがない。
人の動きのある処と、人の出入りのない処では、事情が違うのかも知れないが。

お鮨だけに言えることではない。
暮らし、ライフスタイル、感覚、価値観が違う、それぞれの地域での常識は、
それぞれに正当性をもって、まかり通っている。

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お金があふれかえっているのなら、いざ知らず、
一生懸命、頑張って貯めて、仏事に使う・・・
その気持ちは、ご先祖様に伝わっていることでしょう・・・
頑張っているひとを横から冒涜するようなことは、許されませんね。
文句言ってたら、ほんと、罰があたります。

が、それは、それ、これは、これ。

 

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裸に近いのに、なぜわかる?

2011-01-23 | 健康

最近のわたしの記事は、やたら長い。
長すぎる。
長々、思いの丈を書いてはき出せば、いいってもんじゃない。
自分さえよければ、いい、って、それは、よくない。

反省しました。
(わたしの反省は、すぐ、忘れるのが、反省すべき点ですが)


わたしが通っている会員制スポーツ倶楽部で、顔見知りがだんだん増えてきた。
あいさつをする人が、1人、2人、3人・・・
じつは、わたしは通い出して、もう5年以上も経つ。

いくら週1、木曜日だけといっても
それで、やっとこさ、5年の年月をかけて、顔見知りと、ごあいさつ。
(しかも、ごくわずかな人数)
これって、遅くない?
わたしのハンドル・ネームは、「スロー」
ぴったりの名前だと、自分ながら悦に入ってます。

初対面でも、もう前々から知っていた人みたい・・・なんてことはなく、
いたって、人見知り。
人との距離のバリアが厚い。

その倶楽部のプールでは、
年上のお姉さま方に、あれこれご親切な指導を受け
(世間では、「教え魔」とも呼ばれているそうですが)、
泳げなかったクロールも、自己流ではあるけれど、なんとか泳げるようになった。

最初は20メートル泳ぐ度に、ふーふーいって、休憩していた。
クロールは、20メートルが、ものすごく長く遠くに感じられ、心臓もばくばく、息も荒く、
泳ぐスピードはとても遅いのに、ばたばた
なんで、こんなに身体に必要以上に負荷がかかっているのか、さっぱりわからなかったが、
なにしろ、憂鬱なぐらい、しんどかった。
全速力で、300メートル走を走った後ぐらいの、ぜーぜーはーはー肩で息する呼吸の荒さ。

そのときよりは、いまは、マシにはなっている。
なにかの番組で、吉永小百合が水泳を続けていると紹介されていたが、
いつもわたしのアタマには、ど厚かましくも、
(わたしとは似ても似つかない)、あの美しき吉永小百合を描きながら、泳いでいる。

努力しないとね。
続けないとね。

そのプールでは、「木曜日の人」と、わたしを呼ぶ女性がいる。
わたしの顔を見ると、木曜日だということに、あらためて気づくそうだ。

おしゃべりな明るい70歳前後の女性で、
その人が登場すると、賑やかに誰かれなく、べらべらしゃべる。
気さくな、かんじのいい人なのだが、あまりしゃべりたくないときは、
わたしは努めて、せっせせっせと、泳ぐので、はやくノルマを達成する。

その人に、一昨々日、
「あなた、○○町○○丁に住んでおられるの?
ご主人は、○○されているんですって?
ここによく来る、おしゃべりな人、いるでしょ。そのYさんに聞きましたわ。
同じご町内にお住みのようですね」

「あなた、ご主人がおられるのね。
てっきり、独身貴族で優雅にお勤めされているのかと思ってました。
結婚されてるようには、見えないって、Yさんに言ったら、
『お子さんも、おられますよ』って、仰ってました。
そんなふうに見えないから、意外でしたわ」

そう言われた。

プールは、ノーメークに、スイミング・キャップだから、
服装やヘアスタイルによって左右されるイメージは、まったくナシ。
身なり、服装、装飾品など、本人を表す、付加価値みたいなものは、まるでなく、裸に近い。
それだけに、どこの誰でも関係ないから、気楽だと思っていた。

わたしの個人情報をぺらぺらしゃべる、同じ町内のYさんに言いたい。
あまり、ひとさまにプライベート情報を公開しないでくださいね。

第一、Kさんならいるけれど、Yさんという名前の人は、いない。
あのプールの女性が、名前を覚え間違えたのか?
犯人は誰?
ま、どっちでも、いいけれど。

悪意のない、たわいないお話。
何人かに言われたが、年上の方々から見ると、どうも、わたしは、独身に見えるようだ。
おそらく、変人で浮世離れしていて、カスミを食べて生きているからだろう。
家庭生活力が、みなぎり溢れ出ていないからだろう。

ああ、またか。。。
若いころなら嬉しかったかも知れないが、この年になると、ちょっと、ショック。

裸に近い格好でも、「地に足が着いてない」、って、なんで、わかるんだろう?
それのほうが、不思議だ。

 

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ちなみに、トップ画像は、借り物です。
わたしは、こんなにスマートではありません。

 

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まだまだ続く、負け犬の遠吠え

2011-01-22 | 時事&世の中

夫や家族のため、家を美しく清潔に、住みやすく、居心地よく整える。

それが、主婦のつとめ。

なんですよ、ね。

国の税金で専業主婦の年金まで支払ってくれていたんだから、専業主婦としては、
せめて、国に経済的負担をしてもらった分、子供を育て、夫を家庭で慰労し、元気になっていただいて、
労働の再生産のモトとなるパワーを家でチャージさせ、
彼らが外で労働し、得た報酬から、税金を払って社会へ還元していただかなければ、ね。

専業主婦は、外でお金を稼がない分、家族に稼いでもらって、国からいただいたお金、
せめて少しでも国にお返ししないと。
逆に言えば、家族が納めている税金を堂々と使っているだけか。


これって、家族のためだけにある、家庭内労働は、非生産的であると思われがちではあるが、
間接的に、まわりまわって社会へ貢献していることになるのかな。
家族は、社会のもっとも小さいコミュニティー。
じゃあ、いま、増え続けている、おひとりさまは、単体でも、コミュニティーなの?

どちらにしても、
遊びほうけていては、いけません、ね。
夫を大事に扱わないといけません、ね。

でも、おひとりさまも、いいかもしれません、ね。


とまあ、わたしは、理屈はよくわかっている。
正しい理想を述べるだけなら、超・優等生。
しかし実践となると、劣等生の落ちこぼれ。奈落の底に、まっさかさま。

専業主婦か、そうでないかで、事情は大きく違ってくる。
今どき、専業主婦を丸抱えできる夫って、かなり高収入の人でないと無理。
妻は、働けないのか、働かないのか、
はたまた、働かないとやっていけないのかによっても、違ってくる。
そして、働くにしても、
「ちょっとだけ、わたしだって働いてるのよ」という補佐的働き方と、
「家計の大黒柱が2本あるような、男性と肩を並べて働いている働き方」や、
「1本の大黒柱として黙々と働く」働き方とでは、ずいぶん違ってくる。

ほんの少し働いて、ほんの少しお給料をいただいて、
「わたしも働いているんだから」と五分五分の顔をし、家事も五分五分をめいっぱい主張するのは、いかがなるものか。
もし主張したとしても、実際に家事を五分五分にやってくれる夫は、どれだけ存在するのか?


わたしの夫は、いまになって、後悔しているはず。
結婚相手としては、五分五分に権利を主張する、カシコイ同級生パートナーは、敬遠し、
かわりに、自分よりうんと劣る女性と結婚し、生涯、優位を保つ予定だった。
が、年月が経ち、あほなくせに、主張だけは一人前、みたいな嫁に変貌していた。
同じ偉そうにされるなら、自分と同じぐらい、もしくはもっと稼ぐ、社会的にも立派な女性と結婚していればよかった、と。

こんなはずじゃなかった・・・後悔、先に立たず。計算が、狂った。
最初に、楽をしようとしたのが、まちがいのモト。
(わたしにも、言えます・・・)


ちんぷんかんぷん「まいにちフランス語」のラジオ講座を毎日、(成果もないのに)聞いているが、
そのなかで、フランスと日本の違いみたいなことを語る新企画が始まった。
フランスでは、子供を持つ母親は、ほとんどが働いているそうだ。
結婚か仕事か、という二者択一を迫られるのではなく、
人生の選択肢が柔軟に広く確保されているとか。
日本では、まだまだ生き方を選べる有利な環境が整っていない。

日本人にとっては、結婚は人生の一大事で、カップルの生活に重きを置くのではなく、
なにより大事にしているのは、「家庭」だと、フランス人に評されている。
確かにそのとおりです、ね。


育児休暇。
これが取れる職場と、取りにくい職場がある。
理想を言えば、きりがない。
小さな規模の職場では、育児休暇を取られている間、残された人は、かなり仕事に支障をきたす。
その間だけの短期間では、補充要員は雇えない(求職者は、臨時期間だけの就労を望まない)
なので、職場内で、育児休暇を取っている人の分まで必死で、他の人が負担を強いられる。
次から次から、育児休暇を取られると、
他の人の負担はどんどん増え、肉体的にも精神的にも耐えられなくなってくる。

その仕事の辛さ、しんどさを家庭にぶつける。
家庭内は、ピリピリ。
深刻な状況。

子供を産み育てるため、国の人口を増やすため、
目に見えないところで、縁の下の力持ちたちの負担の上で、育児休暇は成り立っている。

夫は、職場で耐え、主婦は、家で耐え、みんな耐えている。

育児休暇は、当然の権利だと声高に叫ぶのは、とてもよくわかる。
でも、じっと耐えている人々が支えている、そういう背景もあるんです、ってことも、知ってほしい。

みんなで協力し合わないと、国の少子化は益々進むから。
だから、頑張って、耐えているんです。
でも、無関係な人にとって、そこまで考えて、家で耐えている人は、いるんだろうか?

理屈や理想は、現実とは、ちょっと違うんです、よ、ね。
世の中のことが、よくわかっていない人って、ある意味、羨ましい。
自分だけのシェルターに閉じこもっていればいいんだから。

自分に影響や被害が及んできてはじめて、世の中との接点を見出すことになる。
対岸の火事だと思っていたことが、実際に火の粉が身に迫ってきて、熱く感じる。


どっちにしても、みんな、なんらかのかたちで、つながっているということ。
ぐるぐるぐる。スパイラル。

経済で言えば、今、日本は、マイナスのスパイラル。
生活、暮らし全般も、このスパイラルに影響を受け、マインドも負のスパイラルに陥らないようにしなければ。

なんだか、まとまりがなくなってきた。
わたしのブログも、おさまりどころのない、スパイラル。

 

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トップ画像は、あるところで、昨日、お見かけした、アレンジフラワー作品。
色合いがちょっとシブめですね。
ピンぼけを、アート・フォト・フレーム加工にして、ごまかそうとしたけれど、ピンぼけは、ピンぼけ。

 

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