蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

どきどきの、あとは、別の、どきどき。

2012-01-30 | 子育て

今日からは、胸がざわつく原因の、わたしの心臓に悪い、この方
(NHK朝の連ドラ「カーネーション」のヒロインの恋人=周防さん)も出演しないようだし、こころが落ちついた。

ドラマでは詳しくはストーリー展開されていないけれど、あれで、別れたってことね。
不倫は辛いってことですね~。
でも、後々、経営や借金返済のことで口論になって、恋愛以外のことで行き違いが生じ
ぎくしゃくして別れたのかも。
不倫や、恋愛以外の原因で、さようなら。
それを延々と展開するのも、面倒になってくるし、
見るほうも、現実的なところに行かない、いいところで、バシっと終わるほうが、
ドロドロしなくて、想像性や余韻が残っていいかも。

どっちにしても、わたしのざわつきは、これで終わったようなので、やれやれ。
あとは、ほっしゃん。に、お任せ。
イキのいい、かけあい大阪漫才で、お二人には頑張ってもらいましょう。

と、カーネーションをご覧になっていない方には、まったくなんのことやらわからない
面白くもなんともないことを書いてしまい、ごめんなさい。
(もう、最初の2行で、わたしのブログから撤退されたことでしょう)


その後の、「あさイチ」では、「子育て」が取り上げられていた。
子育てに意欲的に熱心に取り組むお母さんの、親子だけの密室・密接「ママカプセル」は、よろしくないとのこと。
真面目な人が陥りやすい、カンペキな子育て、子育てによる自己実現。

世の中には、真面目な方がおられるんですね。
仕事を辞めたあと、それに代わって、
仕事にかけていた能力やノウハウを、子育てにも適用させるのは、やはり無理がある。

離乳食を手作りで作ったのに、食べてくれなくて、市販のものなら食べる我が子。
せっかく工夫して作ったのに、がっかり、でしょう。


ちなみに、うちの子供たちの乳児の頃の離乳食について・・・
(以前にもブログで書きましたが)、

長女→市販の既製品(スーパーで売っている一般・汎用品)
長男→市販品と、義母の手作り品※が半々。
(※知り合いの魚屋さんに依頼し、仕入れに行く時に、いっしょに市で購入してきてもらったトレトレ魚を手作りのダシで調理)
次女→すべて、義母の手作り※。

で、大人になった今は
長女→なんでも食べるが、美味しくても不味くてもOK。自分は調理は、あまりしない。
長男→美味しくても不味くても、どんなものでも、なんでも(へんなものでも)食べるが、
嗜好としては、素材を追究するこだわり味わい派。自炊もOK。
次女→決定的に嫌いなものは、ひとつだけあるが、単品で同じものばかり延々と続いてもOK。
見かけも、やや気にする。自分で調理することもある。趣味は、お菓子作り。

という実験結果が出たが、わざと実験したわけではないにしても、うまい具合に実験っぽくなった。
持って生まれた個人差もあるだろうけれど、対比するにはおもしろい。

おおざっぱに言うと、
一生を通じて、大人になってどんな食生活を送るかにもよるし、ライフスタイルもかかわってくるし、
今のところ、決定的な結論は出せない。
ただ、三つ子の魂百までも、なら、長女は、ちょっと気の毒だったかなあ・・・

どっちにしろ、よほどのことがない限り、出されたものは、絶対に残さない彼ら。
別に強制したわけではないんだけど・・・
ひもじかった??  いやー、そうでもないはずなんだけど・・・

食べ物以外にも、全般的に、
怒鳴る、怒る、・・・などということは、一切しなかった。
なぜかというと、理由がなかった。
わたしの、ルールが甘すぎたのか?

夫とわたしの子供なので、基本的に、DNAからすると、おとなしい。
おとなしすぎるのも、問題かも知れない。
乳幼児のころは、やりやすくていいが、
成長過程において、活力がない、とか、いじめられやすい、とか、利用されやすいとか・・・
そういうことも想像できる。

たまたま長女が、誰に似たのか突然変異でシッカリモノだったので、下の二人を牛耳ってくれて大助かり。
ご近所の人も、母親のわたしの顔は知らないけれど、
シッカリモノのおねえちゃんが、下の幼い二人の手をひっぱっている姿をよくご覧になっていたらしい。
年子三人なので、どの子もあまり年齢は変わらないのだけれど。

いまも、そのシッカリモノには、アタマが上がらない、わたし。
家の掃除や整理、整頓、いろんな行事、行動、生活、あれこれ、手厳しくて、ビビッている。

長男や次女も、表立って騒がないけれど、ひょっとすると個性が強いヘンコ人間かも知れない・・・
(あ、このキャラクター、わたしにちょっと通じるものがある・・・)

むかし、楽させてもらった分、いま、ツケが回ってきたようで。。。。

親の背中を見て、子は育つ。
いい意味でも、悪い意味でも・・・ああ、おそろしや。

 

にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ
人気ブログランキングへ

 


みっともない愚痴

2012-01-29 | ブログ

みなさんのブログをちょちょいっと、のぞいて見た。

おもに、ブログ村でのポイントの高い、同じ年代の女性の方のブログ。

すっと前に、2回ぐらい訪れたことのあるブログ(以前にご紹介したブログではありません)、
写真が美しく、アングルや、センスある工夫を凝らされた加工、
読みやすい内容、共感を得る、さらっとした日常風景、
わたしとは正反対。
(でも、たぶん、もう、訪れないと思う・・・)

そりゃあ、そうだろうなあ・・・
そういうブログを毎日、さらっと力まず見ると、
こころの快晴を1日キープする、清涼剤の一部になりそう。

それに引き換え、わたしのブログったら・・・
直近オリジナルでは「母性って?」の真っ赤な、ありえないぐらい手抜きの稚拙な画像、(制作時間1分)
思わず、削除したい衝動に駆られた。
よくもまあ、恥ずかしげもなく・・・
恥ずべきは、出来栄えの悪さどころの騒ぎではなく、それをアップする根性・・・

いいブログに出会うと、わたしは、とたんに全速力で逃げ出したくなる。
自分のブログのダメさに、恥を通り越して、自分自身、消えてしまいたくなる。

こんな調子のわたしなので、恋も(・・・いきなり関係ないジャンルですが)
競争相手のニオイがするやいなや、後ろも振り向かず全力撤退。
恋だけではない。
すべての事柄において、そう。


負けん気というものは、何事にも大成する大きな要素だ。
おちゃらけで遊ぶだけなら、それはそれで、結果に執着するのはお門違い。
スポーツ、仕事、人生そのものにおいても。
勝つ気で頑張らないと、だれが弱っちいヤツをフォローしてくれる?
自分のことで精一杯、そんなヒマ人などいない。

(でも、社会的に弱っている人たちを、税金、その他で、社会全体でフォローして支えるのが、豊かな国。
いま、わたしは、そういう広義の意味では、ここでは言っていない)

わたしのブログには、ほほえましい内容もない。
共感は絶対に、感じてもらえないだろう。
多くの人に、共感を感じてほしいのであれば、ブログなど発信しないと思う。
(それ以前に、人を惹きつける能力、技術も内容もないけれど・・・)

たとえば。。。。お小遣いを月に○○円。そんな金額で??
共感を呼ぶ。
逆に、ゴージャスな食卓やライフスタイル。。。。
ほお~っとため息。うっとり。
ブログでその様子を見るだけで、甘美な世界を日常に取り入れたような気になる。

わたし・・・
人の上げ足とり、ばっかり。
ひとりで、いじけたり。
ええ年の大人が・・・。
(実情は、単にブログで、ひとり遊んでいるだけなんですけれどね)

あ、わたし、趣味のひとつが、ブログです。
ブログを持たない、素晴らしい人生を送っておられる方も多い。


いままで、現実の世界で、いろんなこと、モノを見てきた。
いろんな人も。

自分で吸収してきたものを時々取り出して、ひとりで、うっとりしていることもある。
(自分の世界に陶酔・・・気持ち悪い・・・いいんです)
「自分」という軸で、あれこれ行動してきているので、コンセプトは、「自分流儀」。
自分スタイルは、自分以外の人の目にどう映ろうが関係ない。


人にはいろんな側面がある。

それで、いいです。

 

にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ
人気ブログランキングへ

わたしが毎回、訪れるのは、さらっとしたブログではなく、 
自分というコンセプトが、しっかりある人のブログ。
流れに任せるタイプではなく、少々の抵抗にも負けず、切り拓く人が好き。
時には、写真の美しいゴージャス・ブログにも、目の保養にお邪魔する。
自分にないものを求めるのかなあ・・・


深夜のロック

2012-01-27 | 日々のこと

ただいま、深夜。


インターネット・バンキングがうまくいかなくて、イライラ。


カラダに悪い。目に悪い、心臓に悪い。こころに悪い。


ログインIDを忘れた。
パスワードを忘れた。

各銀行のインターネット・バンキング関連の書類を入れた、書類入れが見つからない。
その書類入れを探すために、手前にある、いろんな他の大きな箱やら、袋やらを出してきて
収納庫の前は、通行止め。


やっとの思いで、関連書類は出てきたものの、こんどは、なかなかログインできす、
必死でログインすると、次は、目的のこと(作業)が出来ない。
モバイル・バンキングで、ロックを解除しないといけない、とかで、
一から延々とモバイルに登録していると、時間切れになったり、間違った英数字を繰り返し入力したりして、
利用停止状態になったり。


もう、完全に、イヤになった。
まだ、寝る準備もできない、深夜2時を回っている。
・・・・


明日、銀行の窓口で、対面した銀行員さんに手作業で、手続きしようかと、真剣に考えている。
たんに、自分のA銀行の口座から、B銀行の口座にお金を移すだけ。
いま、預金の利率は、スズメの涙だというのに、手数料のあの高さったら、ありえない。
そう考えると、よけいに眠れなくなりそう。


明日、早いのに・・・。

食卓の上に散乱した、インターネット・バンキングの書類と、収納庫の前の、書類箱の山、
コレを乗り越えて行かなければ、洗面所に行けなくて、顔も洗えないし、寝にも行けない。
ああ・・あ・・・


パソコン、きらい・・・


にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ
人気ブログランキングへ




母性って、なに?

2012-01-25 | オトコとオンナ

「女性には母性がある」というが、そうだろうか?


自分を例にとると、女性ではあるが、あまり母性はないと感じる。
とくに子供が欲しいとカラダ感覚で思ったわけでもなく、
自覚もないまま、次々と子供が生まれた。
ただただ、不思議だった。


こんなにカンタンに生命って、知らないうちに宿るのね・・・、と。
そのとき、宇宙の銀河系みたいな図をアタマに想像した。
小学校高学年あたりで、理科の資料集に出てきそうな絵。


わたしは、説明がつけられない、よくわからない事柄は、なんでも、
いつも小学校の図鑑みたいな絵に戻ってしまう。

というわけで、母性でもなんでもない図なのだが。


夫が、家事・育児に、まったく協力してくれなかったので、
すべて自分でやったけれど、それで母性が育ったわけではない。
母性も育たず、でも子供たちは育ったが、
トラブルはまだ表面化してないだけで、不良品、欠陥品に育っているのかも知れない、と、
今頃になって、ひやひやしている。
犯罪がバレていない、犯罪者よう・・・
健康診断にまったく行かない、潜在的病人のよう・・・
鉄筋を細く、少なくして、突貫工事で建てた、ビルの工事責任者のよう・・・


それは、わたしだけか?



女性には母性がある。母になれは、文字通り、そのまま。
でも、母になっても、母になれない母たちも、数はわからないが、存在する。

(幼児虐待や子育て放棄、ネグレクトなど、環境が悪化した場合、社会問題にもなっているが、
わたしの場合、弱い者イジメはしない主義なので、そういったことは無縁)

わたしが個人的に思うのには、
実際は、カラダで母になったのにもかかわらず、子育てをして、アタマで母になった。
それを、「おんなは、カラダが母になることを欲している」と言い切られると、
そんなひとばかりじゃない、って、むきになる。


もし、カラダで母になるとしたら、いわゆる生理的な肉体的欲求ではなく、
肉体を、子育ての激務で駆使して、カラダ(=労働)で母になる大変さを味わうということだ。


アンタが、もっと子育て手伝ってくれてたら、一人でしょいこむこともなかったかも、
と、夫にいまさら、怒りがまたもや再燃。
(そのかわり、義母が助けてくれたけれど。あまりある感謝)
でも、もう、子供が無事、巣立った今、
負のエネルギーを放っても、まったくくだらない、時間の無駄。
夫に、思いや感情を向けることすら、もうどうでもいい。


「女性と母性」
ただこの言葉だけ見て、触発される、わたし。

ちがう、ちがう。
子育てに協力してくれない男が、女に、母性を押し付けてるんだ。
母性なんか、もともと備わっているものなんかじゃないんだ。
まるで、時期がくれば開花するかのごとく、そんな自然発生的なものではない。


我が家の場合、幸運にも、父性を出さなくてはいけない非常事態も起こらず、
親としての自覚は、子育て最終ラウンドまで味わうこともなく。
子供にべったりの甘い夫の親がこの世に存在しなくなった後こそ、はじめて、親らしくなるんだろうけれど、
あらら、子供は、もうすっかり成長して、親孝行してくれたりする。
(ありがたがっているばかりじゃなくて、
その親孝行してくれる分を老親に、生きている間に、お返ししなければ・・・)



今のイクメンたち、がんばってください。
母性を育ててください。
ついでに父性も。


あ、お母さん方も、です。
協力します。


にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ
人気ブログランキングへ


ざわつく胸のうち

2012-01-23 | 日々のこと

今週は、胸がざわついて、落ち着かない。
だって・・・「カーネーション」の、あの展開・・・
あの、新しい恋のお相手・・・わたしの好みにハマりすぎている・・・
(向井理のときも、かわいい、わかいい、って、ひとりで、はしゃいでたけど)

初恋の人に、よく似ている。
わたし、中1、彼、中3、
毎日、遠くから眺めていた人で、ひとことか、ふたこと話しただけ、
お付き合いもなにもしないのに、こっぱみじんに、大玉砕してフラれた人。
色がちょっと黒くて、目の細い、カラダの細い、面長な顔の、ああいう人。
NHKは、次々と、わたしの知らないステキな人を連れてきてくれる。


あの俳優さん、綾野剛のオフィシャルサイトを見てみたら、まったく別人の彼の顔が映っていた。
ミュージシャンで俳優もやっていて、主役映画も経験ありで。。。
わたしみたいな、おばさんには知られていないだけで、知る人ぞ知る、お方のようだ。

でも・・・
カーネーションの中での役作り、ファッションが、おばさん(=わたし)は好き。
オフィシャルサイトで見た、あの彼だったら、おそらくファンにもなにもならず、
気にもとめず、目と脳を通り過ぎただろう。
というかむしろ、苦手、接点なし、理解できないタイプ。

人間って、見かけ(服装、ファッション、身なり)によってこんなに変わるもんだって、そっちのほうが驚き。
ある意味、恐ろしい。


ところで・・・

わたしも、小さな頃の、こころあたたまる話を書いてみたい。
でも、自然と出てくるのは、こんな情けない話ばかり。

ほんとは、いい思い出もあるんだけど、
極端な、ひん曲がり性格のため、自分の良い点は公に開示したくない。
でも、時々、へんに鬱屈した状態で、自慢げな内面が露出することもある。
素直になればいいのにね。

自分で誇り高い部分があると感じれば感じるほど、そういう部分は出したくないと思ってしまう。
だから、ねじまがり、やぶにらみして、シニカルに否定してしまうんだろう。

人間なら誰しも、どんな人も、必ず誇りがある。
それが人間の尊厳だもの。


マルシェ(市場)で捨てられたくず野菜を拾って食べて生活している男性を主人公にした
フランスのノンフィクション映画がある。
長い時間をかけて彼と接する監督の熱意が伝わり、彼の生活を追っているうちに、やがて、こころを開き、
貧しい移民に、ボランティアでフランス語を教えている彼の、輝いた笑顔に出会うことができた。
カメラは、そのいきいきした表情をとらえていると、ある本で紹介されていた。

ちょっとそんな話を思い出した。



にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ人気ブログランキングへ 

 

 


盛り上がらない人生ですが。

2012-01-20 | 人生

gooさん、いつも無料で(広告はあるけれど)ブログさせていただいて、ありがとうございます。

時々あることだけど、
ブログ閲覧数とランキングの数値が明らかにおかしい。

閲覧数が下がっていても、ランキングは上がっていたり。
ここは、ブログ村とはまた違うシステムだろうけれど、
goo内だけの集計なので、データがさらに取りやすいと思うのだが。

この数値をアタマからまるまる信じないぞ、と参考程度止まりにはしているものの、
実際、励みにもなっているわたしとしては、
ああ、また踊らされているバカなわたし・・・と、ふっと力なく苦笑いし、脱力感いっぱい。


そもそも、わたしのブログなど、たいしたことは、まったくない。(ホンネ中の、ホンネ)

お店で食べたものを写真に撮るのは、最近、かなり恥ずかしくなってきている。

いっしょに食事している人が、お店の人に、

「この人、ブログやってるんです」

なんて、言われると、もう、その場を逃げ出したくなる。

お店の人も、苦笑いを通り越して、ただ笑うだけだろう。


人に受け入れられる要素は、あまりない、と自己分析する。

それは、わたしが、ひねくれモンだから。
自分は低い位置にいるくせに、高い位置から、冷めた目でモノゴトを見る。
フィーバーしている人を、しらけた目で見る。
ラテン系の反対。

自分自身をも冷めた目で見て、ばかじゃないの?と蹴っ飛ばす。
ブログの原動力は、じつはそこにある。

いったい、なんぼのもん?

人間、良くても悪くても、生まれて死ぬ。
美味しくても不味くても、のどもと通れば、みな同じ。
人間も、見かけがよくても、皮一枚めくれば、みな同じ。

なんで、こんなにわたしは低温動物なんだろう。

同じアホなら、踊らにゃそんそん。
と、真ん中がなくて、いきなりラテン系になる。
これまた、分裂症。

と、きょうは、またまた時間がない。
ここで、お時間終了と、あいなりました。

にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ人気ブログランキングへ 


おんなの怒り

2012-01-19 | オトコとオンナ

気になる。

なんの関わりもない、一生、袖を摺りあうことも絶対にないので、
ほっておけばいいものを、つい、気になる。

「女性は、基本的には、経済力のある人にSEXを許す」
という考え。
人は人なので、人それぞれ、意見や感想が違って当たり前。
その人の歩んできた道から体得したセオリーなんだろう。

これは、大きな意味では当たっている。
結婚に求めるものは、女性から男性に対しては、経済力、
男性から女性に求めるものは、家事能力?
これって、かなり古いか、あるいは、先進国ではない国の話、
または、先進国でも
かなしいかな、能力や環境のため、経済的に自立できていない女性、
あるいは、闘ったり努力するのがめんどくさくって、依存しちゃえっという女性。

それか、社会の荒波から守ってあげようという、だんな様から大事に扱われる奥様?
(お金を稼ぐのは、タイヘンなので、辛く苦しいことは、男性に任せて・・・と、
優しくささやく、だんな様・・・。社会の裏、見せたくないし、見られたくないし)


いくら理想論を言ったところで、現実的に自立できていない女性が多いなら、空論となる。
でも、これって、自立できてない男性はどうなる?
もっと、かわいそうかも。
経済力のある女性のサポート役に回る?
主夫。

実際、(社会の日の当たる場所では)、女性より男性のほうが、うんと自立している人は多いし、
大企業に(総合職で)勤めている人や、需要なポストに就いているエリートは男性が多いように思う。
だが、世の中、給料、福利厚生など、待遇がいい職場だけではない。
劣悪な職場もあり、男性も女性も働いている。
その場合、男性と女性と、どっちが給料が多い?
勤務体制にもよるだろうけれど。
リストラで真っ先に対象になるのは、扶養家族がいない人。


女性は、本能的に優秀な遺伝子を残したいものだとか。
多くの敵から勝ち抜いてきた男性を選びたい。
あるいは、多くの人間のなかで勝ち進んできた男性が、望む理想の女性と結婚できる。
そうなっている?

勝ち進んでこなくても、その人に合った女性はいる。
勝ち進んでこなかった者同士、まったりしたシアワセな家庭を築く。
価値観が同じであることが、大事。


話をもとにもどすと・・・

「女性は、お金のためにSEXさせる」
この言い方で、賛同する女性はおそらくいないだろう。
「お金のある人にSEXさせる」
この言い方も、抵抗、大。
なにが冒頭にきても、だめ。

要は、女性は、「させる」という考え方が、だめ。
「やられる」とか、そういう、
いかにも虐げられている感、征服されている感、負けて屈辱感を味わされている感、
こういうニュアンスに、強い嫌悪感を感じる。

生物学的に、男女のメカニズム(カラダの機能や心理)の違いから、こういう表現になった、
研究されてきたプロセス、諸説はあるけれど、
めんどうなので、ここでは割愛する。
というよりは、オトコの目で見た、男性サイドの研究者の研究結果は、
信じられるものもあるが、社会的、文化的な考察は、信じられないものある。

ま、理屈っぽいことは、横に置いたとしても、
いくら女性をあがめ立てているかのような考えがあったとしても、
根底に、侮辱されたと感じるものがあると、認め合い、尊重し合えない。


ということで、なにが言いたいのか、またまた迷宮入りになってしまったが、

男女というものは、こころの底で、お互いに尊敬し、認める部分がないと、
やっていけない、と、わたしは思うのであります。


にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ人気ブログランキングへ

 


しあわせぼけ

2012-01-18 | 日々のこと

人間って、欲が深い。

自分でも、今は最高に幸せだと思っているのに、(あ、夫との戦闘状態、どうなった?)
なぜか、ぽっかり、こころに穴があくことがある。

祖母が人生の最終時期によく言っていた言葉。

「ああ、自分は幸せや。幸せすぎて、はやく死にたい」

NHK連ドラのカーネーションでも、ヒロインの祖母が、老いて「はよ、おまいりしたい」と言っていた。

死にたいことを、「おまいりしたい」、と言うのは、わたしの祖母と同じ表現だ。

祖母は天寿を全うし、大往生を遂げた。幸せな人生だと思う。


(おとなしく寡黙で辛抱強い、縁の下の力持ち。黙々と働く明治生まれの祖母。
幼い頃、わたしたち、きょうだいは、よくお世話してもらっていた。感謝、感謝)


凪(なぎ)状態は、こころが安定していて幸せなのだが、その幸せは長くは続かない。
幸せが飽和状態になり、麻痺してくると、退屈になり、生きがいを失い、
「ああ、はよ、おまいりしたい」になる。

虚しいなあ・・・
どんな多くの人に囲まれようが、栄誉に満ちあふれかえろうが、
(幸か不幸か、わたしには、無縁ですが)
とつぜん、自分と対決しなければいけない。


ああ、そういえば、アレをいただいた方に、お返しを返さなきゃ。
いつ、なにを? どこで買おう?
もうひとり、もらいっぱなしで、ほったらかしている人がいたっけ。
今週末の段取りは、えーーっと・・・
そんな先のことより、今日、持って行くものは・・・

あれこれ、考えたり、行動したり、ないアタマを使わないといけない。
ぼーーっとしていると、時間は、刻々と流れていく。

「幸せすぎて、はよ、おまいりする時期」は、まだまだ来そうもない。

にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ人気ブログランキングへ

 


「投資と成果」を比較してみた

2012-01-17 | 趣味

日曜日に、ダンスパーティに行った。
大阪府下ではあるものの、一度も訪れたことのない地。
たいがい、仕事では、あっちこっち行っているが、案外、遠いような近いような場所には
行ったことがないようだ。

パリも、大阪府下も、初めて行く場所は、わたしにとっては、新鮮。

会場は、実に、おもしろいというか、不思議なロケーション。
隣はパチンコ屋、ななめ前は大手・餃子チェーン店。
いやはや、なかなか賑わいのある場所です。

こんな場所で、ダンスパーティが・・・?
ちょっと、イメージわかないなあ・・・
しかも、会場は、一階、ドアを押したら、いきなり、そこ。
なんのパーティションもなく、目の前がフロアー。
「会場は、どこですか?」と訊ねる手間がなくて、まあ、わかりやすくていいが。

パーティチケットもお安いし、主催される方の地元のようなかんじだし、
都心にはない、ローカルっぽさが、いい味を醸し出していた。

まず、ダンスウエアに着替えようと、女性更衣室に入ると、驚きの皆様。
付けまつげやら、派手派手ドレスやら、日ごろは、まったく、絶対に縁がない、(わたしもですが)、
そういった、ご年配の方々が、わーわーきゃーきゃー、騒いでいた。
たいへん、カシマシイお部屋だった。

開始時間が来たが、挨拶がまた長い。だれが、聞く? 
時間つなぎのような、延々つまらない挨拶の後、発表が次々と行われる。

一番、はじめは、各グループが同時に一斉に出て、同じ曲で踊る。
グループごとに、揃えられた衣装が楽しい。(=おもしろい)
振り付けも、グループごとに違っていて、楽しい。(=おもしろい)
明らかに、参加した人の勝ち。
見ている人は、意味なし。
というか、どこに目をやっていいのやら、誰を見ていいのやら、わたしは、苦労した。
見てもいいのやら、見ては失礼なのやら(その発想自体が失礼!?)・・・・

コレは、ダンスなのか、なになのか・・・よくわからないけれど・・・
まあ、ダンスは楽しむものですので、それはそれで、大いに意義があり、健康にもよろしい。
(ナニ様になっている?! 招待されたコメンテイターになっている?!)

次は、各グループごとのダンス。
その度にドレスを着替えてこられる人もいる。(着替えない人もいる)
ドレスも素晴らしいが、めげずに、はみ出たお肉も素晴らしい。

そして、その次は3組同時に発表。
うち1組がお上手。(遠くから参加された[あるいは、招待された?]セミプロみたいなペア?)
その1組を見ようとするのだが、他の組が邪魔になって見えない。
でも、身を乗り出して、特定のペアを見るなんて、きっと失礼なんだろうと思い、ガマンする。
平等に見ないと失礼かと。見るほうも、気を使う。

その後は、1組ずつのデモ。

わたしが個人レッスンで習っているルンバも、何組かが踊られたが、なにか、ちがう。
その中でも、おひとり、へんに、腰をぐにゃぐにゃ、それっぽくしようとして踊っている人がいたが、
個性を重視した踊りなのだろうか。
さらっと手を加えずに踊られるほうが、ずっと見やすい。

ありゃあないやろー、先生はあんなふうに教えてるんだろうか?
なんと、教え方にも、まるで違った方法もあったものだ、と不思議に思った。
好きなように踊りなさい、との方針か?
それとも、あんな踊り方もあるということを、わたしが知らないだけ?
それにしちゃあ、みっともない踊り方だ、とわたしの超・個人的感想。

1組ずつのデモでは、ドレスもキレイに豪華に整えられ、
心臓もバクバク、緊張感が伝わるなか、皆様、一生懸命、踊られていた。
一生懸命ぶりは、応援しがいがある。(知っている人はいないけれど)

同じレベルの踊りでも、
都心の一流ホテルでのデモで、衣装もバリバリにして、お金をかけて、目くらましをすると、見栄えが違うようだ。
かつては、自分もそのうちの一番レベルの低いグループでの団体ダンスに(渋々)出たことがあるので、
人のことは、一切、言えない。
が、衣装は、ボトムは普段のレッスンウエア・パンツに、
上は、手抜きの使いまわし風のお粗末なモノだったので(そんなものでも、レンタル料は、しっかり取られた・・・)、
見栄えすら、しないのだけれど。


プロの先生、大手のカルチャーセンターは、多額のお金を生徒から取って、豪華なデモをする。
発表会は、一流ホテルで場所代がお高いだけでなく、豪華プロゲストを呼んだり、ディナーがついたり
パーティ券をノルマ購入させられたり、お金に余裕がある人しか参加できない。
それに比べ、公民館でのサークルや、地元の先生は、
手ごろなレッスン費、手ごろなデモ出演費で、ダンスをしたい人の裾野を広げる。

衣装や会場費など、お金をかけるか、かけないか、だけで、ダンスのレベルは、あまり変わらない。
お高いほうの出演者でもヘタな人はいるし、お安いほうでも、上手い人はいる。
でも、相対的に見ると、やはり、お安いほうは、あまりお金がかからないからか、
気合をとことん入れておられるという方は少なく、余興や趣味を楽しんでいるというかんじ。
生徒さんでトップレベルは、お値段がお高いほうが断然、上。
都心のほうが、人間の数が多い中で切磋琢磨され、トップの質が高くなっているようだ。
先生ご自身のダンスレベルも、お高い方が上?(先生の年齢にもよるけれど)


で、費用が高いグループと、安いグループ、レベルや人数の比較、
わたしが今まで見たなかでの、まとめです。

○下レベルは、ほぼ同じレベル。
(お値段、高いほうは、あまりこのレベルはいない。でも、少数だけど、いる。
お値段、安いほうには、このレベルは大勢いるので、低いレベルでも引け目は感じる必要なし。
そしてさらに、それより低いレベルの人もいる)

○中級レベルは、だいたい同じレベル。
(高いほうにはこのレベルの人が多いが、それより上のレベルの人もいる。
安いほうは、ほとんどがこのレベル止まり。中の上の人もいるが、少ない)

○トップレベルは、お高いほうにはいるが、お安いほうには、いない。


上を目指すのであれば、やはりそれなりの先生に教えてもらうことが必要。
楽しく、わいわい踊るのであれば、お安いほうで十分。
お安いほうのパーティしか行かなければ、レベルの高い人のダンスを見ることはないので、
劣等感にさいなまれることもなく、楽しいダンスが続けられる。

辛口・コメンテイターとしては、
もし、実力が下レベルなら、お高いほうには出演しないこと。
お金の力で飾れば飾るほど、みっともない。
底上げするにも、最低レベルをクリアしないと無理。
どうしても出演したいなら、それはそれで、ご自由に。

ドレスや会場やらには、決して、惑わされない、わたしのような、嫌味な人間は、
人のことをあれこれ言うヒマがあれば、自分がもっと練習に精進すべき。


ちなみに、
基礎が出来てない人には、応用を教えない、という頑固な信条の先生のクラスを
せっかく初級2年3ヶ月の後にやっと、去年1月に中級にあげてもらったのに、わたしは今年から辞めた。
基礎がすべて出来る日は絶対に来ない人に、そんな方針では、一生、踊れないってことがわかったから。
そして、せっかく中級に上がったのに、応用の内容が、あまりにもチマチマ小さな小さな世界に止まっていることと、
お手本とすべき中級の先輩方がお上手じゃないこと、わたしが理想とするダンスとは程遠いことだ。

英語の難解な文法をすべてカンペキに理解し、覚えないと、英会話は教えないようなもの。
さらっと文法をやり、同時に英会話も進めるといいと思う。
文法偏重の日本の英語教育は、ぜんぜん、しゃべれなくて、コミュニケーション能力が育たない。
この先生のダンスレッスンも、それに共通するものがある。
実践に興味のない、その教室の中だけのダンスでいい人、
家に閉じこもっているより、長年の教室仲間と、運動になればいいわ、という人は、続いているようだ。

あれやこれや、やってみて、わかること。
まだまだ、知らないことが、いっぱい。
しかしまあ、自分で方針を立て、自分で自分を育てるって、面白い。

にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ人気ブログランキングへ

たいした素材じゃないのが、最大の難点だけど。

 

 

 


涙、激安、大バーゲン

2012-01-16 | 子育て

明け方、夢を見た。

電話が立て続けに3度ほどかかってきて、出ても切れたり、出る直前に切れたりした。
まるで誰かが、在宅かどうかを確かめているかのような電話。
空き巣狙い? 泥棒の下見?
ふと、外を見ると、
小学校2~3年生の頃の息子が、家の庭から、ガラス越しに部屋をそおっと、のぞいている。
クリーム色のトレーナーと紺色の半ズボン。


あれ?
キミが、様子を伺っていたの?
なぜ、家に入らないの?
なにが、あったの?


知らないうちに、夢から覚めていた。

その夢を思い出すと、どうしてか、まったくわからないけれど、
涙があふれ出て止まらない。


遠く離れて暮らす息子に、「元気?」と短いメールを入れる。

彼は年末年始は仕事のため、帰省しなかった。
義母に、お正月、インターネット上でアップされていた息子の写真入記事を
うちから持っていったノートパソコンで見せてあげた。
(わたしも、その時の記事は、はじめて見た)
アップされた、にっこり微笑む息子の笑顔を見た途端、
義母の目から、突然、ぽろぽろ大粒の涙がこぼれた。
食い入るように記事を読む義母。

そんなことも思い出しながら、
わたしは、ひとしきり泣いて、あーー、すっきりした、と、へんに爽やかになる。

なのに、また時間がたって思い出す。
すると、また涙がぽろぽろ止まらない。
拭いても拭いても、涙が出る。

いまもまた、これを書きながら、涙が止まることなく出ている。

べつに息子と仲たがいしたわけでも、永遠の別れをしたわけでもない。
手塩にかけて、べったりと、なめるように育てたわけでもない。
ほったらかして、育てた息子・・・なのに。


幼児時代、
デパートで買い物に夢中になった時、
寝ていることをいいことに、地べた(フロアー)に放置してたりした。ごめん、息子よ。

すやすや寝ている小さい息子を、自家用車から家に運ぶとき、手が滑って地面に落とした。ごめん、息子よ。

ぐずる息子を怒りながら手首を引っ張ったら、
なにかがすぽっと外れて、瞬く間に小さな手首が腫れあがった。ごめん、息子よ。
(即、外科に走った)
(昨今では、こんなこと書くと、虐待かと問題視されるかも知れないけれど、
虐待など、わたしの辞書にはなく、無縁。誤解なきよう、念のため)

中学受験の時、遠い他県にまで連れ出し、いったんわたしは仕事場に引き返し、試験会場に迎えに行ったら、
誰もいなくて(大幅遅刻)、見知らぬ土地の夕暮れに、ぽつんと不安顔の息子だけ。ごめん、息子よ。

本人は、覚えてないだろうけれど。

母親は、なんでこうも息子に弱い?


高校卒業以来、顔を合わせたのは、数えるほど。
学生時代は、お金がなくなったら帰省して(そう度々でもないが)、お菓子や食料品をどっさり持って帰った。
社会人になってからは、あちこちの赴任地に赴いたり、滅多に帰ってくることもなく、
遠くから見守り、応援するだけ。

上娘は、東京に転勤になってから帰省する頻度は減っても、
ちょいちょいメールをくれたり、誕生日プレゼントを贈ってくれたり、
忌憚ない(手厳しい)意見や、アドバイスをズバズバ言ってくれたり、身近に感じることが多い。

息子は、メールは一方通行。
返事なし。
それでも片思い状態で、メールを出す、ばかな母親。

でも、離れていてよかったような気もする。


これだけ涙が出るくせに、実際、家に帰ってくるとなると、ああ、献立は何にしよう・・・と
けっこう、アタマが痛かったりする。


おんなのアタマは、ふたつある。
夢のような過去を美化する傾向と、現実をむんずと掴む(つかむ)リアル傾向と。

相反する世界を同時進行。
どんなときも、いつも食卓のことを考えなくてはいけない
おんなは、複雑で、高等なアタマを持っている。

あの涙、まだ乾ききっていないうちから、もう、おやつをむしゃむしゃ食べている、わたし。
おんなの涙は、信用できない。
おんなの内部告発。

にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ人気ブログランキングへ

 

※「おんな」にも、個人差があります。ご了承ください。
(美容クリームや、エキスサイズ機器、ダイエットサプリメント等に添えられる補足説明と同様です)