蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

恋するベトナム

2008-10-28 | 
一昨日、夜10時からのテレビ番組(サ○ヨ○)に、△君が、生出演していた。
生出演を見るのは、初めてだ。
あまり、専門分野と関係ないことをコメントしていたが、
彼は、ジャイアンツ・ファンだったと記憶している・・・
(間違ってたら、ごめんなさい)


さて、秋のメイン・イベントは、旅。今回の行き先は、ベトナムだ。
ハノイ&ホーチミンの2大都市を訪れた。
女性が大いに好むところの、ショッピング、グルメ、エステ三昧というもの。
いつもと、趣の違う旅のコースとなった。
一人では、絶対に選ばないコースだっただけに、私には刺激がいっぱいだった。

ひょろひょろと南北に長いベトナム。
北と南では、気温だけでなく、人々の気質が違うと言われる。
ベトナム戦争で、南と北に分断されて戦った、悲劇の歴史は、記憶に新しい。

長い間、ベトナムは中国からの侵略と内紛を繰り返し、
やっと1802年にベトナム最後の王朝を建てたが、
1858年、フランスがベトナムを侵攻し、100年近く統治された。
それ以前は、中国の支配を1000年ぐらいにわたり受けていた。
ベトナムの起源は紀元前1000年ごろと、ずいぶん前に遡る。
首都ハノイは、1000年ほどの歴史がある。

そもそもベトナムは、社会主義国。
ベトナム戦争が終わり、30年経つが、最近、めきめきと発展している、注目株の国。
ドイモイ政策の成功を目の当たりに見たかんじだ。
(日本にも、そういう政策はないものだろうか・・・。
日本は、全てにおいて、停滞感がぬぐえない)
ベトナムの銀行預金の利子は、つい最近まで20パーセントだったが、
今は、17パーセントだとか。
しかし、預貯金の高い利子を享受するのは一部の人だけ、
まだまだ国民は、貧しい人が多いそうだ。

街中で、アオザイの人を見かけることは、ほとんどないが、
果物や野菜を売る女性たちの姿に、ベトナムらしさを感じる。
街路でのんびり、くつろいでいる人々を多く見かける。
公園では、大勢の市民がバトミントンを楽しんでいた。
空きスペースには、地面にラインを引いて、わざわざコートまで作ってある。
バトミントンが人気なのは、カンタンに出来て、場所をとらないからだそうだ。
公園だけでなく、まとまった広さがあると、バトミントンをしている人を見かける。

バイクが圧倒的に多く、車とあわせて、道路は、クラクションが鳴り止まない
信号がない中を、渡るのは、かなりテクニックが必要だ。
この恐ろしく無秩序な道路事情は、
人を地下に呑み込んで移動させる地下鉄が、都心なのに、無いからだろうか。

ゆっくり、ころあいを見て渡れば、車はスピードを緩めてくれるそうだが
私は、あんなにビュンビュン、車やバイクが行き交うなかを、
無防備に徒歩で一人では、絶対に横断できない。
渡るのに十分な勇気と、運動神経が、明らかに欠如している。
私がベトナムで、自立した生活を送ることは絶望的だ。

フランス様式の建築物が目を引き、ホテルやレストランにその影響が色濃い。
ベトナムなのか、フランスなのか、わからないほどだ。
しかし、一歩、ホテルやレストランを出ると、そこはまた別世界。
ベトナムの人々の暮らしとは、隔離されている感がある。
現地の人に、穴が開くほどジロジロ見られ、
「動物園に来て、逆にいっせいに動物に見られている図」を連想した。

本当の意味で、ベトナムを知るとういうことには、決してなっていない。
が、そこのところを踏まえ、旅行者が外貨を落としていくことは、
自由経済の発展にも貢献しているわけだし・・・・と自己弁護。


なにしろ、物価がとても安い。
エステも、フットマッサージも、可愛い小物や雑貨、衣類、アクセサリーも、
豪華フランス邸宅レストランも、とてもお安く、素敵だ。
ヨーロッパは、東側のほうが西側よりぐっと安く、
フランスなどは、なんでこんなに高いの?というかんじ。

タイも、安かったが、
タイよりミャンマー、ミャンマーより、ラオスがさらに物価が安かった。
中国より、ベトナムのほうが安く感じる。
都市や、行く店にもよるのだろうが・・・。

○○のエステが、こんな内容でオススメ、とか、
○○の○○が、とっても美味しかった、すごくよかったとか、
具体的に店名や内容、価格を、写真入でお見せすればいいのだろうが、
ガイドブックか、他の人のブログでも見て、研究してくださいませ。

とにかく、帰ってきてスーツケースを開けたら、
オーダーメードのアオザイ、ワンピース、ストール、バッグ、クッションカバー、
袋物、ヘアアクセサリー、置物、小物雑貨、陶器・・・etc
ひょっとして買い付けに行ってるんじゃないかと思うほど、
いろんなものを買い込んでいた。
女性って、ほんとに、お買い物にcrazyな生き物なんだと、改めて自覚した。

駆け足「大都市・現代ベトナム~初級編」の次は、
雅な古都ホイアンに、ぜひ行ってみたい。

恒例、秋の東京

2008-10-18 | お出かけ
今日から、イベント目白押しだ。

午後の便で、関空から東京へ。
毎年行われる、都内のホテルで開催される恒例セミナーに参加。
厚生労働省の最新の動きについて、新聞社論説委員の専門家が報告。
他に2人ほど、業界専門分野での発表がある。

服装を考えるのが、頭が痛い。
前年と同じでいいか、なんて思っているが、パーティ会場で
スナップ写真を撮られたりするので、同じ服装は気が引ける。
見た目にこだわっても、長時間にわたると、疲れる服装は、うんざりだし・・・。
ドレスアップというのも、ちょっと違うし・・・。
ドレスコードは、なんだろう? 
想像すると、セミ・スタンダード?(意味わかりにくいけれど)

セミナー後は、立食パーティ。
真っ赤なロングドレスに白いブラウス、一糸乱れぬ髪はシニヨン、メークはばっちり、
パーティーレセプタント美女たちが、総勢30~40人?ぐらい待機し、
あれこれ世話をしてくれる。
彼女たちは、年齢20~35歳ぐらいで、身長158~165センチぐらい、
北朝鮮の喜び組といったかんじの、粒ぞろい、調整のとれた美しさ。
一流ホテルへの派遣なので、美しさだけでなく、立ち振る舞いや、
言葉遣い等もちゃんと教育されている。
ずらり勢ぞろいぶりは、昔のグランドキャバレー(実際は知らないけれど)の、
目的を修正した、正統派豪華版、みたいなかんじ?
はじめは大勢の美女軍団にびっくりしたけれど、
今では、気兼ねなく、なんだかんだと頼める便利屋さんとして、重宝している。

立食とはいえ、ホテルの大広間で、繰り広げられる豪華なメニューで、
お腹一杯になっても、まだ食べてしまう。
会社の営業担当者が、次から次からへと役職の高い人々を連れて挨拶に現れるので、
食べることに専念できないのがタマにキズ。
しかも、担当者がお皿をあれこれ、運んできてくれるので、食べるペースが乱れる。
管理職もまじえ、話を心地よく合わせてくれるが、食べていると、話すのが面倒。
適当に笑顔で応対し、いつも私はせっせと料理をテーブルに運んでくる。
社長も大勢の部下をひきつれて、必ず回ってくる。
ご苦労様。
何年も行っていると、途中で、大企業同士が合併になったり、
副社長だった人が社長に昇進したり、企業組織沿革の顔が見える。

以前は、立食パーティの後、接待が個々にあったのだが、こういうご時勢、
それもなく、皆さん、すごすごとパーティが催されたホテルの各部屋に消えていく。
元気がありあまっている人は、それから自費で、夜の東京に繰り出すのだろうが、
私は、いつも、そのまま部屋に直行する。
翌朝は、周辺を散歩して、午前の便で帰る予定だ。

以前は、東京都庭園美術館や、出来たばかりの頃のお台場周辺や、六本木ヒルズなど
新スポットに足を運んだが、最近はそそくさと引き上げる。

参加できないときも、たまにあるが、このパターン、もう何回繰り返しているのか?
別段、心待ちにしているものでもなく、こなしている、というかんじではあるが。
恒例秋の行事となっている。


野球選手、古田って、人気あるんだ

2008-10-15 | お出かけ
スワローズ一筋に18年。
監督、選手、球団営業マンという3つの経歴を持つ古田敦也氏。
球界再編成騒動では選手会長として奮闘したことは記憶に新しい。

古田選手は、川西出身。
無名といっていい川西明峰高校から立命館、さらにトヨタ、ヤクルトへと歩む、
その軌跡を、テンポよくユーモアをまじえて、披露してくれた。
なかなか明るく、楽しいトークショーで、1000人は入る会場だったが、
ぎっしり、両端まで、臨時に椅子が用意され、人で埋っていた。

前に参加した、浅野史郎氏のときの2倍は集客力がある。
人気野球選手は、カンタンに人が集まるんだ・・・と、意外だった。
野球選手は、芸能人と同じで、強い人気があるんだそうだ。
前回の浅野氏は、講演を一人でこなし、ステージ狭しと、あちこち動き回り、
居眠りしている人にも、これでもかこれでもかと、刺激を与えようと必死だった。
「地方自治」を専門とするあたりが、普通の人にはお硬くて、すでに眠いのかも。
集客ジャンルとしては、ハンディかも知れない。

このたびの古田氏は、元NHKレポーターの植田聖子氏をまじえて、トークショー形式で、
自分に関するネタを好きなようにしゃべるから、進行しやすい。
笑わせながらも、今後の「プロ野球」業界を引っ張って行ってくれる、熱意が感じられた。
12球団存続への道筋をつけた実績を活かし、今後も、ぜひ、頑張って欲しいものだ。

地道な活動経歴のあるお役人より、芸能人のほうが、一発で人が集まる。
テレビに出ている人の知名度は、選挙には、めちゃくちゃ強い。
同じ弁護士でも、無名な弁護士と、タレント弁護士である、橋下現府知事が、いい例。
大衆とは、怖いものだ。
「民衆と愚衆」について、語った政治家が昔、いたような・・・
多数決や民主主義も、ちょっとしたことで、思わぬ方向になびく危険性をはらんでいる。


古田が好きで、わざわざ時間を割いて来ているはずなのに、やはり、
居眠りする人はいる。
時間になれば、古田がまだ喋っていても、とっとと退場する人も、ちらほら。
所詮、ご招待、というものは、こういうニュアンスだ。
やはり、自分で身銭を切らなければ、真剣に取り組まない。

私が、最たる実例だ。

眩しすぎる、コロー展

2008-10-14 | 展覧
先週、舞子ビラで夜から開催される、古田選手のトークショーついでに、
三宮で途中下車して、コロー展を観た。

私は、いつも、ちょっとのことで出かけるのは、能率が悪いと感じる。
はやい話、面倒くさがりだ。
遠くまでわざわざ出かけるからには、ジャンルは、まるで無関係でも、
2件はハシゴしたい。

なので、強引に、コロー展。
地理的に、大阪より西に位置するところから、選んだ。
前に、「オルセー美術館展」を観に来て以来の、神戸市立博物館だ。
平日の閉館近くということもあり、他の人が邪魔にならなくてよかった。


カミーユ・コローは、1796年、パリのブルジョワ家庭に生まれた。
26才で、家業を離れて本格的に画家を目指すことが許されたコローは、
自然に対するみずみずしい目と感性で、 風景画家としての地位を築き、
人物画でも傑作を残した。
古典の伝統をふまえつつ、確かな造形力で独自の詩的世界を作り上げ、
彼の影響を受けた芸術家は、ルノワール、モネ、マチス・・・と後を絶たない。
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誰もが一度は見たことがある、学校の教科書にも載っているコローの絵。
絵画といえば、コローを知らない、と話にならないかなあ・・・と
後学のため、観にいったようなものだった。
時代の表舞台に光り輝く、超正統派、優等生中の優等生といったかんじ。
時代の先駆者となる構図、色使い、筆致、ストーリー性、当時の風景・・・
説明にあるままに、素直に、ふむふむ、なるほどなぁ、と歴史的大作の数々を
ひとつひとつ丁寧に観た。

確かに素晴らしいのは、言うまでもないが、なぜか、すんなり、行き過ぎてしまった。
前回観た、首の長い、アーモンド目の、やたら赤い顔、はっきり言って、へんな絵の
モディリアーニのほうが、ずっと後々、心のどこかにひっかかって印象的だった。
ひょっとして、私は、絵を見る目が、変化したのだろうか?
これも成長? 
それとも、正統派に対する、コンプレックス?

モディリアーニのときは、音声ガイド器(有料)を借りなかったけれど、
今回は、奮発して(500円!!)借りたというのに。
中村吉右衛門が説明指南役だった。
行政も、予算がたっぷりなのか、
彼が、芸術理解者で、安めのギャラで引き受けたのか、
はたまたナレーション料は、相場として、そう驚くほど高くないのか?
ガイドが終わる頃になって、名前が流れ、意外だった。
渋いというか、思い入れたっぷりの年配の声だなあ、とは思っていたが、
無名のナレーターでも別によかったのでは、などと小市民的な私。


なんの先入観も、知識もない真っ白なままで、いろんな絵を観たい。
それは、絵に限らず、芸術全般、建物、人物、風景、街、・・・なんでもかんでも。
見るものだけでなく、五感で感じるすべてを。
自分の好みをリトマス試験紙でチェックしているようなかんじ。
感性に触れるかどうか。
少しでも、感性に触れるものに出会うと、しあわせ。
感性に触れなくても、勉強になって蓄積されるから、しあわせ。
その時はなにも感じなくても、積み重なって、色んなものが、じわーっと混じって
熟成されていく感覚に、こころ満たされる。
少しずつ変化する自分を感じることも楽しい。
どっちにしても、しあせわなのだ。

で、いつものごとく、絵はがきは、2枚チョイス。
閉館時間ぎりぎりまで、目一杯ねばり、博物館を後にした。

うなずくだけの、蝶々です

2008-10-13 | お付き合い
用事で大阪市内に出かけることがあり、外出したついでに学生時代の友人たちに
連絡を取ったら、急きょ、お茶する運びになった。

ばたばた、日曜日だというのに、お付き合いしていただいた。
Bさんの、市内にあるショールームにお邪魔した。

Bさんは、ご主人の自営業をお手伝いし、祝祭日も勤務。
仕事に、やや疲れている。
ご主人との二人三脚の仕事は、家計を担っているので、
やめるわけにはいかない。
スタッフたちに任せて、仕事のことを頭からすっかり離し、
ゆっくり自分の時間が持ちたいが、とても無理と言う。

Mさんは、色々な手作りアートが趣味の専業主婦。
先日も、オリジナル・アートペイントを施した傘と、ガーデニング・ブーツを
私に送ってきてくれた。
(また、お礼の御品をお送りしようと思っている)

Bさんの娘さん(一人)、Mさんの娘さん(二人)も、
我々の出身校と同じ学校に通っている。

Mさんは、自分の習得した趣味を人に教えてあげたいという熱い思いを
具体的に計画中。
それで儲けようとか、そんなことは思っていないけれど、と言う。
彼女の金銭感覚からすると、ビジネス的には成り立たないように感じた。
労苦ばかり多くて、よくてトントン、悪くすると、結果的に持ち出しかも?
お金を稼ぐという意識、感覚が、毎月、潤沢な家計費を自由にできる
専業主婦感覚である限り、道は険しい。
しかし、その「人のよさ」が、Mさんのよさでもある。
ボランティアと割り切って、夢を実現されるとよいのではないかと思う。

Mさんは、娘さんが3人とも私学の大学生で、最もお金がいる時期。
勤めたいけれど、この年齢では雇ってくれるところがない、とこぼす。
そもそも、Mさんのご両親は、「女性が仕事をするなんて、みっともない」
とおっしゃるそうで、それもあって、仕事はしたことがない。
時代錯誤のご両親は仕方ないにしても、それに従うMさんは、もっと時代錯誤だ。
その娘さんたちの、将来は、いったいどうされるのだろう・・・???

専業主婦をさせてくれるぐらい稼いでくれるのなら、即、仕事を辞めて結婚するわ、
と、ある独身キャリア女性が言っていたのを思い出す。


帰宅後、夜に、仕事を通しての友人Fさんから、久しぶりに電話をもらった。
彼女は、社会保険労務士の資格に何度も挑戦し、昨年、長年の夢が叶い、見事合格。
小さいお子さんを抱えて、ものすごく努力をされていた。
しかし、結構な年齢からの、専門分野での初就職なので、ストレスも多いようだ。
今の現状は、決して充実感はなく、虚しいと言う。
経済的自立が、彼女の夢なので、まだ、行政書士の資格も取りたい、と勉強中。
年齢のせいもあり、慣れない仕事をしながらの受験勉強は、なかなかキツイと、
苦しそうだ。
たまたま、子ども会などの役が3つも重なって、思うように時間がとれず、
モチベーションが全く上がらないらしい。
誰とも話さず、誰とも遊ばず、仕事以外の自由時間にずっと受験勉強をしていると、
無性に人と話したくなった、とFさん。


私は、どの人とも、「うんうん、そうかぁ、大変やねえ・・・」
と話を聞くだけで、気の利いたコメントのひとつも発することもできず、
彼女たちにしてみれば、
手ごたえのない、面白くない反応だと思っているかも知れない。


同じような年齢の女性たち。
いろんな生き方がある。


ジェットコースターは、嫌い

2008-10-12 | わたし
さて、大暴落。
ありえないほど下がっている。
特に私は、よりによって、この夏、お盆ごろに株を買ったので、
その下がり方のスピードは、それはそれは、ジェットコースターだ。
毎日、頭が痛いのを通り越して、気分が悪い、も通り越して、
ほぼ絶望状況。
ファンドも、どっかーーんと落ちている。
今、世界中がそうなのだ。

なにを頼ればいいのか?
本屋には、専門家の本が、ずらり。
読めば読むほど、不安になる。

「お金に頼りきるのは、不安なので、お金をモノに換える、
例えば、確かな優良不動産に換えるとよい」
などど、書いてある本もあるが、どれが優良なのか、素人にはわかりにくいし、
そもそも確かな物件、なんてものは存在するのか?
ただでさえ、不動産売買は、リスクがつきものなのに、
この時期、不動産に手を出す、というのは、本当にオススメなんだろうか。
投資より貯蓄を、という声もある。
不安を煽られると、冷静な判断力が損なわれる。
本の著者は、発言には責任をもってくれない。
国の金融大臣でさえ、そうなのだから。

個人レベルでの身近な防衛策として、わかりやすいのは、
1銀行には1000万円以上預けないこと、だそうだ。
民主党が、1銀行3000万円まで保護額を上げる法案を提出するとか。
法案が通るころには、すでに何行も倒産してたりして。
というか、国民の財産を守らない方向の法案が急きょ、通ったりして。
たとえば、国債は、パーとか。
まえに森林保護の債権、国が出していたにも拘らず、だめになった。
国債が破綻すると、日本経済も同時に破綻している。
しかし日本経済が破綻しない、とうい保証はない。


お金がある人も、お金がない人も、
他人事ではすまされない。
アメリカに委ねている日本、親の崩壊は、子の崩壊へと、
向かうのをじっと待っているなんてこと、できるのだろうか?
アメリカのなだれ、まだまだ、猛スピードで、崩れ続いている。
どこまで行けば、止まるのか?
それより、本当に止まるのか?
おお、コワ。
資本主義が崩壊したら、戦争に突入?
戦争は最も怖い。


崩壊する前に、アメリカで稼げるだけ稼いだ人は、強運の持ち主だ。
人生、いろいろ。同級生にも、いろいろだ。
さて、今夜は、彼はTVに、顔を出しているかな?
もし出るのなら、今後のこと、さらに詳しく語ってほしい。
(といっても彼は生出演ではないので、
放映時には、収録は済んでいるだろうけれど)

ふわりふわふわ、自由な発想

2008-10-08 | 読む人々には興味ない話
「あなたも夢を実現!」とか、「まるで普通の人が億万長者に」とか、
「こうやって成功した、ノウハウのあれこれ」、
みたいな類いの、人の気を引くフレーズをよく見かける。

日常に満足していない人への気分転換に、とか、
モチベーションを上げる、とか、夢をあきらめない、とか、
そういう意味では、とても魅力的なことだと思う。

私は、凡人あるいは、それ以下なので、
もともとモチベーションそのものがない。
なので、自分を中心にコトは動いていないことは、よく知っている。
つまり、客観的に、社会的に、他人を納得させる既成事実がない。

やたら熱く語り、夢に向かってひた走ろう!!
などとブログ(日記)に書いて、ネット内で通りすがりの人の
共感を呼んだりしている若い人を見かけることがある。
そういう人が自ら明かす、これまで歩んできた道を見ると、
学校は途中でリタイア、専門学校もリタイア、仕事もリタイア、
自分探しの旅の途中に、やっと熱くなれるものを見つけたとか。
目下、夢の実現に向かって走っているそうな。
なにひとつ、今まで客観的になにも成し遂げたものがない人が、
いくら熱く語っても、、、、、ねえ。
気持ちだけでは通用しないのが、この世の中。
そういう場合は、なにも、経歴とか載せないほうがいいと思うのだが。
あえて赤裸々に告白することによって、自らを奮い立たせ、
一からの出直し、というスタンスだろうか。
とりあえずは、公表できるような実績を、まずはひとつでも作ることが
第一のステップだと思う。

私の場合、なにひとつとして人様に自慢できる、客観的な経歴がないので、
書きたくても書けないのだが。
ただ、客観の世界とはまた別の、主観の世界を確保して
自分の感性を軸に、いろんなものを感じ取る。
感性は、自由なのだから。
なんの束縛もなく、全てから解放される。
そんな現状に、とてつもなく満足している幸せモノである。

人の持っていないものを持つ人は羨望の的だが、

お金はあっても、教養がない人。
教養があっても、品性のない人。
地位はあっても、友達がいない人。
今はよくても、未来がない人。
頭が良くても、努力をしない人。

実にもったいない。

なにもなくても、希望がある人。
飛びぬけてなくても、充実感がある人。
そのほうが、幸せだと思う。

私が幸せなのは、理想のレベルが低いから?
いえいえ、実はそうでもないのだ。


この人こそ、まさに、私の理想、という人がいる。
私がはっきりと想像できない理想のイメージを、具現化している人物。
小学&中学の同窓の同期生、○○君だ。
しかし私は、彼の私設広報担当者でもなんでもない。
勝手に、ひとりで外野で感激しているだけだ。

そこそこ頭がいい人は多々いるが、その中でも、元々頭がずば抜けて良い。
そこへもって不断の努力家。
先見の明がある。
運もいい。恵まれてもいた。
高い学力、教養、ネイティブの専門家と互角以上にディールできる語学力を身につけ、
 さらに専門スキルがある。
自分のビジョンを明確に持っている。
熟考家。判断は私情に振り回されず、情報を立体的に組み立て、醸成して。
人を切る時は、温かく、しかし冷静に。
ビジネスでは人脈づくりは、ビジネスを作り出すためであり、
 お友達を作ればいいというものではない。
 大企業からの留学社員は、後ろ盾に安心して、(留学先では)人脈を切り開く気力に欠ける。
波の乗り方を覚えるには、何度もの失敗経験が不可欠。
自分の生き方を自分で切り開く。
目標となる人、モデルがない場合は、自分自身をモデルにして創造する。
人格者。お金に振り回されない。
退路を断つ、迫力と意気込み。
人当たりのよい柔和な性格。
誰もが認める力量の持ち主で、リーダーシップを発揮する。
適材適所、人を活かして起用する、人材の使い方がうまい。
いつも決まりきったパターンではなく、時流を読んだ柔軟性をもった判断、方法。
嫌味なく、自分の現状を語れる。
 (謙遜するばかりが能じゃない)
力量に見合ったステータス(社会的地位、信用、交友、富)を保持。

現代の日本において、成功者の一人、
そのモデルとなる人物だと思う。
白洲次郎をもう少し、専門スキルを磨いて、頭を良くしてマイルドにした感じ。

他人の成功話なんぞ、聞いてもなんの面白いこともない、
と多くの人は感じると思う。
知り合いの自慢は、ひいては、自分の自慢でしょ?と思う人もいるだろう。
きっと理解してもらえないと思うが、
大好きな冒険小説がいくつかあって、
さらに今まで読んだことのない大作を読んだような感激、とでも言えばいいだろうか。

私は、成功話が、大好きなのだ。
それも、「濡れ手で粟」、といった類のもではなく、
偉人による偉業、という、正統派のもの。
それが現代人で、今もまだまだ活躍中、となれば、
私が釘付けとなってしまうのも、仕方がない。

なによりも、成功した人のパワー、オーラは、
(私は実業界の住民ではないが)、実に心地よい。






お目にかかりたくても

2008-10-06 | 読む人々には興味ない話
一昨日入手した情報に従い、◯◯君、いつも出るわけないよね、と思いつつ
昨夜、眠い目をこすりながら、番組が始まる夜10時まで待った。
三谷幸喜がコメンテイターとして出ていた。

コメントは、おちゃらけも、いいところ。
真面目に見ている人の失笑を買っている。
すべっている、とは、まさにこのこと。
ニュース番組としての質を明らかに低下させている。
お笑いバラエティ番組ではないのだから、シャレにしても笑えない。
基本的知識があっての上ならまだしも、とてもそういう風には見えなかった。
明らかにプロデューサーの人選ミスと言えそうだ。
三谷幸喜も被害者かも知れない。
(「ザ・マジックアワー」はおもしろい作品だったが)

◯◯君は、エコノミストとして現状の解説、今後の成り行きなどを予測していた。
素人にもわかりやすい説明で、とてもよかった。
いつもながらの、優しい微笑みは、余裕のなせる技。

しかし、あの番組は、山本モナが当初やる予定の、鳴り物入りで始まった番組。
司会の伊藤アナウンサーも、なんだか、おふざけムードが全身から漂い、
真面目なニュースには不向き。
ウエンツ君は、まあ頑張っていたが、あのコメントは本当に自分の脳から出たのかな?
自分の言葉なのかな?と思ったが、彼は努力家で頭は良いそうなので、オリジナルだろう。
深い読みや洞察などのない、単なる進行と感想、と言えなくもなかったが、
お笑いも志しているという、若いマルチタレントにしては、大きなミスもなく
はきはきしたストレートな言葉は、耳に触りがよかった。

三谷幸喜が、複雑な顔をして、ウエンツ君のコメントを聞いていた(ように思えた)。
受け売りや、不確かなことは、口にせず、笑いで表現する自分の方が謙虚だ、
とでも思っているかも知れない。
彼の場合は、いかなる時も、あのスタンスだろうけれど。
ウエンツ君は若いから、なんだってできてしまう。怖いもの知らず。
中年になると、怖いものがいっぱいあって、下手なことは言えないのがツライ。

公認会計士の女性コメンテイターは、なかなかしっかりしたコメントが多く、
ふむふむ、なるほど・・・と好感を持った。

しかしながら、あの番組は、中途半端で不快感が残った。
お笑いバラエティ的味付けが、どうも気になる。
私は初めて見たのに、三谷幸喜(を起用したプロデューサー)のせいでもある。
プロデューサーは確信犯的に、ああいうテイストの番組をあえて作りたかったのだろうか?
三谷幸喜は、自分の作品(おそらく、自分自身も作品のひとつ)批判を目にすると
創造意欲が減退するため、インターネットは見ないそうだ。
ここで少々辛口で攻めても、彼には届かないだろう。

◯◯君は見たいが、こんなムードの番組では、これから、渋々見ることになりそうだ。

酒蔵コンサート

2008-10-05 | お付き合い

中学同窓生・有志主催の酒蔵コンサートがあった。
チェロ奏者のプロとして活躍する、同級生Mさんと、Mさんの先輩ピアニストの協演。
もう一人、同級生にプロ・ピアニストがいるのだが、今回は不参加。
古くから酒造業のさかんな地にある、同級生Y君が所有する酒蔵で、
優雅なひとときを楽しんだ。

作られたばかりの、秋の新酒をいただいたが、これがまたオイシイ。
コンサートもさることながら、フルーティな冷酒は格別だ。
酔いしれるのは、美しき音色に加えて、美味なるお酒??
一般消費者の手には入らないそうなので、さっそく購入した。

我々同窓会メンバー以外に、
地元のご近所の方々、Mさんのお弟子さんたち、
今回、尽力してくれた世話役・同級生のNさんと、
音楽療法士であるNさんの音楽療法関係の皆さま、
ピアノを貸し出してくれた病院長さま、酒造会社の皆さま、Y君のご家族・・・
思いのほか、人数が集まっていた。

他の同級生たちも、個々にも趣味も含めて音楽など、幅広く活動しているようで、
受付には、自分たちが関係しているコンサートやイベントの案内が
所狭しと、たくさん並べられていた。

昔のクラスメートが集まると、「今、話題の同級生」の近況を報告しあう。

○○君、○○(日曜・夜・フジテレビ)に出てるの知ってる?
××君、××事件の解説で、××省の責任者として、テレビに出てたよね。
▽▽君は、テレビで、▽▽病の医療事故の説明してたわ。
△△君(1級下だけど、テレビネタついでに)、△△(平日・朝・TBS)で、
 準レギュラー的に前からずっと出てるね~。(→彼は当時、すごく可愛かった)
□□さん、木曜日に、前とは別の番組にコメンティターでまた出てるね。見た?
◎◎さんは、製薬会社から起業して、アメリカで国際特許の会社を作ったらしいよ。
 今回、メールしたら、連絡がつかなかったと思ったら、アメリカにいたからなんやわ。

などなど・・・etc
活躍ぶりは、テレビが一番手っ取り早い。
顔が見えるだけに、わかりやすい。
それに、今、出演している間に見ておかないと、出演期間が済んでしまうし・・・。

その中で、特に初耳は、○○君と、××君。
へえーっと驚く。(前から、○○君はメデイアにはよく登場していたが、
業界が違うので、テレビのコメンティターとしては、お初)
このお二人、同じ高校、同じ大学、同じ学部卒。人並はずれて頭脳明晰。
(他にも同じ大学の人はあと3人いるが)

昔にしては、1学年たった3クラス、140名だが、
たまたま私たちの学年は、優秀な人がゴロゴロしていて、幅広く活躍されている。
私は、凡人チーム(劣等生)の一員として、陰ながら応援している一人だ。
世界の出来事、ニュースの出来事、私たちには遠い話しやわ、
と思っているような事柄を、動かす側に立ち、日常の一部としてさらりと話す彼ら。
え?と驚くようなハナシには、事欠かない。

今日も、前の同窓会でお世話になった○○君をグーグルで検索して、
たくさんの記事を読んだが、とても素晴らしい業績を残しているようだ。
こんなに立派になっているとは、(薄々知ってはいたが)とても喜ばしいことだ。
○○君とは小学校も一緒だったが、もう、ほとんど、母心に近い心境である。

コンサートの帰りに、数人で近況を話しながら駅まで歩いて帰った。
中学時代、ほんの少しの時期、袖擦りあうご縁で、一緒に時間をともにしたが、
いろんな人生を皆さん、歩まれている。
そんなこんなで、楽しい秋の一日を終えた。


ブログが、いっぱい

2008-10-01 | わたし
毎朝、ため息から始まる。
アメリカ経済、どういうスピードで、日本に影響を与えるのか。

それはそうと、
最近、本当にいろんなブログがある。
自分の興味あるものを、あっちも、こっちも、
ひとつひとつ、読んでいたら、時間がいくらあっても足りない。
多々あるブログの中でも、経済や論説は別として、
やっぱり、人に訴えるものとしては「ビジュアル」には敵わない。
視覚に訴える、ということでは、
You Tubeのなどの動画ほうが、衝撃度などでは、勝るかも知れないが。

あれこれ、下手に文字数を増やし、ごたくを連ねるより、
映像や写真で見せるとストレートだ。

いかに、すごいか、いかに素敵か、いかに美味しそうか、
いかに美しいか、いかに楽しかったか・・・
主観の世界を、客観的ビジュアルで証明、展開する。
となると、説明や、解説なんかいらないわけだ。
漫画やイラストなどは、効果的。写真なら、一発芸だ。
それも、すご技の写真なら強力。
文字だけの、特徴のないブログは苦戦を強いられる。

写真のすごく上手いブロガーが、続々登場している。
主婦の聖域、家庭料理を味わいたっぷりに、表現する。
同じ料理を写しても、写し方によって全く違って見える。
アップグレードしたカメラをこれでもか、これでもかと駆使した、
プロ並みの写真を連ねたブログは迫力がある。
そこへ内容が濃くて、文章が達者なら、言うことはない。

しかし、あれこれ、あっちも、こっちも、ネットサーフィン風に
ブログ難民みたいに、フラフラ彷徨っていても、
多くのファンを抱え、多くのコメントを載せるブログも素晴らしいが、
不特定多数の読者の一人として、一方的に見ているだけで、
接点はほとんどない。
結局は、自分の、元から好きなブログに、いつも戻る。

そこには、親近感や、自分との距離感、関わり、
そして、ブロガー本人のひたむきさ、熱心さが、私には貴重な魅力になっている。
温度が伝わってくるかんじだ。
コメントは、近頃、滅多につけないが、いつも応援している。