わたしは映画の制作サイドの人間でもないし、スポンサーでもないし、映画愛好家サークルにも関与していない。
なので、忖度なしで書く。
ものしり博識でもなく、思慮が深いわけでもない、作り手側の苦労など全く配慮せず、無責任に感じたままを軽薄に書く。
(前置きが長い、、、)
浮雲。
1955年(昭和30年)の映画。
監督は、成瀬。
世界の黒澤明と二分するほどの名監督だそうだ。
そもそも、日本の名作を観てみたら?と知人にススメられて観た。
レンタルDVDの入手は大変だったが、まあ仕方ない。
インターネット配信を避けたので、そうなった。
家の大型TVでも観れるのだが、使い方がわからないので、中型TVのモニター画面で観た。
DVD環境は良くなかった。
と、まだ前置きが続く。
なんと、(当たり前だが)モノクロ。
わたしはモノクロの映画を観たことがない。
と思ったが、「ローマの休日」はモノクロだったか。
断片的感想を時系列ではなく、アットランダムに並べる。
主役の高峰秀子の鼻が美しかった。
最後に病で伏せた時に、下からのアングルで、まるで整形したように鼻筋が通り、鼻先が(丸い団子の対極で)尖っていた。
こんな感想を一番初めに書いたことで、落胆された熱烈映画ファンもおられることだろう。
忖度なしとは、こういうことは普通にある。
眉毛も、細く流動的に放物線を描くように綺麗に引かれていた。
当時の流行りか。
あまり大袈裟な表情変化は見せず、目が命。
それと、セリフ。
あんなにハッキリ明確に感じたことや胸の内を言葉で表すなんて、じつにけしからんとは思うが、笑ってしまった。
ごめんなさい。ファンの方。
「目で演技しているよ」と、鑑賞をススメられた人に言われたが、目、以上に、セリフ。
あんなにしっかり言葉で発すると、余韻も想像力もあったものではない。
どんな鈍感な人も、想像力が働かない人も、あれならわかるだろう。
恐れ入った。
オトコとオンナ、情念ドロドロをあんなにみっちり口に出して言う???
と、枝葉から書いた。
総合的に見ると、名作と言われるだけあって、映画学校のテキスト、お手本として学ぶには必須だろう。
映画の歴史、背景、文化など、一番はじめに習う事のようなかんじ。
娯楽作品としてはよく出来ていた。
観客は、スクリーンに吸い込まれていくかのごとく、ストーリー展開に全身で没頭する。
ジェットコースターに乗って時には水しぶきも浴びて楽しむかのごとく、わたしには、現実を離れた100%虚偽、作り物、創作、フィクションに感じた。
つまり、そりゃないやろ、と、感情移入は出来ない。
しかたない、わたしが生まれる前の映画だ。
とは言え、時代をはるか遡る歴史ものでも普遍のテーマがあったりして、時を超えて魂を揺すぶられることはある。
魂以前の問題で、わたしの経験値が低すぎて、想像力が働かない。
ヒロインは自立して一人でも生きて行けるのだが、ダメ男との腐れ縁をずるずる続ける。
ダメ男は、ヒロインをはじめ、ダメ男の妻や母、他の女性やその夫など、全員を不幸にする。
心臓を切りつけられるようなキツイことをヒロインに言われても平気。
頭が悪いのか?
農林省のお役人の役柄にしては、どんな頭脳、神経をしているのか。
太宰治似の、めちゃくちゃオトコ前。
だれが見ても嘘で、嘘!と言われてののしられても、平気で嘘を言う。
わしゃ知らん、と、嘘をつく。
優しい嘘か。
そんな嘘なら、「復讐するは我あり」の緒方拳扮する詐欺師のほうが、まだマシ。
(悪人ランクとしては、犯罪者のほうが断然酷く強烈だが)
と、なんであんなに賢い女性が、あんなダメ男に翻弄されるのか。
そこが解せないところが、フィクションならでは。
林芙美子原作。
多分、原作以上に、よく演技されていると思う。(原作は、読んでいないが)
宇宙から宇宙人が攻めてくるぐらい、わたしには感情移入できなかったが、映画としては面白く、楽しめた。
江戸時代の人が、浄瑠璃や歌舞伎、能楽に魅入ったように、話のストーリーとは関係ない次元で、芸能、娯楽を堪能するのかと想像した。
あるいは、ホラー映画や、歴史もの、犯罪ものなど、自分とは関係ないところから鑑賞するには、テクニック的に観客を唸らせる。
しかし、あんなに、嘘とわかっていても、目の前でイケメンダメ男に、優しくされると、参ってしまうのだろうか、、、??
宇宙人は、想像以上にミラクル、パワフルなのだろうか。
わたしは、自分が幸せになる道しか選ばないので、能動的にダメ男を選ぶ女性の心境が理解できない。
が、きっと宇宙にはいろんな生き物がいるのだろう。
しっとりした感想を書けなくて、申し訳ない思い。
だって、わたしは女たらしダメ男、キライなので、どんなに擁護されても、拒絶反応、アレルギーを示す。
インスパイアされ、映画とは別の私情が爆発してしまった。
キライキライと書いていると、どんどん熱くなってくる。
(太宰治、大好きなんだけど)
映画の素晴らしさを書こうと思ったのに、ダメ男への嫌悪感が倍増し、書いているうちに敵意が剥き出しになってしまった。
それと、令和の今の時代ではあり得ない、セクハラの嵐。
あり得ないほどセクハラは不愉快この上ない。
ラストは病死で悲劇が締められるが、ハッピーな明るい家庭だったとして、最後に病死だったとしたら、どんなかんじなのかと想像した。
幸福な人生も不幸な人生も、残される側にとっては最後は同じなのかと。
見る側のシュミレーション。
それだけ感情が昂るのは、影響力のある映画だということだ。
「女が階段を昇る時」や妻シリーズも、レンタルして観ようかと思うぐらいだから。
たぶん、決めつけられた理想の女性観に、また頭から湯気がもあもあと立ち上がることだろう。
それはそれで、結構なことだ。
無関心よりは。
だが、コメントまでいただき期待されていることだと思うが、熱烈映画ファンの方には、無神経、無理解のこの記事をお読みになった、残念さ、無念さを想像すると、こころが痛い。