そうか・・・
素人と玄人の定義は、とても難しいようだ。
お金をもらっているか、もらっていないか。
生業にしているか、していないか。
売れない芸人や、芸術家は、どうなる?
文芸モノではなく、商品のコピーや、ライターさんは、どうなる?
専門分野にいる人は、分野外の人よりも、その世界がよくわかる。
分野外の人は、わあわあ、すごいすごい、って言ってるだけだけど。
内側にいる人は、どの程度のすごさか、わかってしまう。
でも、医学や化学、物理、自然科学などと違って、芸術系って、モノサシが、とっても曖昧。
というか、わたしが、芸術の外側にいるので、よくわからないのだ。
ミーハーなのだろう。
そういうと、シンコ弟は、「姉ちゃん、僕のこと、頑張れって、言ったやん!」
と、ふて腐れるかも知れない。
わたしは、しょせん、生活者なのだ。
表現者ではない。
表現者として、到底、プロなどの足元にも及ばないし、同席することも、並ぶことすらない。
なので、自分は自分で、横っちょに置いておいて、
どういう表現をしようが、その現れ方よりもさることながら、もっと、芯の部分を見る。
ところが、芸術系の人は、芯の部分そのものが、複雑怪奇で、素人には、ようわからん。
数式や図式で説明するという手もあるのかも知れないが、よけい、わからん。
素晴らしい表現に出会うと感動するが、こちらは受け手であって、表現側ではないので、
ただただ感動するのみ。
だから、自分と比較したりして落ち込むことはない。
(似たようなレベルだが、ちょっとだけ上の人に出会うと、落ち込むが)
同じフィールドにいる人は、1周目を走っている人と、5周目を走っている人が、
同時に横で走ってたりして、レベルの違いをひしひし感じたりするんだろうけれど。
(わたしも、低レベルで、そういうことは、よくある)
東京藝術大学を主席で卒業して、第一線でやらなくったって、
風呂屋のタイル絵をやってたって、
大きな映画の看板で、似ても似つかぬ、俳優の顔を描いてたって、
パティシエでもなんでもなく、全然、どおってことない、せんべいを毎日焼いてたって、
それはそれで、いいんです。
第一線、第一級であるかないか、わかってる、目利き能力があるってことも大事だけれど。
普通、それぐらいの目は、あるだろう。
まあ、ない人も多いかも。まったく興味ない人も多いみたいだし。
才能なんてのは、評価の仕方が難しいし、光が当たる人は、ほんの一握り。
駄文であろうがなかろが、それで食べている人もいる。
アートも、そう。
自分が表現したいモノではなくても、クライアントの意向に沿い、かつ、プラスアルファが要求される。
商業デザイナーとかでも、それで食べることができるのは、ほんの一握りの人だ。
生活者は、卑怯にも、ここで、開き直る。
魂を悪魔に売ってでも、食べていかなければならない。
理想を追求していては、餓死する。
そうやって、自分の才能がないことを生活のせいにしたりする。
でも、わたしは、まったく、そもそも芸術者じゃないので、へーき。
見る側の人間。
表現側ではないので、気楽でいい。
ああ、卑怯って、気楽だな~。
疑問に感じたり、問題点を整理したり、
思ったことを素直に書くところは、やはり兄弟だけあって、弟は、わたしに似ている。
同じ親から生まれただけは、あるなあ。
ということで、お姉ちゃんは、あくまでも弟を応援している。
わたしは、末っ子ではあるが。