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蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

イヤイヤ期の幼児の子守り。

2025-08-05 | 子育て
こう暑いと、頭に乗っているお皿は、カラカラ。
電車内もさほど涼しくなく、じわっと汗。

さて、日曜日は、鮎の放流&掴み取りに行った。
長女一家&次女の一人娘F(4歳孫)、ジジババ、合計9人。
わたしは見学するのみだったが。
夜は、取ったばかりの新鮮な鮎の塩焼き。
魚が苦手のわたしではあるが、さすがに美味しかった。

以上。

と、書くとなんと少ない文字で収まることか。
お時間の無い方はここで、終了です。

問題は、一人参加の孫。
次女Rが前日、土曜日の花火大会の後は、夫の実家に泊まり、次の日、日曜日は野暮用(本人曰く)のため、一人娘Fを連れて帰ると言う。
家で待つ(当時、体調不良らしいが)パパが、バトンタッチして子守りをする段取りになっていた。
そこで、太っ腹の長女Mが、「子どもFを見てあげるから置いて行ったら?」と提案した。
それでFだけを預かることになった。

わたしは嫌な予感がしていた。
一人っ子なのに、ママ無しで1日預かるなんて、、、。
鮎掴み取りに行くし、ついでに、一人増えてもどぉってことない、と、長女(4人の母)。
4人が5人になっても、変わらないというが、、、大きく変わる。
行き先は、川だし、いっ時も目が離せない。
案の定、娘婿はF専属の子守り役となった。

自分が見ないなら、引き受けるな、と、わたしは長女に言いたい。
娘婿や、ジジババに負担がいく。
1番かわいそうなのは、義理で縛られた娘婿。
ジジババは、孫だからわかるが、娘婿は、場所は妻の実家の実家で、妻の妹(義理の妹)の一人娘の世話をするはめになるのは、あまりにも気の毒。

一人っ子Fは、娘婿に付きまとう。
他のみんなは、イヤイヤ期のややこしいFのご機嫌など取らない。
やいやい、うるさいから、ほっておく。
そこで、ほっておけない娘婿にくっ付いていくわけだ。
ほっておけないには、娘婿の立場上?
性格?理性?

川から他の孫たちより先に帰ったFと、Fより一つ歳上の孫。(二人は、いとこ同士の未就学児)
車での送迎は、娘婿。
そこからまた、Fが川の後のシャワーを浴びない!シャワー、イヤイヤ!と全力で抵抗。
ジジババ、娘婿の3人がかりで嫌がるFを押さえつけてシャワーを強制執行。
その他諸々、言うことをきかない。
娘婿は、「一人っ子は、やっぱり違いますね」と苦笑。
張り倒したい気持ちを抑えて、、、(あ、張り倒したいのは、わたしか)
恨めしい涙目でFに訴えられても、スルーに限る。
イヤイヤ期で言うことをきかないのは、ほっておくのがいいそうだ。(長女によると)
落ち着くまで目を合わさずスルーした。

やがて、上の孫たちも帰ってきて、今度は優しい兄ちゃんが、Fの「しもべ」となって、お世話係。いとこヤングケアラー。
まだまだ色々あったが、書き疲れた。
最後は電車チーム(大人1名、子ども2名)が、Fの住む駅の改札口でFをパパに受け渡した。
やれやれ。
その時にFのパパから焼き菓子を手渡されたようで、わたしの分もあった。
わたしにではなく、労いの焼き菓子は、娘婿にだろう。
ご苦労様、娘婿クン。
妻の実家でがんじがらめ、自分の末子よりまだ1歳下の義理の姪のお世話、大変でした。

ばあちゃんは、あんまり尽くさないタイプなので、Fに嫌われている。
長女は、Fが懐かないどころか、Fに恐れられている。
優しい娘婿に流れてしまうのは、誰が悪い???
あぁ、こころが痛い。
が、長女が自分はほったらかす主義で、大して負担はないから、と「姪Fを預かってあげる」と大きな器を見せた。
が、自分が面倒見ない分、周りが世話するわけで、アタフタした。

※写真は、取った鮎を、魚籠(びく)ごと川につけているところ。






勉強は大変だ

2025-07-25 | 子育て
地下鉄の中は涼しい。
以前は冷蔵庫のように、やたら寒く、絶対に冷房対策の衣類を用意しなければならなかった。
今はちょうど良い。ぴったり。
乗っている時間も30分弱だから、寒くなる前に降りる。
その代わりといってはなんだが、JRが暑い。
微弱エアコン。どよ〜んとしている。

先日、エアコンが故障したという、どこかのお役所。ニュースで見た。
市民の皆さんは暑さに茹だっていたが、勤務している人たちは、一日中、大変だっただろう。
想像しただけで暑い。

ちなみに。
1番上孫(中1男子)。
今年から中学だが、学業成績が振るわない。
各教科、わたしが見たことのない偏差値を弾き出している。
本人は、偏差値の意味もろくすっぽ感じていないだろうけれど。
塾での一斉試験なので、賢い子が多いのか。
しかし、学校、学内でも、さして振るわない。
大器晩成型ということにしよう。
まだ中1だし。
のんびり兄ちゃんの下には、大人しい弟やチャキチャキ妹が控えている。
兄ちゃんの様子を見て、親は教育方針を変えるかもしれない。

昔と習う内容が変わっているらしい。
恐竜の姿形や、日本史の年号。
変わってもらうと困る。
が、時代は移る。学説も変わる。

わたしは、子供の教育には苦労したことがないため(ココ、石を投げられる所。天然のフリして自慢していると捉えられても仕方ない、、、が、、、)
全くアドバイスが出来ない。
思い浮かばない。
まるで、わたしは役に立たない。
というか、昔の勉強方法を持ち出しても、老害認定されるだけ。
なので、遠くから中1孫を団扇であおいで応援している。
そう言えば、かつて、姑が、夏休みが終わる直前に、宿題を片付ける子供たち(姑の孫たち)に、頑張れ!頑張れ!と、(文字通り)団扇であおいでいた。
歴史は繰り返す。

※写真は、いただいた桃。
大きな方は、甘く柔らかい地元の桃。
小さい方は、なぜか桃の産地である地元の人から送っていただいた、はるか遠い福島産の桃。

引っ越し先です。↓↓

https://hikkosimasita2025.hatenablog.com/




時代を超える雅やかな世界

2025-07-20 | 子育て
小鳥のさえずり、小川のせせらぎ、、、こころ癒される安らかな音色、、、スパでボディトリートメント施術中に流れるBGMのごとく、、、まるで天国にいるみたい、、、

その楽園イメージ音に加え、孫たちの、百人一首を詠む声。
これが最高に風流で雅やかで知的で、、、わたしの理想的憧れが詰まっている。
上の句を詠む2番目孫K(小5男児)。
どこで知ったか、独特の節まわし。
彼は顔も和風、醤油顔で、好みも渋い。
食べ物は、抹茶味や、酒の肴になるようなものが好き。 
最近は、わたしが作る、親子丼にドハマりしてくれ、わたしは幸せの極みである。

Kは、1歳7ヶ月上の、不条理を強いてくる兄に痛めつけられ、3歳下の、初めて産まれた女の子で気が強い女王様妹に突き上げられ、さらに6歳下の口から産まれたような下の妹(末っ子)の口撃にも耐え、、、、生まれながらに苦労が絶えない。
彼は4人中、2番目の男子(次男)、1番影が薄い、その存在感は微妙。

だが、ビジュアルは悪くない。 
と言っても、最近、身体が横に伸びる段階なのか、少し丸くなってきて、唯一のスレンダーな特性のキレがなくなっている。
兄ちゃんにはやっつけられ、デキのいい妹には注目をかっさらわれ、末っ子妹には溺愛を持って行かれ、目立つことなく、じつにアピール感がない。
おそらく周りが気づかないうちに、1番早く家から出て、自立して行くことだろう。

その、薄い薄いKだが、なんと百人一首が好き。
わたしがずっと前に、日本語で遊ぼうという、諺カルタを買った時に、ついでに百人一首カルタも買っていた。
諺カルタは人気があったが、百人一首カルタは誰も見向きもせず放置されていたところ、最近Kが発掘しはじめた。
そして、百人一首の本をわたしが扉付き棚に入れているのだが、彼は勝手にそれを持ち出して読んでいる。
作者の、手塚治虫の指導を受けた絵柄も愛らしく好感が持て、内容も面白い。

そもそも、その百人一首の本は、姑の愛読書。
姑の家にあったものをわたしが持ち帰っていた。
さらに、そもそもその本は、姑がリクエストしてわたし?(だったか?)が手配したもの。
あるいは、わたしの子供用に買ったものの、お下がり。
1990年に小学館が出している。
ぐるぐる、廻りに廻っている。

姑が孫たちと遊んでいる年齢は、今のわたしの状況と重なる。
当時の姑のほうが少し若いのは、子供たちの結婚、出産が、わたしの時代は年齢が高くなっているため。
初孫を抱く年齢は、わたし(当時56歳)より姑(当時49歳)のほうが断然早い。
晩婚時代の今では考えられない。

まあそれはそれとして。
孫守りも卒業した姑は、孫たちの成長に感化され、自分の老後の趣味として、英語の公文学習テキストと百人一首の本が欲しいと言った。
それで、わたしが用意して手渡した。
それ以来ずっと姑の家のダイニングキッチンルームに置かれていた。
しっかり読んで勉強したのかどうかは、さておき。

我が家では、まんが歴史の本も、世界史、日本史と、子供たちのために全巻揃えたが、今、わたしが楽しみながら読んでいる。
娘も、まんが歴史本を家に取り揃えているようだが、我が家に来ても、先日、(自分が子供の頃の)うちに置いている歴史本をパラパラ読んでいた。
子供用も大人が楽しめて結構なことだ。
書かれている歴史内容は、多少は変わっている所もあるようだが。

ついでに、娘は世界の歴史をモチーフにしたカードゲームを2パターン、買っている。
子供たちは、どんどん覚えるが、ばあちゃん(わたし)は見るも無惨。
まず、絵や文字が小さくて読めない。
年号順が覚えられない。
予想通り。

と、それはいいとして。

孫が百人一首を詠む声を聴くと、、、
京の都、お公家様のお遊びのように、雅な歌に胸がキュンとなるかたわらで、、、
姑→わたし→娘→孫
4代にわたり、時空を巡っているなあと感じるわけである。

※写真は、賑やかな表紙の百人一首の本。


ブログ引っ越し先です。↓↓↓


パーフェクト!

2025-04-20 | 子育て
gooブログのデータ保存の手続きをした。
完了すれば、後は引っ越しするのみ。
今回は、グズグズのわたしとしては、割と早く行動に移した。
やはりわたしにとって、ブログは、失いたくないものだということがよくわかった。
失う前から、喪失感を予想できる。

ただ、毒やアク、上から目線、裏自信が臭うのが特徴だったかもしれない蝶ブログであるが、、、
朝、シャンプーして出かけるように、今はChatGPTで、鼻につく、埃や垢などの汚れを先に落として、スッキリして、蝶ブログに向かっている。
それでかどうかは知らないが、わたしらしさは、薄れてしまっている。
それが歳をとると言うことか。
ますますアクが強くなる人もいるだろうけれど、わたしはますます薄くなっていく。
もともと透明なのに。透明を超すと何になる?
脳の一部だけ残ったアンドロイドか?

今朝、ChatGPTには、わたしのけしからん思い上がり、勘違いを、ゴシゴシ洗って落とそうとした。
文字にしてみると、わたしの思い上がり勘違いは、なかなかのもの。失礼極まりない。
ひょっとして、今まで、何の意識も気づきもなく、蝶ブログに綿々と綴っていたとしたら、穴があったら入りたい、恥ずかしい。
穴は近くに無いからいいけれど。

さて、3番目、孫。女児、小2。
学校に出す「家庭での生活調査表」を、自分で捏造して提出していた。
朝から夜までの1週間の行動記録、本人のコメント、親からのコメント、両方を自分で書いていた。
自分のコメントは、普通に子供らしい汚い字。
親からのコメントは、必死で最上級にきれいに書いたと思われる、丁寧な文字。
とは言え、誰が見てもわかる。
いくら丁寧でも、あんな子供みたいな字の大人はいない。

定時に、朝早く起きて、夜は早く寝る。それが毎日続く。
長々ゲームなどでは遊ばない、そんな生活、時間記録を、グラフと、絵文字で、書き表す。
そういう理想とされるような日常を毎日キチンと送る、お利口さんで完璧な子供はいない。
が、彼女は自分の理想を装った。
それがまた可愛い。
「夜早く寝て、朝早く起きると、気分がスッキリして元気になります」と本人のコメント。
それに対して、親のコメントが面白い(本人捏造)
「毎日、早寝早起きしてくれて、ありがとう」
これには、笑いました。

昨今の親から子供へのスタンダードな平和コメント「生まれてきてくれて、ありがとう」に近いものがある。

この捏造記録表、見つかったのは、2年生になってから。
提出していたのは、1年生の3学期と思われる。
プリントを隠してたということ。
発覚したのは、1ヶ月以上、後。

彼女の親(わたしの長女)は、他の子では、そんな早い年齢から捏造している子はいなかったと言う。
あきれていた。が、笑う。
けれど、3番目孫本人には誰もあまり何も言わない。
なので、わたしが本人に聞いてみた。

「ねぇ、早寝早起きの記録プリント、あれすごいね」
面白くて仕方がない笑顔を隠し切れず、楽しげに話す、わたし。
この話題は、さすがに3番目孫本人は、ノーコメントで説明はなかったが、実際のところ、ナイーブな問題である。
あんなに小さいのに、先生からの評価を気にするのは、ある意味すごい。
お兄ちゃんたちは、提出するのも忘れ、注意されていたかも知れない。
いやはや、三つ子の魂百まで。
完璧主義の子供がいるなんて、わたしには信じられない。
が、実際、いるのだ。
うまく導かれ伸びて成長すれば、いいけれど。
挫折しないことを祈るばかり。
ばあちゃんは、遠くから気楽だが。
昭和の子育て、教育法を押し付ける気はさらさらない。
失敗ならいざ知らず、昭和の成功体験ほど、鬱陶しいものはない。

※写真は2週間前の京都・伊勢丹で。



一日中丸々は、疲れる

2025-01-09 | 子育て
今日は、小学校は給食がなく、ほぼほぼ一日、おさんどん、おやつ、孫の相手、孫保育所お迎え、夜遅く娘が帰って来るまで、孫守りをしていた。
共働き子育ては、親が近くに住んでいると、こころ丈夫だ。
べったり当てにされているわけではないものの、どうしても助けが必要な時の保険として便利に使われている。
手助け出来るうちは、役に立ちたい。
ただし、無理しない範囲内で。

孫守りはもう十分したので、もう結構、晴れて卒業、という、おばあちゃんもいる。
その頃には、孫も寄りつかないから丁度いい。
一生懸命、可愛がったりするのは、自分が好きでしないと、あんなに誠心誠意、尽くしたのに、、、なんて恨みがましいことになるのは避けたい。

だんだん歳を取ると孫守りも余裕がなくなる。
うまい具合になっている。
孫は早めに産んでもらわないと、お互い、大変だ。

ばあちゃんのお手伝いは、あまり役に立たない

2024-11-21 | 子育て
一昨日、4番目孫の保育所お迎えに駆り出された。
ピンチヒッター、後方支援要員。
保育所で、連れて帰る時の手続きをするのを忘れたが、すんなり孫を引き渡してもらった。
それは良かったのか、それとも、セキュリティ機能が甘いのか。
連れ去られてもチェック出来ない緩さを感じたが、まあ、そもそもミスをしたのは、手続きを飛ばした、ばあちゃんで、、、。

それはいいが。
孫の家に、孫を連れ帰ると、他の3人のきょうだいが、それぞれに遊んでいた。
1番幼い保育所孫(4歳女児)に、家のあちこちに連れて行かれ、「こんな遊びをしているの」と、それぞれ説明してくれた。
小さい時は、みんなそうだった。
ばあちゃんが行くと、幼子は離れなかった。
が、小学生になると、すっと離れて行く。
成長だ。
自分で遊ぶようになる。

両親パパママがまだ帰宅しないため、夕食係の、ばあちゃん。
ところがなんと、、、。
あらかじめ、食べるものは用意されているようだったが、さあ、準備しないと、と思っていたら、パパママから既に指令を受けていた。
全員、ロボットを相手にするごとく、時間が来たら、冷凍庫から各自、好きな食べ物(既製品)を選んで、電子レンジで解凍、温めて食べる。
1番下と、下から2番目が、好みのスパゲッティが同じで、それは一つしかない。
一つを仲良く半分ずつに分けているかというと、そんなことはない。
上の子(小1女児)は、妹(4歳女児)にあげないと言う。
自分は、これ。妹は他の種類のものを選べばいい、と、譲らない。
が、妹は、それがいい、と言い張る。
無理矢理、ほんの少しだけ妹にあげるが、妹は、それでは足りない。
もっと、もっと頂戴と攻め寄る妹と、ちびちびしかあげない姉。攻防戦。
他の男児(小4と小6)は、好きな食品は他の子供の好みと重ならないため、余裕で独占して食べることが出来る。
どうしても少なめの下妹に、小4の兄が、自分の明太子スパゲッティを少しあげたら、とても辛くて食べられない。
妹は、(未開封の)コーンフレークを食べると主張する。
兄たちは、「ダメだ」と、認めない。
コーンフレーク!!と、譲らない1番下、4歳女児。
わたしが、ご飯を炊いて、オニギリを作ろうか?と提案したが、「炊かなくていい」とお兄ちゃん(小6)に止められた。
コーンフレーク食べたい!!と、ギャンギャン大声でうるさく叫び続ける1番下孫に、わたしは困っていたら、オヤツの時間になった。

それぞれ自分のオヤツ箱があり、その箱から好きなオヤツを出して食べる。
決して食べすぎることもなく、きょうだい間で少し交換もしたりして、仲良くオヤツタイムを過ごしていた。

それにしても、よく躾けられている。
オートマチックに、自動的に、事が進んでいく。
「アレクサ、◯◯して」とか涼しい顔で指令している。
「ばあちゃん、◯◯して」と言われないから、楽だが。
4人も、きょうだいがいると、ぐちゃぐちゃかと思いきや、うまい具合に調整が取れている。
下の2人の女児は、問題を出して答える、宿題遊びをし始めた。
上の2人は、好きな本を読んでいる。
食後のプラスチック容器、トレーを洗ったあとは、わたしのすることはない。
わたしは、「歌番組が始まるからもう帰るわ」と言うと、「TVつけて見たらいいやん」と孫たち。
皆んなのお言葉に甘えて、小さい小さい音で、 NHK歌番組を見ていた。

「ばあちゃん、全然面白くないTV、見てるなあ。面白い?」と背後から小1女児。
宿題遊びに飽きた1番下(4歳)が、横に来て、オモチャのマイクを持って、台に上がり、何やら歌ってくれた。
ママが帰るまでの、ごちゃごちゃした時間は、小椋佳、上白石萌音や松下洸平、鳥羽一郎親子と混ざり合って、ゆっくり歌を聞く状態ではなかった。


ちなみに。
欄外。私信。
裕さん、ベビーお誕生おめでとう!


普通でよい

2024-09-25 | 子育て
勉強のさせ方は難しい。
特にそのサジ加減。
放ったらかしにして、野猿のごとく野山を駆け巡るのならまだしも、昼夜を問わずゲームやスマホ没頭で、視力低下、寝不足で学業が疎かになるのを目の前で見せつけられると、どこまで我慢出来るか?どこまで口を出さずにいられるか?

放任は楽だが、厳しくする方が大変だ。
学業に全く向いていない性質の子供なら無理矢理勉強させても、お互い徒労。
中卒でマグロ漁船に乗るぐらいの根性があるなら、へんに勉強を押し付けなくても自分で生きて行けそうだ。
中途半端が困る。
難しいことや手間暇のかかることはAIがしてくれ、それで職を追われる人もいる。
効率の良さばかりを追求しても、破綻する場合もある。
ただ、そういう段階にまで到達しないで、ポテンシャルを掘り起こさず、裾野のほうでダラダラ無意味に無目的に生きていくのは、もったいない。
まったり裾野が好きな人もいるが。
出会う大人に影響を受ける。
一番近い大人は家族や親戚だ。
一族、同じ職業の人もいる。
身近に見本があると、イメージが掴みやすい。

タイプは2つ。
そのタイプか、そのタイプではないか。
中間、真ん中は?

わたしは、もう子育ては完全に終わり、老いては子にボロクソ、、、という段階。
従うにも、とろくさい。
しっかりした人ばかりが周りにいて、喜んでいる段階は過ぎ、モタモタするわたしは、キツく言われて涙が出そう。
効率重視で、思い遣りというものを育んで来なかったわたしの教育が間違っていたのか。
だが、完全、完璧な子育てなどないので、普通なら善しとしよう。
多くは望まないほうが、幸せが近い。


教育は難しい

2024-09-24 | 子育て
お彼岸を挟んで、2泊3日、夫の実家に娘一家たちとステイした。
孫ちびっ子5人。
上から2番目が10歳の誕生日。
バースデープレゼントで盛り上がった。

、、、のはよいのだが、、、
上2人、塾に行かない代わりに、ドリルをする約束をしていた。
丸つけの後、間違い直しに手こずっている。
2番目男児孫はまだマシだが、1番目男児孫がなかなかハードタイム。
小6ということもあり、手厳しい。
問題集が難しいのもさることながら、なかなか間違い直しが出来ない。
だんだん、ママのボルテージが上がってくる。
ヒステリックに、目が釣り上がる。
キツイ言葉で容赦なく責め続ける。
めちゃくちゃ怖い。
あんなに怖くしたら、出来るものも出来ない。
スーパーパワハラ、モラハラ、心理的虐待だ。
1番目孫Yは完全に固まってしまっている。

なぜ、できない?
なぜ、しない?
なぜ、しようとしない?
◯◯の意味は何?
言ってみなさい。
声に出して。
なぜ、言わない?

と、どんどん追い詰めている。
一向に進まないため、小4男児孫のバースデープレゼントの関連グッズを買いに連れて行かないことにした。
「帰ってくるまでに何が何でもやっておきなさい!」と捨て台詞と共に、1番上孫だけを家に残して、皆んなで出かけた。
ジジババ(夫とわたし)は自主的に家に残り、1番上孫Yに、優しく言葉を掛けた。
「さあ、気分を切り替えて、アイスクリームを食べようか」と夫(じいちゃん)が声をかけ、食べさせようとしたが、Yは過呼吸のような、咳と涙が止まらない状態がある程度、続いて、食べることが出来なかった。

精神的な強いストレスから、明らかに身体に症状が出ている。
夫は、頭からガミガミ怒鳴らずに、根気強く粘りながら、ゆっくり、わかりやすくYに教えた。

わたしは、子供の教育にはさほど苦労したことがないので、あまりよくわからないが、ママのように、あんなにキツく追い詰めたら、絶対にやる気をなくすと思う。
わたしは劣等生だったため、自分自身の教育には少し苦労した。
が、学校の特徴でもあったが、周りの生徒が強烈に出来すぎ、ハイレベルな中に、凡人のわたしが放り込まれたため、必要以上に出来の悪さを実感した。
逆に、周りが普通の中で教育を受けた子は、へんに劣等感にも苛まれることなく、のびのびと明るく、捻じ曲がらずに成長していた。
羨ましい限りだ。
結果は大して変わらないのに、かたや劣等感の塊、かたや優越感の塊、、、どっちがいい?
あんまり、ぎゅーぎゅー締め付けずに、のびやかに勉強できる環境がいいと思う。
が、その反面、自主性に任せると全く勉強しないかも知れない。
ある程度プレッシャーを与えるのも必要だ。

1番上孫は、塾に行くか、自宅でドリルか、と親が選択肢を与えたところ、「塾に行かず自宅でドリル」を本人が選んだらしい。
が、自宅でドリルはかなり大変。
親が子供の勉強を見るのは、感情的にもなるし、うまくいかないことが多い。
(わたしは、ピアノレッスンの予習を家でやって、子供達をピアノ嫌いにしてしまった。音楽の芽を潰した。
わたしの教え方が悪かったため、胸が痛い)

塾でプロに任せるのが、親子共に、良いのではないかと思う。
介護をプロにお願いするほうが、激しい親子ケンカを回避できるのと同じように。

1番上孫も、母親も、自宅ドリルには限界を感じ、今後は塾に行く選択をするかも知れない。
それにしても、教育は難しい。

ちなみに、テレビ特集で説明していたが、教育虐待する親は、子供に自分が果たせなかった高い理想を押し付けるためらしい。
だがしかし、長女は、1番上孫に、高い理想を押し付けているわけではなく、普通に自分と同レベルを目指しているだけなのだが。
とは言え、子供が皆んな、よく勉強するかというと、そんな子はあまりいないと想像する。
まだ自主性が芽生えていない子供を勉強させるのは、かなり困難だ。
本当に教育は難しい。



余裕がなかった子育て

2023-08-02 | 子育て
暑い暑い、お昼間、真っ盛りの時間帯の住宅街、バス停。
そんな時間にも出かける人々がいる。
わたしは、首に、水で濡らしたクーラーチョーカーをぐるりと巻きつける。
省エネタイプの冷却グッズ。

「この暑いのに、また首にそんなもの巻いて!」と、ある人に驚かれたが、いったい誰が冷却用以外に首に巻く?(スカーフとかを巻くわけない)
この人物はいつも、ちょっと1本足りない。
なので、2本足りないわたしとは、バランスが合っている。
わたしといると、気が抜けてイイんだそう。
ただし、ぬるい炭酸が抜けたサイダーは、美味しくなくてオススメできない。
常に緊張を強いられる立場にいる人とは、温度差がありすぎて、お互いトラブルの元なので接し合わない。
娘たちなどは、その典型的な例。
テンポのずれたわたしに、イラつくんだと思う。
わたしもズレを自覚しているので、なるべく邪魔をしないように、そっと後方からお手伝いさせてもらっている。
時々、意図しないご褒美(例えば、孫の絵画が入選したとか)が天から降ってきて喜んでいる。

そう言えば、わたしは自分の子供が絵画で入賞しても観に行ったことがない。
関西の中心都市である大阪市に展示されるとかだったが、わざわざ足を運ぶ時間も気力もなく、行かずに観ないままだった。
子育て&自分育て真っ盛りの時は、余裕がない。
子供達にはかわいそうなことをした。

そもそも、主要5教科(4教科)への本格的取り組みは就学と同時にスタートし、リタイアすると終了するものと考えていた。
副教科(音楽、図工、体育、技術家庭)は、勉強に本腰を入れるまでの期間と、リタイア後のお遊び、と捉えていた。
かつて仕事で、芸大の入学案内に関わったことがある。
その中で、卒業後の就職案内が紹介されていた。
彫刻科の就職先は、、、と見てみると、リタイア後に充実した時間を楽しめる、となっていた。
なんと!
就職には役には立たないことを最初から事前に告知している、、、学校もスゴイ。誤魔化しがない。
芸大主席卒で世界のピアノコンクールで受賞したり、音楽の先生になったり、そういうコースはある。(ごく一握りの優秀な人)
音大の授業料がすごく高いけれど娘さんを卒業させた、ある知り合いの親ごさんが嘆いていた。
「娘は卒業後、全く活動せず引きこもりになっている」と。
実社会との折り合いは難しい。
ある知人。
学校の先生に、「息子さんにはピアノの才能がありますが、コースはどうしますか?」と問われて、「音楽とは無関係の普通コースでお願いします」と親ごさんは返事したと、親ごさんご本人から聞いたことがある。
わたしの娘に、「同じようなことを先生に聞かれたらどうする?」と尋ねてみたら、「断るわ」と即答した。
皆んな、夢より現実志向。

大金持ちになった元同級生は、子供達を全員好きなコースに進ませた。
芸術の道。第一子、第二子、アーティスト、俳優、そして30歳手前の第三子は、まだ進路未定。
さらにさらに、最近、第四子が生まれたようで成人したころには父親はこの世にいるかどうか?

わたしはお金も肝っ玉も度胸もないので、子供たちを小さく手堅いコースに育ててしまった。
まあ、どのコースだったとしても紆余曲折はある。
子供は子供の人生だ。

強制した覚えはないが、影響を受けたかも知れない。
親は見本でもあり、反面教師でもある。

こころの病

2023-06-11 | 子育て
自分ではどうすることも出来ない、自分の気力について、ある方(裕さん)のブログを読んで、あ、これだ!!と腑に落ちた。
双極Ⅱ型障害!

こころの病気なのだ!!
なんだかとても気持ちが落ち着いた。スッキリした。

幼い頃から、悩まされていた。
やる気が出ない。
やる気を出したわけでもないのに、ある時、いきなり(良い)結果が出る。
逆もある。
MAX火を噴いて頑張り続けているのに、「やる気がない、さぼっている」と見なされ、ますます、ハッパをかけられる。
自分の熱量や努力と、評価される時期や内容のギャップが激しく、評価そのものに対して疑心暗鬼に陥っている。
気持ちとズレが生じている。

躁鬱症なんだわ、これ。
静かな、他人を巻き込まない躁鬱症。
自分ではコントロール出来ない自分の何かに操られる。


子供の頃から、母のヒステリー症状にはかなり悩まされた。
1日も早く家を出たい、そう思っていたのは、このヒステリーのせいだったのではないかと推測する。
母のヒステリーは、わたしの神経が蝕まれるほどだと感じた。
小学校では成績がパッとしないこともあり、担任の先生が成績優秀生徒を可愛がっているような気がして被害者意識が芽生えた。
わたしのやる気のなさと、結果について、強烈に圧力をかけてきた。
その後、成績は上がったが、頑張りと成績には合点がいかず、大人は信用出来ない、と大人を避ける子供だった。
わたしは、無表情で、自分の感情や意思を外に表さない子供になり、そのまま大人になった。

わたしの子供達にも無意識でこころを傷つける態度で接していたら、後悔してもしきれない。
済んでしまったこと、もうやり直せないので、子供達は自力で経験を通して治癒し「欠け」を治して欲しい。
わたしがそうしてきたように。(まだ完結していない、未熟なままだけど)


ちなみに、セルフ カウンセリングは効果的だと感じる。
昔の母から受けたこころの傷を文章にして書いていたら、自然に涙がこぼれた。
自浄作用?
自分の傷を自分で治す、一種の癒し。
自分で自分の傷を舐める。

他者が精神がおかしくなっている間は、まともに寄り添わないのが良い。
寄り添うと巻き込まれる。
じっと(他の関係ないことでも考えて)狂気の嵐が去るのを待つのが良い。
と、強くそう思う。
これは、わたしの経験から私流対処法。


昨夜、長女一家が夕食にやってきた。
一番下孫が眠くなり寝かしたのだが、1〜2時間ぐらい寝て、起きてからがグズリまくりで、強烈にわたしの神経に障った。
ずーっとずーっと長い間、泣き続け、パパ、ママが交替であやしたり宥(なだ)めたり、よしよし、泣かないで、いい子いい子、と、抱っこしたり、抱っこしたまま歩き回ったり、何かを食べさせようとしたり、、、ご機嫌を取っていた。
3歳って、こんなかんじだった?
わたしは、アタマに釘をガンガン何本も打ちつけられるかのごとく、ギャンギャン泣く孫がうるさくて、むかついて、どうしようもなかった。
口では「親って、偉いねえ、こんなに泣かれて大変やね」と労いつつ、
こころの中では精神のブレはMAXに達し「はやく、家に帰れ!!!」と思った。
娘婿に「もし、この子が7人きょうだいの4番目だったら、どうしてるでしょうね?
誰が機嫌を取って宥めてくれるんでしょう?」と言った。
娘婿は無言で、あやしていた。

わたしは、3人の子供を育てた経験がありながら、毎度、あの、子供の狂気に触れると、こちらの狂気スイッチがオンになる。
だが、幼児相手にまともにキレて怒ったりしているところを知られたくない。
大人気ないから。
祖母が孫にキレていては、話にならない。
自分の未熟な部分、欠陥をさらしているようなものだ。
本当に自分では抑えられないぐらいマイナス神経が暴走する。
老化で益々凶暴になり暴走しているのか?
頭を掻きむしるぐらい、イライラ苦痛。
泣き声は、こちらの理性を吹き飛ばす。が、必死で耐える。
爆発させたら、自分の評価を下げる。
忍耐と理性でギリギリまで耐える。
子供虐待は、この線を越えるのだろう。
すっと越えられる、境界がほぼない、すぐ目の前の線。

後から聞いたら、眠かったらしい。
わたしが子育て中に得た答えと同じ。
子供がわけがわからないほど、手に余る、始末に困る、どうしようもない時は、眠い時。
何度も何度もそれを経験する度に、初めて接したように悩み、狂い、神経が乱されるのだが、眠かったようだという原因を知り、度々の前例で嫌というほどわかっているのに、同じことを繰り返し、学習能力がない。
子供が制御不能になる、その度にわたしも狂っていた。
子育てはそれの繰り返しだ。
そんな経験を積んでいるにも関わらず、またまた孫と同時に狂う。
痛いことに慣れることは決してなく、痛いと感じる痛みは、いつ痛い目に遭っても痛い。
それとも、いまだにキンキン乱されるのは、わたしだけだろうか。

ご機嫌が治って、まるで何ごともなかったように別人になって、ニコニコしている孫を見て、ああ良かった、というよりは、ため息が出る。
陣痛と同じ。
耐えていれば、やがて止む。
世の中の親は皆んな経験していることだが、時間が経つと忘れるようだ。