蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

終活いろいろ

2021-01-31 | 人生
老後住宅、あれこれ想像すると楽しい。
終活のために、家の庭を草木を全部抜いてセメント?で流し固めて駐車場の地面のようにした人がいる。
後の人、子供たちに負担がかからないように、だそうだ。
奥さんは草むしりから解放され、喜んでおられるとか。
立派な庭が殺風景な無機質セメント敷きになっていた。
色んな人がいる。
老いてくると、趣味すら面倒になってくるようだ。
気力、やる気の減退は、老いだろう。

実家の場合、庭は簡単には処分できない。
家も売却したらいかが?と他人さんがアドバイスしてくれるが、誰が買う?
貨幣価値には置き換えられない。
市場価値もない。
売らないなら、寄付、寄贈すれば?
それも選択肢の一つである。
が、寄贈された側は持て余す。
維持費がかかる。
更地にしたところで有効な利用目的はないと思われる。

他人の土地を最近買ったものなら直ぐにサヨナラできるが、代々住み、受け継がれてきた地。
災害やダム建設でもない限り、そこから出て行き、移り住むことはない。
限界集落になり、打ち捨てるということもない。
気候はそう厳しくもなく、引っ越して出て行く人もあまりいない。
しかし、閉鎖的になる。

自分の生まれ育った小さな村以外に何も知らない少女は幸せか?
なんとも言えない。
世界中を回って、結局故郷で生涯を閉じることもある。
晩年、望郷の念に駆られることはよく聞く。

夢を見て故郷を後にし、最後はまた故郷へ。
流浪の場合もある。
根が切れて根無し草に。
どこかにたどり着き、そこが終の住処になることもある。

ちなみに、故郷に錦を飾る、この感覚は今はあるのだろうか?
やる気モチベーションの元にするのか。

現状を打破したい思いは、向上心がある場合と、不満がある場合に分かれると思う。
不満もないが向上心もない場合は、たんなる保守。
温暖な地域では偉人は輩出されない傾向にあると言われる。
何も特別なことを目指さなくても、毎日満足して暮らすのは、悪くないとわたしは思う。
そうやって、不満もなく代々受け継がれて住み続かれた地であれば、愛着も湧く。
特別、偉くもならないけれど。

もし売却するとしたら、老後資金が枯渇した場合かと思う。
それはそれ。
各自、色んな事情を抱える。

子供の転勤に付いて行く親もいる。
子育て支援のために、わざわざ引っ越したりする。
子供は親に子育てを助けてもらって大助かりだが、子育ての目処がついたら、親は用済み。
あとは、厄介者に転落していく。
介護してもらうための保険として、子育て補助をするのは理にかなっているような、でも、なんだかなー、のような。
そんな打算などなく、純粋に愛のために、助け合っていただきたい。
(綺麗事では収まらない事例も世の中には、たくさんある)

持ちつ持たれつではあるが、自立するのが理想。
自分の全てを投げ捨てて協力している人には頭が下がる。
自分の老後設計まで切り崩して子供に尽くす、、、。
しかし、あとは、大丈夫?

価値観は時代とともに変わる。
柔軟に対応して自分の落ち着く先を見極めたい。

行き先

2021-01-29 | 趣味
今日はまた寒いこと。
北風ビュービュー。
外出、、、行ってもよいが、行かなくてもよい。
さあどうする?

まず、行く場合の目標時間を設定する。
目的地到着時間から準備スタート時間を逆算して割り出す。
途中で遅刻、変更も可。
いっそ中止も可。
ふつう、そういう自由意思に任せると、たいがいはズルズルして行かない、行けない。
まして、コロナ緊急事態宣言下。
市のゴミ回収車から外出は控えるようアナウンスが聞こえる。

寒いし、アポ、約束もしてない。
ここのところ、外出続きでバタバタし、考えなければいけない案件もあり、家でぬくぬくしたい。
なら、答えは即決ではないか。

ところが、、、。
まず、第一関門。
外出前にはいつもお風呂に入る。
しかも今日はシャンプーする日。
で、お風呂を沸かす。
湯船に浸かりながら、今日の外出、取りやめてもいいなあ、、、と、あれこれ考える。
色々なことがアタマをよぎる。
舵を切ろうか、どうしようか。
これは外出のことではない。
今後の方針である。
自分の行く道、行き先を模索している。

お風呂は良い。
何かを考えるには、ぴったりだ。
アタフタ慌たゞしいのはNGであるが。
ぬるめの湯船を熱くしたり、また冷めたり、、、その繰り返し。
アタマはぬるいまま。

自分は自分以上の力を出すために、人の力を借りてきた。
相手もわたしの力を利用している。
お互い様の合理的互助システム構築
さあ、これからどうする。
そろそろ見直しの時期。
お互いの目的や目標はクリアか、あるいは方向転換か?
自分もステップアップしたので、その段階に応じた新たな相手に切り替えるか?
子供服が小さくなって次の大きさの服にチェンジするように。
あるいは、擦り切れたり破れたりした服を繕うのか、新調するのか。

相手も同時に成長していけば問題ないが、足並みが揃わない。
服ならサイズが合わない?
流行遅れ?
好みが変わった?

方向性がややズレている。
同じ方向を見ていることは見ているが、目標が遠すぎてフォーカスがぼやけ、途中の道のりに食い違いが生じている。
行先は同じだが、プロセスが違う。
ここで、セパレートするか、踏ん張るか。

仮に服なら、次の服を探して、見つかるまで今の服で辛抱する。
いよいよ取り替える服を手に入れられないなら、自分で作る。
手作り。
中途半端な其の場凌ぎのものは要らない。
でも今、舵切りで悩んでいるのは服ではない。
モノではない。
人。
正解や近道はない。
自分がどう納得するか、だ。

お風呂の中で、真ん中あたりまで考え、そのまま目的地に直行。
真ん中から先は、よくわからない。
毎日、事態は動いている。
動き続けているものには、結論なんか無いのかも知れない。




長い、、、

2021-01-27 | 無題
写真は過去のストックから適当にチョイス。
(宣伝広告パブ記事ではありません)
ここ数日、写真を撮る機会に恵まれていない。
今日や昨日は、食べ物の写真なら撮った。
結構、毎日のように食べたモノの写真を日記がわりに撮っている。
忘備録写真。

で、関係ない写真をブログのイメージ写真として使っているわけだが、そういうのは、ちょっと今のわたしの気分的にはイマイチである。
まあいい。

ちなみに、、、
自分のブログはいいなあ。
のびのび。
広々した部屋に寝転んでいるかんじ。
大自然の中、青空を見上げるところまではいかないが。
お風呂も、宿屋に泊まるとステキな浴室が付いている。
自分で作ったり管理したり運営したりしなくても、自分の好きな時に利用できる。
(まだまだ続きそうなコロナ時代には制約はあるものの)
と、無理やり写真と関連付ける。

さて、インナーマッスル・トレーニングもそろそろ終盤を迎える。
体重は1キロぐらいは落ちたかんじ。
下腹の脂肪は些か減少し、ウエストは少し絞れたようだ。
ウエストにクビレが出来たのは実は生まれて初めて。
若い頃は、寸胴幼児体型だった。
しかし還暦過ぎてから、クビレが出来ても遅すぎるのでは?
ガリガリおばあさんと、タプタプおばあさん、どちらがマシ?
どっちもなあ、、、、、
しかし、ウエストクビレおばあさんも、あんまり変わらないように思うが、骨盤周辺や肋骨など、骨は浮き出てはいない。
まだ少し、ミ(肉)は付いている。
ミイラの肉にしては、干し肉風ではなく柔らかい。
余計なミも当然付いている。
脇の下から背中にかけての、はみ出し肉。
どんな高級補正下着を着けても必ずはみ出して、どこかから顔をのぞかせる。
物理的に肉はなくならないから、当たり前と言えば当たり前。
その一方で、パタパタと振れる振袖のような二の腕は、皮ばかりで、付くべきミは付いていない。

で、対策。
身体の対策は、無理せずに出来ることだけはして、あとは自然の流れにある程度任せる。
こころの対策は、老化の何が悪い?と逆ギレする。
あるいは、穏やかに受け入れる。
美魔女は否定はしないが、別に目標にはしない。

身体はこころが入っている容れ物、容器。
若い頃は見た目ばかりを気にしたが、それは中身に何の問題も感じなかったからだろう。
いたって健康だったので。
頭脳や身体能力は個人差があると理解、納得していたため、あまり落ち込まずに自分を受け入れていた。
人と比べても意味がない。
強いて言えば、自分の特性を活かす方向に自分の道を持って行こうと考えた。
苦手方面は、パス。
苦手とすることは最低限度クリアする程度の努力に留める。
クリアしなくても、マイナス分の落ち込みを長所、プラスから持ってきて穴埋めしていた。
おそらく、あまりこだわりがないのだろう。
だいたい、大まかでよい。

しかし、、、
老化は、厄介だ。
全員、歳を取る。時間は公平だ。
身体能力は40歳でも80歳は80歳。
だが、病気知らずでも年齢にかかわらず病気になる。
たぶん、老化だけでなく、わたしは病気に対しても健康であるがゆえの、驕りがあったと思う。
若気の至り。
今は、年寄りの冷や水か?
老婆心か?
よけいなことまで心配してしまう。
自分の健康に自信がなくなったからだろう。
自分の健康過信には、根拠がなかったことに気がついた。

健康を維持する臓器や器官に加え、頭脳も身体の一部に含まれると解釈するようになった。
頭脳が衰え認知症になるのは自然な老化の流れだと思う。
認知症予防にあれこれ提唱されていたり、人工的に予防したりする薬もあることだろう。
身体機能と頭脳機能の足並みが揃っているのが理想だが、なかなかそう上手くはいかない。
どちらか一方が先に衰えることが多い。

どっちみち行く道なんだけれど。
自分ではコントロールできないから、なるようにしかならない。
骨皮スジ子ではなく、今はまだミが残っているので、その間に楽しもう!!
孫の成長を見守るのも、最大級の楽しみの一つである。
が、最大級の楽しみは他にもある。
一つに絞るとリスクヘッジできない。
あれがダメならこれもある、ぐらいの分散も必要かなあと。

電車の行き帰り、待ち時間、事務所、自宅、、、と、場所、時間をまたぎ、だらだら書いていたら、まとめられなくなった。
長いだけの蝶ブログ。
いつもこうだ。



で、答えは?

2021-01-26 | 日々のこと
趣味分野のことを書く。
それなら趣味SNSで書けば?
いや、あっちにはうるさい面々がいて、気が重い。
同じ自由に書く作文なら、誰も読んでないような、あるいは少々目障りでも大きな目で見てくれるような、蝶ブログに書くほうが快適だ。

と前置き。
しかし、趣味のことなので、一般の人よりうるさい面々が控えている部屋のほうが、内情はよくわかっている。
どっちやねん!
蝶に書くのか、あっちSNSに書くのか?!

まあそれはそれとして。
日本画家、千住博さんが高野山、金剛峰寺の襖絵を描くという内容をテレビ番組「NHKスペシャル」で見た。
千住さん、初めて知ったが、カッコイイ人だなあ、、、。
暑苦しさのない、「スタイリッシュ」とは、ああいう人のことを言うのだろう。
「Cool」という英語本来の使い方、意味は、ピッタリだと感じる。
残念な悲しい点は、わたしとは1μの接点もないということ。
もし、同じクラスにいても、先輩や後輩にいても、遠くから眺めるのみ!の人だ。
棲む世界が違う。
わたしの理想とするカッコよさをぎゅーっと凝縮して人間にしたようなかんじ。
一生、一言もお話ししないで、遠くから眺めるのみ、、、だろう。

て、著名人を自分の棲む空間に持ってくるあたり、ちょっとわたしの空想癖の世界。

昨日、わたしの大大大好きなNHKテレビ番組「ファミリーヒストリー」が放映された。
涙、鼻水、涙、鼻水、、、と、水浸しになりながら、食い入るように見た。
「バカリズム」。
涙なくしては語れないファミリーヒストリー。
しかし、肝心の彼は目を細めるばかりで、涙を見せない。
これでもか、これでもか、と泣く要素の展開オンパレなのに、彼の涙腺はびくともしない。
ある意味、期待に沿わない画面は面白みにかけるが、逆に演出っぽくなくて良い。

たぶん、お母さんがまだバリバリお元気で暮らしておられて、頻繁に連絡もされていることもあるからだろう。
まだ過去形になっていないから、涙が出ないのだと想像する。

ルーツって興味深い。
ある意味、丸裸。
しかも、不特定多数の人に公開される。
だが、別のある派手な女性ゲスト「A」の時はシラけた。
良いこと、キレイごとしか紹介されていなくて、思いっきりガッカリした。
まあ、本人が公開したい部分と公開したくない部分とがあるのはわかるが、見る側のアカの他人の外野としては面白くない。
仮に公開している部分は嘘ではないとしても、明らかに重要な重大な真実を隠蔽している。
でも別のバラエティ番組で紹介されていた過去のエピソードを聞いて、なるほどと、頷くものもあった。
この人の気の強さが、この人の人生を作り上げたのだと感じた。
嫌いな人なんだけど、気になる人。
そういう人、いる。
どうでもいい無関心、興味ない人よりは、嫌いな人のほうが順位が上らしい。
この毒々しい華やかな女性に対して、わたしは明らかに興味を抱いている。
好奇心からだが、わたしの人生のどこかに重なる部分がある。
それは昔タイプの女性なら少なからず共通する意識かも知れない。
女性に限らず男性にも共通するだろう。
ということは、どんな人にもこころの底にあるものなのだが、気づいていない場合や、あえて気づかないようにしている場合がある。
意識か無意識か。
気づかないほうが幸せなのかも知れないし、気づいたほうが深淵を味わえるかも知れない。
何ごとにもリスクヘッジがある。
良い面も悪い面もある。
良いほうだけを人に見せるのは、人として当たり前なんだろう。
嘘は言っていない。隠しているわけではない。
聞かれないから、あえて言ってないだけだ。
ただ、明らかに悪い面がハッキリわかりきって存在しているのに、そのことには一言も触れないというのはいかがなるものか。
(わたしはAには欺瞞、頭隠して尻隠さず、インチキを感じるが、、、)
まあ、わかる人だけがわかればよい話で。
どうでもいいことだ。
受け取り方は十人十色なので。
どの感じ方も、あり。
どれも、正解である。

て、こういうどれもが正しいという肯定論、今のSNSに見られる特徴らしい。
答えは一つではないので、統制が取りにくい。
自由を取り締まりにくい。
規制やルールを設けにくい。
一方が立てば一方が立たず。
全員立たせると、収拾がつかない。
カオス、混沌。
全員正解の落とし所は、どうすればいい?

みんなで考えよう。
、、、て、それ、すぐさま使える答えになってない。
即戦力なし。実効性なし。
そんなに即座に答えは出ないものである。





近寄るな

2021-01-23 | 無題
キツい人がいる。
わたしへの当たりがいつもビシバシ、容赦ない。
なんで顔も知らないわたしに、そう吠える?
愛のムチなんかでは決してない。
たんなるムチ。
きっと、カンに障るんだろう。

厳しい人から見ると、わたしは、生やさしい、なまっちょろけ。
しかし、その人には何の迷惑もかけていない。
なんの関わりもないのだから。
べつに、特定の人の悪口を書いたわけでも誹謗中傷したわけでもない。
お上に立てついたわけでも、ヘイトスピーチをしたわけでもない。
なのに、いつも噛み付いてくる。
そういう人が、なんと!二人もいる。
まあいいんだけど。

さして苦労もせず、さして能力もないのに、さして悲観も悪びれもせず、のうのうと、しゃあしゃあと、にこにこ明るくしているのが許せないのかも知れない。
とことん気に入らないんだろう。
そういう人は必ずいる。

逆にわたしが読む側だと、同じようにムカつくかも知れない。
でも、「あなた、ムカつくんだけど!」とコメントは入れない。
「あなた、アホで鬱陶しい!」
と弱いものイジメはしない。
スルーする。

スルー出来ないほどムカつかれたのだろう。
ほっといてほしい。
スルーしていただきたい。
絡んできて欲しくない。

例えば、街を歩いていると、いきなり、「あなたのその服、嫌いだわあ〜」と言われているようなかんじ。
例えば、喫茶店で友人と話していると、「あなたのその声、嫌いだわあ〜」と言われているようなかんじ。
例えば、玄関にクリスマスリースを飾っていると、「あなたの家のリース、嫌いだわあ〜」と、、、
例は、もういいかな、と。
まだまだあり過ぎそう。

わたしも大嫌いな人や事柄はある。
見たくないのに、勝手に視界に入ってくる。
見ないように必死で自分が位置を変えて身をずらす。
目に入らないようにする。
嫌いなものは嫌い。
だが、どこかに消えてくれ!とは言わないし、そんな権利はないと思っている。
自分が消えたらよいのだ。
だから自分が移動する。

移動しても、ぴたっと離れない位置にいる人物がいるとしたら、、、
ノイローゼになるか、こころをやられることだろう。
病気を発症する前に手を打ったほうがよい。
幸い、わたしの場合、そんな状況には遭遇したことがない。
そこまでひどく嫌いな人とずっと近くにいなければならないような事態に陥ったことがない。
ラッキーだ。
仕事も遊びも、あまり人には近づかないからかも知れない。
たまたま良い人ばかりだったからかも知れない。

わたしは、喜んで納得して利用されることがある。
無意識で利用されているのではなく、わかって利用される。
お互い様だと思っているので五分五分だ。
賢人を操る人は長けているが、アホを利用する人はアホなので、アホに利用されてもどうってことはない。
賢人の場合は、利用し合うと合理的に物事が進む。
それがわかっているのか、意識しているか、気づいているかどうか、ではあるが。
何も考えないで、わからないまま人情論や絆論で進むのも悪くないが、もつれるとややこしい。
感情と理性は常にセット。
どちらか一方が欠けても、生身の人間らしくないと感じる。



キツ〜いコメント

2021-01-22 | ブログ
gooブログユーザー向けのアピールチャンスが何度も何度もやってくる。
ブログ記事を更新していないのに、前の記事をしつっこくアピールしつつ、こころが痛む。
新しい記事を書いていないのに、アピールしてもなあ、、、
古アピール、更新してないアピールになっている。

ひとつには、ブログ更新時間が取れない。
起きるのを10分早めにたらよい話だが、ぬくぬく布団は魔力があり、ギリギリまで抜け出せない。
それと、趣味系の別SNSに思いを吐露し、皆さんからのコメント返しに追われている。
コメントをいただいたままでは、他の記事は書けない。気になって。
そのSNSでは、寄せられたコメントにコメントを返さず、ほったらかしたまま次の記事を書いている人もいる。
あるいは、こちらがコメントを付けたのも忘れた頃、コメント返しがあったりする。
すっかり、冷えた、覚めた頃のコメント返しは、わたしとしては避けたい。
料理は温かいうちに召し上がっていただきたい。

新しい記事を書く文頭に「コメントも返さず新しい記事を書いてごめんなさい」と謝っている人がいるが、わたしはシラケながら読んでいる。
人それぞれ、考え方や感性は違うから良いし、お遊びなんだし、とは思う。
だが、わたしは嫌いなのだ、そういうのは。
後片付けもせず次々散らかしていくのは。

とかなんとか、、、
「いろいろ書いてるけれど、こころの中を吐き出してるだけなんじゃないの」と、キツ〜いコメントをいただき、オタオタしている。

褒められなれてない

2021-01-17 | 趣味
ここのところ、口がむずむずする。
愚痴を溜め込んでいるわけではない。
愚痴の場合は、むかむか、か?
褒められるまくっているのだ。
喜びまくっている。
豚がするすると煙突に登っていっている。
天にも届く勢い。
で。
その思いのカケラを趣味系、別SNS日記でチョロっと書いた。
ハッピーな発展続編があるノリで。

が、、、
次の日は、楽しい報告が出来そうなワクワク感が期待出来そうだったにもかかわらず、幼児向けミニジェットコースターのごとく、いそいそと喜んだ塊を胸に抱いたまま、前につんのめった。
じゃっば〜ん、とミニ小川に突っ込む。
がっかり、、、。

しかし、別SNSで浮かれた具体的な内容を書かなくてよかった。
蝶ブログでも冒頭、口から溢れ出るのを抑えるのが、やっと。
むずむずに打ち勝った!

自慢ほどカッコ悪いものはない。
しかしどちらかというと、わたしは自己評価が低い、過小評価気味なので、たまには浮かれてもいいかも。
ではあるが、あまりにも極端に褒められると、さすがの豚も、あれ?豚にそんなに褒めてどうする気?と、気づくというものだ。
現実離れしている。
冷静に考えたらわかるはずだ。

複数の人に次々と褒められると、脳をやられる。
だが、わたしの脳は日頃、わたしに厳しく躾けられているので、少々褒めらても、客観の目を必ず持っている。
現実と乖離したことを口に出すというのは、何か意図があるということだ。
これ、行動心理学。
一人だけなら変な人と思ってスルーするとしても、複数、連日となるとスルーできなくなる。
価値観か、ものの見方、受け取り方、評価基準を変えたほうがよいのかも、と思えてくる。
あるいは、わたしはこの歳にして世間知らずのお嬢様なので(はい、お笑い系女子ですから、ここは笑うところです。笑笑笑)、お世辞や社交辞令を真に受けているのだろうか。

豚は「ジャックと豆の木」のジャックのように、一旦、天まで登り、鬼が持つ「金貨を産む鶏」を見つけて、とりあえず手ぶらで、またするすると下界に降りて行くのだろうか。
下界では、お母さんが待ち受けていて、その後またジャックは天に行き、金貨を産む鶏を持ち帰り、幸せに暮らすのだが、、、
元々、その金貨を産む鶏は、ジャック家にあったもので、鬼に盗まれたという設定になっている。
(これは孫に何度も読んだ絵本)

と、話は逸れに逸れ、、、。

一旦、天まで登って、天国のようすをチラ見して、また下界に降りてくるのが良さそうだ。
天で見た光景は、幻、白昼夢かも知れない。
わたしのまわりにいる皆さんが、わたしに夢を見させてくれるようだ。

行列

2021-01-15 | 日々のこと
ソーシャルディスタンスを保った行列が出来ていた。
発売12:00の前から長い列。
そこに並んでいたが、途中から品切れのため打ち切り。
再販売は、13:30かららしい。
また並んだ。
なんで日本人はこんなにお行儀よくおとなしく列に並ぶのか。

しかも、途中から一旦、人気がありすぎて自主解散させられたのにもかかわらず、また予定時間前から並ぶ人々。
感心する。

行列は店内に収まりきれず、店外にはみ出した。
我々は店内から続いて店外に並んでいた。
そこへ、店内からやって来た高齢女性二人が、店内の列に加わった。
ソーシャルディスタンス スペースがあるため、すんなり入れる。

おいおい、店外に列は繋がってるんですよ。

我々はやっと店内行列に移動できて、娘と二人で聞こえよがしに会話したが、おばあさんたちは、全く馬耳東風。
わたしも、近々こんなおばあさんになるんだろうか。

娘にそう言った。
彼女は「お年寄りは周りを全く見てないからね」と。
その通り。
認知能力の問題。
しかし、ドーナッツの行列に高齢者優遇をするのは解せない。
真の認知力低下の人は、ドーナッツ行列に並ばないのでは?
家か病院、施設でおとなしく介護されているのでは?
外に出てくるのであれば、それなりの自覚を持って欲しい。
車の運転と同じだ。

わたしは弱者には救いの手を差し伸べるべきだと思っている。
しかし、行列に割り込むのは弱者なのか?
わたしも認知力が低下したら、人のお役に立たなくてもいいから、周りに迷惑かけないよう、おとなしくしていようとつくづく思った。



お笑い少女

2021-01-14 | 思い出
わたしは小学中学時代は、お笑い系女子だった。
お笑いが好き、というのもさることながら、ただ観る側だけではなく、演じる側でもあった。
小学校の学期末にクラスで行われるお楽しみ会では、モノマネをやっていた。
身近な人物の形態模写。
あれは、マネされる方は傷ついたかも知れない。
当時は全くそんなところに気が回らなかった。
傷ついたかも知れないと推測する根拠としては、わたしがターゲットにした彼はいまだかつて、一度も同窓会に姿を現したことがない。
限りなく音信不通の最たる人物。
わたしのせい、、、?ではないと思うが、、、。

モノマネはふとしたことでクラスでやったらウケて、リクエストに応じて再演(大げさ)した流れになる。
中学になると、モノマネ対象は、同級生だけではなく国語の先生などにも及んだ。

だいたいのクラスメートは、わたしのことを「面白い人」と言っていた。
何か話すと、よくゲラゲラ笑われたりした。
それはそれで悪くないのだが、高校に入ってお笑いは封印した。
なぜか?

恥ずかしいからだ。
乙女の恥じらいが、遅くにやって来た。

急に恥ずかしくなった。
今まで海外を飛び回っていた人が、急に飛行機が怖くなるかのように。
笑われる自分が嫌になった。

で、おとなしくなった。
無口。
何も喋らない。
周りの生徒のカラーとも合わなかったせいもある。
それまでは、独特の鼻に付く雰囲気の出身中学校が好きだった。
先輩、後輩も個性派揃い、魅力的でユニークな人が多くいた。
だが、高校は、皆さん、とても真面目でおとなしく、品行方正な生徒が多かった。
地元の公立高校だったせいもあり、特徴としては地に足ついた質実剛健風かも知れない。
叔母も同高校出身で、同じ社会科の先生に教えてもらっていた。

わたしは、合わないのだ。
普通の真面目な生徒、校風、、、。
面白みを感じなかった。
それなりに進学校でもあったが。
型破りやトンがったものがなかった。
きれいな河原の石のよう。

トンがった生徒は、越境して他校に行ったり、私学に行って、抜けてしまった。
数年下の学年には、現在、経済産業界では知らない人はいないだろうと思われる有名な人もいたようだが。
3学年以上、下のため、在籍中には顔を見たこともなかった。

中には大器晩成型の生徒がいた。
中学では異端児、高校では埋没、、、であったが、勉学に励み、国内外で経験を積み、眼を見張る躍進を遂げていた。
彼はわたしとは、親や親戚の仕事の関係で、ある地元食品ブランドで繋がりがあり、その話で盛り上がる。
彼は、もう一人、沖縄に嫁いだ女子とも、別の地元食品ブランドの話で盛り上がる。
我々は地元食品ブランド仲間である。
彼は流通側、沖縄女子とわたしは、生産メーカー側といったところか。
と、わかりにくい書き方をした。
(すみません。ワザとです)

彼は社会人になってからは、わたしが思い描く理想的な活躍をしていた。
立派だ。
が、中学の時は受け入れられていたかどうかというと、、、
半々か。
高校ではどうだったか?
わたしは、あまり覚えていないのだ、、、。
進学大学からみると、ちゃんと勉強していたようだが。
(なんでこんなに上から目線なのだろう、、、わたし)

て、お笑い系から無口系に転じたわたしではあるが、高校時代は完全に自分を塗り潰したようなかんじか。
黒歴史というほどでもないが。
お笑いやっていた自分が、なんだか懐かしくもあり、そんな過去はなかったような気もする。
今は単なるおばあさん。
まあ、いいんじゃない?と思ったりしている。

オチが無い話になってしまった、、、。
いつまでも、だらだら終わらない。

喉と頭を過るもの

2021-01-13 | 日々のこと
今日は最高に良い気分だ。
いつも良い気分だが、さらに良い気分だ。
なぜなら、、、お天気が良い。
(にもかかわらず、不一致写真。
一昨日の朝、雪、霙【みぞれ】ショット)
快晴で洗濯できる。室内が暖かい。
それだけなんだけど。
さらに加えると、、、
好きなものを好きな時間に作って食べられる幸せ。
今日は冷凍庫に保存していた最後の(10枚切り)食パン3枚使って、ハムチーズサンドイッチとホットミルク。
最後の保存食パンは、娘が来た時、出した食事が足りない時用のストック食材として、出来れば冷凍庫に残しておきたかったが、思い切って使った。
姉(兄の代理)から贈ってもらったお歳暮の三田屋のロースハム(ブロック)を冷蔵庫ストック棚から取り出し、未開封包装を思い切って調理バサミでチョキンと切って。
「自分のために、新しく開封してハムを使う」のが、最高の贅沢だ。
欲張るあまりに、太くスライスしすぎた上、それに加え2枚も切って挟んだサンドイッチは、大きくなりすぎたせいか、喉の途中で支えて止まってしまった。
笑い話のようだが、欲の張りすぎか?
わたしには、欲張り展開パターンはよくあることなんだが。

前に、例年毎年、胃カメラを飲んで検査してもらっている先生に、「時々、何か食べた時に喉が詰まる、つっかえるんです」と訴えたら、「そんなことは全然ありません」と、さらっと流された。
わたしは本当に喉に食物や液体が詰まって、通過するまである程度の時間がかかり、通過する時はエレベーターがゆるゆる降下していく感じ。
徐々に窮屈なところを無理やり押し下がる感覚で、下がり切るまで苦しいし、心配なので相談したのに、即、却下、一蹴された。
「胃カメラは通っても、食物は通らないで渋滞することがあるんですってばぁ、先生!」
と、こころの中で訴えた。
先生、胃カメラとは違う内容のことは、別途、診察料、治療費が要るのかしらん。

と、分厚いハムが喉を通過するまで気長に待って、胃カメラ先生とのやりとりを思い出していた。

幸せなお昼時間。
柔らかな日差しを窓越しに浴びて、しみじみ、ほんわり、ほっこり、ゆるやかに流れる時間に身を任せた。
たぶん、活動家や、せかせかした人、結果を追い求める人には、限りなくどうでもよい、つまらない時間なのだろうなあ。

あ、そう言えば、わたしも老後建築、脳内シュミレーション中。
これがまた不思議と、けっこう楽しいのである。