テレビっ子の、わたし。
YouTubeも見ない。
衛星放送もケーブルテレビも、見ない。
環境を整えるのがメンドクサイのと、部屋を変わるのがウットウシイ。
至って後ろ向き、消極的スタンス。
その反動か、田舎ネズミになりながら見知らぬ都会の映画館に足を伸ばしたり、、、
にわか体育会系に変身して、往復ウォーキングで居住地エリア内にある映画館に行ったり。
ウォーキング映画館は、天候に左右されるのが難点。
そして、何回も道を間違えたわたしも、やっと方向を覚え、今では上映時間に間に合わなさそうな危機感に見舞われず、極寒でも汗ばむほどの競歩の如き速足の必要性はなくなった。
汗は、冷や汗、半分。
ゆったり、余裕のウォーキングになったのは良いが、効果的なカロリー燃焼にはあまり役立たないらしい。
こころは、ほわんほわん、身体もほわんほわん。
帰りに雨が降りそうな時は、行くのを中止する。
が、傘持参で、傘をさす、ということもある。
帰りはたいがい暗い車道側道をとぼとぼ。
誰も歩いていない。
見渡す景色は、あまり面白くない。
わたしは、住宅街を歩くほうが好き。
車道に沿って歩くのは嫌いだが、仕方ない。
全ての条件を満たすは、望み過ぎ。
そんなに、うまくいかない。
ウォーキング道のり、距離を大幅に増やせば、車道を避けられるかも知れないが、映画がメインなので、欲を張ると、行きたくなくなる。
やる気が、しぼむ。
頑張らない気分屋には、困ったものだ。
もっともっと歳を取ったら、家屋内テレビ環境を理想的に整えるかも知れない、、、が、あまりそうしないような気がする。
引きこもりのわたしは、家族以外には、実際に生きている人々を見るのは、電車内や目的地で働く人々や、集う人。
社会を薄いガラス越しに見て、接している。
なので、テレビのドキュメンタリー番組で知る内容には、深く感銘を受ける。
涙がポロポロ。
昨夜は、NHK TV「時をかけるテレビ」。
東北大震災の5年後に撮られたもので、「風の電話」が紹介されていた。
亡くなった大切な人につながる電話。
これには、泣けた。
とめどもなく涙が流れた。
色んな悲劇、困難を乗り越えて、人は生きている。
その前の時間帯には、Eテレ番組「明日も晴れ、幸せレシピ」で、人生後半をどう生きるか、という爽やかな番組を見た。
3人の活躍されている女性たちのトーク。
その中で、尼僧さんに寄せられる1番多い悩みの相談は、「自分の過去の選択に後悔している」というものらしい。
それに対し、、、
自分の嫌な面や失敗、黒歴史を含め、自分を好きになること。
今ある自分は過去の自分があるからこそ。
後悔するのではなく、肯定して明るい未来を築きましょう、、、と、48歳で出家した尼僧さんが説いていた。
自分の死を見つめることで、生を輝かせる。
だが、自分ではなく、大切な人の死はなかなか受け入れられない。
時間が苦悩から解き放してくれるらしいが、戦争は勿論のこと、大震災をはじめとする天災、事故などは、人々の記憶から消え去られてしまわないように、想いを後世に伝えることが、亡くなった人を悼むことにもなる。
世界中でリアルタイムで起きている悲劇は他人事ではなく、自分にも降りかかる可能性はある。
日々のニュースを見ると、今にも迫っているようにも感じざるを得ない。
平和に感謝し、維持できるよう、祈るばかりだ。
※写真は、近大マグロを形どった、近大フィナンシェ。
近畿大学附属農場で育まれた、「近大みかん」を惜しみなく使っているそう。
近畿大学のDNAを受け継いだ洋菓子の誕生らしいが、前に、(現)大阪公立大学ともコラボしたお菓子も食べたことがある、、、
地産地消。
ちなみに、わたしは近大・広報担当ではありません。