蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

世代ギャップ

2023-03-29 | 映画
ある80歳手前の高齢男性。
趣味関係SNS、彼自身の想いを日記で語る。

オトコは、喧嘩が強く、お金を儲け、オンナにモテる、、、のが理想だそうだ。
いつもイケメンに対して劣等感を抱き、自分も顔が良ければ女性にモテただろうに、と嘆いておられる。
お孫さんもいて幸せな家庭なのに、あの年齢になってもまだ顔が決め手だと思ってウジウジ。
顔は決め手ではないし、高齢妻帯者なのに今から女性にモテて何がしたいのだか、よくわからない人だ。

お金を儲けるのはわからないでもないが、ケンカが強い、というのは腕っぷし、暴力、武闘派ということ。
頭脳策略で勝利、というわけではなさそうだ。

わたしは、端から端まで、隅から隅まで、この男性と1μの共鳴、賛同、共通点もない。
が、悪い人ではないようだ。
世の中にはいろんな人がいる。
戦争を経験し、個人的な強烈な後ろ盾もなく、社会福祉も今ほど整ってない時代を生きて来た人は、ああなるのはよくわかる。
草食系の真逆。
ちょうど今の時代の真逆のタイプ。
それが時代というものだろう。

結果的にモテるのは、大いに結構。
カネ、オンナをモチベーションとして頑張るのも、大いに結構。
わたしの周りには、そういうタイプがいないからといって、惹かれるかというと、わたしは個人的には趣味ではない。
わたしはそんな動物みたいな人は敬遠する。
とは言え、もし、わたしの大ピンチ、窮地を身を投じて救ってくれた勇気あるスーパーマンなら、ぞっこん惚れてしまうこともあり得る。
(ではあるものの、わたしのこれまでの人生には幸い、スーパーマンが必要な大ピンチには陥らなかった)

少子高齢化の今、子供を産まない若い人々は、動物みたいな精神や闘争心が欠如しているのかも知れない。
体罰も禁止。
弱音を吐いても、病名をつけて病気扱いしてくれ手厚く保護される。
パワハラ、モラハラ、セクハラ、男女差別、ジェンダー、、、意見を言うにも、細部に渡って考えながら口にしなければならない。
たんに感想をぽろっと言うだけで、袋叩き。
ぽろっと言ってはいけない。
デリケートな問題となっている。

こんな世の中では、カネ、オンナ、暴力、、、昭和の臭い、仁義なき戦いは、遠くになりにけり。
昭和のある時期、任侠ものは映画で流行り、映画館から出て来た男性は、自分が任侠人になった気分。
その世代なんだろう。
わたしはその世代とは、ほぼ被らず重ならず接触せず接点がない。
青白い文学青年のほうが、まだ親近感がある。

血がドバッと出る映画は大嫌い。
先日、「シング・ソング・フォー・ミー、ライル」を見た。
コメディ色のある、ファンタジー・ミュージカルなのに、わたしは涙ポロポロ。
アイル(主人公のワニ)が失敗しても暖かく励ましてくれるあたり、自分が失敗した時のように感情移入し、優しさが染みる。
自分だけが頑張るのでなく周りに支えられるとパワーアップする。
マスクを付け直して、ハンカチがわりにして、涙が落下して衣類が涙で濡れるのを阻止した。
大泉洋がライル役の声優として素晴らしかった。
彼は歌、上手いんだと感心。
わたしは映画は字幕希望で、吹き替えは気が進まなかったが、なぜか、日本では現地版字幕(英語)を上映していなかった。
若いすごいスーパースターが、アメリカでは吹き替えで出ている。
ちょっと残念な気持ちで映画を観たが、なんのなんの、大泉洋さん、やるじゃない!
わたしの「大泉洋」株が、がーんと一気に上がった。


東大出てます、おたくは?

2023-03-27 | 日々のこと
バス停での(わたしではない人たちの)立ち話。
高齢女性2人。

お稽古事の話が一通り済み、お稽古先が一緒の人の噂話に移る。

「○○さんは、自慢タレで困りますわ〜。
孫が東大に行ったと自慢して、『おたくのお孫さんはどこに行かれたの?』と聞かれましてねえ。
自分の子供ならまだしも、孫で、東大だからなんやっていうんですかねー」

という一方的な会話で、相手の人は頷いているのか、微笑んでいるだけなのか知らないが、1人の人だけの声が聞こえる。

面白く拝聴した。(「盗み聴き」とも言う)
と同時に、その自慢タレの趣味仲間をギャフンと言わせることが出来たら気分爽快だろうと想像する。

トウダイ?
どこのですか?
足摺岬?襟裳岬?
(→古典すぎて、言っている本人の顔が引き攣るか、、、)

東大?
何学部ですか?
あ、理Ⅲ?
将来は宇宙飛行士ですか?(医師多い)
(→意味不明すぎて、笑えない)

東大?
将来は?
国外頭脳流出組ですか?めんどくさそうですね。
(→京大なら、のびのび研究テイストでいいのか?)

東大?
今度、赤門まんじゅう、買ってきてもらえます?
(→お代金、請求されます?)

うーーん、、、どれもイマイチ。
東大がなんやねん!!と吠えるには、その人の孫もそれに匹敵する何かがないと、負け犬の遠吠えと思われてはシャクにさわる。
あの遠吠え(かも知れない)おばあさん、もっと斬り込んだツッコミが欲しかった。

別案。
あー、うちは特待生、推薦入学で次期オリンピック選手らしいですわ。


バス停で吠えたおばあさんより、自慢タレのおばあさんに、何か良い切り返しフレーズはないかと思案中。
いや、孫自慢をするようなおばあさんには何も通じない。
孫自慢に対抗するようなおばあさんにも通じない。
いや、それより、孫の自慢をして何が悪い?
先の短い自分の身では自慢ネタは尽きているので、せめて明るい未来に向かって歩いてほしい望みを託すのは悪いことではない。
相手を選んで自慢したほうが良かったにせよ、そんなことは今更どうでもよいのだろう。
おばあさんは、おばあさん優待枠を活用すると良いかも。

わたしに関して言えば、孫たちには、楽しませてもらって本当にありがとうと言いたい。
どんなに輝かしい未来であろうが、普通の未来であろうが、戦争に巻き込まれない未来であって欲しい。
東大でなくてもいい。なんでもいい。
希望を失わないで生きていってくれたらそれでよい。


逆噴射が止まらない

2023-03-25 | 日々のこと
昨夜NHK TV放送のドラマ番組「生理のおじさんとその娘」
面白かった。
ジェンダー問題てんこ盛り。

中でも、おじさん(原田泰造)の娘のクラスメイト女子の家庭が、昭和色、全面全開で誇張されていた。
といっても、わたし世代では普通なんだけど。
高校生の娘を持つ親の世代(40代?)にしては、今時あんな時代遅れもおらんやろー、という演出。
高校生女子の兄(大学生?)の行動も、父親の影響か昭和の男子。
わたしの孫世代に10歳プラスしただけの子供(高校生)。
わたしの子供世代に10歳プラスしただけの親(共稼ぎ両親)。
あの男女役割の様子はどう見ても、ズブズブ昭和。
時代考証がされ、昭和当時のドラマならいざ知らず、今、現代、令和の時代では違和感がある。
ぼーっとして見落としてしまったり、気づかない視聴者に、ちゃんと見てね、と誇張したい制作サイドの気持ちはわからないでもないが、
若いのにあんな夫婦は今時、おらんやろー。
昭和を通り越して明治??
(じつは、令和にも、ごろごろいるのが現実)

ちなみに、大きな口をたたく、理想論者のわたしではあるが、、、
実生活は、明治時代である。
同ドラマのごとく、玄関でひざまずいて帰宅する夫を出迎え、「あなた、おかえりなさいませ」と夫の脱ぎかけの上着を受け取り、掛ける。
老舗割烹の女将か?
(わたしも、かなり誇張表現癖がある、、、心象風景描写)

夫は、わたしの躾が行き届かなかったせいで今では完全に子犬にも孫にも追い越されている。
食器など洗うことは生涯絶対にない。流しにまで下げることもない。
我が家での娘一家と合同夕食時、夫が自分の飲み物をビールからワインに切り替える時、娘婿が夫のグラスを洗いに席を立つ。
娘婿にしてもらうわけにはいかないので、わたしは娘婿と競うように席を立つことになる。
メニュー終盤あたりになると、
「ごはん(炊飯した白米)!」と夫。
どろん、どよっとした黒い気持ちになりながら、わたしは席を立つ。
娘婿に立たれる前に。

「水!」 
と、小学生男児孫。
水がどうした!?と鬼の形相の周辺。
自分で入れに行く孫。

かつて舅や夫は、「水!」と言っていた。
思い出すだけで、どろどろ地下重油気分。

わたしの地獄行きスイッチを押す。
菩薩は瞬間的に夜叉になっている。

自分で入れろ!!
足も手もないのか?

と言えたらどんなにスッキリするか、、、。
(口はないのか?と言われそう、、、だ)
別の表現で自分の気持ちを伝えるとか。
相手にわかるよう、行動で表すよう、
わたしも努力しなければ。

夫だけがお客様然としている我が家のダイニングルームに同席している娘たちは、無言のメッセージを投げかける。
男尊女卑の家系で育ってきた夫。
目を覚ませ。
今は明治でも昭和ではない。
令和だ!!!

昨夜のドラマの1シーンに、インスパイアされた。
どっとヘドロが逆噴射した。










おばあちゃんの味

2023-03-25 | 日々のこと
「うっかり」、、、という現象を真剣に真面目に捉えると「認知症」の現れということになる。
誰しも認知症予備軍だ。
いつも、うっかりしている、わたし。
アレ、どこ?どこ?と、探し物。

「ちゃっかり」とは、ちょっと違う。
ちゃっかりは、要領が良いイメージ。
計算、打算が働くひと。

ちなみに、、、
滅多に書かない料理の話を書く。
「ぬた」と「菜の花の和え物」を作った。
生まれて初めて。
「わけぎ」と「菜の花」
両方とも、畑の恵を人からおすそ分けいただいた。
どうしたら良いのかわからず、しばらく放置していたら、菜の花が咲いた。
こりゃいかん、と、早速お尻を叩かれるように料理した。
クックパッド※は、賢い電子お姑さん。
(※日本最大のインターネット料理レシピサービス)
なんでも教えてくれる。

驚くほど簡単に手間要らずで、味わい深い2品が出来上がった。
居酒屋で「ぬた」を注文することがある。
わたしの好物だ。
自分では作れないし、、、と思っていた。
酢味噌も既製品を買ったりしていた。
なんのことはない、赤子の手を捻る(これ、虐待なんだそうだ)より、簡単に出来るではないか。
しかもイカは高いので、竹輪にしたら、安上がり、この上ない。
酢味噌との絡みが、とても良い味わいで美味しかった。
4本入り竹輪、88円也。
2本を豚汁に、1.5本をぬたに、0.5本を0.25本ずつ、小4男児(1番目孫)と小2男児(2番目孫)に「ちょうだい、ちょうだい」と群がられ、オヤツの一部として開けた口に放り込む。
料理に使うから、「今日はこれだけよ」、と制限。
88円÷4本÷2つ÷2人=5.5円
ひとり5円50銭か。
(わたしが子供の頃【半世紀以上前】は、飴1個、1円だったような?)

と、あとは豚汁、きんぴらゴボウ&レンコン、西京焼き魚と、和食メニュー。
やっとわたしも、おばあちゃん達が作っていたような和食を、普通に作れるようになったと、喜んでいる。
ただし、クックパッド先生のレシピ。
ばあちゃんの味は、クックパッドの味。



ご縁

2023-03-22 | 人生
まずは、侍ジャパン、おめでとう!

さて。
話は変わり、、、
コントロールが要。ふむふむ。
豪速球を力まかせに投げてもなあ。
そうアドバイスをいただいた。
なるほど。
コントロールは大事なのだが、制御できないとなると、たんなる暴走か。

まあ野球ならダメダメだろうけれど、普通の人生には暴走はつきもの。
羽目を外したことがない人もまた温度不足でツマラナイかも。

そういえば、最近、5歳女児(3番目孫)が、しきりに「ツマんナイ」と言う。
どういう意味?と、ママに聞かれても的確な答えは引き出せない。
「ヒマ」「退屈」という意味ではなさそう。
「何かが詰まってない」という意味だろうか。
面白くない、しょうもない、くだらない、間が抜けている、意味がない、、、そんなニュアンス?
否定型の一種ではある。
思っているものと違う、、、
肯定されない、認められない何かがあるようだ。

ツマラナく時間を過ごしている人。
行動を見たり、話を聞くと、だいたいわかる。
ツマラナイ時間を詰まる時間にしたい欲求がある人もいる。
話に何かを感じる。
が、自分でどうしたらよいか、わかっていないんだろうなあ、、、という人もいる。
そういう時は、人と人の間に生じる化学変化を活用する。
いわゆる「ヒント」を得る。
問題意識を持ってないと、素晴らしいヒントなのに脳を素通りしてしまう。
後から気づくこともある。
敗者復活戦。

「幸運の女神は前髪しか持っていない」と、よく言われる。
わたしは、そうでもないと思っている。
たんに「逃した獲物は大きい」と感じるだけで、未練がましい。

なぜなら、趣味分野で前にペアを組んでいた人はわたしが、その人にタイムリーにアプローチしたことに対して、よく「幸運の女神は前髪しか持たない」と言っていた。
前髪を掴んでラッキーだったと喜んだが、掴み損なったほうがラッキーだった。
前髪を掴んだのはアンラッキーだった。
結果的には、失敗は成功のもと。
次からは失敗しないように学ぶべし。
学習能力をつけるための教材、試練。
人生に無駄はない。

で、思うのには、良くも悪くも「ご縁」。
結果良ければ全て良し。
ではあるが、「結果」はどの時点でジャッジするのか。
短期、中期、長期と分けてジャッジする。
どんでん返し、逆転なんていうものもある。
大器晩成なんていうのもある。

縁まかせでも、そう悪いようにはならないと思う。


脳みその出来、不出来

2023-03-21 | わたし
165キロは、強烈。
キログラムではない。キロメートル。
時速。
と、すぐ文字を無駄に使う。
これはわたしの人生そのもの。
(時速ではなく、無駄のほう)

ほんの、数秒の本気と、残りの膨大な時間のダラダラ。
しかも膨大な残り時間に、必死になっている。
じつに能率、効率が悪い。
ちゃっちゃと一瞬で済むことを、ダラダラダラダラ、しかも苦しみながらやる。
では、出来た一瞬はハイなのか?
それが、全然ハイではない。
膨大なダラダラと同じ熱量、温度で、本人には違いがわからない。
あれ?
出来てるの?

あんなに苦しんだんだから、もっと満足感、達成感、充実感があってもよいものを。
ご褒美なし?
継続は力なり、なんて、なんだか、わかったような、わからないような、そういう言葉で余計にわからなくなる。
5歳女児孫になら、「そういうことじゃなくて」と、即、言い放たれるだろう。
違う違う、もっと、わかるように説明して!と。

わたし(スロー)は、アタマ悪いからわからんのよ。
それで苦悩は緩和されている。
途中で思考力の緊張の糸が切れる。
脳みそが、ゼイゼイハアハア息切れして眠くなる。
神様からのプレゼント?(何度もしつこく書いている)

しかし、今なら老化認知症が援軍してくれているが、学生の頃は、それはそれは困った、悩んだ。
兄も然り。
姉は要領が良かったので、苦境をうまく切り抜けた。
(とは言うものの、一浪)
いまだに就寝中に見る脂汗たらたら悪夢は、勉強しないで臨む試験、直前の瞬間。
これは特に高校の数学。
また、あれもこれも単位が取れなくて落第か、卒業出来ない、というお先、真っ暗のヒヤリ、タラリの展開。
そんな夢をまだ見る。
たぶん、一生見るだろう。
それぐらい、勉強は不得意だった。
子供たちがわたしのDNAを受け継がなくて、本当にこころから喜んだ。
神様、ありがとう。(また、、、)

(※よせばいいのに補足蛇足。
文系数学では100点の時もあった。
教科書そのままの、簡単な、文系をなめたテストだった)

世の中や人生は、神様の計らいで補填するようになっているのか。
しかし補足説明をすると、わたしは自分がこんなのなのでリスクヘッジ対策で優秀な頭脳(外部から調達したDNA=夫)を選んだのだが。
と、あまり書くと自慢や嫌味と取られては心外なので、このあたりでやめておこう。

話はまたまた逸れている。
緩い脳で苦悩が緩和されるということだ。
良かった、良かった。
(良い面だけを見る、履き違え感はあるが、プラス思考。勘違いポジティブ)
嘆いているんだか、自慢してるんだか、わからない内容になってしまった。
こんな風に、わたしは、いつもへらへらしている。

結論。
165キロ直球ありがとうございました。
(私信です)


※写真は、本文に全然関係ないけれど、
うちの庭にやって来た小鳥。



本格的「居場所」探し

2023-03-20 | 人生
へらへらした、しょうもないことを書こうと思っていた。
が、裕さんから直球を投げられ、ガシっとグローブで受けようとしたら、指がグローブにちゃんとはまっていなくて、半分ぐらいボールがはみ出した。
もっとハエが止まるぐらい緩い球ならちゃんと受けられたかも??

さて。
万年へらへらのわたし。
鬱の気持ちを自分のことのようにしっかり感じてみようと頑張っても、やはり、調べたり、読んだりして知見として脳みそを経過しないと実感としては当人の温度では測れない。
想像することは出来るのだが、小さい頃から強く踏まれ続けた結果、ガラスのハートは砕け散ってどこかに埋まってしまっているようだ。
開き直りの精神からか。
突き詰めて考えていると、脳の思考キャパ耐用容量を超えて、眠くなる。
アタマ悪いっていうのか、神様からのプレゼントか。
負荷オーバーによる、自動的、苦悩からの解放。
しかもそれに加えて、老化認知症が人並みに、こんにちわ、と、やってきている。
来てほしくなく、追い返そうとするのだが、敵は上手(うわて)を行く。
3歩行って2歩下がり、また3歩行って3歩下がり、4歩下がり、、、時々4歩前進し、でもまた5歩後退し、、、。
見えない敵と遊んでいる、いや、闘っている。

自分の老化を手に取るように実感する度に、見聞きして知っている知識とピッタリ当てはまり、まるで答え合わせをして100点満点を取ったかのような気分になる。
模範回答を示す、老化の模範生。
つまり、通常、想定範囲内の老化である。
打ち勝つ気、ナシ。
努力する気、ナシ。
いらっしゃ〜い、と笑顔で迎える気、ナシ。
難しい顔で、渋々受け入れる。
突き返したところで、またやって来る。
いちいち騒ぎ立てるのが、めんどくさい。
というわけで、老化と「仲良く」ではなく、「嫌々」付き合っている。

熟年離婚しようとしている相手も老化進行中。
あらま、ちょっと待ってよ〜、
と、事態が落ち着くのを待つと、自分もどんどん老化のスピードを上げていく。

「居場所問題、どうなった?」
「ごめん、今、探し物の真っ最中」
それどころではなく、
あれ、ここに置いていたはずなのに見つからない、、、
と焦る。

渡っている桟橋の後ろから、橋が崩れ落ちていく感じか?
アタマ良い人、羨ましいなあ、、、。
わたしは、アタマが良い人に囲まれていないと不安である。

と、論点はズレにズレて。
日本人の同調圧力に弱いところとか、忖度(そんたく)とか、あまりホイホイと離婚しないところとか、
それには背景がある。歴史と文化。
そして、別の国には、別の国の歴史と文化がある。
違いを楽しむのは理想だが、そうも言っていられない現実がある。
ちなみに、わたしは、日本語しか出来ないので、外国暮らしは至って不安。
どこへ行くにも、その国の言葉を理解できないと、どうにもならない。
高齢になって、国を追われる人は悲惨だと感じる。
言語は要。
言語を理解しないと情報が遮断される。
なので、わたしは日本でしか暮らせない(定住出来ない)。
なので、郷に入っては郷に従え。
とは言え、他人のことはあまり気にならないが。

さて、さて、話の着地点は?
直球ストレート球、嬉しかったです。
想像したり、推測したり、解析、分析するわたし自身の人生経験が狭く浅いため、解析のために抽出する具象の選び方が、偏っている可能性がある。
表面しか見てないかも知れない。
まだまだ奥を見る目、考える力が必要だと感じた。
でも、眠くならない程度にしか考えられない。

最後に。
「人間として居場所がないなんて、どんな風に生きてきたんだ?」
「仕事一筋です」
家庭は妻に任せて。
だからリタイア後、居場所がない。
仕事一筋のひたむき猛烈パワーを活用して、高度成長期を支えた。
燃え尽き症候群になったなら、それはそれでそれだけ全霊全身で頑張ってきたのだから悔いはないのでは?
人間として、、、なんて考えるヒマ、機会がないのでは?
ベルトコンベアに乗って人生は進んで行く。
チャップリンの映画に風刺としてそういうシーンがあった。

人間として?と考えていたら、受験勉強の手が止まる。
止まってそのまま、放浪の自分探しの旅に出る人もいる。
わたしの場合、本当の意味での趣味はなんだろう?
自分そのものを素材として楽しむことかなあと。
自分が自分で遊ぶ。
が、いつもいつも余裕があるわけではない。
深刻に真剣に、不安だったりすることがある。
一つ一つクリアされると、ほっと安堵。
何もない時、平常時が一番幸せだと感じる。



推し活

2023-03-19 | 趣味
そもそも、なぜ趣味仲間Aさんがアドバイスする「居場所作り」が気になるのか?

なんか違う、とは思ったものの、はっきり原因がわからなかった。
自分なりの解釈であれこれ分析し、やっと、どうにか理解できて納得、スッキリした。

とはいっても、あと一つ。
わたしはAさんと趣味仲間ではあるが、その趣味はお互いリタイアしていない時からやっているもの。
始めたのは老後ではない。
老後に一からスタートすると、馴染むのに時間がかかる。
最初は、ズブの素人の新人さんなので、皆んなの中では一番経験が浅い。
勇気を出して始めたものの、やめてしまうこともあるだろうけれど、辛抱強く続けていると、どうにか形にはなって行く。
が、趣味選びも、憧れから入っても現実的には不向きだったりする。
ではあるものの、老後始めるものは、全員、スタート年齢がほぼ同じという条件が同じ。
とは言え、わたしは、今更、真新しい未経験のことを始める気はゼロ。
過去に少しでも、ほんの1回でも、経験したことがあり試したものを、もう一度再挑戦する。
苦手なものには、手をつけない。
今までの中で選に残ったもの中から選ぶ。


まあそれはそれとして。
趣味仲間Aさんは、在職中から続けていた趣味は身に付いている。
今より若い現役時代に、仕事をしながら趣味分野で悪戦苦闘。
スランプや健康問題もあり少し趣味を取り巻く事態が変わった。
が、リタイアして、再び現役時代の趣味を再着手したが、自分のレベルの人は周りにはあまり存在せず、満足感を得られない。
さらに毎日サンデーになったリタイア後は、その趣味だけでは時間が余るようだ。
それで、他の趣味にも手を出すようになった。
時間を持て余すから時間潰しで行う新しい趣味は、なかなかモチベーションが高くならない。
上手くなるのも時間がかかる。
あくまでも、サブの趣味。
かといって、メインの趣味も、もうそんなにかつてのような温度にはならない。
余裕で楽しむ。


ちなみに、一つだけの趣味に精魂込めて情熱を注ぐのも良いが、煮詰まったり、スランプに陥ったり、続けられない事態になったりした時に、気分転換出来る、別の趣味があると救われる。
理想としては、正反対のものが良い。
静と動。
室内(全天候型)と屋外。
運動と芸術。
一人で行うもの(旅とか、散歩とか、手芸とか)も良い。
自分が主体になって実践する側の趣味と、見る側の応援するオブザーバー、観戦、鑑賞型の趣味。
音楽、絵画、舞踏、ファッション、グルメ、もの書き等、作り手、と、受け手。

長々だらだら延々と書いたが、こういう類のことは、実社会で生産的ではないし、個人の好みは様々なので、皆さん、興味ないと想像する。
が、最近、推し活ブーム。
私生活をイキイキさせ、幸せをもたらす。
といっても「推し」なんてのは、昔からあるものを表現を変えてリメイクしただけに過ぎない。
新しさは感じないが、言葉としては今風。
そう感じるようになったら、わたしもいよいよ歳である。



もやもやの原因を探る

2023-03-18 | 人生
まだ引っかかる、趣味の先輩Aさんにアドバイスされた「居場所」について。
どうも、もやもやする。

リタイア後。
したいことがすぐ出来るよう、日々スタンバイ。準備する。
今、したいことが無いとも言える。
あるけど、出来ない場合もある。

たまたま無いなら良い。
いつも常に無いとしても、本人がそれでよければ良し。
ごく稀にあるなら、それは素晴らしい。
あるか無いかわからないことの為に、一応、取り敢えずすぐ行動出来るように備える。
防災訓練みたいなものか。

しかし、健康オタクのように、健康なのに、その現況の健康を享受せず、不健康にならない為のことばかりにとらわれる。
健康を害することばかりが、強迫観念のように脳内に押し寄せて来る。
実に、もったいない。
健康を維持するのには努力も必要だろうけれど、今ある健康、幸せを噛み締めないと、いつ噛み締める?
もっともっとと上昇志向も結構だが、ある程度の人生を歩むと、もっともっとは、せっかくの幸せを目減りさせることになりかねない。
とはいうものの、健康であってこそしか出来ないこともある。

趣味の先輩Aさんは、自分が歩んできた道を遡ってのアドバイス。
仕事一筋でリタイア後、家にも、地域にも居場所がなかった男性が歩んできた道のり。
仕事もしたけれど、主婦もしながら、地域活動(自治会やPTAや地域の子供会)もして、ついでに仕事と子育てをしていた、女性としては、ごく一般的な普通の人であるわたしとは、順番も道も違う。
逆に、彼は仕事一筋で他を全て妻に任せていたということだ。
どういうこと?
誰のおかげでメシが食える?と、口には出さないにしても、普通に力むことなく淡々と思っていることだろう。
だがしかし、時代が変わると意識も変わる、、、のは、皆さんご存知のところ。
仕事さえしていれば、お金さえ稼いでくれば無罪放免、免罪符の時代は過ぎた。
働く本人の働き方も、ライフバランスがシフトし、仕事ばかりを優先して私生活が犠牲になる企業は敬遠される。

女性は、人生をいくつもの線を同時に走ってきている。
複数タスクを抱えてこなしていた。
しかも、収入を抑えろだの、時間を制限しろだの、家事育児に影響ない範囲なら仕事をしてもよい(許可制)だの、制約付き。
男性は仕事の中ではいくつもの案件を複数抱えていたかもしれないが仕事一筋。
子育ても家事も介護も家の行事も全部全力で抱えている人はどれぐらい、いた?
(中にはいたが、少数派)

この趣味の先輩Aさんは、わたしより少し年上と思われ、環境も普通なので意識も革新的でもなんでもなく、昔風なんだろう。
ずっぽり昭和の人。
だから、わたしが彼の「居場所作り」アドバイスに違和感を覚えたのだろう、と、今初めて理解した。
居場所作りにおいて、わたしは彼の何十年も先輩になる。
何を今更感がある。
とは言え、仕事をしない選択肢もわたしにはあった。
ということは、わたしは昔の価値観、ライフスタイルを採択したため、何十年も前に趣味を一通りかじることが出来たのだろう。
(しかしながら、仕事をしていても、趣味や仕事を離れた世界の中から選択して楽しんでいる人はいた)
余裕が無い人もいた。
仕事と趣味。難しい選択。
仕事が趣味、なんていう人もいる。

リタイアした男性の皆さん、多かれ少なかれ、その後の自分の人生と向き合うことになる。
女性もリタイア後は人生に向かうのだろうけれど、「女性は家庭」という古い時代も半分生きていたので、男性ほど、リタイヤと共に、無職の素の自分に向き合わなくてはならない切羽詰まった思いは強くないように思う。
温度差は人それぞれかも知れないが。


さて、夫源病。ふげんびょう。
最近の病気らしい。
西洋の地で青い目の奥さんと夫婦になって、一度も離婚したことがない日本男性。
この男性なら奥さんは夫源病にはならないだろう。稀有。
日本在住で、日本人夫と日本人妻でも離婚は増加している。
夫が家に居ると、妻が病気になるなんて、凄くないか?
言葉や行動で感じたことを示すのではなく、身体、体調、発病で示す。
学校に行く時間になると発熱する学生さんみたいなものか。

趣味仲間の老後男性たちも、「オトコは家に居てもなあ、、、」とおっしゃる。
後半の「、、、」の行間を読む。
じーっとして微動だに動かないでTVなどを見ていると、「掃除の一つもしたら?」と、妻の視線に無言のメッセージを感じるのだろう。
「ごはん、まだあ?」などと言おうものなら鬼の形相(だろう)。
お腹が空いても、ご飯の時間が過ぎていても、じっと待つ。
そんな感じを想像する。
だから、居場所が必要なのだ。
地域にも根を下ろしてこなかった、仕事一筋の生活から脱却しないと、居場所がない。
家に居場所を作るにも、ルームシェア的な、妥協の産物のような居場所であり、心安らげるものかどうか。

だが、まだまだ展開はある。
どちらかが弱って病気になって、介護が必要になる時が来る。
助け合わなければならない。
その時には、感謝される。
が、介護される側になると、それまでの家庭内労働チャージ、労務預金がないと、イジワルされる可能性がないとも言えない。
江戸の仇を長崎で打たれる。
趣味の居場所作りばかりに明け暮れていては、やがて来る将来も見据えないと泣きを見る。
元気なうちに、出来ることをする。
出来ることは、やりたいことばかりではない。
すべきこともしておかなければ、後悔が残る時が来ないとも限らない。

家の中に居場所がないからと外ばかりに目を向けず、家庭にはある程度の居場所も作っておくべきだ。
それには意識と努力が必要だ。
趣味の先輩Aさんも、外の居場所作りのアドバイスも結構だが、ご自分の足元も見つめ直すのも今後の展開には重要だ。
だが、わたしは、他人の家庭に土足でズカズカ踏み込むようなデリカシーのない無神経なことをする気はない。
押し付けがましい自分流考えや意見も言いたくない。
なので、静かに微笑んでいる。


居場所作り

2023-03-16 | 趣味
ある人、趣味仲間のAさんに提案された。
居場所を作れ、と。
もっと老いた日のために、今から準備しておけ、と。

近くで、ちょいちょい簡単に顔を出せる、似たような人が集まっている場所に、自分の居場所を作るとよい、とのこと。
そこで出会った人とまた輪が広がる、と。

それはすぐには出来ないだろう。
ある程度、その場所に通い、自分の存在を知ってもらい、周りとも仲良くし、積み重ねる時間が必要だ。
なので、行動出来なくなって切羽詰まってからでは遅い。出来るうちから、スタートせよ、と。

そういう場(例えば近所の体育館や、市民文化センター)には、特別にはすごくない、真ん中レベルの人がたくさん集まっている、とのこと。
技量的にも頭脳的にも人柄的にも経済的にも。
一般市民ということか。

そうAさんは、居場所作りの先輩として熱弁をふるってくれる、、、のだが、、、。
わたしは、その活動は、30年以上前に行った。
なかなか自分に合うものが見つからず、何周も同じトラックを周ってみて、周りの人々が皆さんリタイア老後の方々ばかりだったので、どうも自分の若いエネルギーの放出先が違うと感じた。
そして、仕事の道を選んだ。
あれから時は過ぎ、、、
子育て、仕事も終わり、本格的老後がやって来た。
もう一度、何十年かぶりに同じトラックを周ると、おそらく見える景色は違うだろう。
自分と同じような年齢の人々と周ることになる。
が、わたしは30年以上前に一度、卒業した。
今更、もう一度という気にはなかなかならない。

若い時はエネルギーもポテンシャルもたくさんあったため、求めるものもレベルが高かった。
今は、体力、気力、ポテンシャル、期待も下がり、求めるレベルも下がっているかも知れない。
今の自分の身の丈に応じたものを探すことだろう。
70の手習。(まだ、なってないが)
新しいことに挑戦するのも悪くないかも。
そういう気にもなっている。
そこには仲間がたくさんいるらしい。(Aさん曰く)

古い上着を脱ぎ捨て、春、新しい季節に向かってジャンプ!
と書いていて13年?ぐらい前にも同じ感覚で、新しい挑戦に向けて、始動したことを思い出した。
あれはあれで、一つの成果もあり、一つの季節だった。

わたしは、あれもこれものタイプではないので、同じことを何周も何周も周るかも知れない。
それがわたしの居場所かも。
動き続けながら定まっていく。

卓球したり登山したり、たぶん、しないと思う。
アウトドア派ではないし、子供たちとの旅行に着いて行くのが精一杯。


リタイア後の男性は、ずっと家に閉じこもって居ると煙たがれる傾向にある。
彼らは口を揃えて言うのが、「家の中でじっとテレビを見ていても仕方ない」と。
テレビは心身を休め回復するために、リラックスして労働再生産させるためにあると、わたしは思っている。
何もすることがなく、何もしないのにテレビを見るのは、選択肢がなさすぎる。
余計に疲れる。
そんな最悪の状態から抜け出すために、外に居場所を作るべきだと提案してくれているとすると、わたしの考えとは少し異なる。

居場所は既に家にあるし、家を起点にあちこちに出かける。
新たな居場所を見つける必要はない。
元々ある。
リタイア男性にとっては家に居場所がない人は少なくないだろうと想像する。
家に船頭は二人も要らない。
後からやってきたら、先に居場所として確保している(ぶんどっている=占領している)妻にしてみると夫源病の原因にもなりかねない。
先住民は抑圧される。

仮に夫婦円満だったとしても、心身健康なのに家の中でじーーっと籠るのは、(よほどテレビが好きな場合は別として)エネルギーを持て余し、満足感、幸福感を得られないだろう。
テレビを見たりして、家の中で過ごすことに最大の幸せを感じる人は、それはそれで幸せだ。

人それぞれ色々ある。
わたしの場合は、居場所を本格的老後に備えて作る必然性をあまり感じないだけだ。
そもそも本格的老後って?
いざという時に準備されてないと急には出来ない、その、いざという時が、本格的老後なのか?
やりたいときに、やりたいことが出来るよう、日々、トレーニングしておく??
準備しなくても、わたしは行き当たりばったりで良い。
明確な目標があり、自分が準備したいなら、すれば良い。
今すぐ必要ではなくても、何年か先のために準備しておきたいなら、すれば良い。
訓練しておかないと、すぐには出来ないから先を見越して、事前にスタートする。
それも良し。
人によって思考や嗜好は、まちまち。

「居場所を作る準備をせよ」と言われて、なるほどと思ったが、よくよく考えてみると、意図して居場所作りを先に用意するのは、わたしのスタンスとは違う。
好きなことやすべきことをしていたら、結果的にそれが居場所になった、という順番。
順序のこだわりも、個々によって違う。

大まかな自分の流れや枠は最初に作っているので、後は流れに任せるだけ。
趣味の居場所作りも然り。
わざわざ「作るんだ!」と意気込まなくても自然に好きなことをしていたらそうなる。

「居場所作り」に賛同するにもかかわらず、違和感を覚えたのは、そのあたりのプロセスにすんなり行かない引っかかりがあったのだろう。
居場所はアタマから作るものではなく、試行錯誤によって結果的に出来るもの。
規制枠、既製品にすっぽり合わせるのではなく、自分仕様、オーダーメイドするもの。
あるいは、一部、活用できるものは既製品を利用する。
そして、居場所は緩やかに変化していくものだ。