蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

スッキリしないけど、かんたん、スピーディ

2011-02-28 | わたし

さて、月曜日。

今日こそは、カンタン、シンプル、短文で行こう!!

いつもお越しいただき、ありがとうございます。
わたしの、だらだら文にお付き合いいただき、とても恐縮しています。
これは、ホンネです。

わたしも、毎日、報告できるような、
新カレや元カレとのラブラブ・レポートが、あればいいのだけれど。
かわいいペットのチャーミング・ショットが、あればいいのだけれど。
悲しいかな・・・ありません・・・いません。
(あるのは、だらりとしたり、持ち直したりの、ミニ鉢植え花ぐらいです)

皆さまの好奇心を刺激するようなゾクゾクする・・・究極の私生活・・・・
仮にあったとしても、書けません。(→見栄、張ってます)


それにしても、いつも、思うのですが、
ブログ村・ランキングの「人気記事」の基準、根拠は何なんでしょう?
自分のブログでも、その疑問、何度も書いていますが、未解決、ダークなまんま。

最近、さらにさらに、深く、強く、そして、やや疑いの目をもって、
選択基準のモノサシは、何なのか、気になっています。

そんなことが、気になるなんて、
なんて、平和で、退屈な日をわたしは過ごしていることでしょう。
ある意味、感謝です。


短さを意識して書いてみると、
あら不思議、なんの内容もない、うわすべりの文字が並びました。
やはり、わたしは、だらだら、まとまらない長文で、自問自答しながら、
書きながら、オチにたどり着くという、非能率的な手法が合っているのでしょうか。

とりあえず、「短く」という目標だけは達したものの、メッセージ性ゼロ、
なんだか、もやもや、不発弾を抱えたまんまの、本日のブログとなりました。
所要時間は、5分。
ピアノの練習でいえば、楽曲に入る前の、指の運動。
しかも、ほんのサワリだけ。
あっさりで、いいかも。

でも、中味がないのが、さびしいところ・・・。

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スッキリ感、なし。
自己満足度ゼロなのが、副作用。

たまには、お茶漬で。
 


悲しいのか、自慢したいのか、どっち?

2011-02-27 | 人々の風景

わたしは、相当、根性がヒネ曲がっている。
自覚、大いにあり。
自覚があるなら直せばいいものを、開き直っているところが、ますますよくない。

と、前置きをして、自己弁護、自己防衛を。(に、なってない?!)


知り合いの、とある人の配偶者のお父さん(=義父・別居)が亡くなった。
80歳を越える高齢のうえ、ガンを発症し、
余命半年と言われてから、ガンが転移し、あっという間に余命1週間に。
入院することなく、往診の先生に診てもらいながら、最後は自宅で息を引き取った。

高齢ということもあり、手術はせず、延命治療も断ったそうだ。
幸か不幸か、子供たちの父親への介護は、とても短い間で終わった。

最愛の家族に囲まれ、看取られ、惜しまれ、
最後まで痛みを我慢した、忍耐力のある、天寿を全うした、お義父さん。
ご冥福をお祈りします。(まったく、お会いしたことはありませんが)


人の生死という、厳粛で神聖なテーマ、話だというのに、
ここで、わたしの、根性の悪さがひゅるひゅるとアタマをもたげ、展開される。
まったく知らないひと、ということもあって、だが・・・


いかに、そのお義父さんは、素晴らしかったか、延々とわたしは聞かされた。

延命治療を自ら断る人など、いないのに、勇気ある決断だ。
人に慕われて、たくさんの弔問客が次々に葬儀に訪れ、お葬式が時間内に終われなかった。
お義父さんは、アタマのいい人で、どの人もそのアタマの良さを誉め称えた。
各人、お義父さんの額に手を当て、知力を自分たちにインストールしたとか。
孫たちも泣いて泣いて、どうしようもないほど、お義父さんは慕われていた。

どれも、すばらしい話だ。
立派に人生を全うされて、実り多い時間を過ごされた(と想像する)。

そういう、良い話なのに、なぜか、聞けば聞くほど、カチンカチンと引っかかる。

あまり知らない人に、身内の自慢をするのは、
聞く人にとっては、わたしのように性根の曲がったものもいるので、要注意・・・・


それだけ声を大にして自慢できる、素晴らしい、知力のある立派な方であっても、
客観的に社会的に見て、その知力は、ご身内にしかわからない性質のもののようだし、
その賢いインテリ遺伝子は、
誰もが認めるはっきりしたカタチで、ご子孫にはあまり伝承されてないように思える。

葬儀が終われないほどの弔問客って、葬儀屋さんが時間配分をミスしているのか、
余裕を見た焼香台の数を用意していなかったのでは。
ある、大きなグループのお偉いさんの葬儀に参列した時、会場に入れないほどの人だったが、葬儀時間内にちゃんと、終わった。

どこかの宗教団体のご教祖様か、大企業の会長、社長様か、
政治団体の権力者か(これは、いまは、微妙ですが)
エルビス・プレスリーか、マリリン・モンローか、はたまた、石原裕次郎か、尾崎豊か、
X-JAPANのhideさんか。

その割には、お義父上は、生前、町内会活動以外に、なにをされておられた方なのか、
具体的な偉業や、経歴など、さっぱり伝わってこない。
ひょっとして、伊達直人ばりに、隠された功績があって、
無名の人々から、ものすごく信頼を集めておられた方なのかも知れないが。


延命治療や、手術をしないのは、高齢になると、よく、そういうことを医師に勧められることがある。
私のごく身近な親戚も、数名がそうしていた。
世の中に、そんな勇気のある人は、いない、って・・・そんなことは、ないはず。

亡くなったひとをとやかく言うつもりなど、さらさらなく、ご冥福をお祈りするばかりだ。
だが、日頃は疎遠で、配偶者の兄弟にまかせっきり、
病気になってからも、ほとんど介護や医療費負担に関わってもいないのに、
口いっぱい、目いっぱい、自慢するだけ自慢するのは、
お義父さんを誇りに思われているのはよくわかり、結構なことだが、
当のご本人を知らないわたしとしては、複雑な心境になった。

なにも権威的な、大規模なお葬式や、送る会がいい、と、わたしは言ってない。
義理や権力で集う人ばかり、派手に人数を競うように、かき集めるより
本当に身内だけ、こころ通うひとだけが、ささやかに執り行う家族葬でも、いいと思う。

家族だけが、身内だけが、知る、故人の良さや偉さは、自分たちのこころに生き続ければ、それだけで十分。
あえて、他人にアピールする必要はない。

世間を気にすることなく、こじんまり、身内でまとまりたい、
その一方で、誰の目から見てもわかるように、故人の偉さや力を他人に強調したい、
両方を同時に、というのは、双方、逆ベクトルだと思うので、無理な力が加わる。

身内自慢は、ほどほどに。

 

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負けるもんか。

2011-02-26 | 趣味

暖かくなってきた。
ひと足お先に、春気分・・・といきたいところだが・・・。


昨日は、別の先生の社交ダンス・レッスンを2コマ受けた。
生徒さんには、見覚えのある人が何人もおられ、
火曜日に別の先生のレッスンでお見かけした方々だ。

昨日は、はじめての先生で、はじめてのレッスンだったので、
いきなり途中から参加すると、なにがなんだかわからなかった。

わたし、けっこう、いい度胸しているなあ・・・と、冷や汗を通り越して、自分に拍手。
だって、あんなにわけわからなくて、皆さんのなかに、ぼーーんと、入って、
右も左もわからない、踊れない状態で、よく恥ずかしくないものだ・・・と自分で感心。

ささっと、ごくごくシンプルに、踊り方や注意点を教わったあと、
ひとりずつパートナーを替えて踊って行くのだが、先生と踊る順番が来ると
さすがのわたしも、どきどき。
こんなヘンなヤツが紛れ込んできているよ、まいったなぁ・・・と先生は思うだろう・・・
だから、先に「わたし、今日が、はじめてです」と、言っておいた。

へろへろになりながら、顔は、にやにや、(いつもわたしは、究極の困り顔は、にやけ顔)、
どうにか踊ったが、先生に
「踊れていますね。あとは、自分でカウントをしっかり取って踊ってください」
と、なぐさめられた。
最初からあまりキツイことを言うと、生徒に逃げられても敵わない、
という算段が先生のアタマをよぎったのかも知れない。

先生が他の生徒さんと踊っておられるのを見ると、踊った後に、親指を上に立てるだけ、
という人がいたり、ちゃんと踊れている人には、コメントはないようだ。


それにしても、先生、お上手・・・
いろんなタイプのダンサーがいるようだ。
プロでも、いろいろ。

昨日の先生は、スケジュール表にのっている名前を見ると、プロとは書いていなかったが、
彼は、学生の時から踊っていて、これから、あれこれプロの大会に出られるようなかんじ。
パートナー役の女性も、キレのいいダンス。とてもお若い、プロ直前の方。
若さあふれる有望株。
(レッスンは、「なんで、こんなカンタンなことが、出来ない?」と、ブチ切れ一歩手前だけれど)
素晴らしくて、うっとり、見とれていた。


生徒で、ひとり、めちゃめちゃ、ムカつく男性がいた。
汗をかきかき、年齢にもめげず、一生懸命なのは、よくわかる。
皆さんは、この先生に、もう何回も習っておられて、ステップは練習済みだが、
わたしは、昨日のクラス、レッスンは、はじめてなのだ。
しかも初心者に近い。
緊張も、します。足も、もつれます。

習ったステップを踊り終わるか終わらないぐらいの直後、その方は
(「そのオッサンは」と書きたい気持ちが、どうしてもおさまらない・・・)
わたしの手を、1秒も早く離したいかのごとく、振りほどくように、
水に濡れた手を、水しぶきを飛ばし散らすように、力をこめて手を振りきった。

「ちっ、んもぅっ~」
という、声にならない声のような思いとともに。

「なんで全然、僕のリードがわからんのや。こんなとこに、出てくんな、あほ!!」
という、こころの声がボデーランゲージとともに伝わってきたような気がした。

アンタのダンスがヘタだからって、初心者のわたしのせいに、する?
先生と踊ったら、なにも考えなくても、すいすい踊れたわい。
全然、踊れないってことは、アンタのリードがヘタすぎるからじゃろうが。

一生懸命はわかるけれど、まわりが見えなくなっている、ちっちゃい、おじ(ぃ)さん。
(身長も、わたしより4~7センチぐらい、ちっこい、ひと)

ほかにも、踊れなかった男性がいたけれど、
あの、ちっちゃい、おじ(ぃ)さんほど、失礼な態度はとってなかった。

なにごとも、ちょっとした場面に、人柄が表れる。
あの、ちっちゃい、おじ(ぃ)さんが、もし奇跡的に上達したと仮定すると、
こんどは、出来ない人を思いっきりバカにするんだろうなあ・・・

ちっちゃい、おじ(ぃ)さんに、教えてほしいなどとは、まったく思っていないし、
お金を払って、先生に一から、基礎をちゃんと教わりにきているわけです、わたしは。

ちっちゃい、おじ(ぃ)さんは、世の中で、いままで、ああいう生き方をして来られたのだろう。
ある意味、気の毒でもあります。


しかし・・・冷静に考えて見ると・・・
わたし、これ、ソフトに逆ギレしてるのかも。
わたしこそ、イタイおば(ぁ)さんかも。

帰りに通る、賑やかな商店街は、それまでは若い人ばかりだと思っていたが、
けっこう、おじ(ぃ)さん、おば(ぁ)さんの姿が目に付いた。

わたしのこころが映る、心象風景???

やけに重いバックをずるずると引きずるように、商店街を後にした。

 

 

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トップ画像は、うちのご近所ロード。
春みたいな陽気に誘われて、サクラ?が咲きかけている?
まさか?
でも、こんな花、こんな時期に見たことがなかったので、ケータイで、ぱちり。


備えなくて憂いあり

2011-02-24 | 時事&世の中

NZの地震、怖いですね。
まるで、映画のよう。
高校時代はサッカー部のキャプテンだったという、将来有望な若い青年が
(命と引き換えに)足を失って救助されたというニュースを知って、
想像を絶する地震の怖さに触れたような気がした。
この不幸中の幸いをどうにか乗り越えて、頑張ってほしいと願うばかりだ。
ひとりでも多くの人々が救助されるよう祈るしかない。


大阪、和歌山周辺で30年以内に大地震が来る確率が14%に上がっているとか。
マグ二チュードは、今回のNZより大きく、大阪府南部・和歌山では、震度7が予想されるらしい。
備えあれば憂いなしとはいうものの、先日の震度1の揺れでも、心臓、ぱっくんぱっくん、
腰もふらつく、超・怖がりのわたし。

それだけ怖がりのくせに、なにも緊急準備もシュミレーションもしてない。
揺れが来たら?
外に出る?
机の下に隠れる?
なにを携帯して避難する?

では、シュミレーションを。
揺れが来た瞬間は、まずアタマが真っ白。
へなへなと座り込み、腰が立たないで、
冷静な判断どころか、うろ覚えの、ほんの短い、音でしか覚えてないお経を、
ワンフレーズだけ、繰り返し唱えることだろう。

でもまあ、お経なんてものは、音楽みたいなもので、
末端の信者にとっては、意味など、さほど関心はなく、唱えるという行為そのものが、自らを救う。

わたしのような、緊急非常事態のみの、困ったときだけの、神様仏様では、ご利益はないに違いない。
不幸や災難は、自分だけには避けて通るなんてことを、
なんの根拠もなく楽観的に考えてないで、もっと、真剣に取り組まないと・・・・・
と、いつも、事故や災害のニュースの時には思うのだが・・・


こういう話題には、あまりいい加減なことが言えないので、筆(キー入力、速度)が鈍り、
やがて、ぴたりと止まってしまった。

いろんなことを意識して、常識人の顔が出てくると、
わたしのブログは、まったく、わたしらしくなくなってくるようだ。

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トップ画像は、昨日、訪れた実家に飾ってあった、母がアレンジしていたお花のうちのひとつ。
あっちこっちに季節のお花が活けてあって、いろいろ撮ったものの、
あいかわらず、ケータイで、ピンぼけです。

 

 

 


結婚したい。

2011-02-23 | 人々の風景

ある、熟年婚活ブログ、続けて読んでいると、
この方、なんだか、かわいらしい正直な人のように思えてきた。
応援したくなってくるから不思議だ。

あけすけで、ズバズバ切る表現で、ちょっとひるんだけれど、それは、正直の現れ。
へんに、オブラートでくるんで、善人ぶるより、スカッとしていて、いいかも。

言いたいことも言えず、カゲで愚痴るより、はっきり言ったほうが、キモチいい。
敵も多いかも知れないけれど、仕事やモノゴトを進めてくうえでは、よけいな探り合いがないかも。
どちらかというと、日本人は、根回しだとか、派閥だとか、そういった、ひと手間、ふた手間かけ、
本音をズバリではなく、もってまわって、ぐるぐる、言葉が世界一周の旅に出かけるようなかんじ。

しかし、結婚や恋となると、また、違ってくる。
やっかいなジャンルだ。

職業、年収、背景(学歴、育ち)、容姿、性格・・・
総合ト―タル点数で、自分の点数と見比べながら判定する。

あるいは、平均点は悪いけれど、ひとつだけ秀でているものがある、とか。
でも、結婚に踏み切るのは、賭け。

イヤな面は、結婚後に出てくるかも知れないし、
ひっかかっていた点は、案外、すんなり行くかも知れないし。
結婚になにを求めているかだろうけれど、
熟年になってからの結婚は、若いころと違って、いろんな面で、難しいと思う。

手探りで、相手との生活相性度をチェック。
住まいに遊びに行ったり、そこで時を過ごしてみたり、sexもちょっと試運転。
買い物と似ている。

どうしようかなあ・・・と、考える時間が長い人と、短い人がいる。
自分は短期間でGoの結論を出しているのに、相手は、まだ、踏み切れない。
いらいら。
目的が結婚じゃないのなら、いらいらする必要もないし、
「じゃ、次!」、と首替えのコマを進める必要もない。

いっしょに生活していけば、山あり谷あり。
そうやってお互い努力して、困難を越えて、愛情なり、愛着なり、情なりが育まれてくる。(と、わたしは思う)

まあ、最初の段階で、この人とは、困難に立ち向かいたくない、と判断してしまったら、それまでだけれど。

勢い、ノリも大事だし。
(これも買い物とよく似ている)

自分というものを客観的に見ることができない人は、結婚はやめたほうがいい。
何回も破綻すると、ややこしい。
それなら、お手軽な、単なるお付き合いでいいのでは。

熟年男性は、自分の理想を追求していくと、アジア系女性になるのかも。
この方程式は、非常に、不愉快だけれど。
日本人女性なら、たいして喜ばない額のお金でも、あちらでは、大違い。
小難しいことも言わないし、女性は、自国にいる家族を養うために、若さと引き換えに、お金のある男性と結婚する。

まして、日本人女性は自分で稼げるぐらいの金額なら、ご主人サマサマなどと、たてまつってはくれない。
お金が稼げて、若くない、日本人女性は、同じような条件の日本人男性とは、なかなかマッチングしにくいのでは。
アジア系女性に払うお金もない、熟年男性では、結婚相手としてはお嫌でしょうし。

女性が、私が夫を食べさせてあげるわ、ぐらいの気持ちがないと結婚はムツカシイか。
でも、たいして、どうってことない好きでもない男性に、稼いできたお金をつぎ込むなどとは、考えられないし。

マッチング、お互いの理想と現実、空白地帯に望みを抱いても、
いずれにしても、ムツカシイ。


社交ダンスをされている女性方を見ていると、とても美しい方がおられる。
もともと美人なうえに、着飾って、きらきら。
年齢が高くても、ああいう華やいだ美しさがあれば、男性も、なびくんじゃないだろうか。
(あ、ちなみに、わたしは、着飾らないし、美しくない部類です)


男性が女性に望むものが、美と、家事能力で、女性が男性に望むものが、経済力だとすると、
マッチングしやすかったんだろうけれど、女性は自立して変わりましたから。
(実際に自立できていない女性は、実体が伴わないと、いくら声高に叫んでも、だめ)

自立しても、自立しなくても、結婚はムツカシイってことですか、ね。

 

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自分に自信を持つには、どうすればいい?

2011-02-22 | 人生
自分は、年をとったなあ・・・と、つくづく思った。

大阪市内の繁華街ど真ん中に、今日で2回目のダンス教室がある。

今日は、2レッスン、続けて受講した。
帰りは、延々、賑やかな商店街を通って、電車の駅に向かうのだけれど
買いたいものも、興味あるものも、ない。
財布のヒモがきついのではなく、自分の好みが、商店街に合っていない。
というか、商店街の対象年齢が、自分に合っていない。
どう年がいっても、10代~30歳ぐらいまでがメイン歩行人なんじゃないだろうか。
そうすると、あまりにも自分は世代的にズレすぎていて、落ち着かない。
違和感を感じるし、浮いているし、おもしろくもなんともない。

雑多な人で、ごった返す繁華街で、わくわくするお年頃なんていうのは、若いときだけ。
(ただし、外国は別)
ファッションや異性に、キョロキョロしたり、素敵な同世代の人の姿に、刺激を受けたり。
時には、ナンパなんてハプニングもあるだろう。
犯罪の温床や、世俗にまみれたものが、消毒されないまま、うようよ。

わたしの年で、都心部のそんな賑やかなところで、そんな楽しみ方をしている人はいるのだろうか?
おばちゃんは、おばちゃんで、群れになって、ホテルのランチ席を占領し、
おっちゃんは、おっちゃんで、赤提灯で、身を寄せ合って安酒を片手に愚痴る。
あえて、わたしは、おばちゃん、って言いたかった。
彼女たちは、「おばさま」と思っているかも知れないけれど、
わたしの目から見ると、おばちゃんだ。
一流ホテルで着飾って、お高いお食事を召し上がっても、やっぱり、おばちゃん。
おほほ、って、上品ぶって笑っても、おばちゃん。

お金をたくさん払える人が、おばさまで、あまり払えない人が、おばちゃん、ということはない。
お高くとまっていても、だめですよ。
カテゴリー分類、わたしの定義は、そんなのじゃない。

中には、とても下品なタイプの方々がおられるけれど、それは、おばちゃんではなく、おばはん。
男性の場合は、おっさん。


かつて、わたしは、デパートは好きだったが、いま、都心で楽しめるものは、もうデパートではない。
これは、年のせい?
見て歩くだけで目がこえる、楽しめる、ということだが、そういうことは、今はない。
ショーウインドウに映る自分の姿が、意外なほどに、おばさんなことに衝撃を受ける。


人は、年齢を重ねる。
若さを永遠に持続したいと願う、理にかなわない不可能なことを望むが故に、不幸を味わう。
年がいって、いいことなど、ひとつもない、と嘆くお年寄り。
そうなの?

楽しく年を重ねるということは、ありえないのだろうか。
若い=素晴らしい  年寄り=みじめ  ですか?
そんなことは、ないはず。

熟女の定義にしても、男性が作った言葉のようだ。熟男なんて言葉はないから。
先入観を取っ払って、一から自分の基準を構築したいけれど、
あの、おばさん、なんか、へん、って思われるに過ぎない、単にヘンな「お年寄り予備軍」になりかねない。
それは、自分が望むところのものではない。
かといって、若い時の自慢話ほど、みっともないものはない。
だからといって、毎日、健康維持のために、老いらくのスポーツクラブ通いが仕事、というほど、達観できていない。
要は、中年と老年のあいだの、中年寄りの、中途半端な年齢というわけだ。

自分の年齢が上がるにつれ、自分の年齢に自信と誇りを持てる、確固たるものが欲しい。
若さにしがみついているのではなく、かといって、老醜をさらけ出して、ヘーキ、というもの、理想から遠い。

自分の年齢が、次のステージに自分を押し上げていく。
でも、それに自分が対応できていない。
モタモタあがき、年を取る準備ができていない。
季節の移り変わりが来ているのに、季節に合った服がない。

困ったことだ。
けれど、すべての人間が通る道。
それなりに、みんな、自分と向かい、自分に、オトシマエをつけ納得しようと、毎日を暮らしている。


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ワケあり湯けむりツアー

2011-02-21 | 人々の風景

カニが、むこうからやってきてくれたら、楽なのだが、
こっちから片道4時間半以上かけて、産地まで足を伸ばした。

今回は、ちゃんとデジカメで撮影したのだが、哀しいかな、パソコン処理がうまくいかず、
とりあえずは、ケータイで撮ったものを間に合わせに、アップ。
いつもは、デジカメ・データも、目をつぶってでも、すいすい、なにも考えなくてもできるのに、
(また・・誇張・・・してます・・・)
ちょっと格闘したが、「何かが違う。これは、無理。
こうなってしまった(設定をいじった)犯人は、きっと誰か別にいる」、と、あっさり諦めた。

ちゃんと処理できた暁には、キレイな画像で再度アップする予定です。
(声を大にして言うほど、たいしたものでは、ありませんが・・・)
ただ、その頃には、一時間、一日と、時間が経てば経つほど、
気持ちと記憶の鮮度が下がっているかも知れないのが、気がかり。

ボケボケの、モノクロに近い写真では、ちょっとノリが悪い。
(読んでおられる方は、もっと、ノリが悪いと思うけれど・・・)


で、カニの話ではなく、
行きの電車で同じ車内にいたカップルが気になって、気になって・・・。
そのカップルは、幼い顔のフリフリ・ワンピの女性と、目じりが下がった白髪まじりの熟年おじさん。

母親や家族のこと、再婚や離婚のこと、借金のこと、女性が次々に話すストーリー。
波乱万丈ブログに登場しそうな、不倫カップルのような二人。

いつものわたしの悪い癖。
耳が大きく大きく、空にまで舞い上がって飛んで行けそうなぐらい、
ダンボのような大きな耳になった。
が、それは、はじめのうちだけ。

だんだん女性は、気が高ぶってきて、大声でヒステリックに、
「なぜ、離婚しないの?
借金のために、家族は苦しんでいるのに。
離婚しない状態(不倫中)ならダメでも、離婚すれば、子供にも堂々と会えるじゃないの!!」

男性は、延々と黄色い声で、怒られっぱなし。
まあ、気の毒に。
「そうやな、そうなや・・・」と、うなずくだけ。

あんだけ全車内の人に聞こえるぐらいの声で、叱られたら、男性もたまったもんじゃない。
いったい、どんな人だろう・・・と、何度も顔を見たが、
二人とも、人の視線など、まったく眼中にない。
女性は、まくしたて続け、男性は、静かに聞いているだけ。

一通り、ヒステリーが終わると、今度は、景色の説明をし始めた女性。
自分が小さいころ見た冬景色の思い出。
延々と。電車で続くよ、どこまでも。
よくまあ、にこにこ、おとなしく聞いているなあ、男性も。

よほど、その女性が、男性にとって、かわいいのか、怖いのか、
はたまた旅行先で、殺人計画でも企てているのか。

帰りの時間、温泉街で、そのカップルに出会った。
あれだけ、わめいていたから、顔はしっかり、わたしのアタマに叩きこまれていた。
女性は、幼い顔をした、中年だった。

男性をよく見ると、なんだ~・・・・・なっとく。
斜め横から見ると、ちょっとシブい、遊び好きの熟年に見えたが、どうも、そうでもなかった。
男性も、女性と似たような年齢。
実年齢より、幼く見える女性と、老けて見える男性。

あの二人は、カップルではないかも知れない。
カップルかも知れないけれど、男性は、女性の話している内容をほとんど理解していないようだ。
完全、一方通行。

なるほど、男性は、音楽のようにBGMとして流していただけなんだ。
そういう人たちがいるって、ことだ。
女性もかなり変わっているなあと思ったが、
変わり方は、微妙に違うが、似たもの同士の二人だった。

彼らは、我々と同じ、乗車人数の少ない指定席のグリーンだったので、
てっきり、わざわざ別料金を払っても、快適リラックス空間を求めるタイプの、
こだわる人々かと思っていたが、その先入観が間違っていたようだ。

奥さんとはやく別れろと、迫ってきている、おぼこい愛人女性と、
へたに、ややこしいことに手を出して、迫られる遊び人男性かと思いきや、
どうやら読み間違い。

相手が純朴でおとなしいことをいいことに、自分ペースで男性を連れ回す自己チュー女性と、
おにぎりをちらつかされ、とぼとぼついていく、山下清だったとは・・・。
事件もどきの展開が待っていなくて、よかったことは、よかったが。

それにしても、あの車両で、ナナメ後ろの席での、あの、きんきん声、あの内容・・・

そういうこともあり、行きは、けっこう、疲れたが、雪やらなんやら、ぼ~っと見ている間に、
JR特急北近畿、大阪駅から城崎温泉までの3時間が経った。

 

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自分の蒔いた種

2011-02-19 | 人々の風景

昨日、日頃、お仕事をいただいている会社の担当者O氏の接待があった。
O氏は、53歳、営業畑ひと筋。
以前にその会社が入っていたビルの地下1階の、とある、お馴染みのお店。

O氏、ここのところ、奥さんと、娘さんが、奥さんの実家に行ったまま、帰ってこないそうだ。
娘さんは、20歳代前半だが、こころの病気で、不安定。
家のお風呂をすごく嫌がるので、何度か改装したらしいが、まだ、病気は回復していないとか。
このO氏、仕事にかこつけて、飲んだり遊んだり、ご帰還が午前様は、日常のひとコマ。
なのに、家族が実家に帰ってからは、家にはO氏ひとりなのに、早く帰るようになったそうだ。

(O氏がおっしゃるには)、家族とは、とても良好な関係だそうだ。

「おとうさん、いま、お風呂入ってるところなの?」
「おとうさん、いま、なにしてる?」など、随時、メールが入ってくると、嬉しそうな顔のO氏。

O氏には、家族が帰ってこない理由は、まったくわからない、と首をかしげつつ、
なんの問題もない、仲良しのご関係に、満足しておられる。

わたしは、この方のお話を聞いて、とても不思議な感覚に襲われた。

というのは、O氏は、なんの問題もないと思っている家族関係、
じつは、問題が山のように積まれていて、そのことをO氏が全く気付いていないということに、
ものすごく驚きを感じる。

O氏の家の隣には、O氏のお母さんが住んでおられる。
奥さんは、結構、気を使われ、苦労されたのではないかと想像する。

O氏は、家族に相談しないで、高級車を買ったり、毎年、沖縄キャンプ旅行を敢行したり、
家族はそのことに何も異議を唱えず、家族は喜んでいると感じておられるようだが、
かなりの、ワンマンおやじだと、わたしは思う。

仕事と遊びの境界がないような生活を何十年も続けて
家族はそれを働くお父さんにはついて回るものと、
経済を担う大黒柱を応援というカタチで、半ば、あきらめつつ、容認してきたことだろう。

女性ともよく遊ぶO氏。お付き合いも、さかん。
聞けば聞くほど、
(べつに、根掘り葉掘り聞き出したわけではないけれど、O氏が勝手にぺらぺらしゃべる)、
その内容には、仕事とも密接にからんでいたりして、
目をそむけたくなる、男性の嫌な面を感じる。
憤りを通り越して、不快を通り越し、言いようのない真っ黒な感覚にとらわれる。

接待中も、ケータイにメールがじゃんじゃん入っていたようだが、
新地の、ごひいきママからの、「お店に来てちょーだい」と勧誘メール。

よくあんな風で、家庭、家族がもっているなあ・・・と前々から思っていたが、
奥さんには数年前から、夫婦関係(夜の部)を拒絶され、
(しかし奥さんは、にこにこ笑顔で、原因は加齢によるNOなので
夫婦に亀裂とかの問題はないと、あくまでプラス思考のO氏)
娘さんのこころの病気の発症、奥さんと娘さんたちの実家へ帰ったままリターンなし、
そういった出来事に、家族の病理や、思いが、行動や現象となって表れているのに、
それを、円満、束の間・別居と捉えている、O氏の感覚が、事態をますます深刻にしているように思う。

常連であるO氏を昔から知ってる、その店のママも、いっしょに話を聞いていたが、
ママとわたしは、女性側の目線が一致し、同じ意見。
でも、立場上、言いたい事が言えないことも、同じ。
なので、「仕事って、つらいですよね~」と、お互いの気持ちを察し合った。


定年後、女房が怖くて、まともに顔を見られない、というお父さん方は少なくないはず。
二人だけになると、なにを話していいか、わからない、と。
自分の悪事、どのあたりまで知って、どのあたりまで許してくれ、どのあたりまで、手遅れなのか、
その、抱えている爆弾が、どんな状態なのか、びくびく、ひやひや。
女房達は、経済のため、耐えがたきを耐え、しのびがたきをしのんできた。

自分の蒔いた種なのに、自分が種を蒔いたことさえ気づかない、
それが、種であることすら気付かない、その神経、発想は、いったい、どこからくるのだろう。


ある定年まじかな熟年男性(関西在住)が、言っていた。
三行半の死刑判決は、ある日、突然ではなく、
不満や言いたい事があれば、少しずつ、小出しにして、改善の余地、猶予を与えてほしい、と。
この方、定年後は、いずれ実家のある九州に帰るつもりだそうだ。
さて、奥さんは、付いてきてくれるかな?


「にこにこ笑顔」というのに惑わされてはいけない。
痛みを感じない病気があって、病気が進行していても自覚症状がないように、
表面上、荒波が立っていないと、事態が深刻になっていても、気がつかない。

ヒステリックに、叫んだり、わめいたり、お皿が飛んできたり、
そういう感情をむき出しにする修羅場のほうが、
静かな笑顔の末期症状に比べると、まだ、回復の見込みがある。

外から見ると見えることでも、当の本人には、まったくわからないものだ。
台風のまっただ中なのに、その真ん中は、静かで風ひとつ吹かないように。

 

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タイプ別、読み方、楽しみ方

2011-02-18 | 趣味

さて、新規投稿画面。
パソコン画面に向かって、今日のわたしは、なに思う?


半年前に訪れた、ベトナムの景勝地ハロン湾。
昨日、観光船が沈没して、日本人大学生が亡くなったようだ。
まだ20歳。

昨年のハロン湾が目に浮かぶ。
多数の観光船が、島々の間をゆったり行き来していた。
見渡す限り海ばかり、太平洋ひとりぼっち、というわけでもないし、
ひっくり返りそうな嵐の中でもないし、
沈んでも、船と船の距離も、陸地との距離も、そう離れていないから大丈夫と思ったが、
就寝中の夜明けごろ、突然に船底が割れて、ということなら、事態は深刻だろう。
まだお若いのに、こころが痛む。


話は、変わって・・・

ブログというものが、こんなに広く簡単に、読んだり発信したりできるとは想像していなかった。
出版物ではない、普通の一般人の書くものは、作家の作品や、雑誌の記事とは、また違う。

同人誌より、まだ素人枠の人々が、好きなように、書いている。
そこで、ひとさまのブログを読んで、思うこと。

何人ものブログを読んでいると、共通点がある。

年代。
性別。
属性、職業。
個性。(趣味、感性、文体、表現法)
内容。(なにを言いたいか、どう思っているのか)
ターゲット。目的。(だれに向けて言っているのか)
 例えば、内向きのもの→自分の考えをまとめるため。自分のつぶやき。
 外向きのもの→ひとに聞いてほしい、自慢したい、啓蒙・啓発、広めたい、PRしたい。

そのあたりで、いくつものブログが、分類される。

例えば、昨日、わたしが取り上げた、熟年・婚活あけすけ・ブログ
どこかで、こういうタイプのもの、読んだことがあるなあ・・・と思って記憶の糸を辿ると・・・
女性、ホワイトカラー専門職(あるいは、大企業・事務職)、
自立できる、自分で稼ぐ経済力があり、仕事が終わったあと、行動日記代わりに毎日、つぶやく。
外では本音(クビになるほどの)が吐けない、常識人なので、ブログでは、思いっきりリラックス。
本音がウケて、意外と訪問数が多いので、毎日、書くのが、おもしろくなってくる。
ストレス解消と、世間からの手ごたえ、反応が、同時に味わえ、一石二鳥。
特徴は、時間が、たっぷりあるわけではないことと、
合理性を追求し、長年、能率よく仕事をこなしてきた経験から、
だらだら、くどくどではなく、あっさり、まとまっている。

ある、ある、そういうブログ、前にどこかで読んだブログと、人物像が、とても似ている。


そのほかに・・・こういうの、あるある・・・と言えば・・・

年齢の高い男性。
文体が、性別・年齢による共通点、特徴がある。
これは、わたしにも言える。
おばさん独特の文体。年代、時代の背景も大きい。


文体って、好みのうえで、大事かも。
内容が一番、大事なのだけれど、これだけ、わんさかブログが氾濫していると、
クセのある、読みづらいものより、
ぱっぱと、楽しく、リズミカルに読めるもののほうが、いい。

ブロガ―さんたちは、アマチュアなので、報酬を得ているわけでもないし、
(アフィリエイトで広告収入を得ている人は別として)
訪問数や、ランキングなどで、自己満足や、モチベーションの指標、糧(かて)にしていると思う。

年齢による微妙な内容の違いもある。
自分と、5歳~10歳違うと、やはり、ちょっと違う。
お互い、その年齢になってみないとわからないことがあり、
年齢の違いから来る経験の違いで、違和感を感じることも結構ある。


わたしは、底流にある、原石みたいなもの、それが大まかに感じられると、
そういうブログは、お気に入りになる。
大まかというのは、多少、合わないところがあっても、
自分とこまごま全てが一致することなど、そんな人は、この世に(自分以外には)一人もいないので、
あくまでも、ざくっと。

自分が知らない世界、知らない国、地域を知る、知らない実情を知る、
大きなザックリした感覚で、
よけいなものがそぎ落とされるキッカケにもなるし、発想の転換にもなる。
自分を原点から見つめ直す、基本が載っている教科書みたいな役もしてくれる。

そういうブログに出会えると、とても嬉しい。

 

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「ねっちり」より、「あっさり」。

2011-02-17 | 人々の風景

とある熟年・婚活中の方のブログ。
本音ズバズバで、よく、ここまで書くなあ・・・と思いつつ、あきれつつ、感心しつつ、
結構、おもしろくて、あれから何度も訪れている。

さすがに、コメント数は、ゼロ。
不快な、くだらないコメントは、公開されていないのかも知れないが。

おカネと、SEXのことも、なんの臆面もなく、装飾・演出もなく(たぶん)、淡々と書かれている。
それだけに、事実がくっきり浮き上がるようで、ごちゃごちゃ書くより、ストレートに伝わってくる。

女性特有の、ああかしらん、こうかしらん、なんたら、かんたら、どーだ、こーだ、・・・
が、ないので、実に、あっさり。
食べ物でいえば、(食べ物で例を出す必要はないんだけれど)、ハッサク。
しゅわっと、すっぱい。

文系ではなく、理系タイプ、
アタマのいい人、脳ミソのキレる人、仕事のデキる人をイメージした。
(でも、品格は・・・???)

「これから、お互い、どんどん年を取っていくので、SEXは、まあ、イマイチでもいいか」、
なんてあたり、この年齢からの出会い、スタートの考えが、よくわかる。

結婚してもいいし、結婚しなくてもいいし。
どちらに転んでも、心身、経済ともに、やっていけるように、というスタンス、
冷静に現実を見据え、ねっちり感がなくて、好感が持てる。


自分ペースで、自分時間、自分空間を、自分感覚で楽しむ、
そんな、おひとりさま生活を満喫しているようでも、
熟年になると、ひとりでいるのが寂しくなるのかなぁ。

結婚しなくても、事実婚でもいいと思うけれど、結婚を目指されているご様子。
お相手の方も、そこそこ高収入のようなので、二人合わせると、ダブルインカムで、結構な額になる。

心身ともに若い頃ならいざ知らず、
熟年になっている今に初めて知りあって、事実婚というのは、なにかしら障害があるのか。
そのあたりが、よくわからないのだけれど、
ご本人に経済力があるだけに、へんなヒモみたいな人との事実婚は、イヤなのかも。

付き合っている人と、いっしょに、生活しなくてもいいと思うのだけど、
ずっとひとりでいたら、一度ぐらい、誰かと暮らしてみたい、と思うのかも。
それに、相手が、自分ひとりとだけ付き合っているのかどうか、信じられるかどうか。

結婚仲介所に登録するのが、目的がわかりやすく、単刀直入に婚活しやすい。
結婚ではなく、お付き合いするだけなら、
趣味の場など、熟年男女が佃煮のように、ごっちゃり、わんさかいる場所に足繁く通うと、
同性も異性も、友達の一人や二人はできるはず。

わたしなら、そうする。
もう、結婚は、結構。(ただし、破たんした場合)
かろうじて、首の皮一枚でつながっているのが現状だが、
どちらかが死ぬまで、そのままの薄皮で、どうにか持つかも知れない。
(明日のことは、わからない)


結婚は、
賭けだったり、思い切りだったり、偏った情熱や、読み間違い、思い込みだったり、
方程式や計算通りに行かないことが、多い。
ハプニングの結晶。
冷静な二人が、冷静に結婚する場合も、なかにはあるかも知れないが、
結婚後は、冷静を維持しているケースは、なかなか少ないのでは。

真剣に結婚を考えておられる方も多いだろうから、
よく知りもしないで、あまり軽はずみなことを言っては 失礼になりそうだ。

ただ、結婚になにを求めているか、というのが、あまりにも違っていたら、悲劇。
結婚してから、少しずつ歩み寄って、前向きに協力し合って築いていこう、という
柔軟な姿勢がないと、後で理想とのギャップに耐えられないかも知れない。


わたしは、その方の、コメントゼロのブログに、コメントする勇気などないので、
他の皆さま方と同様に、読み逃げさせていただいている。

いずれにしても、これからの展開レポートを楽しみにしている。

 

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