蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

お金

2021-09-28 | 思い出
秋。
良い季節だ。
と、なんのヒネリもなく書き始める。

夫の実家リフォームもひと段落したものの、まだ修繕部門が残っている。
が、第二弾、支払いも完了し、一区切りした後は、いたって財布のヒモが硬くなった。
全然緩まない。
しばらくはこのままで行く。
預金、大幅目減り金欠病との闘い。
畳みかけるように次の修繕ステップを促すリフォーム会社の担当者が、恨めしくさえ思えてくる。
あんなに楽しみをいっぱい詰め込んで運んでくれる人だったのに、まるで借金取りみたいな重さを感じる。
次の修繕段階の見積もりはもらったが、契約はまだしていないから、ね。
あまり詰め寄って来ないで欲しい。
好きなものも嫌いになってしまう。
何ごともタイミングは難しい。
お客さんの背中を押すのも、押しすぎると負担を感じる。
ほんと、これは何ごとにも言えるセオリーだ。

と、一方で、わたしの実家が動き出した。
来月初旬に引っ越し。
あっちもこっちも忙しい。
さらに、次女もやっとこさお引っ越し。
彼女は実家(わたしの自宅)を出る。
秋は引っ越しのシーズンなのか。
入れ替え取っ替え引っ替え、世代替わりが行われる。
わたしも歳を取るのは当たり前だ。
孫もあれよあれよと5人。
まだまだ毎日、孫たちには振り回されている。
静かな日常を迎えられるのは、きっと、わたしが老ぼれて使い物にならなくなった時だろう。


ちなみに、わたしがいつも利用する、遠方の電車の駅で高校生?の集団が乗り降りする。
男子高校生(または中学生)たちがワイワイしゃべっている。

A君「明日、○○(友達)は△△へ。□□は、××へ。明後日は、△△は、××に行くらしい。
おまえは?」
B君「ばあちゃんちに行く」
A君「明後日は?」
B君「ばあちゃんち」
A君「おまえ、ばあちゃんに金もらいに行ってるんか」
B君「うーん、、、違うけど、、、」
A君「金やろ、金しかない」
B君「・・・・・(肯定はしてないけど、強く否定もしてない??)」

この会話を聞いて、なんだか嫌になった。
今は幼い孫たちも、やがてこんな風になるのかなあと。

かつて蝶ブログにも書いた記憶があるが、30年ぐらい前、子供たちが小学校低学年だった頃、舅、姑と、我々一家で恒例のお食事会(外食)をした。
ある日、皆んなでディナーを共にしたレストランで、姑が何かの記念日に孫にと、お祝いを手渡してくれた。
(もちろん、剥き出しのお金などではなく、金封)
それを見た、隣の席の老夫婦の奥さんが、露骨に嫌な顔をした。
しかも、「ああ嫌だわ。お金を渡すなんて、、、」みたいなことを口に出した。
わたしは、結構驚いた。
その老婦人のリアクションに。
そして、なんて、気の毒な人なんだろう、と。
この人にはそういう発想しか出来ないのだなあと。

と同時に、感想は自由だが、マイナスの感情を我々を目の前にして何も口に出さなくてもいいとも思った。
ちゃんとしたフレンチレストランだったのに。
初老の婦人も我々の行動が嫌だったのかも知れないが、わたしはもっと嫌だった。
というか、嫌というよりも、そういう感想を抱く人が、レストランに夫婦で来ていることに驚いた。
今、レストランにご夫婦で来るということは、生活を楽しんでおられると想像するが、よほど嫌な思い出でもあるのだろうか。
ずいぶん、ひね曲がったものだ。
あの婦人に不快感を与えるような迷惑な行動を取ったかというと、思い当たる節はなく、インネンをつけられているかんじであり、そうせざるを得ないあの人の状況や深層心理はおそらく不幸なものなのだろう。

と、まあそれはそれとして。
30年経ってもわたしの記憶にしっかりと残るご婦人であった。
こんなことで、残像として他人の脳裏に残るなんて、、、。
秋の日に、この嫌な思い出が、またまたぶりかえしてしまった。


気の毒なひと

2021-09-26 | 人々の風景
マスクって不思議だ。
怒号に近い、怒鳴り声に近い、感情的な声が電車内、向かいの長椅子から聞こえる。
相槌的な会話をする、同じくマスクの女性は声の主はわかるのだが、怒鳴り声の男性が誰だかわからない。
じろじろ見ては失礼だが、じろじろ見てしまう。
白い大きなマスクでスマホ操作している男性こそが、声が聞こえてくるピンポイントの場所から推定すると、そのキレかけ男性だと思われるのだが、いたって静かな佇まい。
マスクの口元も他の箇所も動かない。
なんか変だなー。

と、どうでもいい、しかし、目の前で繰り広げられる気になる現象、光景を書いてみた。

で、さて、と。
NHK「関西熱視線」を見た、、、と書き出したところで、なんだか眠くなってきた。
ほんの短時間、目をつぶっていた。
ちょっとだけ眠ったかも知れない。
そこで、目を開けて斜め前の怒り声の男性をふと見てみると、、、
ごく最近、ある喫茶店で見た光景と重なった。
わたしが座っていた席の、二つ隣の客席にキレる男性がいて、ちょっとしたことで同伴の女性に大声で怒鳴りまくり、わたしは気分が悪くなって、そそくさとその店を出た。
あの男女と同一人物である可能性もある。
その店がある地と、男女が降りる駅は、一駅違い。
わたしとは同じ沿線電車、利用客同士というわけか。
嫌だなあ。

女性はあくまでも、おとなしく穏やかなので、男性はどんどんエスカレートする。
激昂に近くなる。
よくあんな男性と付き合っているなあと思うが、もし夫婦なら気の毒になる。
家庭内ハラスメントである。モラハラか。
女性は慣れっこになっているのか、怖くて抵抗できないのか、恐怖支配のマインドコントロールされているのか。
家庭内のことは、埋もれてしまうと社会から見えないだけに、深刻である。
セフティネットから、すり抜け、ずり落ちそうな危険性もはらんでいる。
優しすぎる、おとなしすぎる女性は、モラルハラスメントの被害者になりかねない。

わたしも若干その傾向があり、趣味の場では辛い目や苦しい立場に追いやられることもある。
自分に原因がある、自分が悪いと思い込むのは、よくないそうだ。
わたしは内省する心が強い時があり、特定のタイプの人との組み合わせによっては深く傷つく。
であるが、たまたま傷つけられるような相手とはうまく離れられてラッキーだった。
わたしは、同時に、楽天家で無神経で鈍く自己チューなところがあるせいで、とことん傷つかないのかも知れないが。
でも、あの電車&喫茶店の男性みたいな人となら、絶対に傷つく。
というか、あんな人なら最初に人物評価を下した時点でシャットアウトしていると推測する。
結構、無意識ながらも自己自衛本能は備わっているようなので。

とは言え、あのようなおとなしい女性が日常的に被害に遭っているのを目の当たりにして、こころが痛む。
別れることが出来ることを祈る。
でも他人にはわからない、二人だけの何か絆みたいなものもあるのかも知れない。
だが、わたしなら嫌だ。

初秋の一日

2021-09-24 | 日々のこと
お彼岸。
疲れた。
早朝から一日中、夫の実家。
朝一にお坊さんがやって来た。
予想より30分は早い訪れに、まだお供えやお布施を金封に入れてなかったので焦る。
お経をあげてもらっている間に、お茶とオシボリと同時に、お布施&お供えの用意をパパパバババとハイスピードでする。
早くしないと、お経が終わってしまう。
宗教タイムはいつもバタバタ。

早々とお坊さんが来たおかげで、朝一に自分の用事は終わってしまった。
本来なら、祝休日は趣味の会にそそくさと出かけている。
行こうと思えば行けたが、前日に、今日の行動、どうしようか散々迷ったものの、行かないことにした。
しかし、こんなに早く用事が済んでしまったのでは、余裕で行けたではないか。
だが、はやる気持ち、がっかり、残念な気持ちは、かつてほどない。
今は、多少、落ち着いてきたように思う。

自分には、ゆっくり流れる自分時間を楽しむ余裕が出てきた。
仏事に追われて、ただただ義務をこなすだけだったが、やっと終わって一息ついている。
次の法事は来年の9月。
ちょっと一休み。
その間、春の彼岸、お盆も、お坊さんが来るが、大きな行事はとりあえず来年までお休み。
やれやれだ。

仏間と壁一枚で隣接した、ピッカピカのリフォームしたての空間に身を置く。
時間が経つにつれ、日射角度は推移し、お日様の当たり具合を眺め、部屋に差し込む陽光を愉しむ。
あっちに座ったり、こっちに座ったり。
あちこち座ってみる。

玄関以外に、絵画はあれから3枚加えた。
1番大きな絵を掛けるために、天井補強のための追加工事を必要としたが、ノリと勢いで追加した。
その大きな絵は、父が好きでわたしの実家の玄関に掛けてあったもの。
実家の玄関には3枚掛けてあった。
その中の1枚。
それをしみじみ見ると、父がオーバーラップする。
これという父の姿、容貌、行動が瞼に浮かび上がるわけではないが、抽象的に父の存在が私を包む。
草原を力強く疾走する馬の絵であるが、いかにも父が精一杯、駆け抜けているような息遣いを感じる。
わたしは、父から無形の何かしら得たものがある。
有形である絵画を通して、父が生きてきた軌跡を無意識に自分の中にかたちを変えて取り入れられているように思う。

父は、こんなかたちで自分が買い求め飾っていた絵を、半世紀近くも経ち、娘のわたしに眺められようとは思いもしなかっただろう。
絵は不思議なものである。

初秋の一日をゆっくり父と語ったような気がした。





お世話するから飼いたい!

2021-09-22 | 思い出
我が家の庭に咲く曼珠沙華2輪。
これはウチで生きていた小さな魂が花に姿を変えて、現れたと、わたしは思っている。
埋めた木の下に咲く2輪。

1輪は、長女が小学生の頃、仲良しだった同級生の〇〇ちゃんが引っ越し、転校する頃。
転校するまでに、〇〇ちゃんにぜひ、見てもらいたい、見せたいから、と、長女にセキセイインコを買ってくれとせがまれた。
生き物の世話は大変だからと、わたしは躊躇していたが、世話はちゃんとするから、どうしても、と言う。
根負けしてセキセイインコを買い、どうにか〇〇ちゃんが引っ越すまでに彼女に見せることは出来た。
水と餌を毎日やるのだが、餌をチェックするとまだ餌入れには入っていたため、補充されていて大丈夫かな、と、そのままにしていると、ある日、セキセイインコは動かない姿になった。
餌は、餌がまだあるように見えていたが殻だけが残り、実際には中身は食べてしまっていたことに気がつかなかった。
長女は多少はしょんぼりしたように思うが、〇〇ちゃんに見せてからは、興味は明らかにダウンしていたことは確かだ。
仕方なくわたしがセキセイインコを紅葉の木の下に埋めた。
ある日、同じ場所に白い百合が咲いたこともある。

また別の年には、金魚とかも埋めたような、、、。
うちには生き物は飼う資格がない。
ほとんど飼ったことはないが、ごく稀に飼うとすると、あまり情熱もなく勢いと流れで飼っているように思う。
白百合や曼珠沙華になって、小さい生き物ながら、訴えているのかなあ、、、と。
たとえ小さくても少しでもご縁のあった生き物、生きている間にもっと手をかけ大切に育てるべきだったのか。
安らかに眠ってね。

しかし、これ、人間にも大いに言える。
何げなく暮らしているが、愛情を込めて丁寧に一日一日を過ごすことが、幸せなんだよ、と、静かにひっそり咲く曼珠沙華が語っているように思う。

笑っても泣いても時は過ぎる

2021-09-20 | 日々のこと
ギャン泣きベビー、母親の日頃の恨みを晴らすかのごとく(嘘)、激しい(嘘)背筋トレーニングをさせられていた。
腹這いになって、頭を持ち上げる。
うんしょ、うんしょ。
あと、ちょっと。ガンバレ!

日頃の恨み(嘘)が消えるかのごとく、こころから応援した。
しかし、わたし、、、。
鏡を見ると、やや頬が痩け落ちている。
体重は1キロ、マイナス。
誤差範囲内ではあるが、ギャン泣きの影響か?
やはり孫も5番目ともなると、ばあちゃんも疲れてくる。
わたしの初孫は、娘(長女)婿のご両親にとっては4番目で、末孫。
(長女の夫は3番目の末っ子)
わたしの末孫は、娘(次女)婿のご両親にとっては、初孫。
(次女の夫は、一人っ子)
このあたりで、微妙に力の入れ具合やボルテージが変わってくる。
あとは、両親の住所が遠隔地だと、いくら初孫であっても、そう行き来できない。
そして、両親との関わり方で、孫との接し方も違ってくる。
住まいが近かったり、生まれる前から密に関わっていると、孫との距離も近い。
ご近所には、娘さん一家が親と同居しているお宅もある。
息子さん一家と二世帯住居で暮らしているお宅もある。
わたしのような、あかんたれには、同居は絶対無理。
一人目の孫が生後5ヶ月の時、娘婿が勤務先異動の関係で、娘一家と1ヶ月限定で我が家で同居した。
人柄が最高に素晴らしい娘婿であるが、毎週、週明けには歯茎を腫らしていた。
そしてわたしも、月曜日には歯茎を腫らしていた。
諍いもトラブルも全くない我々だったが。
目に見えない気を使うのだろう。
誰一人として悪人はおらず、全員、善人だった、、、。

と、遠い目。
あれから月日は経ち、その孫は小学3年生になり、いつも「ばあちゃん!」と何かしら要求を突きつけてくる。
笑えるものや楽しい報告もある。
先日は、怒り気味のトーンで、「ばあちゃん!」と玄関から声がした。
小3孫に、友達と遊ぶ約束をして集まるから、お菓子を持って行くんで、入れる袋を頂戴!と言われた。
で、渡したら、夕方、小3孫、「ばあちゃん!袋、破れてたよ!」
お菓子がバラバラまとまらず大変だった様子。
やあやあ、悪い悪い。
やっぱり、あの声はクレームだった。

と、話は脱線。
どんな風に暮らしても時は過ぎる。
どれもこれも、全てが笑い話。
面白おかしい愉快な失敗の日々である。

泣きたいのは、こっち

2021-09-19 | 子育て
昨日のブログに書いた、ギャン泣きベビーと少し遊んで、家をあとにした。
ギャン泣きちゃんは、今日はちょっとはマシ。
泣かない時は、いっときも止まることなく、手足をばたつかせていた。
のほほんとする瞬間がない。
たった生後2ヶ月でも個性があるようだ。
夜は寝ると全く起きない。
なんとオン、オフ、わかりやすいメリハリ。

それにしても、子育ては大変だ。
自分ながらよく3人も育てたものだ。
若いから出来たのだろう。
今なら、ギブアップ、中途リタイア。
子供を育てるより、自分を育ててやらないと、へなへなになっている。

赤ちゃんから子供に、子供から大人になる時期は、成長期。(思春期、含む)
大人から老いるまでは充実期。(子育て期、含む)
老いてからは、自分を終わらせる終末期。

子供を育てた後も、自分もまだ成長し、さらに充実しながらも、先は終末を視野に入れる。
視野には入れるものの、わたしは今は終末期ではないようだ。
ではあるが、子供を育てるエネルギーよりも、自分を持ち越す、維持するエネルギーのほうが大きくなってきそうだ。

自分が成長する時期は完全に終わったと感じる。
これ以上、伸びないので、負荷もかけられない。
負荷を乗り越えるどころか、負担となる。
なので、ギャン泣きベビーは、必ずしも世話しなくてもよい、というわたしの勝手な論理。
役に立たなくて悪いなあという、後ろめたい気持ちになる必要はない。
頑張れる人、頑張るのが好きな人、頑張るのが生き甲斐の人は頑張ればよい。
わたしのように、頑張るのが苦手な人は、自分を押し殺し、ねじ伏せてまで、頑張らなくてもよい。

次女が育児ノイローゼにでもなったなら、あるいは、なりそうなら、頑張って世話する。
が、今のところ、大丈夫そうなので、見守るだけにさせてほしい、、、。
頑張れないばあちゃんからの、お願いです。


ギャン泣き孫の子守、無理

2021-09-18 | 子育て
次女。一日中、子守。
よく鬱病にならないなあと思うぐらい、根を詰めている。
ずっとずっと世話をしている。
赤ん坊が眠る時も身体の上に載せていたり、抱っこしたままだったり。
(夜はしっかり朝まで寝るようだが)
この赤ん坊、悪魔の落とし子で、ギャン泣き、ギャンギャンギャン。
シグナル発信として普通に泣けば周りはわかるのに、すごい声で泣く。
一体、何事が起きたのだろう?大事件?大事故?大惨事?断末魔の叫び?というような声。
ギャアーーッ!

しかし、こんな迫力ある声を出せるのも能力の一つだろう。
充分、武器になる。
人を意のままに動かせるマインドコントロールだって出来る。
強力なツール。
ちょっと知らん顔、スルーするだけでギャンギャンギャンと力の限り泣かれるため、ご近所から虐待を疑われる可能性もある。

このギャンギャンギャンは、抱っこするとおさまる。
おさまらない時は、眠い時。こればかりはどうしようもない。
打つ手なし。
ひたすら泣き続ける。

眠い時と空腹時以外は、一応、抱っこさえすれば泣き止むという、非常にわかりやすい欲求をギャン泣きで表現する。
わかりやすいのではあるが、四六時中、抱っこしろ!という要望は無謀である。
ちなみに、わたしの子供たちは、大変大人しく、2歳になるまでは何の問題もなかったので、まだ首も座らない赤ん坊に手がかかる状態が想像できない。
次女が大変な目に遭っているのに気持ちをシェアできない、感情移入できないのは次女がかわいそうなので、理解しようと頑張ってみるのだが、、、。
赤ん坊は十人十色で、自分の子供がやたら大人しかったからといって、他の赤ん坊も大人しいものであると決めつけるのは良くない。
なので、孫はわたしの子供たちとはまた別のようで、何しろ手がかかる。
一日中、抱っこしている次女がかわいそうになる。
替われるものなら替わってあげたいのだが、あのギャーギャーギャン泣きは、わたしの脳波をMAX乱す。
た、す、け、てーーー!
こっちが、ギャーー!!となる。

なので、わたしの精神的被害が大きすぎて、替わってあげられない。
役に立たない、頼りにならない、ばあちゃんである。

もし、何か特別な事態にでもなればお手伝いや協力は惜しまないが、平時では避けた気持ちだ。

ということで、子守サポートはちゃんと出来ていない。
わたしはあまり無理をしない主義なので、出来ることしかしない。
自分が鬱病になってまで、人助けをしない。
期待されてないと思うが、落胆しないでね。
自分が潰れたら元も子もない。

眠いので、もう寝ます。


あなたのブログ、どれ?

2021-09-15 | ブログ
昨日、リアル人に面と向かってブログやサイト日記の話をした。
ブログは14年にも及ぶと話したら、きょとんとしていた。
早速、どのブログ?と探そうとしたが、無理ですよ、と言っておいた。

わたしのブログは、肉親をはじめ、リアルな近く親しい人の数人は見ることが出来るが、彼らは見れても見ない。
ごくたまに近況報告チェックのつもりで読む人もいるが、ほとんどの人は読まない。
なぜなら、、、これはわたしの想像だが、地雷が埋まっていて知らずに踏んだら大変だからだろうと。
それよりも、人のブログをチェックするほどの時間がない。

見ず知らずの人や、一生に数回会うか会わないかの人なら、リアルな距離感から考えると、対岸から面白おかしく読める。
が、同じ側に居るとそんなわけにはいかない。
亡くなってしまった近い親しい人の、亡くなる直前まで書いていた未完のブログでさえ、ブログを読むのは憚られる。
知らないほうがよかったこともあるからだ。

日記というものは、文豪や重要な時局を迎える時の総理大臣級の人なら、歴史を紐解いたり検証、考証したりする重要な文献として参考になるが、、、
そこらへんの無名の暇つぶし女子(わたし)の戯言には、人畜無害ではあるものの、つまらないものである。
無害ならまだ善しとしよう。
無意識地雷は書き手にも読み手にも被害がある。
だが、ごく稀に良いことも言っているかも知れない。
ただし、ごく稀に。
膨大な時間を割いてお読みいただくのは、こころが痛いのではあるが、身内以外の方に関しては無罪放免としていただきたい。
身内の方は、自己責任で読むべし。
ただし、幸か不幸か、身内には暇人がいないようだ。

で、話を戻す。
身内ではないリアル人は、たいがい、こうおっしゃる。
「わたし(僕)のことは、書かないでね」
はい、書きません。
が、人物を特定しないかたちで登場する可能性はある。
出演料なし、参考料なし、アドバイス料なし、、、
すみません、ごめんなさい、の気持であるが、わたしの人生にそっと彩りを添えてください。

で、、、
面と向かって話すのは苦手だということ、しかも相手が受け身タイプだと話題に困ること、、、
今更ながらしみじみ、そう感じた。

蛇足。
写真は双子の葡萄。
ハートのかたちにも見える。
パチリ。
幸運のシンボル葡萄ならいいなあ、、、と。

菩薩か鬼か

2021-09-14 | 老い
いきなりですが、、、
「美女と野獣」の実写版は直近の映画と、もう一つ前の映画は映画館で観た。
「美女と野獣」原作アニメ→実写版映画。
今回、お気に入りの映画「竜とそばかすの姫」も、その「美女と野獣」のモチーフは使われていた。
内容的には、ちょっとリンクする。
「美女と野獣」原作アニメ→アニメ映画。
「美女と野獣」は、映画だけでなく
いろんな舞台やミュージカルにも登場する。

と、まずは関係ないことから。
記事備考として追加したいなあと、気になっていたので。
だからなんやねん!の話でスミマセン。

さて。
先々月、産まれた末孫。
彼女が成人するまで、わたしは生きていられるかしら??
と、ふと思った。
病気や事故、災害に見舞われなければ、まだピンピンしていそうだ。
アタマの中は早々にお花畑かも知れないが。

想像してみた。
その日の自分を。
我が家からも、長女の家からも徒歩2〜3分の老人施設に早々と申し込んでおこうか。
ちなみに、姑が入所できるところを探したとき、ここ、ウチから近くていいなあ!と思ったが、施設側の条件に合わず振り落とされた。
長年ご近所住民のわたしなら、いけるか?

しかし、自宅に戻りたいと言うんだろうなあ。
20年先はまだ母も姑もしっかりしていた頃だから、わたしも自分で好きにしたいことだろう。
だが、自宅に勝手に戻って転倒したり、迷子になって徘徊したり、周りに迷惑をかける可能性もある。
ほんの2〜3分の自宅にも行き来できないかも知れない。
週末には長女一家が顔を見せてくれるかも。
その頃には孫たちは、忙しくて来てくれないだろう。
30年後なら、ひょっとして孫たちが曾孫の顔をチラっと見せてくれるかも。
そんな日のわたしのアタマは大丈夫かなあ?
自信はない。
「あなた、誰?」
になっていると想像するが、せめて、わたしはにこやかな笑顔であってほしい。
わけがわからないなりに、ニコニコしている蝶おばあさんになりたい。

しかし、勝手に自宅に帰ろうとして、鍵をかけられて、鬼のような顔になっていると想像できなくもない。
蝶鬼ばあさん。

まあなんでもいい。
30年後まで、あの老人施設が経営破綻していないことを祈る。


大好き!!が詰まっていた

2021-09-12 | 映画
まずは私信です。

お家、決まってよかったです。
初めて裕さんがフランスのご自宅から皆さんに話しかける動画をインターネットサイトのブログ村 エッセイで見たのは、いつの日だったでしょう。
サロンには白いカーテンが穏やかにそよいでいたのが印象に残ります。
あのお宅も次のファミリーに受け継がれるのですね。
感無量です。

・・・
よかった、よかった、、、
さて、と。
平常モードに戻る。

昨日、自宅への帰り道、ご近所にお住まいの、元、趣味レッスン同級生に遭遇した。
道端で、道端会議。
奥さんが亡くなって4ヶ月半になるとおっしゃる。
わたしは奥さんもよく知っているので、驚いた。
うちも、姑を亡くしたが、想いは全く違うことだろう。

人から聞いた話だが、別の知人は癌が見つかったそうで、2度目の手術が終了したばかり。
いたって、本人は明るいらしいのが、救いではあるが、深い胸のうちまではわからない。

皆さん、ある程度の年齢になると、コロナ以外にも色々ある。
誰に対しても、健康は保証されていないと考える。
自分なら?
自分は不死身で例外だとは限らない。
発症したその時、考える。
きっと、おたおたすることだろう。

毎日、今日も健康に、無事に過ごせたことに感謝して。

あ、ちなみに。
映画「竜とそばかすの姫」。
今、映画館で上映中のアニメなのだが、ものすごくわたしのツボだった。
端から端まで、「大好き!!!」が詰まっていた。
いくつになっても、好きなものは好き。
テーマも描写も、どれもこれも良かった。
特に主人公をプロデュースした時のお花いっぱいの衣装や空間。
映像美は、アニメならではかというと、アニメでなくても、GCを駆使したものはスゴイ。
実写では不可能なイメージ世界を表現してあり、感動する。
それとは逆に、実写そのままをアニメ化しているシーンも多用されていた。
バイアス、対比が興味深かった。
映画主題歌は今まさに、FMで毎日かかっている、高音が響き続けるリズミカルな曲。
主人公の声優役の女性の曲だった。
というか、その映画の主題歌とは知らずに聴いていた。
マルチミュージシャンだとか。
他にも声優が役所広司をはじめ、ずらり今をときめく有名どころの俳優が名を連ねる。
大好きな映画の一つになりそうだ。