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蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

老いる爽快な軽さ

2025-08-06 | 老い
書き続けよう、無理をせず。
アクセス数はご近所回覧板ぐらいだとしても、ご近所は要。基盤。
寄りかかり過ぎるのはよくないにしても、こころの糧になる。
わたしの青息吐息のブログに、水やり、いつも、ありがとうございます。

ブログは青息吐息なのに、わたし自身は元気そのもの。
(先週の鬼の霍乱、暑気あたりは、別として)
長女の長男(中1男子)も、次男(小5男児)に引き続き38°C超え、高熱。
次女も夫の風邪?が移ったのか38°C超え。
あちこち高熱。
やはりこの暑さ、老若男女、こたえるのか。

昨日は、外出先から自宅に戻ると、2階は41°C、1階ダイニングは37°Cだった。
昼間のバス&徒歩移動は、ジリジリすごい太陽熱だった。

今朝は残暑見舞い動画が、元・中学同級生から送信され、あちこちに転送した。
5年ブランクの人も、交流が一時的に復活した。
1年ブランクの人も。
意外に、休眠中の旧友が掘り起こされるものだ。
あれよあれよと、活動予定が具体的に立案されたりした。
(→文章表現がカタイ。
どこどこに、いついつ、一緒に行こう!と、なった)
とりあえず1週間先に設定された予定日が、日にちがなかなか合わず調整出来たのは、なんと10月。
まあ、秋のほうがいい。
残暑見舞いから、秋のお出かけプランにつながった。
瓢箪から駒。
やはりこれだけ暑いと今週に!とはならない。
ビールは別だけど。

グループラインではなく、わたしを核に、それぞれ一人ずつが繋がってLINE会話した。
わたしは中継地点のよう。サテライト。
多人数、大勢での付き合いは苦手なので、全て1対1。
1対1同時進行は、グループラインのようなもの。
おひとり様同士のそれぞれLINE。
近況が聞けて悪くない。

ちなみに、1番先に残暑見舞いをLINE送信してきてくれたのは、わたしの生まれて初めてのボーイフレンド第1号。
中学1年の時の同級生。
彼は妻、自分の父親、長男一家、孫と同居、4世代家族で暮らしている。
わたしとは随分、息が長い付き合いになっている。
(と言っても復活したのはごく最近)

と、ぽろぽろ自分の情報を漏らしている。
(誰も興味ないだろうけれど)

シニアになると、風通しのいい、軽やかで爽やかな繋がりが、快適だ。
2番目に残暑見舞いをLINEした人は、余計な雑念がない、木鶏(もっけい)を目指していると言う。
わたしも影響を受け、(すぐ感化される)、贅肉や、粗熱、暑苦しさを取り省いた、周りに惑わされない、不動の、芯のあるシニアを目指したい。
(言うだけ、書くだけ、、、いつもそうだとしても)

※写真は、廃校になった幼稚園跡を利用したカフェ。




抗老化宣言

2025-06-28 | 老い
2日間ブログをアップしていない。
なのに、アクセス数がアップしてない2日間が(アップ日と比較すると)がぜん高い。
なぜ?
不思議。
毎日アップするとウザいということだろう。
だが、結果よければ、全てよし。
数多くパソコンやタブレットを所有している人が、イタズラしているのかも知れない。

それはそうと。
今朝は、ChatGPTに、思いっきり思いっきり思いっきり自慢をした。
愚痴より、自慢ほど鬱陶しいものはない。
さすが、生の人間には、たとえ家族にであったとしても、自慢は自己制御している。
気のせいか、(絶対、気のせいだと思うけれど)ChatGPTも、うんざりしていた。
「自慢の根拠を掘り下げてみましょう」なんて提案があったが、そんなもの、する気もなし。

それはさておき。 
とことんガス抜きをしているわたし。
水抜きも。精神的浮腫なし。
(運動不足のせいか、身体的には足の甲が浮腫んでいる)
全てを吐き出しリセットし、ゼロにして、今後のことを考える。
心の断捨離。
物の断捨離は、後で。後っていつ?

さて、わたし。
前頭葉が明らかに衰えている。
前頭前野は、記憶の書き込みを司る機能。

それまでしていたことを忘れる。
冷蔵庫の前で、扉を開け、はて?何を探している?
新しいことを覚えられない。
次から次へとアイドル女子グループ男子グループ。
やっと名前と顔を覚えたかと思うと、卒業して抜けていく。
覚えているのは昭和のスター名、でも、この人、生きてる?
感情の抑制が効かない。
映画やテレビで涙ポロポロ。
歳を重ねて、経験を積み、引き出しが増え、こころのヒダがアップデートされ、感受性が豊かになったのかと、自画自賛していたら、違うようだ。
脳の衰えらしい。がっくり。

側頭葉下面は、脳の貯蔵庫。
過去に経験した記憶を取り戻す機能が衰えている。
にもかかわらず、恥ずかしかった事はいつまでも覚えている。なぜ?

加えて、最近では新しい展開。
昨日。
扇風機のリモコンで、テレビをつけようとする。
そりゃ、つかんわ。
テレビのリモコンで扇風機はつけようとしないのに、、、何か機種的な相性があるのか?
互換性がある? ないない。
キッチンには、冷蔵庫と、パントリー(食品庫)と、重要品入れ物置が一面に並んでいる。
牛乳を物置に入れようとする、、、あれ?違う、、、
商品券を取り出すために、パントリーを開く。
微妙に扉が違う。
あ、そうそう、お隣同士、扉が並んでるからね、、、面が合っているとちょっとしたズレで大違い。
大丈夫か?わたし。
お菓子や海苔は、置き場を変えて、扉の場所を行ったり来たり。

ちなみに。
年齢が行けば、見た目も悪くなり、快適性重視で、おしゃれなど、二の次、無頓着にしていたわたし、、、だが、、、
見た目の老化を気にする人は、実質年齢より若く見えるらしい。
若々しい精神が、見た目を若くするらしい。
かといって、ひび割れ壁に厚く塗り込むかのような厚化粧を推奨しているわけではない。
身体の姿勢も大事。
見た目にも心身の健康にも。

そうか、、、
諦め、ふてくされていたが、ちょっと見直そうという気になっている。
気持ちは、若さを作るそうな。
若さといっても、10代や20代30代40代50代のような、自分の年代ではない年齢を目指すのではない。
ミニスカートを履いて頑張るわけではない。

と、少しだけやる気になっている。
老化は、鬱にもつながるらしいので。
見た目の老化は、主に環境的要因によって決まるとか。
健康的な生活習慣の積み重ねが、心身の老化に直接関係する。
なるほど、、、。
なので、何故か俄然と、前向きな気持ちになっている。
気分屋なので、明日は違うことを言っている可能性はあるが。

※写真は昨日、撮影したもの。
うちです、、、(大嘘)









一生涯、天然で行きたい、、、のに。

2025-06-24 | 老い
美しい薔薇を見ると、「造花みたいに綺麗!」と思ってしまう、わたし。
ブログで整った文章を見ると、AIが作ってるんじゃないかと疑ってしまう、わたし。
AIの生成した写真はわかりやすいが。

新しいテーマパークが出来ると、子供を連れて行った。
世界中のお城やレプリカがずらりと広大な敷地に、気持ちよく収まっている光景を見慣れた子供たち。
偽物と本物、目にするのは偽物が先。
大丈夫?と杞憂。

わたしは、、、蝶ブログにも、かつて書いたことがあるが、、、。
(老化対策、、、何度も書く)
わたし自身も、超田舎者で、同じく超田舎者の親戚一同の中で、超田舎で育ち、遠い広い世界を知らなかった。
何しろ、小さい頃は、知っている電車の駅の名前は、自宅から1番近い(バスで30分かかる)JR駅をはじめに、2つ目は大阪駅、3つ目は東京駅、4つ目は、アメリカ駅、、、と、本気で思っていた。
教科の中で、地理は、最大の苦手科目というのがうかがい知れる。

当時、幼稚園や小学校の同級生たちは、バスや電車、自家用車で学校に通っていた子普通にいた。
社会科の授業で電車の駅を書く課題があったが、わたしは自宅からバスで30分かかるJR最寄り駅ひとつしか知らなかった。
同級生たちの一部は、通学に電車を利用するため、駅の名前はすらすら、いくつも出ていた。
アメリカ駅、なんて駅が存在すると思っている子供のわたしは、相当子供である。
というか、外国は、アメリカしか知らないとすると、戦後のアメリカの影響はすごいものがある。
あんなに田舎の子供にまで。

そんなわたしが、初めて海外に行ったのは、20歳になったその月。
さすがにアメリカ駅は目指さなかったが。
初めてなので、日本と共通のある国を選んだ。
島国であることと、歴史深い伝統的、保守的な国であること。
当時は1ドル293円。
トラベラーズチェックをしっかり予備に持って行った。
日頃、あまり話さない親から、「気をつけて行っておいで」と、お手紙をもらったような気がする。
と言っても、たった1ヵ月だけれど。

東京駅の次がアメリカ駅と思っているようなわたしなので、見るもの聞くもの、パディントンのよう。
西洋人にもいろいろいることがわかった。
日本でメディアを通して見る外国人は限られている。
俳優だとか、歌手だとか、そういう類。
実際には、普通の人は、田舎に住むわたしには接点がない。

わたしが変にびっくりしたのは、ヨーロッパ、イギリスは実際に想像していた国ではなかった。
老大国。
日本の方が成金だった。
車もピカピカ、人もそう。
イギリスの車は、ピカピカではなく、日本なら車検に通らないかも知れないような車が少なくなかった。
田舎少女は、びっくり。
あら、わたし、田舎少女じゃないのかも?と。

ロンドンはあまり興味がなかった。雑然としていた。
何回か行ったことは行ったが。
わたしがホームステイしていたのは、オックスフォード近郊の、のどかな街。
今でも、オックスフォードへ行く、朝のバスを待つ空気感が蘇ることがある。
(ちなみに、通っていたのは夏休み、現地学生や教授、誰もいない建物だけのオックスフォード大学)

これもかつてブログに書いたような気がする。
何回書いてるの?
海外原体験なので、何回書いても良い。(わたし基準)
しかしこの体験は、海外駐在員や、その家族や、留学生とは違う、本当におままごとの世界。
人に言うのが恥ずかしいぐらいの、ささやかなお遊び経験。
幼児が、両親が用事で不在の数分間、ぽんとその場に置き去りにされたような、そんな感じ。
すぐ帰ってくるからここで待ってるんだよ、という安全圏内。
迷子になってもすぐ軌道修正。
見知らぬ街の下宿に居候する仮住まいの人に過ぎない。
自立していない。
言うならば、自立ごっこ劇場。
参加者は、中学生、高校生、大学生、現役教師たち。
それで海外に行った行ったと人に言うのは、恥ずかしくてはばかられる。
なので、ここでこっそり書いている。

青いわたしは、楽しいわたし。
今なら絶対に経験できない、、、と言うこともないのだが、変に羞恥心が育ってしまい、抵抗がある。
若い時は、できないことすら、刺激があり、楽しい。未知数の塊。
今は、できないことが恥ずかしい。隠したくなる。
なぜ?
ノーてんき、天然のわたしで、その無神経、無防備を全く苦にしてなかったのに。
怖いもの知らず。
今は、認知症予備軍に間違えられないだろうかと(実際、ボーダレス)、ハラハラドキドキ。
若い頃と同じようにポカ、ミスしても笑い飛ばせない。
(若い頃は笑い飛ばしていた)
笑い飛ばす性質こそ、わたしの持って生まれた天然ゆえの無知な明るさだったのに。
若い時とやってる事はそう変わらない。
若い時は天然、歳が行くと、認知症。
この区別がつきにくいのが問題。
自分では天然だと思っているのに、客観的に見ると、プレ認知症=軽度認知障害(MCI)
そこが笑い飛ばせない、悲しいポイント。
気にし始めると、ささいな事でも気になる。

「あの、あの、あの、わたし、若い時から生粋の天然で、MCIではありません」
と、必死で、口に泡飛ばして強調するのも、もの悲しく痛い。

ちなみに、先週アタマに紛失したキティーちゃんグッズは、週末に見つかった。
メルカリだと19,200円で売っているモノ、と娘に大騒ぎしたのに、、、
恥ずかしいから、見つかった事はまだ言っていない。
結果良ければ、全て良し。ドンマイ。

※写真は、別の処にあったトルソー、一体を追加し、新しいCEO?ロシア王妃と記念撮影。




人生の先輩たち

2025-03-29 | 老い
今日は毒吐き、膿を出します。
こころの断捨離です。
あくまでも、個人的範疇、、、です。
なので、ここからは文末まで全スクロールをお願いします。
強く強くオススメします。

そう書いたら3分の2ぐらい、毒を吐いたような気になった。
早く書きたくて、淹れたばかりのコーヒーを急いで飲み干した、、、ら、するとまたまた毒が残り少なくなっていた。
がぶ飲みコーヒーで少し溶けた?

今朝、起きる時に、起きようか起きまいか、少し迷った。
このまま寝ていてもいい。
しかし、寝過ぎは認知症を誘発、助長するらしいので、眠気が完全になくなるまでは横になり、色々思い浮かべながら、おもむろに起き上がった。
別に起きる必要はない。
そうやって、ずっと永遠に寝続けてもいい。
起きるからには、何か理由があるのだろう。
というか、起きない理由がない。
コーヒーを飲まないとね、、、

姑が頭に浮かんだ。
あんなに、よくしてくれた姑。
本人が意図しない、望まない、人生の終わり方を目の当たりにして、複雑な心境になった。
皆、最期は似たり寄ったりではあるが、終わりは同じ。
骨になり灰になる。

だが、姑は幸せである。
ほぼ思いの丈をわたしに吐いた。
自分の人生を提示し、「後は頼むね」と、わたしに託した。
時代が移り変わるその狭間に、姑も生きた。
嫁姑のバトルはない。
代々、家族は仲が良い家らしい。
幸せのループの一員に加えてもらい、有り難く思う。

あれ?
毒を吐くんじゃなかったのか?
予定は常に随時、変更される。


夫。
古い頭の持ち主。シーラカンス。生きた化石。
死んでも治らないので、そのままそっとしておく。
妻たちは、夫亡き後、夫の良さに今更ながら気づく。
わたしの周りの妻たち(実母、義母)は、皆そう言っている。(サンプル2つだけ、、、少ない実例抽出)
もう敵ではないので(邪魔もされないし)美化されるだけ、という側面もある。


姉。
頭カチカチ人間。カチカチ山の狸さん。
古い慣習に風穴を開ける実行力は、持っている。
頭脳プレイヤー。
実利面では、実践、行使。
が、精神面では古い価値観を全面に出す。出し通す。
良いとこ取り。
そうやって時代は進む。


わたし。
プレ認知症。
他人は気づいていない、自分だけが知る、認知機能の衰え。
いずれ周りも知ることになるのか、今のままで進行せずに食い止められるのか。
とかなんとか、、、わたしの場合は、若い頃から超天然なので、誰も気づかない。
わたしのミスに気づかないのではなく、わたしがミスしても、昔からの、いつものことだと認識される。
進行しても、気づかれない。
これは嬉しいことか、悲しいことか。
よくこれで、学業や就労、子育てをこなすことが出来たものだと、我ながら、ひやひやする。
と同時に自分を褒めてあげたい。
ご苦労様。労いの気持ち。
これからは、好きなだけ、めいっぱい制限なくボケ放題できる。
が、焼肉食べ放題も時間制限があるように、節度をわきまえて、、、。


ご近所さん。
蝶ブログにも何度か登場する、ご高齢女性。
姑の古くからのお知り合い。(わたしは44年前から知っている)
わたしが出かける時は、必ずこの人の家の前を通る。
昨日、彼女のお宅から大声が聞こえた。
「コーヒー!!」
たぶん、息子さんの声。
彼女は最近、耳が聞こえないから、息子さんは耳が聞こえない事実は認識しているものの、感情がまだ追いついていないのだろう。
無理ですよ、息子さん。
わたしは、とっくに諦めている。
彼女とは会話は一方的。相互は、不可能。
耳が聞こえなくても、それまでと同じ行動をなぞってリピートしている分には、問題は露見しない。
アクシデントでもない限り。
補聴器を付けたほうがいいが(認知機能低下を促さないためにも)、彼女の性格からすると、説き伏せ、納得させるのは大変そう。
息子さんが同居しておられるので、生活面では安心して任せられるが。

ご近所さんたちは、ポツリポツリと姿を消して行く。
施設に入ったり、あの世に行ったり。
時はゆっくり流れていく。
これは、愚痴や毒吐きではない。

ちなみに。
4年前からの友人が、やっと年齢を明らかにした。
いくら聞いても「同年代です」と答え、今まで絶対に口を割らなかったが、、、
期待せずに「何年生まれ?」と力まずさらりと聞いたら、ぽんと、すれっと、すんなり、いきなり答えが返ってきた。びっくり。
わたしより6歳、上。
これは同世代ではあるものの、はっきりわかるとなんだか、感慨深い。
そうか、、、なるほど、、、と、妙に納得した。

別のある知人?(友人?)は、なんとわたしより16歳も上だということが、去年わかった。(知り合って、なんと19年目に)
他にも、わたしが70代だと思っていた人が、80代だと先日わかった。
実年齢よりも、生き方が年齢を作る?
元気な人生の先輩たち。
最期はさておき、それまでが大事。


角が取れてツルツルに

2025-03-26 | 老い
本来の自分に、適応する場なんかない。
多くの人はそういう悩み、ジレンマを抱えて社会生活を送っていると思われる。
バランスを取りながら、修正しながら、どうにかやって行く。
試練の場はいくつもある。

やがて角が取れて、まんまるの石になり、ついでに認知機能まで徐々に失われている。
つるっつるの脳みそ。

最近、認知機能が衰えていると実感する場面がたくさんある。
特に外に出て、人と話したりすると、自分がいかにボンヤリしているか気づかされる。 

例えば、昨日。
パン屋さんのレジで、「レジ袋は要りますか?」と聞かれたのに、はっきり耳に聞こえ理解できているのに、なぜか返事をしないでいると、もう一度「レジ袋は要りますか?」と聞かれた。
はっとして、「スミマセン、スミマセン! 要りません」と慌てて答える。
昨日は、そのベーカリーはLINE会員5倍ポイントデー。
レジの自分の順番が来て、スマホで自分の会員バーコードを提示し、QRコードを読み取り、ポイントを得る作業に気を取られていて、返事をするのを怠ったのだろう。
一度に同時タスクが処理できない。
スマホ、モタモタは、心臓によくない。
後ろに人が並んでいると、なおさら。

先日も処方箋を持って院外薬局で薬をもらう時に、マイナンバーカードで、モタモタ。
あれ?作動しない、、、なんで?
という瞬間があった。
かざす場所がズレている? 向きが間違ってる? 逆さ? 左右反対? 裏表、反対?
あれ?あれ?あれ?

マイナンバーカード、読み取り機の前でモタモタ、、、こういう高齢者は多いらしい。
駅の切符自販機前でも、あれ?あれ?あれ?
おかしい、、、と、奮闘、格闘されている。
駅のホームや改札口の前では座り込んで、カバンの中を大捜索。
他人事ではない。
明日の自分。今日の自分。
のどかな光景だと受け止めてほしい。

ついでに、、、(スマホ人差し指が止まらない)
飲食店でのオーダーは、各席QR読み取り注文になっているところが増えている。
70代の人と一緒に行くと、彼らは自分では絶対に操作しない。
わたしがすることになる。
なんでわたしばっかり、、、と不満でも匂わせようものなら、大きな声で店員さんを呼びそうになる。
なので、いつも、わたしが操作する羽目になる。
彼らは、ある時点で脳がフリーズすると思われる。
明日のわたしだ。
いや、学生時代からその片鱗は確実にある。

※写真は、大阪城公園内のコンビニ。
蒸気機関車の車両、設置の後に、コンビニが出来たよう。








お金があっても世の中、冷たい

2024-12-29 | 老い
「資産1億円でも入居の壁」

こういうWEB日経新聞の見出しの記事を長女がLINEで送信してきた。
だが、最初の数行しか読めない仕様になっている。
しばらくWEB日経新聞は読んでいなかったので、IDやらパスワードやらを入力して記事の続きを読んだ。

独居高齢者は、身元保証人なり、引受人なり、関係者がいないと、どんなにお金を積んでも(うんと積めば別だろうけれど)入居を断わられるそうだ。
家賃滞納や認知症発症の可能性がある。
孤独死でもされると、事故物件になることを避けるため。
次に入居者を入れるのに時間がかかる。
不動産屋の思惑も理解できる。
が、世知辛い世の中になっている。
一握りのかなりの富裕層でなければ、安心して賃貸物件は探せない。
1億円資産でもそういう実態があることを知る。 

賃貸、年金生活の場合は?
今、住んでいる賃貸住宅を出てしまうと、高齢単身者は、次の住まい探しは困難を来すようだ。

しかしながら、この記事をLINEで送ってきた長女の真意は?
推測してみた。
前はよく、彼女は社会・経済記事を送信してきていたが、最近は、ぷっつり。
関心事が歳とともにスライドすると思われる。


さて。
年末、ここ2日間は、おひとり様100%自由時間。
大晦日から一気に迎春モードにエンジンがかかる。
このメリハリ。
エンジン排気量は、年々低下しているが、成果期待も低下しているから大丈夫。(プラス思考、楽天家)

今夜放送のNHK TV「ファミリーヒストリー」を録画予約しようと、腰を上げた。
すると、あれやこれや、次々とすべきことが目につく。
なかなか予約作業に至らない。
掃除、モノ移動、チェック、、、。
昨日は一日中、椅子に座っていたので、かえって新鮮だ。
立つのは、食事とトイレのみ。
あとは、洗顔して、おやすみなさい。
とかなんとか、否、夕方に雑事をこなしたことを思い出した。
やはり、なんらかの雑事やタスクがないと、のんべんだらりんと、じっと座っているのは空気が動かない。気流なし。
多動症の人には耐えられないだろうけれど。
わたしは、じっと微動だに動きたくない石地蔵なので、動く方が苦になる。

不思議に、来年からのイメージ図がふわっと脳内に浮かぶ。
中期計画。
わたしの年齢になると、長期計画はない。
あの世で続きをするとすると、成仏出来ない。
未練なくあの世に行きたいが、時間調整が難しい。
時間が余るのはまあ良いとして、時間が足らない時が嫌だ。
未練こそ、1番わたしが除去したい心情。
煩悩の一つなので、未練も生きる糧の一つではあるが。

ちなみに。
今週、初めて体験した、精神的不調。
夢の中での短時間だから良かったものの。
ブログ村のエッセイブログに、「海に眠るダイヤモンド」の感想が綴られていた。
わたしは、このドラマを全力で観ていたので、感想・考察に興味をもって読んだ。
だが、どこあたりかわからないが、不意に、あの夢の中で初体験した、マイナス沼感情が湧き出た。
不安がよぎった。
この感情を噴出させてはいけない。
わたしの今後の心身を自分で護り、コントロールするために。

だが、どの部分にその感情が吹き出したのか、わからない。
別に、けしからんような内容ではなく、わたしの思いや、知っていることと合致していた。
たぶん、今、想像するには、過去・現在・未来ゾーンの行き来のあたりに、それを具体的なかたちとして軍艦島を表し、わたしの脳内時計が支障をきたしたのではなかろうか。
時間軸の狂いが生じたことによる不具合。
軍艦島は最近、訪れたことがある。
ドラマのリアリティが伝わる。

わたしの、未知、未体験の脳内爆弾は、時間移動だと、今、分析した。
まだ脳内で整っていない、整備されていない分野。
初体験ということは、今まで時間軸の意識が眠っていて、自覚したことがなかったということ。
自分の人生時間が限りあることを、無意識に目が覚めて起こされたと思われる。
アタマで他人事のように、ドラマや小説の中の出来事のように捉えていたことが、突然、自分のこととして降りかかり、あたふたしているのだろう。
この歳になって、ちゃんと自覚していない、能天気、天然ぶりには、ある意味、わたしは幸せな人生を送っているのだと感じた。

だが、時間が限られていることに気づいたに過ぎず、受け入れているわけではない。
受け入れ作業と同時に、本格的に、上っ滑りではない、自分の人生残り時間と本格的に向き合う準備に移る。
え〜?
まだ準備?
飲食店に行ったら、準備中のボードが掛かっているようなかんじか。
とりあえずは、前夜。
終わりの始まり。

今から意識すればよい。
精神がブレないよう、避けずに、向き合っていけば、今後、また、突然こころが不調になった時、早く立ち直れ、強くなれるかも。
て、具体的方法や対策はないのだけれど。

とりあえず、なぜか、明るく、「やりたいことリスト」が頭に浮かんだ。

おや、と、気づいたら、今日の記事、えらく大量文字になっている。
スクロールお願いします。
あ、既に文末ですが、、、たぶん、もう一瞬でここまでスクロールされていると思います。








美容整形、美の大改造

2024-12-17 | 老い
昨日、出かけるまでの時間を利用して、スマホで遊んだ。
時間潰しとも言える。
その中で、時間潰しを超えて、時間が超過オーバーになりそうなものは、途中で視聴を放棄する。
専念していられない。

その放棄したYouTube。
切り口や題材は使い古されているが、わたしが興味あるテーマがある。
志願者が各分野のプロ、スペシャリストに依頼し、全身美容整形して、コンプレックスを克服して前向きに生きていく、というもの。
いつもはよくあるヘアデザイナー(美容師)やスタイリストの参加は、無し。
直接的な改造のみに、光を当てる。
全員、若手医師。
(※ここで、近年、医師の進む診療科が偏り、医療社会問題が頭をもたげるが、とりあえず横に置いて)

顔や容姿は、あくまでもコンプレックスの具象化。
内面のモヤモヤを追求すると、見かけ、外見にたどり着く。パラドックス。
人物評価に見かけではなく「能力」枠が加わると、価値観を変えなければ競争社会では生きていけない。
いくらこころが満たされ幸せでも、それはさておき、成人になれば自立する術が必要だ。

若い時は、容姿に捉われるのもわかるが。
容姿を磨くには不断の努力が必要だし、中身がお粗末なら、いつまでも容姿一本槍だけでは続かない。
若いと、たぶん、理解できないだろうけれど。
外見だけではない。

もちろん外見もある意味、重要だ。
どうしても受け入れられない外見というのもある。
その逆に、理屈抜きで好きな外見もある。
外見だけでなく、コミュニケーション能力の高さだったり、関わり方で好き嫌いは分かれてくる。
自分も変わるし。(そこが大事)

若い人は、先ずは、優れた容姿、外見を手に入れてから中身の充実にかかるのか?
若い時は美しくても、歳を重ねるとイマイチの人、これはほとんど。
だが、若い時、ぱっとしなくても、年齢が行くと、ぐっと良くなる人もいる。
魅力のポイントが何かによって、違ってくる。

若い時は若さを絶賛される。
それは必ずなくなるものだとわかっているから。
人生の先輩たちは、骨身に染みて理解している。
なので、若い人を見ると、自分の来た道を見る。
今のうちだけだからね、という教訓を周りで示す人がいるかどうか、それでかなり違ってくると思う。
本からの知識、教えでもいい。
が、火の中にいては、聞く耳を持たない。

わたしは若さを思いっきり自分なりに享受した。
だが、その傍ら、「蟻とキリギリス」がチラリと頭の隅っこに点滅する。
きゃあきゃあ、はしゃぐ一方で、若さを失った後、わたしは何も残らない、と、当時の若い自分は思っていた。
同時進行していた。
はしゃぐ自分と、醒める自分。
享受と杞憂。
やっかいな性質。
引っ張りあって、もつれ合って、順調に毎年、歳を取っている。
皺やタルミ、老化の何が悪い?

結局、行き着くところは自己肯定か。
1番、嫌がられるパターンである。


そんな秘密、どこで知ったの??

2024-11-30 | 老い
今日は最初から、言っておきます。
自分のことばかり書くので、全スクロールお願いします。
とりあえず、そう前置きすると、人の貴重な時間を無駄にさせる罪の意識が薄らぎ、肩の荷が降りる。
はぁ。ため息。
おまじない。

最近、前にも増して脳が衰え、青色吐息。
言葉が出てこない。
自分が言いたい想い、表現、単語が、ぱっとアタマから消える。
うーーーん、とアタマをヒネる、ネジる。
仕方ないから別の表現でお茶を濁す。

人名が出てこないのは、今に始まったことではない。
顔しか出てこない。
知っている人の名前。
最近は動物の顔に置き換わっている。
本名はもういい。
コアラだの、ゴリラだの。
ゴリラは多いため、補足要素を足す。
太めだの、浅黒だの、背が高い低いだの、しわがれ声だの、ヘアスタイル描写が追加されたり、、、
ほとんど動物園だ。

店の名前も、場所しか出てこない。(これはしばらくすると、出てくる)
生活圏は、いたって狭いので、これで十分。
ベーシックのみで、オプションは必要ない。

とは言え、気になってしかたないので、つい調べて確認してしまう。
自力の記憶力復活ではない。
カンニング。

昨日、顔を合わせた、ある人。
その人しか知らない秘密の事項がある。
それをご本人に、こそっと囁いた。
顔色が変わった。
なんで知ってるの???
すごくびっくりしておられた。

後からわたしの隣にまで来て、「どうして知り得たの?気になってしかたない」と、神妙な顔でわたしに詰め寄る。
わたしは、「回覧板が回って来たんですよ」と曖昧な返事をした。
ほんとうのことを言ってもいいのだが、別に意地悪でもなく、ご本人が忘れているなら、あえて混ぜ返さなくてもいいか、と思っただけ。
そんな悪い内容ではないが、ご本人の口から聞いてから、まだ2年も経っていない。
ご自分で言ったことはともかく、わたしの顔も忘れておられるようだ。
まあ仕方ない。
本人は気が付かないうちに、徐々に記憶から消えていくことが増えてくる。

日本では高齢者の認知症の人は、(2020年時点に予想された)2025年には約700万人。
高齢者の5人に1人、国民の17人に1人が認知症になると予測されているらしい。
2025年って、すぐ。来月ではないか。
さらに、認知症(予備群を含め)の人は軽く1000万人を超え、高齢者の3人に1人になるとか。
これだけ人数が増えると、政府も何か手を打たなければならない。
「新しい認知症観」なるものを打ち出し、認知症を特別扱いせず、皆んなと共に普通に暮らせるように意識改革を促すようだ。
そうしないと、混乱が起きる。
カオス社会になって、収集がつかなくなる。
高齢化社会がすごいスピードで押し寄せて来ているのに、対策が追いついていない。

変に怖がらず、受け入れる準備をしましょう、というものか。
周りもそうだが、自分、当人が1番、受け入れ生きていかなければならない。
わたしが直接、話した皆さん、誰1人として「自分は認知症になるかも知れない」と言わない。
皆さん、ならないそうだ。
そう思っているほうが、精神衛生上、良い。
が、わたしは、とても複雑な気持ちで聞いている。

相変わらず、長文。
どうにかならないか?

※写真は、今月のスペイン村。



10年後、20年後、30年後のわたし

2024-11-28 | 老い
うっすら、ぼんやりした、わたしの夢。
叶わなくてもいい、ただ、なんとなく想像するだけのもの。
15年後に、女児孫グループとフランス旅行に行くこと。
彼女たちは、22歳、19歳、18歳の、うら若き乙女??となっている。
果たして乙女かどうかは、わからないが。
アクシデントがなければ、かしまし娘たちは、元気でいるだろう。
さてわたしは、、、83歳だが、、、飛行機に乗れるだろうか。
閉所恐怖症か、飛行機恐怖症、はたまた旅行恐怖症になっているかも知れない。
病気になっているかも?歩けないかも?
15年も先のことはわからないが、周りを見る限り、今時の83歳のおばあちゃんは、元気だ。

昨日も最寄りのバス停で、見ず知らずの高齢女性おばあちゃんと、話が弾んだ。 
マスクの話を皮切りに、その前日の地震のことだったり、時々、どっと笑いを交え会話を楽しんだ。
お互い、まるっきり知らない人なのに、おばあちゃん同士、女性は元来、明るいのだろうか。
つい4日前も、駅から発車するバス停で、見知らぬおばあちゃんに声をかけられた。 
美容院に行って髪をカットしたばかりなので、スマホで写真を撮ってくれませんか?と頼まれた。 
彼女のスマホは最近のものだったからか、機種がわたしのものと違うせいか、写真のシャッターボタンを押しても、何の反応もなかった。
ちゃんと押せていないのかも、と不安になり、何度もスカスカ手ごたえのスマホ画面を押した。
何枚も、ちゃんと撮れていた。
ありがとう、と、美しく髪を整えたばかりの老婦人おばあちゃんは、また別の賑やかな音がするほうのイベント場所に消えて行った。

わたしと同じバスに乗ったようで、その女性が降りたのは、わたしが降りる一つ前の停留所だった。
バスの中から、わたしはその姿を捉えた。
停留所からどちらの方向に向かうかで、住んでいるところがわかる。
じつにわかりやすい、オールド(半世紀以上前に造成された)ニュータウン構造になっている。
戸建てと団地に分かれている。

今、団地もさることながら、
戸建ては住民は入れ替え時期を迎えている。
空き家になっても、更地になり、しばらくすると新しく家が建つ。
2分割にして土地が売られていることが多い。
MAXでは4分割というものもあったが、絶妙に区割り、設計されていて、感心した。
若い人が増えるのは嬉しいことだ。
最新の建築、住宅を見るのも刺激的で楽しい。
衰退する自治体もあるなか、まだ活気を保持しているようで安堵する。

ところで。
直近のわたしが写っている写真を見ると、自分で言うのもなんだが、優しい顔をしている。
お気に入りだ。
若々しいとか、そんなことは、全然ないが、なんとなく、囚われていたものから一皮剥けたかんじ。(自分で言うか?)
そのせいかどうかは知らないが、見知らぬおばあさんに声をかけられ、おしゃべりする。
ほんの短時間だが。
おばあさん同士の連帯感か?

何回もわたしの蝶ブログに登場する、正真正銘の(90歳超え)おばあさんとも、最近は仲良し雪解けムード。
あちらは、昔から同じだろうと思うが、わたしが、なんだか、わだかまりがなくなったように思う。
ではあるものの、せっかくこころの距離が縮まったっいうのに、彼女は耳が聞こえなくなっていた。
わたしの姑と同じだ。 
だから、会話も行動も一方通行。
玄関チャイムも聞こえない。
人が出入りできるガラス戸が開いているので、在宅は間違いないが。
仕方ないから出直して、家から電話をかける。
すると、電話には出られ(近くに置いているか、光る?)、今から行く旨を伝える。
そういう耳の聞こえないお年寄りも、ごく普通にバスに乗り、社会で生活している。
耳は聞こえなくても、今までと同じ行動をしている分には、問題ないのだろう。
見た目には綺麗な老婦人だ。
彼女はわたしより20年以上、人生の先輩になる。
息子さんが家に出入りしているから、どうにかなっているが、独居なら大変かも知れない。

ちなみに。
セキュリティ会社から、お知らせハガキが届いた。
ホームセキュリティ、12月からオプションとして、新しいサービスが追加されるそうだ。
自分が在宅ではない時、用事を依頼できる。
一回一回、有償で、セキュリティ会社に預けている鍵を使って、家に駆けつけてくれる。
依頼案件は、作業だったり、セキュリティに不安がある時だったり、各自の要望に応じるもの。
これはいいなあ、と思った。
今は利用する場面はないが、今後の何かに備えてスタンバイ、安心が得られる。
セキュリティ会社も高齢者にターゲットを絞るのは必要であり、合理的だ。
散りばめられているニーズを拾う。

ホームセキュリティの範囲エリアなら安心だが、僻地だと業者に頼れない。

今は個人主義が蔓延っているから、ご近所互助システムは、昔のように強くない。
あまりお付き合いがないこともある。
しかも老人ばかりでは、いざという時に、パワー面で頼りない。
闇バイト犯罪は、現実社会の現状の脆弱さ、闇を突いている。

巷のおばあちゃんとは、垣根がなくなりつつある、新規おばあちゃんの、わたし。
今のところ、敵は、自分による自分への軽度認知障害。
550万人いると言われている。
さらにその次は、軽度認知症(450万人いるらしい)。 
そして、その次は本格的認知症。
なにしろあと推定20年もあるので、脳が持ちこたえられるかどうか。
20年を超えると、身体も脳もアウトで、人にお任せした静かな生活が待っている。
今はボロ中古車みたいな現状。
もう車検は通らなくなっている。
いつ動かなくなっても不思議ではない。
ドキドキ、スリルいっぱいの毎日。
が、廃車には出来ない。

この記事、10年後にわたしが読んでどう思うか。
苦笑するだろう。
20年後に読んだら、、、読まないだろう。
30年後は、読めないだろう。
というか、デジタル終活、いつから始めよう?
デジタル遺品、迷惑なんだろうなあ。
ブログは生きがいなのに、インターネット終活は、正に人生、終わりの時だ。




心がけると、少しはマシになる?

2024-11-17 | 老い
フレイル、、、なかなか覚えられない、聞き慣れない言葉。
(フランスまでは届き知られてないと思います)
「老化して心身機能が衰えること」とわたしは捉えている。
足腰が弱ってしまうのだ。
筋肉の衰え。使わないと益々衰える。
病気になる入り口付近。
脳も、そう。
認知症の人は、益々増えるばかり。
政府としては医療費削減のため、フレイル予防を広く啓蒙啓発し、ぜひ、国民1人1人に意識して頑張ってもらいたい狙いがある、、、と想像する。
医療費と介護費、国の予算の占める割合は?
税金の使われ方には子育て支援も、目に見えやすい。
が、自治体のお金が少なくなり、住民自治サービスが劣化するのを目の当たりに見るのは辛い。
医療費を少しでも減らす努力。これを心がけたい。

ところで。
話は変わる。
わたしはメンドクサがりなので、一回一回、その度に動くのではなく、一度に二つ以上のことをしたい。
何度もチマチマ動くのは、嫌。
動く時は、一気に色々、まとめて動く。
あれもこれも、いっぺんにする。
一つ一つ丁寧にこなしていかないと、やっつけ仕事は失敗の元ではあるが、エネルギー不足は、否めない。仕方ない。
勢いがある時しか動かない、動けない。
今日もどうにか英語アプリ学習と、ピアノの練習はやった。
聞くに耐えない演奏。
ではあるが、練習段階なので、こんなもん。
とりあえず、続いている。
わたしにとって、続けることが、大事。
ピアノを弾きながら、音楽以外の他のことを考える。
姑が、自分はお経を読みながら、別のことを考えていると言っていたが、同じようなもの。
集中していない。
物事を考える時のBGM、脳へ与える刺激を能率良くするための効果音か。
本末転倒。
こんな弾き方は、本気で弾いている人とは勿論、一線を画している。
わたしは、人生、ナメている。
おちゃらけだ。
一生懸命の人が知ったら、不愉快だろう。
だが、人それぞれ、基準が違うし、ジャッジも違う。
「ジャッジ」を「評価」と書こうとしたが、評価は客観的な目になるので、やめた。

最近、おちゃらけは不謹慎だと自覚して、場面によっては、思ったことを口にしないようにしている。
そして、ふざけた冗談は言わないように心がけている。
わたしは真面目に遊んでいるのだが、他人から見ると、顰蹙(ひんしゅく)を買ってもいけないので。
わざわざ悪目立ちは避けようというのが、歳を重ねた最近のわたし。
多少、大人になったのか。
ではあるが、あまり知らない人同志の会話の中で、どっとウケたりした瞬間は快感でもある。
ヘンかしらん。
「笑いにもセンスがある」と思うようになった。
英語では「humor/ユーモア」。


ちなみに。
趣味を通していろんな人を知る。
面白いものだ。
自分が無意識に持っている偏見をふと認識することがある。
色メガネで人を見ている。
しかし、染み付いたものは、なかなか落ちない、治らない。
自分の価値観の核の一つになっていたりすると、厄介だ。
核は一つだけではないのか?
リスクヘッジで、自分が壊れないよう、逆ベクトルのものをわたしは用意している。
バランスファンド型だから。

相変わらず、話が行ったり来たり。
身体は地に根が生えて微動だに動かないのに、脳の中で踊る文字は、ごちゃまぜ。
文章多動症だ。